デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
13款 社団法人国際聯盟協会
■綱文

第36巻 p.523-533(DK360191k) ページ画像

大正12年11月10日(1923年)

是日、東京市及ビ当協会共同主催休戦五周平和記念大会講演会、協調会館ニ開カル。栄一出席、当協会会長トシテ閉会ノ辞ヲ述ブ。翌十一日午前、当協会・東京市・東京商業会議所及ビ東京新聞聯盟共同主催対外市民感謝デー、日比谷公園音楽堂ニ催サレ、栄一出席ス。午後、当協会並ニ東京市共同主催少年少女大会同音楽堂ニ催サル。栄一出席シテ講演ヲナス。


■資料

休戦五周平和記念大会 大正一二年(DK360191k-0001)
第36巻 p.523-525 ページ画像

休戦五周平和記念大会 大正一二年 (社団法人日本国際協会所蔵)
(謄写版)
拝啓、陳者来る十一月十一日に《(は)》欧洲大戦終熄第五週年に相当致し候に就ては、例年の通り之を記念すると共に、本年は特に今回の震災によつて表せられたる諸外国の深き同情に対し感謝の意を表明し、併せて市民一般に国際親善の精神を普及せしむる為め、十日には芝区協調会館に於て講演会を、十一日には日比谷公園新音楽堂に於て、少年少女を中心とする会合を開催仕度希望に有之、就ては国際的教育の立場より、特に左記二項につき御尽力を得ば幸甚の至りに奉存候 敬具
  大正十二年十月二十六日
                     東京市長 永田秀次郎
              社団法人国際聯盟協会長 渋沢栄一
    学校長殿
    左記
一、十一日の大会には、可成生徒(小学校にありてハ上級生)を参列
 - 第36巻 p.524 -ページ画像 
せしめられたし
○中略
二、世界各国民互に援け合つて、戦争のない平和な共同生活を営む意味を表示するポスターを、有志の生徒に図案作成せしめられたし
  (イ)右ポスターは、曩に国際聯盟協会宛諸外国より到来せる同一目的によりて作られたるものと、併せて十日・十一日の両会場にて一般の展覧に供す
  (ロ)優秀なるものを選び、印刷に附し、一般の宣伝用に供すると共に、各国の国際聯盟協会其他の平和団体に贈呈す
  〔小学校〕
富士前小学校○外小学校十九校校名略ス
  〔中・小学校〕
暁星中・小学校○外三校校名略ス
  〔女学校〕
実践女学校○外五校校名略ス

(印刷物)
    平和記念大会次第
□講演会
 一、日時 十一月十日(土曜日)午後一時
 一、会場 芝公園協調会館講堂
 一、講演
   開会の辞             東京市長 永田秀次郎
   廃墟の中より生れ出たる新文化  衆議院議員 永井柳太郎
   バラツク争議と世界の平和     法学博士 穂積重遠
   閉会の辞               子爵 渋沢栄一
□平和ポスター展覧会
 一、東京市小学校児童及中等学校生徒の手になれるポスター、並に外国より寄贈を受けたる平和宣伝ポスター、及び平和運動資料を公開展覧に供す。
 一、日時 十一月十日(土曜日)午前十時乃至午後四時
 一、会場 芝協調会館二階
□少年少女大会 司会者 大迫元繁氏
 一、日時 十一月十一日(日曜日)午後一時○中略
 一、会場 日比谷公園音楽堂
 一、催し
  1、音楽(第一部) 早稲田大学音楽会管弦楽部
○中略
  2、講演
        少年団日本聯盟総裁 子爵 後藤新平氏
        外務大臣      男爵 伊集院彦吉氏
                  子爵 渋沢栄一氏
 - 第36巻 p.525 -ページ画像 
                     安井哲子女史
  3、我国の震災につき、諸外国々民より寄せられたる同情に対し感謝の決議
   邦文・英文・仏文・エスペラント文にて少年少女朗読
  4、お伽噺
○中略
  5、独唱 瑞西公使令嬢
○中略
  6、音楽(第二部)
○中略
  7、ページエント
○下略


休戦五周平和記念大会 大正一二年(DK360191k-0002)
第36巻 p.525 ページ画像

休戦五周平和記念大会 大正一二年 (社団法人日本国際協会所蔵)
(謄写版)
粛啓、時下愈々御清穆奉賀候、陳者来る十一月十一日は欧洲戦争休戦第五週年に相当致候に就ては、世界平和国際協力の思想普及に資する為め、例年の如く当日を平和記念日として祝福し、併せて今回の震災につきて寄せられたる、友邦諸国民の深甚なる同情と救恤とに対して聊か感謝の意を表し度く、別紙○前掲次第により記念会相催し候間、御繁用中乍恐縮、御繰合せ御臨席の栄を賜度、此段御案内申上候
  大正十二年十一月
                    東京市長 永田秀次郎
         社団法人国際聯盟協会々長 子爵 渋沢栄一
          殿
        令夫人
 追而十一日は少年少女を中心とせる会合に有之候間、御令息・御令嬢御同伴被下候はゞ、幸甚に奉存候
 (当日此の状御持参被下度候)
    決議
私共日本の少年少女は、けふ、こゝに平和五週年目の記念日をお祝ひするために、集りました、世界の国々を、代表する皆様方が、こんなに、大勢、今日の会にお出で下さいまして、私共一同非常に、嬉しく存じます、あの九月一日の怖ろしい、震災につき皆様から、一方ならぬ御同情を寄せて下さいましたことは、私共日本の少年少女に代つて心から御礼を申上ます、私共は、決して、この御同情を忘れることは出来ません、そして、それに報いる為めに、これから後は、外国の少年少女達と一層親密に手を取りあつて、本当に、平和な世界を造ることに、つとめませう。


(国際聯盟協会)会務報告 第一五輯 自大正一二年一〇月二六日至同年一一月二六日(DK360191k-0003)
第36巻 p.525-526 ページ画像

(国際聯盟協会)会務報告 第一五輯 自大正一二年一〇月二六日至同年一一月二六日
                    (渋沢子爵家所蔵)
    二、平和記念大会
 - 第36巻 p.526 -ページ画像 
十一月十日 協調会館に於て平和ポスター展覧会を催し、来観者一万三千人に達す。ポスターは海外平和団体よりの寄贈にかゝるもの二百枚、東京市立並に郡部小・中・女学校児童生徒の作成せるもの千三百枚。
十一月十日 協調会館に公開講演会を開催。来会者八百名
 開会の辞           東京市長 永田秀次郎氏
 バラツク争議と世界の平和   理事   穂積重遠氏
 廃墟の中より生れ出たる新文化 代議士  永井柳太郎氏
 閉会の辞           会長   渋沢栄一氏
十一月十一日 午前十時より日比谷音楽堂に於て、本協会は東京市役所・東京商業会議所・東京新聞聯盟と共同主催にて、対外市民感謝デーを催す。
十一月十一日 午後一時より同所に於て、本協会は東京市役所と共同主催にて、少年少女平和大会を開催す、詳細は雑誌「国際知識」に報告す。


国際知識 第四巻第一号・第一五八―一五九頁大正一三年一月 ○平和記念大会記事 平和記念大会第二日 対外市民感謝デー(午前)(DK360191k-0004)
第36巻 p.526-527 ページ画像

国際知識 第四巻第一号・第一五八―一五九頁大正一三年一月
 ○平和記念大会記事
    平和記念大会第二日
      対外市民感謝デー(午前)
 十一月十一日、夜来の雨残りなく晴れて、今日は平和のすがすがしい秋日和、日比谷公園入口の菊花のアーチも、震災後とて喜ばしい。
 定刻十時、日比谷の新音楽堂は一万の市民に立錐の余地もない。その間を各国の大公使、詩人クローデル(仏)、東洋学者エリオツト博士(英)、植民政策の権威ゾルフ博士(独)、バツソンピエル氏(白)、キヤンフレー氏(米)、施履本氏(支)など、晴れやかな顔に、つゝみきれぬ笑をたゝへて、群集の拍手歓呼の中を、陸続と入場する。
 御主人役の永田市長・渋沢聯盟協会々長・藤山商業会議所会頭・宇佐美東京府知事・伊集院外務大臣等、朝野の名士が朗かな機嫌で斡旋する。
 今日は震災後、初めて市民の顔に微笑が漲つた。
 定刻十時戸山学校の音楽隊は、行進曲「コロネーンヨン」の嚠喨たる奏楽に一万の会集を酔はす。
 やがて急霰の如き拍手に迎へられ、東京市長永田秀次郎氏は、その長身をステージに立たせ、二百五十万の市民を代表し、居据る列国の大公使と、集つた一万の市民とに、代る代る向き直りつゝ
 『凡そ困厄に際して受けた親切は、胆に徹して嬉しく感ずるものであります。九月一日の震災と火災とに遭遇した東京、並に近県の酸鼻に際し、友邦諸国民の寄せられた深甚の同情に対しては、三百万市民は勿論、七千万同胞の感謝措く能はざる所である。東京市民は、たゞに物質的窮状から救はれたのみならず、真に精神的に深く、四海同胞の愛に浴し、世界の平和と人類愛の道義に、強い衝動を味つたのである』
云々と荘重の演説を終るや、高杉早大教授と丸山陸軍教授が之を英・
 - 第36巻 p.527 -ページ画像 
仏語で復演する。
 これに対し外交団を代表し、エリオツト大使は百雷の如き拍手に迎へられて立ち
 『私どもの今度為したことは、私どもの当然の勤めである』云々と述べ、高杉教授が之を和訳すると、市民は再び之に拍手を送る。
 次いで藤山商業会議所会頭が、左記の感謝決議案を朗読すると、満場一致拍手の裏に可決する。
 「今回の大震災に際して寄せられたる、友邦諸国の深甚なる同情と敏速なる救援に対し、我々三百万東京市民は中心より感謝の意を表す」
藤山会頭は、外交団代表者として白国大使バツソンピエル氏に右の決議を手交すると、万雷の如き拍手が起つた。
 それから永田市長の発声で、列国の万歳を三唱して、式を終り、音楽隊の奏楽は正午頃まで続いた。
 場外には大学生・女子大学生徒の主催の対外感謝署名会で人を集めてゐる。


国際知識 第四巻第一号・第一五九―一六二頁・第一〇八頁大正一三年一月 ○平和記念大会記事 少年少女平和大会(午後)(DK360191k-0005)
第36巻 p.527-531 ページ画像

国際知識 第四巻第一号・第一五九―一六二頁・第一〇八頁大正一三年一月
 ○平和記念大会記事
    少年少女平和大会(午後)
     東京市と国際聯盟協会とが共同主催で
 東京が九月一日の大震大火で焦土と化し、可愛いさかりの少年少女がおびえ切つてゐる際、今日は菊かほる秋日和、世界大戦休戦条約調印五周年記念日とあつて、東京市と聯盟協会が主催で、日比谷公園新音楽堂に市内外の少年少女平和大会を催すといふので、府立五中の四百名、第三女学校の五百五十名、本郷小学校の三百名を初め、五十余の小・中学校の生徒、児童が教師に引率せられて、陸続と入場する。
 此の外、招待状を発した三千余名が家族同伴で、我も我もと日比谷音楽堂へと押しかけたので、さしもの音楽堂も立錐の余地なく、はては樹上、電柱によぢのぼるといふ盛況。
 接待係りの日本エスペラント協会の帝大生須々木・中村、その他面面、汗だくだくで制するが、制御がつかない。が幸ひに怪我人もなかつたことは、流石に平和紀念日にふさはしい。
 さて会場はと見ると、本日の委員長大迫東京市社会教育課長、青木聯盟協会幹事、平林東京市社会教育主事の面々が、本日の盛会に、つつみ切れぬ喜びに輝きつゝ手配オサオサ怠りがない。
 定刻一時、早稲田大学音楽会管弦楽部の三十余名がステージにズラリと席を占めると、一万五千の少年少女は、もう手を拍つて喜ぶ、やがて行進曲「アテリエ」円舞曲「金と銀」模倣曲「自動車旅行」と軽快なメロデイーに、会場は酔はされた如くである。
 音楽が終つて永田市長は、大迫元繁氏から「東京市のお父さん」と紹介せられて、可愛い拍手に迎へられて立ち
 「今日は世界戦争の終つた五年目の記念日です」
 「皆さんのやうな愛らしい方の声は、天使の声です。私達大人は今
 - 第36巻 p.528 -ページ画像 
日午前、こゝで外国の親切に対してお礼の決議をしましたが、あなた方の感謝の声は、大人よりも世界に強く響きます」
と、よく通る声で今日の催しを説明する。
 次いて大迫委員長は、後藤少年団日本聯盟総裁の代理、同理事長、二荒伯を紹介する。伯はボーイ・スカウトの服装をして「鰐虎合戦」のお伽噺を初める。
 「お池に住む鰐の国と、陸に住む虎の国とが、ふとしたことから大喧嘩を初めました。ふとしたことゝいふのは、或る日、虎が池に水を飲んでゐたら、鰐が怒つて、その虎を水の中に引つ張り込んで、散々いぢめた。その虎が逃げて虎の王様にいひつけたので、虎の王様がお怒りになり、或る日、鰐が陸に上つて、日なたボツコをしてゐる所を、捕まへて、散々仕返しをした。この事を知つた鰐の国の王様も大変お怒りになつて、弥々虎の国と鰐の国との大戦争が始まらうといふので、鰐の方でも、虎の方でも、氏神様にお願ひして、どうか戦争に勝たして下さいと祈つた。氏神様は両方から祈られてお困りになつたが、つまらぬ事で喧嘩することはよくないとお考へになつて、鰐の方へは、明日雷が鳴つて大雨が降るから、その時は口を一ぱい開けよとお命じになつた。虎の方へは明日雷が鳴つたら池の端にゐて、鰐を目がけて飛び込めとお命じになつた。
  さて翌日になつて、両方が、今か今かと雷の鳴るのを待つてゐると、ガラガラガラガラと鳴つた。鰐は一パイ口を開けた。虎は一サンに飛び込んだ。すると、虎が鰐の口の中に這入つて、身動きが出来ず、鰐も口が動かなくなつて大変苦しみました。
  虎の背中に筋があるのは鰐にかまれたあとで、鰐の甲羅にひゞのあるのは虎がもがいて引つかいたあとですとさ。
  日本の国は平和の国ですから、神様は、喧嘩をする虎や鰐を国外に放逐なさいました。それだから日本には一匹も居りません』
と手まね、足まねで話すので、少年少女、大よろこび、
 外務大臣伊集院男が今度は二荒伯に代つて立つ。鹿爪らしい大臣のお顔は今日、こゝばかりでは、ニコニコ大満悦の好々爺、
  『みなさんのやうな可愛いゝ方が、こんなに大勢お集りになつた所で、お話するのは此れが始めてゞです、今日はほんとうに結構なお催しで、私も喜んで参りました。世界戦争が終つて今日が丁度五年目です。この五年の間には、怪しい戦争の雲が出かゝつた事も、一度や二度ではありませんが、今は国際聯盟といふものが出来てゐて、各国に、戦争をしてはならぬといふ考が、深く沁み込みましたお蔭で大戦争にならずにすみました。今後はどんなことがあつても戦争をしてはならぬといふ考へを、世界の人々の心に沁み込ませなければなりません。今日の東京は大地震と大火事で、こんなにみじめな有様となりました、五年前のヨーロツパが此の通りで、今に至るまで回復が出来ないでゐます。今度の震災に対する外国の親切に対しては、たゞ感謝の言葉ばかりではなく、世界は相依り相助けて初めて人生の幸福を得るのであるといふ事を充分承知して、之を実行しなければなりません。人生は短かい。然し皆さんの将来はこれ
 - 第36巻 p.529 -ページ画像 
からである。此の外国の同情に対しては、皆さんは東京を復興し、世界平和を確立して、お礼をしなければなりません。旅は道づれ、世はなさけといふ諺が、日本に古くからありますが、此れは誠に結構な教へで、四海兄弟、国際平和といふことも、むづかしい事ではなく、旅は道づれ、世はなさけといふ心持でかゝれば、容易に得られるのです」云々と
かんで含めるお話に可愛い少年少女は会得してうなづく。今度は大迫元繁氏が「東京市のおぢいさん」と紹介した、渋沢子爵が立つ。童顔の老子爵も今日は殊更晴れやかに輝いてゐる。
 「今度の大震災について、外国の方々から大変の親切を受けましたことを見ても、日本は日本だけの日本でなく、世界の日本であることがお分りになりませう。然し日本が何時までも此の災害を復旧せず、一層立派な国にならなかつたら、外国の同情はいつまでも続くものではありません。日本の国を立派にするものは、皆さんがたです。皆さんが日本を立派にしようと思へば、皆さん自身が立派にならねばなりません。皆さん自身が立派になるには、学問を勉強しなければなりません。学問を勉強するには、物覚えがよくなければなりません。物覚えをよくするには良い秘訣があります。』
これは秘密ですよ、今日お集りの皆さんにお土産としてお話をするのです。誰れにもいつてはいけませんと、もつたいをつけたので、子供達は一生懸命。とも角、秘密としてこゝには書くまい。
 次に女子大学々監安井哲子女史が『少年少女の可愛い方には天のお使、平和のお使。女は子供と一緒に、平和が好きで喧嘩は嫌ひ』と冒頭して、サンフランシスコの近くでアメリカ人と日本人とが、仲よく暮してゐる一例をお話する。
 それから外国より寄せられた同情に対する、少年少女の感謝の決議をする。ボーイ・スカウトの服装のリヽしい吉野明君が邦文で、次の決議案を読み上ける。
   ○決議案略ス。前掲ノ「決議」ト同文ナリ。
 次で吉田清彦君が之を次のやうに英語、小川とし子嬢が仏文、島村君がエスペラント語で夫々読み上げる。
 (英文翻訳)
  We are here to-day to celebrate the fifth anniversary of the armistice. All of us are very glad to see you all representing the nations of the world come and join us here. On this occasion, we wish, for all the boys and girls of Japan, to thank you from the bottom of our hearts for kindness shown us when we were so terribly struck by the earthquake of September the 1st. We shall never forget your kindness and will try to repay it by working ever so hard, hand in hand with the boys and girls of all the countries, to bring about the real world peace.
 (仏文翻訳)
  Nous sommes réunis aujourd'hui, 11 novembre, pour célébrer le cinquième anniversaire de l'armistice. Nous sommes
 - 第36巻 p.530 -ページ画像 
 tous tres heureux de voir que vous êtes venus si nombreux vous joindre à nous, vous qui représentez les diverses nations du monde. A cette occasion, nous tenons, au nom de tous les enfants du Japon, à vous remercier du fond du coeur de la chaleureuse et généreuse sympathie que vous nous avez montrée à la suite du terrible tremblement de terre du 1er septembre. Nous vous resterons toute notre vie reconnaissants et nous nous efforcerons, la main dans la main avec les enfants de tous les pays, d'aider au maintien de la paix.
 (エスペラント翻訳)
  Ni, japanaj geknaboj, amantaj Pacon, kunvenas hodiau, la dek unuan de Novembro, por festi la kvinjaran datrevenon de la Repacigo.
  Estas al ni granda ĝojo, ke vi, reprezentantoj de diversaj nacioj de la mondo, ĉeestas ĉe nia kunveno tiel grandnombre.
  Okaze de tiu ĉi festo, en la nomo de japanaj geknaboj ni esprimas koran dankon al vi, kiuj montris al ni grandan simpation kaj faris helpojn pro la kataklismo, okazinta la unuan le Septembro.
  Kun la homaraneco en la koroj, kauzita de la universala simpatio, ni laboru kun geknaboj de la mondo mano en mano pro la bono de la tutmonda paco.
会場に埋まる一万五千の嬢ちやん坊ちやん、大喜びで拍手喝采して賛成の意味を表する。すると忽ちボーイスカウトの少年達二十余名がステージに整列して、右の決議文を受けとり、命令一下、かけ足で中央電話局に駈け走る。キビキビした場面の転回に満場声をのむのであつた。電報送り先きは次の通りである。

 英文
  London――The Daily Mirror
  New York――The World
  Sidney――The Daily Telegraph
  Culcatta――The Statesman
  Ottawa――The Citizen
 仏文
  Paris――Petit Parisien
  Bruxelles――Le Soir
  Rome――Agence Stephanie
  Buenos Aires――La Nacion
 支那文
  北京――京報館及各報館鑑
  奉天――東三省公報及各報館鑑
  広東――報界公会転交各報館鑑
  上海――新聞報館及各報館鑑
 - 第36巻 p.531 -ページ画像 
 それからが、お待ちかねの東洋家政女学校長、岸辺福雄先生のお伽噺「平和の成功」。此のお話は大変の成功で、チエツク・スロヴアキアの公使が、是非速記したものを欲しい、本国に送つて今日の催しを伝へたいと所望した位。
 早稲田大学音楽団の「オリヱンタル」「ホボモコ」「キスメツト」の奏楽があり。
 スイス公使夫人の伴奏に手に手に万国旗を持つた美しいスイス公使令嬢や、スイス少年少女十余名の合唱は、居並ぶ大人を泣ぐませた。
 最後に、今日の呼物。有隣園児童のペーヂエント、ポーランド物語「めぐみの星」は満場をアツトいはせたお手のもの、ヨチヨチ歩く少ない嬢ちやんや坊ちやんが、二十余名、終り頃のワルツに移つたときは、さしもの広い音楽堂は破れるばかりの拍手喝采。
 今日は内外の名士が家族同伴で集つてゐた。
 かくして会を終り、各国大公使・夫人・令嬢・令息が立つて会場を去らんとするや、期せずして万雷の如き拍手と歓呼が、暮れ行く秋の夕空を動かした。


国際知識 第三巻第一二号・第八三―八四頁大正一二年一二月 ○日本国際聯盟協会の活動 大正十二年度報告 平和紀念大会(DK360191k-0006)
第36巻 p.531-532 ページ画像

国際知識 第三巻第一二号・第八三―八四頁大正一二年一二月
 ○日本国際聯盟協会の活動 大正十二年度報告
    平和紀念大会
 東京市役所・東京商業会議所・東京新聞聯合と協同主催して、十一月十一日午前十時より、日比谷公園新音楽堂に於て、市民対外感謝会を催す。
 午後一時より少年少女大会開催し、
 一、音楽(第一部)早稲田大学音楽会管弦楽部
   (イ)行進曲「アテリヱ」………メンデルスゾン
   (ロ)円舞曲「金と銀」…………レーハー
   (ハ)摸倣曲「自動車旅行」……ビツドグッド
 二、講演
                 東京市長 永田秀次郎氏
         少年団日本聯盟総裁
         後藤子爵 代理副総裁伯爵 二荒芳徳氏
               外務大臣男爵 伊集院彦吉氏
           国際聯盟協会会長子爵 渋沢栄一氏
               女子大学々監 安井哲子女史
 三、我国の震災につき、諸外国国民より寄せられたる同情に対し、感謝の決議
   邦文・英文・仏文・エスペラント文にて、少年少女朗読
 四、お伽噺
   平和の成功 東洋家政女学校長東洋幼稚園長 岸辺福雄氏
 五、独唱
   (イ)スヰス国歌
   (ロ)ダルクローズ
   (ハ)スヰス民謡
 六、音楽(第二部)
 - 第36巻 p.532 -ページ画像 
   (イ)ダンス「オリヱンタル」……オーボミスキイ
   (ロ)印度物語「ホボモコ」………リーベ
   (ハ)東洋風「キスメツト」………マーキー
 七、ページエント 有隣園児童所演
   ポーランド物語「めぐみの星」
  当日会集一万五千余、空前の平和大会なり。


竜門雑誌 第四二三号・第六一頁大正一二年一二月 ○平和記念大会(DK360191k-0007)
第36巻 p.532 ページ画像

竜門雑誌 第四二三号・第六一頁大正一二年一二月
○平和記念大会 ○中略十一日○一一月 は午後一時より、日比谷公園音楽堂に於て、少年少女大会を催し、早稲田大学音楽会管弦楽部の音楽、永田東京市長・二荒伯・伊集院外相・青淵先生・安井哲子女史の講演、及び我国の震災に就き、諸外国々民より寄せられたる同情に対し、感謝の決議を、邦文・英文・仏文・エスペラント文にて、少年少女の朗読あり、終つて二荒伯より、右の決議文を速刻各国に打電すべき旨を告げ、其使命を帯べる少年団十余名は、満場の拍手に送られて、中央電気局に向ふ。次で岸辺東洋幼稚園長のお伽噺あり、夫より音楽・独唱あり、最後に有隣園児童所演のページエントありて、盛会を極めたりと云ふ。


国際知識 第四巻第二号・第九〇頁大正一三年二月 ○日本聯盟協会の活動 少年少女感謝決議送達(DK360191k-0008)
第36巻 p.532 ページ画像

国際知識 第四巻第二号・第九〇頁大正一三年二月
 ○日本聯盟協会の活動
    少年少女感謝決議送達
 去る十一月十一日、日比谷公園で少年少女の平和大会を催した折、決議した対外感謝文は、直ちに中央電信局より海外十三ケ国の主要新聞社に向け、永田東京市長の名義で発送したが、尚ほ徹底を計る為め決議文を本邦駐箚外国大使に送附した、之に対し英・米・白・瑞西・チエコスロヴキヤの大公使より、態々書翰を以て、日本少年少女の決議は喜んで之を各本国の少年少女達に伝ふべしと申越された。殊に瑞西公使ラールデイ氏夫妻は、渋沢会長宛手紙に於て、自分の娘がかゝる美しい集りに出席し、日本少年少女と共に唄ふ事の出来た事を、非常なる喜びとする旨を附加へられた。


休戦五周平和記念大会 大正一二年(DK360191k-0009)
第36巻 p.532-533 ページ画像

休戦五周平和記念大会 大正一二年 (社団法人日本国際協会所蔵)
(謄写版)
謹啓、陳者十一月十六日附貴翰正ニ拝誦仕候、去ル十一日御開催ノ平和紀念日少年少女大会ヘ御寵招ヲ辱フシ御厚意奉感候《(謝脱カ)》、其際ハ小官娘両人共ニ同大会ヘ参列シ、日本少年少女達ト会合スルノ機会ヲ得テ幸福ノ至リニ御座候、両人共大震災後毎週、母親ニ同伴サレテ「バラツク」ヘ参リ、貧困ナル日本児童慰問ノ為メ、瑞西本国児童達ノ製作スルモノト同様ナル紙片又ハ古布片等ヲ用ヰテ作ル、手工品ノ仕方ヲ教ヘ、且ツ彼等ト共ニ遊ブ事ヲ楽シミト致居候、従ツテ好ク日本児童ヲ知リ、且ツ彼等ニ対シテ多大ナル同情ヲ有シ居申候
先日ノ大会ヘ参列ノ好機会ヲ与ヘラレタル御厚意ニ対シ、玆ニ閣下ニ向ヒ小官ノ深厚ナル感謝ノ意ヲ表シ申候 敬具
 - 第36巻 p.533 -ページ画像 
                    瑞西国公使 ラルデイ
   社団法人
    国際聯盟協会長子爵渋沢栄一閣下
                  (栄一鉛筆)
                   十一月廿一日一覧
   ○右謝状ハ十一月二十日付ナルガ如シ。
   ○十一月十六日付出状ハ栄一、国際聯盟協会長トシテノ感謝状ナルベシ。其控見当ラズ。

(謄写版)
謹啓、陳者今般平和記念日に際し、貴校生徒の平和ポスター図案御製作方御依頼申上候処、御多忙なる此際、加ふるに時日の僅少なるにも関らず、格別の御理解と御同情とを以て多数の御応募に預り、応募数一千三百を超ゆるの盛況を見申候は、主催者側として感謝に堪えざる次第に御座候。右図案は、その全部を十一月十日芝協調会館内に陳列展覧会ヲ催し、同十一日午後日比谷に於ける少年少女大会々場附近にも、優秀図案の一部を掲げ申候。
右はたゞに一般の平和思想喚起に資するところありたるのみならず、又少年少女の平和に対する理解を増したること蓋し尠からずと信じ申し候。今後も国教育《(マヽ)》の方面に於て何かと御助力御願申上候事も可有之その際は一層の御同情を以て、御援助相仰度、不取敢以書中御厚礼申上候。匆々
  大正十二年十一月十二日
                東京市長 永田秀次郎
         社団法人国際聯盟協会長 渋沢栄一
    学校長殿
 追而右応募ポスターは、近日何等かの方法により東京及各地に於て展覧に供し度き考へに有之候、その節はその旨御通知可申上候。