デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
20款 太平洋問題協議会
■綱文

第37巻 p.478-485(DK370107k) ページ画像

大正14年3月31日(1925年)

是日、外務省通商局長佐分利貞男、飛鳥山邸ニ来訪シ、外務大臣幣原喜重郎ノ旨ヲ伝ヘテ、栄一ニ当協議会ニ関スル斡旋ヲ依頼ス。栄一尽力スル所多シ。


■資料

渋沢栄一 日記 大正一四年(DK370107k-0001)
第37巻 p.479 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一四年      (渋沢子爵家所蔵)
三月二十六日 晴 寒
午前○中略 斎藤惣一氏来リ、布哇ニ於テ開催スル太平洋会議ノ事ヲ談ス
○下略
三月二十七日 曇 軽寒
○上略 小畑久五郎氏来リ、昨日帝大ノ御殿ニ於テ開催セラレシ、太平洋会議準備会ノ摸様ヲ報告ス○下略
三月二十八日 晴 寒
○上略 布哇ホノルル市ニ開催スル太平洋会議ニ対スル派遣員ニ関シ、井深梶之助・斎藤惣一二氏来訪、一昨日大学ニ開会セル協議ノ次第ヲ報告シテ、向後ノ援助ヲ請ハル、依テ近日姉崎博士ト会見シテ其方法ヲ案シ、相当ノ尽力ヲ為スヘキ事ヲ約ス○下略
  ○中略。
三月三十日 曇 軽寒
○上略 姉崎博士来リ、布哇ニ開催セラルル太平洋会議ニ、派出員及其処置ニ関シ、種々協議ス○下略
三月三十一日 晴 軽寒
○上略 佐分利通商局長来リ、外務大臣ノ旨ヲ得テ、本年七月開催ノ布哇ニ於ケル太平洋会議ニ関シ、余ノ斡旋ヲ依頼セラル、小畑久五郎氏モ来リ共ニ談話ス○下略
  ○中略。
四月九日 曇 軽寒
○上略 阪谷夫妻来訪ス、布哇ニ開催スル太平洋会議ニ付意見ヲ交換ス、斎藤惣一氏来リ、前後ノ会議ニ付テ、種々ノ注意ヲ為ス○下略


(増田明六)日誌 大正一四年(DK370107k-0002)
第37巻 p.479-481 ページ画像

(増田明六)日誌  大正一四年     (増田正純氏所蔵)
四月十七日 金
○上略
汎太平洋協議会の件
午後四時、姉崎正治博士及小生飛鳥山邸ニ会し、子爵病牀ニ於て、右協議会の件ニ付、協議す
○下略
  ○中略。
四月廿八日 火
朝九時半、子爵代理として外務省に佐分利通商局長を訪問、今夏ホノルヽに開催せらるゝ太平洋協議会、出席者選任の件ニ協議《(付脱)》す
○下略
  ○中略。
一日○五月 金
○上略
藤山雷太氏訪問(木挽町九の二六同氏別宅)
 汎太平洋協議会ニ、日米関係委員会代表として出席せらるゝ様、懇談す(子爵の命ニ依る)
○下略
 - 第37巻 p.480 -ページ画像 
  ○中略。
七日 木
○上略
本年七月一日より十五日まで、ホノルヽに於て開催せらるゝ太平洋沿岸諸国協議会ニ、日米関係委員会を代表して藤山雷太氏ニ出席を請ひしも、既ニ爪哇旅行の計画ありて、之を変更する事能ハさる由にて、断ハられしを以て其旨子爵ニ報告し、更ニ子爵の命ニ依りて添田寿一《(氏脱)》に出席を請ひしが、又病気の故を以て断ハられたれは、其旨子爵ニ復命したるニ、更ニ堀越善重郎氏・頭本元貞氏と順次交渉すべき事を命ぜられたり
○下略
  ○中略。
十日 日 晴
○上略
午後麻布西町に堀越善重郎氏を訪問し、布哇ニ於る太平洋協議会(去七日の記事参照)ニ出席を請ふ旨懇談したるが、氏は七月ハ商会の決算期たると、如斯協議会ニ列席するハ自分の欲せさる処なり、との理由ニて断ハられたり
  ○中略。
十六日 土 曇
○上略
正午事務処ニ於て脇谷農学博士と会談す、同氏ハ太平洋協議会ニ出席の希望を以て、渋沢子爵より推薦を受けたしとの相談ありしが、博士ハ魚類専攻の学者にして、此協議会の議題にハ関係無き事を知り、同氏より此希望を撤回したり
○中略。
二十二日 金 曇
午前九時、飛鳥山邸ニて林氏診察ニ会す、御容態引続き御良好との診察なり
  ○中略
午後二時、飛鳥山邸ニ至リ阪谷男爵・沢柳政太郎博士・高木八尺・斎藤惣一の四氏と、子爵の会せらるゝニ参列し、太平洋協議会の件ニ付種々協議を為す
○下略
二十三日 土 曇
○上略
午後四時、井阪孝氏を工業倶楽部ニ訪問し、太平洋協議会ニ参列せられん事を、子爵ニ代ハりて懇談す、両三日中ニ回答すべしとの事なり
  ○中略。
二十六日 火 晴
午前十時、三井合名会社ニ阪井徳太郎氏訪問、太平洋協業会ニ石井徹氏推選の件を依頼○下略
二十七日 水 晴
午後一時、石井徹氏を工業倶楽部ニ訪問面会、同氏ニ実業家代表とし
 - 第37巻 p.481 -ページ画像 
て、布哇ニ於ける太平洋協議会ニ参列せん事を、子爵の代理として勧誘したり
○下略
二十八日 木 晴
朝、飛鳥山邸ニ子爵御見舞
○中略
後五、青年会館ニ於ける布哇太平洋協議会出席者打合会ニ出席、沢柳・頭本・井深・高柳・高木・斎藤の諸氏来会、沢柳博士を一行の委員長ニ互選したる外、各研究部局ニ関する担任等を決定したり



〔参考〕外務省関係書類(三)(DK370107k-0003)
第37巻 p.481-482 ページ画像

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〔参考〕太平洋の諸問題 沢柳政太郎編 第六―八頁大正一五年七月刊(DK370107k-0004)
第37巻 p.482-483 ページ画像

太平洋の諸問題 沢柳政太郎編  第六―八頁大正一五年七月刊
    第二節 日本に於ける布哇会議の準備
 我が国に於ても、布哇中央委員よりの招待と布哇並に米本国の諸方面よりの書面に接したる故、之に対する最初の正式の相談会を本年三月末、東京帝国大学集会所に開いた。参会者数廿五名、其の中には、我が国に於て特に人種問題と太平洋関係に興味を有する各方面の名士を含み、代表的婦人を雑へて居た。
 本来布哇委員よりの案内は、基督教青年会宛に送られたこと既述の如き次第であり、従つて本調査会の計画については青年会との関係上長尾半平・斎藤惣一、G・S・フエルプスの三氏、最初より最も力を尽した。右の相談会は其の結果とも云ふべく、而して此の会の議決により、布哇会議の参加を可決し、其の準備の為めにする我が国に於ける団体として「太平洋問題研究会」を組織し、研究会には小委員会を併立せしめて、各問題の研究を進むることとし、而して執行委員として姉崎正治・斎藤惣一・高木八尺の三名を選任した。
 太平洋問題研究会は、移民及人種問題を研究する第一部会、通商産業問題を研究する第二部会、宗教教育文化に関する諸問題を研究する第三部会に別れ、其の活動を始めて約二ケ月半の間に、各部会は夫々三・四回、総会は六回を開いて準備的研究に尽した。会長阪谷男爵以下会員諸氏、皆十分の了解と協同とを惜まれなかつた。殊に山田三良乾精末・移川子之蔵・出井盛之・島田孝一・金井清・小平権一・渡辺金蔵・猪間驥一・矢内原忠雄の諸氏は、夫々専門の蘊蓄を傾け、経験を頒ちて会の指導、後援に尽された。
 - 第37巻 p.483 -ページ画像 
 他方に又渋沢子爵は病を顧みず、熱心に研究会の後援を企てられ、日米関係委員の諸氏、亦多大の同情と財政的援助を寄せられたることは、研究会をして後顧の憂なからしめたる直接の助力として、特筆すべき所である。



〔参考〕太平洋関係研究会会議報告 神崎驥一講演 第六―三六頁大正一四年一二月刊(DK370107k-0005)
第37巻 p.483-485 ページ画像

太平洋関係研究会会議報告 神崎驥一講演
                     第六―三六頁
                     大正一四年一二月刊
 日本に於ても、初めは青年会同盟が主体でありましたが、以上の如き経過の結果として、特に太平洋問題研究会なる会合が組織せらるゝ事となりました。渋沢子爵は当初から多大の同情を以て、指導後援を与へられ、従つて日米関係委員会も、直接間接の援助を与へられ、渋沢子爵御病気の為めに阪谷男爵が専ら其の衝に当たられました。本来が非公式な民間的会合でありますから、財政的に政府の援助に与る筋合でなく、専ら民間から募集しましたので、渋沢子爵や日米関係委員会の御尽力を蒙つた事が多大でありました。外務省とは直接何等の関係もありませんでしたが、始終好意的態度をとられ、資料の提供其他種々なる点に於て有益なる指導協力を与へられました。従来民間のものが外交に関係ある事柄に関与する事に対しては、外務省は兎角余計なオセツカイをと云ふ態度をとる傾向があつたのに、此度は積極的に好意的援助を与へられた事は誠に仕合せな事で、直接の責任者たる佐分利通商局長に敬意を表せざるを得ません。
○中略
 最後に移民に関する、殊に現行米国移民法に関する問題に付いて申し上げます。此の問題に対してはアメリカ側でも、日本人から云ひ出すに相違ないであろうと期待して居た様です。勿論日本人側では初めから、此の問題を重要視して居ましたから、出発前にも屡々論議し、船中でも度々研究審議しました。航海中には毎晩、夕食後は三階のスモーキング・ルームで色々相談をしましたので、同船の支那・朝鮮の代表者中には、何だか日本人が大事件でも持ち出す準備的行動でもして居るかの如くに、考へられた様なエピソートもあります。此の問題に対する日本代表者の態度に付ては、種々考へられましたが、結局ナシヨナル・ベーシスで意見を纏めると云ふ事でなく、各人が自由に意見を述べて差支へないことに致しました。然し全ての人の意見・主張は大体大同小異でありました。其れ丈け日本側の立場は明白有力でありました。それで従来どちらかと云へは、遠慮差控へ勝ちであつたのに係らず、此の度は徹頭徹尾、腹蔵のない心を打ち開いた態度をとりました。多少の誤解はあつたかも知れませんが、大体には日本人の真意は善い意味に諒解されたと思ひます。殊に現行移民法に付ては、日本国民がどう云ふ風に考へて居るか、之に対する日本人の感情は如何なるものであるか、又日本人は移民法に対し、如何なる希望要求をもつて居るかと云う点に付ても、自由に思切つて話しました。甚しきに至つては、或る円卓に於ては一体アメリカは、移民問題は米国のドメステック・クヱスチヨン、即ち国内問題であるから、米国の自由に属する絶対主権に関するものであると云つて居るが、今日の国際生活に
 - 第37巻 p.484 -ページ画像 
於ては移民問題と雖も、必しも絶対に国内問題だとは断言し得ない。其れを絶対主権に属するものだと主張するのは、国際生活の変化を顧みない時代錯誤の説で、矢張り国際問題として解決せらるべきものである、との純理の上に立つた議論迄なされました。此の議論は会議に可なりの衝動を与へました。殊に米国人側には相当の反対があり、斯かる議論は理想論としては首肯し得るとしても、一個の空論に過ぎないとの弁駁を加へました。処が予想外にも日本の此の主張に対し、濠洲及び新西蘭の代表者中より熱心なる後援が起り、斯かる当然なる将来国際的進路を示す意見を、一個の空論となすは間違であると云つて反駁すると云う面白い場面も生じました。単に移民問題と云へば簡単の様ですが、色々なる方面からの研究が必要です。其の内で最も重要な、又直接関係のあるものは、移民に関する法規、其の法規に含まれたる原則及び其の原則の根底をなす理論であると思ひます。其れで出席諸国の移民法を比較研究致しましたが、其の結果、太平洋諸国の移民法の中でデスクリシネーシヨン、即ち差別的原則を設けて居るのは只米国のみであると云う事が解りました。即ち米国では移民の取扱に付ては、其の入国に対しても又入国後の外国人の待遇に対しても差別的原則を明かに法律に包んで居るのであります。其他の諸国中に於ては只一つの取除けがあるのみです。それは加奈陀のビーシー州に於ては、東洋人に市民権を与へて置きながら選挙権を与へて居ない事です此の点に於て米国の立場は弱く又可なり苦しかつたと思ひます。之に反し日本の立場は相当有力でした。何んとならば昨年の議会に於て、外人土地法は改正せられ、二重国籍問題も解決せられ、余り非難を受ける点がなかつたからです。但し支那労働者の入国に関する日本現在の方針に付ては、多少説明に困却する点がある様です。要之日本の代表者が極力高調した処のものは差別的原則の撤廃であります。移民問題に付ては各国皆な種々の事情があるから、制限・禁止何れの方針をとるとしても、其れ迄干渉容喙は出来ないが、国際間の平和親善を害せない方法と原則によつてやつてもらいたい。其れは米国のみに限らず各国共も同じ標準で、人種・皮膚等の相違により差別をつけない様にしたいと云ふ主張でした。此問題に関し高柳博士の基準案は大に注意をひきました。差別原則に関聯して同化問題が当然出まして、白色人種と有色人種との間には生物学的相違があると云つた様な議論も出ましたが結局不同化説は成立しませんでした。帰化問題も論議せられました。此等の諸問題を一々詳細に申せば切りがありません。然らば此の会議の結果として、移民法に如何なる影響があるかと云ふ尋問が屡々出ますが、是れは何んとも具体的な事は申されないと思ひます。但し直接の影響を強て申さば、ゼンクス教授其他の人々が、日本人或は支那人の話を聞いて、現行移民法が商人や学生の入国に関し、米国人が想像して居る以上に不便困難を与へて居る事を充分に了解した事であります。従つてゼンクス博士の如きは、其れは法律制定の目的でも精神でもなく甚だ遺憾の事である。且つ此の事は法律改正を要しない、実行上の手続き、又は手加減に属する事柄であるから労働卿や当路者の注意を促し、其の改善に努力したいと申して居られました。今
 - 第37巻 p.485 -ページ画像 
一つの影響は日本人の移民問題に対する本当の考へが、米国人に徹底したと云ふ事であります。矢張り米国人の間には、日本人は移民問題を通じて自国の人口問題を解決しやう、と云ふ考へをもつて居るものと心から思つて居たものが少くない。処が今度は日本は差別的待遇には徹頭徹尾反対して居るが、敢て人口問題を米国で解決しやうと云ふ考へはない事を余程明白に了解したと思はれます。労働党首領のシヤーレンバーグ氏はこんな面白い事を申しました「或は私共の考へが間違つて居たかどうか知らんが、兎にも角にも太平洋沿岸の人々は東洋の移民に対して一種の恐怖と不安を感じて居た。処が移民法の通過により其れが取除かれ非常な安心を与へられた。之からは在米の日本人に対して親切にしなければならん、今迄加州の人々が日本人にとつた態度は決して望ましきものではなかつた。然し是は恕してもらはなければならん。過去は或る意味に於て戦争状態にあつた。戦争状態に於ては喜ばない手段もとらねばならん。然し今後は其の喜ばしからざる手段を取り除く為めに努力する責任を吾等は自覚するのである。」以上の如き事を排日労働党の首領が百数十名の前で公言したと云ふ事は大に注意に価する事と思ひます。其れは要するに移民問題に対する日本人の真意が徹底した為めであります。斯様な次第で移民法が将来どう云ふ風に改正せらるゝかは全然想像出来ませんが、少くとも米国人の考へ方にある良い影響を与へた事は間違ないと思ひます。現行移民法に直接の影響が近き将来にないとしても、在米邦人の待遇改善の一助となるであろうと云う事は信じられる事であります。
○下略
 (大正十四年九月十日於神戸日米協会臨時総会――文責在記者)