デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
13款 社団法人国際聯盟協会
■綱文

第36巻 p.468-472(DK360177k) ページ画像

大正12年2月13日(1923年)

是日、当協会理事会及ビ第二回評議員会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。後、美濃部達吉立作太郎及ビ神川彦松招待晩餐会ニ移ル。


■資料

集会日時通知表 大正一二年(DK360177k-0001)
第36巻 p.468 ページ画像

集会日時通知表 大正一二年 (渋沢子爵家所蔵)
二月十三日 火 午後四時 国際聯盟協会理事会・評議員会(銀行クラブ)
   ○当日ノ理事会ハ第何回ナルヤ未詳。評議員会ハ第一回ヲ大正十年四月二日ニ開キタレバ右ハソノ第二回ニ該当ス。


国際知識 第三巻第三号・第一二七―一二八頁大正一二年三月 【◇二月十三日協会は、美濃部…】(DK360177k-0002)
第36巻 p.468 ページ画像

国際知識 第三巻第三号・第一二七―一二八頁大正一二年三月
◇二月十三日協会は、美濃部・立両博士、神川彦松氏三氏の招待を兼ねて、銀行倶楽部で理事会・評議員会を開いた。美濃部博士は昨年チエツコ・スロヴキアのプラーグで開かれた聯盟協会聯合会の総会、及ブタペストに開かれた理事会に本会を代表して出席されたのである。神川氏はプラーグの総会で、通商衡平待遇問題のために奮闘せられたのであつた。立博士は今度渡欧されるについて、又協会のために色々御奔走を願ふことになつた。美濃部博士のお話によれば、日本の協会代表者は、毎年人が代はるので甚だ不便だとのことであつた。しかし安達峰一郎氏が大体今後滞欧中、日本の協会代表者たることを承諾されたから、少くとも同氏の滞欧中は、今までのやうに代表者が、前年来の懸案の性質を知らないなどといふことなどはなくなるであらう。



〔参考〕国際知識 第三巻第四号・第四一―四六頁大正一二年四月 ○国際聯盟及国際聯盟協会 プラーグの聯合会所見 法学博士 美濃部達吉(DK360177k-0003)
第36巻 p.468-470 ページ画像

国際知識 第三巻第四号・第四一―四六頁大正一二年四月
 ○国際聯盟及国際聯盟協会
    プラーグの聯合会所見
                 法学博士 美濃部達吉
 国際聯盟協会聯合会第六回総会は、昨年六月プラーグで開かれた。其の時日本の協会を代表して参列したのは、鳩山秀夫・太宰施門・勝本・神川彦松の諸氏及び私であつた。又十月ブタペストで理事会のあつた時の代表者は、太宰氏と乾氏と私の三人であつた。私が日本を出発したのは三月であつて、聯盟協会の聯合会に対する準備は、少しもして居なかつたのであるが、巴里で始めて総会に出席の予定になつて居ることを聞き、止むを得ず出席したやうな訳であつた。鳩山・太宰
 - 第36巻 p.469 -ページ画像 
両氏は既に前年度の会にも出席して、様子もよく知悉して居られたから、それらの諸君の尽力にて大過なきを得た。乾氏はロスアンゼルスの大学で、主として国際法の教授を担任して居られるが、一年間の休暇を貰つて欧洲に滞在中であつた。私が欧洲を去り帰国に際し、誰れか次年度の総会の準備の理事会に出席して、大体の容子を知つて居る人のあることが必要であつたから、乾氏にそれを托して来た。又通商衡平待遇の問題は神川氏が前年以来引受けて居たが、これも乾氏に委託して帰ることが出来た。
 総会の印象について、二・三次に述べて見やうと思ふ。プラーグの総会で最も問題になつたのは、少数民族保護の問題であつた。これは今日に始まつた問題ではないが、殊にヴエルサイユ条約の結果、種々の新興国が出来た為に、欧洲殊に中央欧羅巴の最も喧しい問題となつたもので、就中、チェツコ・スロヴァキア及びポーランドにあるドイツ人、其の他トルコ、ルーマニア、ユーゴースラヴィア等に散在して居る少数の異民族の保護の問題が其著しいものである。既に一昨年の総会でこれらの少数民族の保護問題が喧しく議論され、その結果特別委員会を設け、英国のディッキンソンを委員長として審議した。その結果が昨年の総会に提出されたが、それには言語・宗教其の他の関係に於て少数民族の或る程度の独立を認め、国家の統一を害しない限度に於て出来るだけ少数民族の権利を認めたものであつた。この報告が議論の中心となつたのである。国際聯盟協会は私立の協会であつて、その決議が直に実際の政治を動かすと言ふのでもないに拘らず、この問題の討議の如きは恰も実際政治を取扱ふ程に各自が熱した。最後にこの報告が可決されると、チェッコ・スロヴァキア、ポーランド、ルーマニア、ユーゴー・スラヴィアの四国委員はこの報告の可決を不当として総会から退会した。これは唯退席の意味であるかそれとも聯合会から脱退する意味であるか聊不明であつたが、兎に角現に会を招待して自分の国で開会して居る「チェック」国の委員が退会してしまつたのだから、会としては甚だ困つて、議長は四国委員を慰撫調停せんと計つたけれども頑として応じなかつた。そこで正式の交渉委員会を開いて調停を講じたけれどもこれも不成功であり、四国委員退会の儘議事をすゝめ、総会を結了した。十月のブタペストの理事会の時には前には退会した四国委員から前の決議を翻すならば理事会に出席するといふ通告の手紙が来たけれども、何等か返答をなすべき性質の通告ではないと言ふことになり、単に受領して置くに止めた。而してこの問題は、決議にはなつたけれども強硬な反対者もあることであるからこれを以て最終の決定と認めることも出来ず、又問題が簡単に終熄すべくもなく毎年起ることであるから、前年の委員会を継続存置することゝし、今一層審議調査して報告すべきことゝした。今年六月ヴイーンの会議でもこれは大問題となることゝ想像される。
 日本の協会から提出した人種差別撤廃の問題は、特別委員会の報告のまゝ大多数で可決された。これは原則として認められたといふ程度であつて、実際的に効果の現はれるまでには、尚余程時間を要することゝ思はれる。決議は殆んど日本から提出したそのまゝであつた。又
 - 第36巻 p.470 -ページ画像 
通商衡平待遇問題は決議にまで至らず、委員会を設けて今年の総会までに尚良く案を調査した上、議題に上せることになつた。これは前にも述べた通り乾氏が後を引受けられた。
 総会に議案を提出する数の多いのは、南アメリカのアルゼンチン其他の小国が多かつた。オランダや支那・スイスも多かつた。大国は割合に議案を出さなかつた。これは重要な案を数少く出して、それを強く主張する方が得策かと思ふ。
 此の総会又は理事会は、性質から言へばほんの私立の協会の会合であるにも拘らず、開会される国では可也鄭重に待遇され、その国の政府又は市の市庁等から熱心に出来得る限りの歓待を受けた。プラーグではチェッコ・スロヴァキアの大統領のリセプションが催された。ブタペストではハンガリーの摂政のリセプションがあつた。開会地の国の他に、特に激しい議論のあつた少数民族に属する国の協会の運動は殊に盛んで、その国では政治的にも重視されて居た。これは此の問題に対するヨーロッパ一般の輿論を動かそうとする運動とも関係があるのである。
 各国の協会の代表者として出席して居る人には学者もあれば新聞記者もある、中には社会党の名士等もあるから、そのために国際聯盟協会の総会等でも活動するのであらうと思はれた。
 私達日本人は容貌や態度が他の国の人に比較して貧しさを感ずる。彼等の間にあつて重きをなすことが出来ず、惹いては尊敬を受けることが困難である。又、世界的知識が乏しいことを感じた。特にヨーロッパの問題には尚更事情に疎く、為にその席上で、直に是非の意見を発表し得る程意見が豊富でない。第三に我々はどうしても言葉が不充分で、自分の意見が詳細に発表することが困難で、不利益を蒙ることが少くない。そこで私は日本人に、国際的知識の普及の非常に必要なる事を痛切に感じた。又言葉の方ではエスペラントの如き、国際補助語を公用語と認めらるゝ様になれば甚だ好都合かと思ひ、これを日本の協会から一提案とするのも有利かと思ふ。
 総会の開かれたプラーグは、チェッコ・スロヴァキアの首都であるが、ハンガリーとチェッコ・スロヴァキアと比較すると、可也の相違を感ずる。チェツコ・スロヴァキアは新興の国で文化の程度は低い、しかし人間に活気があつて盛んに生活を経営して居て、見るからに活力に富んで居る。反之ハンガリーは貴族尊重の国で、一般の調子が弛緩し呑気である。私の泊つたホテルは料理の美味いので有名であつて其処の食堂には昼から一杯の人が溢れて居る有様であつた。一方貴族主義であると共に、密に武器を貯へて居る点でも欧洲第一で、学生の間に秘密結社があつて、ひそかに武を練る等、武断主義的傾向が目立つた。これはドイツ殊にバイエルンも同様の噂を聞いたのであるが、ハンガリーの方が其の傾向が強かつた。



〔参考〕国際知識 第三巻第四号・第四一―四六頁大正一二年四月 総会にて取扱はれた 通商衡平待遇問題 神川彦松(DK360177k-0004)
第36巻 p.470-472 ページ画像

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