デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
13款 社団法人国際聯盟協会
■綱文

第37巻 p.271-275(DK370068k) ページ画像

昭和4年11月11日(1929年)

是日栄一、当協会会長トシテ、芝区愛宕山東京中央放送局ヨリ、第十一回平和記念日ノ記念放送ヲナス。


■資料

集会日時通知表 昭和四年(DK370068k-0001)
第37巻 p.271 ページ画像

集会日時通知表 昭和四年        (渋沢子爵家所蔵)
十一月十一日 月 午後七時 迄ニ着ノコト
              国際聯盟協会々長トシテ平和記念放送(JOAK)


国際聯盟協会書類(四) 【昭和四年十一月十一日午後七時廿五分東京放送協会ニ於テラヂオ講話 休戦記念日ニ就テ】(DK370068k-0002)
第37巻 p.271-273 ページ画像

国際聯盟協会書類(四)         (渋沢子爵家所蔵)
  昭和四年十一月十一日午後七時廿五分東京放送協会ニ於テラヂオ講話
    休戦記念日ニ就テ
只今御紹介ヲ受ケマシタ渋沢栄一デゴザイマス。
此ノ十一月十一日ノ休戦記念日ニ当ツテ、私ガ国際聯盟協会ノ会長トシテ、通常会務ニ迂遠ナルニモ拘ハラズ、世間ニ向ツテ所感ヲ申述ベルコトガ一種ノ慣例トナリ、既ニ今回デ四度目ニナルノデアリマス。実ハ医師モ家人モ頻ニ止メマシタケレドモ、平素世界ノ平和ヲ生命トシテ居ル私トシテハ、何分止ムニ止ミカヌル事柄ナルニヨリ、本年九十歳ノ老躯ヲモ顧ミスシテ此席ニ出テ、ヲコガマシクモ平常ノ苦衷ヲ述ベテ大方ノ御高評ヲ請フノデアリマス。
 - 第37巻 p.272 -ページ画像 
古イ諺ニ月日ニ関守ハナイト申シマス。支那ノ古賢ハ歳月不待人ト謂ウテ居リマス。又年々歳々花相似、歳々年々人不同、ト云フ唐人ノ詩句モアリマスガ、実ニ其通リデ、大正七年十一月十一日世界大戦ノ平和ガ克復シマシテ、早クモ満十一年ヲ経過シマシタ。更ニ前回私ガ御大礼ニ際シテ迎フル休戦記念日ニ就テ申述ベマシテカラモ一ケ年ヲ経タノデアリマス。而シテ其期間ニ我ガ国際聯盟協会モ相当ニ発展シテ、一昨年ハ支部ノ数ガ四十デアツタガ、本年ハ五十八トナリ、会員数モ五千人ガ壱万弐千人ニ増加シマシタ。又国際聯盟ガ世界ノ平和ニ貢献シタ事柄ハ、決シテ少クナイノデアリマス。而カモ其精神ハ世界ノ隅々ニマデ普ク広マリマシテ、各方面ニ種々ノ国際会議ガ開カレルヨウニナリ、着々効ヲ奏シテ居リマスノハ、私共ノ最モ喜ブ所デアリマス。最近ノ例ヲトリマスト、予テ解決難ト言ハレタ独逸ノ賠償問題モ、本年八月終局的ニ解決サレ、問題ハ政治的カラ離レテ経済関係ニ移リマシタ。又来年一月、日英米仏伊五国ノ軍縮会議ガ、英京倫敦ニ開カレルヤウニナリマシタノモ、不戦条約ノ締結ト共ニ、私共ノ衷心カラ欣快ニ堪ヘヌノデアリマス。蓋シ此等ハ国際聯盟直接ノ仕事デハアリマセヌガ、軍備縮小ノ如キハ、国際聯盟ノ一大目的トナツテ居ルノデアリマスカラ、之ガ世界ノ問題トナリ、列強ノ間ニ慎重ニ議セラルルニ付テハ、私共ハソノ貫徹ニ向ツテ最善ノ努力ヲセネバナラヌノデアリマス。斯クノ如ク世界ノ国々ガ平和ヲ求メ、国際協力ノ実効ヲ挙ゲルヤウニナツタノハ、誠ニ結構ナコトデアリマスガ、私トシテハ尚ホ遺憾ニ思ウテ居ルコトガアリマス。ソレハ個人ト国家トノ別ナク常ニ自己ノ都合ノミヲ主トスル風ガアリ、苟モ利害ノ関係アル事ニ付テハ、種々ナル理窟ヲツケテ自己ノ利益ヲ主張シ、他ノ迷惑ヲ顧ミナイ傾向ガ強イノデアリマシテ、コレガ即チ個人間ト国際間トヲ問ハズ常ニ紛議ノ原因ヲ成シテ居ルノデアリマス。故ニ世界ノ平和ヲ確立スルニハ、世界中ノ国々ガ忠恕ノ心ヲ以テ相接シ、自国ノ都合ノミヲ主張スルコトナク、他国ノ利害ヲモ考ヘルヤウニシナケレバナラヌノデアリマス。換言スレバ、道義ヲ重ンジテ、孔夫子ノ主義トスル所謂己ノ欲セザル所ハ之ヲ人ニ施サズ、共存共栄ノ実現ニ努力シナケレバナラヌノデアリマス。熟々現今ノ世状ヲ見マスルニ、知識ノ進歩ハ非常ニ顕著デアルニ拘ラズ、道徳ハ進歩ガ頗ル緩漫デアリマシテ、此ノ車ノ両輪トモ云フベキ知識ト道徳トガ相伴ハズ、一方ノミ発達シテ行クコトハ、誠ニ遺憾千万デアリマス。殊ニ知識ノ進歩ハ権利ノ主張トナリ、道徳ノ弛緩ハ義務ヲ忘却スルニ至ツテ、人類ノ平和ニ大害ヲ与ヘル場合ガ多々アルノデアリマス。徳川幕府ノ賢宰相ト謂ハレタ松平楽翁公ノ壁書ニ、「有ルモ無キニオトルハ誠ナキ人ノ才」ト云フ警句ガアリマスガ、実ニソノ通リデアリマシテ、徳義ニ欠ケタ人ノ知識ハ無クモガナデアリマス。私ハ何処マデモ人々ニ、道義ノ観念ガ強クナルコトヲ望ミ、国際上ニ於テモ、義務ヲ尽シテ後ニ権利ヲ求メルヤウニスレバ、平和ガ破レル筈ガナイト主張シテ居ルノデアリマス。私ガ多年政治ト道徳トノ合致、経済ト道徳トノ調和ヲ力説スル所以モ、畢竟之ニ基ヅクノデアリマス。要スルニ個人ノ場合ト同様、国際関係ニ於テモ、道義ノ念ガ欠ケテハ、平和ニ付テ如何ニ会議ヲ尽シテモ、無駄
 - 第37巻 p.273 -ページ画像 
デアルト断言シテ憚ラヌノデアリマス。私モ老イ先短イ身デハアリマスガ、生命ノアラン限リハ、人類ノ間ニ道義ノ観念ヲ進メタイト考ヘコレヲ高唱シ力説シ、斃レテ後已ムノ覚悟デアリマス。ドウカ諸君モ今後ハ一層世界的ニナツテ行クコトヲ念頭ニ置カレ、国際聯盟ノ主義ト其精神トヲ調査セラレ、世界ノ平和確保ノ為メ、御助力アランコトヲ希望致シマス。ソシテソレニハ道義ヲ最モ重ンゼラレルヤウニアリタイト、此ノ老人ガ特ニ御願ヒ申スノデゴザイマス。コレデ私ノオ話ヲ終リマス。


国際知識 第一二巻第二号・第五八―六〇頁昭和七年二月 休戦記念日の想ひ出 故渋沢子爵秘書役白石喜太郎(DK370068k-0003)
第37巻 p.273-275 ページ画像

国際知識 第一二巻第二号・第五八―六〇頁昭和七年二月
    休戦記念日の想ひ出
                 故渋沢子爵秘書役 白石喜太郎
○上略
      (三)休戦記念日の放送(昭和四年)
 昭和四年十一月十一日は雨に暮れんとして居る。午後五時三十分銀行倶楽部へ出掛ける、蓋し日米関係委員会主催の日米協議会が、午後四時から開かれ、子爵は主人役として出席して居られるからである。光仄暗き二階ホールで待つて居ると、球戯場から冴えた球の音が高く聞える。馬鹿に熱心にやつて居る。何所かで悠々と六時が鳴る。球の音はいつしか止んで、碁石の響が時々思ひ出したやうに聞える。鳥渡石の音が杜絶えると、針の音も聞えるような静けさが迫つて来る。突如足音が響くと共に「グード・バイ」の声が起つた。送り出した子爵と盛に握手して居る。廻らぬ舌で"Sayonara"などゝ愛嬌をふりまいて居る。かくて協議会は終つたのであつた。
 午後六時二十分二階中食堂のストーヴを背にして座に着かれ、徐ろにスプーンを採られる、他に人もないので、ボーイの足音が時々に聞える位である。
「今日は朝から大分御忙しく、正午には陸軍大臣の招宴があり、只今は又日米関係委員会があり、大分お疲れのところを、更に放送をせられますのはほんとに恐入ります」と口を切る。
「ナニ、大したことはないよ。毎年の例にもなつて居ることであるから是非やります」ナイフとフオークを手際よく使ひながら答へられ更に続けられた。
「唯草稿を書いて朗読するので、演説と違つてどうも具合が悪いのでネー」
「演説の上手な方には、朗読演説はどうも束縛を受けるような感じがあつて御困りのようで御座います」
「いや私は上手と云ふ訳ではないが、どうも朗読演説は、窮屈でいかぬ」
「其時の模様なり、気分なりをつかまへることが出来ませんで、どうも平凡になるようで御座います」
 食事を終つて少し時間があつたので、貴賓室に入られた。時間を無駄にせぬ子爵は、ラヂオの原稿をポケツトから出して黙読せられる。
「これでよからう」と起たれのは六時四十五分であつた。自動車の窓
 - 第37巻 p.274 -ページ画像 
を打つ雨は糸よりも細く、白銀のように美しい。例の急傾斜の坂を上るとき「ひどく急だネ」と子爵が今更のように驚かれる。かくしてJOAKの玄関についたのは午後七時であつた。そして直に増築応接室に落付かれた。
 矢部放送部長が来る。挨拶一頻り、頗る賑かであるが、火一つない室の空気は冷く淀んで居る。子爵が風邪をひかれはせぬかと冷々する火鉢を入れるように頼んだ。
「今晩は全国中継放送でして、到る処で子爵の御講演を聴く訳で御座います」矢部氏が説明する。
「いやそれは」子爵のニコニコ顔が輝く。
「全国中継と云ふと、全国で如何程の聴取者ですか」
「只今の処六十三万で御座います」矢部氏は得意である。
「ホー、それは中々盛んになりましたネ」
「御蔭様で先づ順調に発達して居ります。然し英国や独逸が百万を単位にして居りますのに比較しますと、到底問題になりません」
「左様ですか、米国は如何ですか」
「米国は聴取料を取りませぬから、聴取者の数は分りませんが、之は大したものであらうと思はれます」
「聴取料を取らずに如何にして、放送局の経済が採れますか」
「御尤で御座います。米国では広告放送を許し、其料金を以て経済を立てゝ居ります。日本では広告を絶対に許しませんが、米国では広告が盛に放送されます」
 大火鉢にカツカツと火を入れ、二人掛りで子爵の側へ運ぶ。
「これはどうも恐れ入りました。ホントに恐縮です」と頻りに言はれる。
 国際聯盟協会の奈良正造君が顔を出す。暫時東京市と協会との喧嘩を話題として歓談が続く。喧嘩の火元たる奈良君は頻りに頭を掻いて居る。
 内田康哉伯が入つて来る。子爵と相対して席に着くと、直ぐに口を開く。
「平素は誠に御無沙汰に打過ぎまして申訳御座いません。いつも御元気で誠に結構で御座います。今夜の子爵の御奮発は恐れ入ります。御高齢と申し殊に夜分に御出掛け下さいまして、真に感謝に堪えませぬ」
「恐れ入ります。国際聯盟協会々長として、年々ラヂオの放送をする例になつて居りまして、今夜は四回目で御座います。一向国際的の知識も御座いませぬが、之も一つの務であらうと考へまして続けて居ります」
「私も今夜は休戦記念の話をする為め参りましたが、子爵のように慣れて居りませんので、うまく行くかどうかと思ふて居ります」
 誰かの耳打ちによつて矢部部長が退席する。
 入替りに其座を占めた中山理事が名刺を差出しながら口を切つた。
「子爵には予々非常に御世話様になつて居りますにも拘らず御無沙汰致して居ります。永く支那の交通部の顧問をして居りましたが、昨
 - 第37巻 p.275 -ページ画像 
年帰つて来まして、此方に関係することになりました」
「左様ですか、それで交通部の方をおやめになりましたか」
「名前は未だ存して居りますが、何分私のは北の方との関係ですから今の有様ではどうもなりません」
「支那には何時からですか」
「内田伯爵の外務大臣の頃と思ひます。大正三年で御座いました」
 内田さんの顔が引締まつた。
「大正三年では違ふな――、私が大臣になつたのは大正六年だつた」
 放送部長がヒヨツコリ顔を出し、用意の出来たのを知らせるのを機に席を立たれた。かくて中山理事を先頭に導かれたのは、昨年と同じ放送室であつた。唯昨年と異るのは天井に万国旗を処狭きまで飾つたのと、殆ど室一面を領する許りに並んだJOAKシンフオニー・オーケストラの一隊とであつた。
 子爵がオーケストラの人々を前にした、設けの卓によると急に電灯が光を増し、次第に明るく白くなりまさり、眩き許りになつた、写真師が一生懸命ピントを合はせ一枚撮つて、一礼すると共に光は元へ帰る。スイツチは切られた。午後七時二十五分になつた。アナウンサーの声が響く。
「JOAK、こちらは東京中央放送局であります。これから休戦記念の夕に移ります。其初めに国歌を奏しますから、左様御承知願ひます。それでは近藤信一氏の指揮によるJOAKシンフオニー・オーケストラの君が代で御座います」
 指揮棒がひらめく、楽は徐ろに奏せられる。近々と聞くオーケストラは耳に強く響く。終るのを待つてマイクロフオンは向を変へる、アナウンサーの紹介の辞がある。放送部長が開始の合図をする。子爵は起たれた。部長は手で頻りに腰掛けた儘にと勧める。子爵は極めて低く「これでよろしう御座いますか」と念を押された。矢部氏は頻りにお辞儀をして居る。子爵は遂に腰掛けて始めた。
「只今紹介せられた渋沢栄一で御座います」から極めて自由に極めて楽に話された。オーケストラの諸君が聴集になつて居るので話しいゝらしい。午後八時近く「これで私のお話を終ります」と結ばれた。
 かくして前の応接室へ帰ると、国際聯盟協会副会長山川端夫氏が、内田伯と頻りに談じて居つた。内田伯は子爵と入替りに放送の為め退席した。かくて暫時山川氏と歓談の後、JOAKを後にせられたのは午後八時二十分頃であつた。
   ○平和記念日ニ於ケル記念放送ハ大正十五年以降継続シタリ、而シテ是年モ「休戦記念日」ノ名ヲ用ヒタレドモ最初ノ例ニ依リ、綱文ニハ「平和記念日」ノ名ヲ採ル。