デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2023.3.3

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
21款 太平洋問題調査会
■綱文

第37巻 p.523-526(DK370114k) ページ画像

大正15年3月2日(1926年)

是日栄一、当調査会評議員会会長ニ就任ヲ依頼セラル。後、之ヲ承諾ス。


■資料

(沢柳政太郎)書翰 渋沢栄一宛 大正一五年三月二日(DK370114k-0001)
第37巻 p.523-524 ページ画像

(沢柳政太郎)書翰  渋沢栄一宛 大正一五年三月二日 (渋沢子爵家所蔵)
              (別筆)
              大正一五、三、子爵御一覧済
              評議員会長承諾
              (別筆朱書)
              大正一五、三、二、沢柳政太郎氏来状
拝啓
時下益々御清祥の段奉賀候
扨予て御高配を蒙りたる太平洋問題調査会は、先般帝国ホテルに於て阪谷男爵其他の御出席を戴き、別紙の如き会則を相定め、評議員会々長として是非とも閣下に御願ひ申上ぐることに決定仕り候に付、何卒御迷惑ながら御承引なし被下度願上候、尚理事・監事の指名選定に付ては、全部を評議員会々長に御依頼申上ぐる事に決定仕候につき、是亦何卒然るべく御選定の程願上候、寄り寄り御相談申上たる別紙記載
 - 第37巻 p.524 -ページ画像 
の評議員・理事・監事候補者氏名表御覧の上、何卒御取捨なし下され度願上候、尚又理事長としては阪谷男爵と御相談の結果、是非とも井上準之助氏に御依頼申上度と存候、若し子爵に於て御同意に有之候ハハ同氏に御願申上度存居候
尚又近々御都合の宜敷き折、御指名相成りたる理事の会合を相催すことを得ば非常に幸ひと存候、先は右御願迄 草々敬具
  大正十五年三月二日           沢柳政太郎
    子爵 渋沢栄一閣下
  ○栄一ノ当調査会評議員会会長在任ハ歿年ニ及ブ。
  ○別紙会則及ビ役員候補者氏名表ハ添付セラレズ。


青淵先生公私履歴台帳(DK370114k-0002)
第37巻 p.524 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳          (渋沢子爵家所蔵)
    慈善其他公益ニ関スル社団及財団
一太平洋問題調査会評議員会会長 十五年○大正三月


集会日時通知表 大正一四年(DK370114k-0003)
第37巻 p.524 ページ画像

集会日時通知表 大正一四年       (渋沢子爵家所蔵)
六月九日  火 午前十時 井上準之助・添田寿一氏等来約
             (アスカ山)
  ○中略。
七月十一日 土 午前十時 井上準之助氏来約(アスカ山)
  ○中略。
七月廿二日 水 午前九時半―十時 井上準之助氏来約(アスカ山)
  ○中略。
七月廿九日 水 午前十時 井上準之助氏来約(アスカ山)
  ○中略。
九月七日  月 午前八時 井上準之助氏来約(飛鳥山邸)


集会日時通知表 大正一五年(DK370114k-0004)
第37巻 p.524 ページ画像

集会日時通知表 大正一五年       (渋沢子爵家所蔵)
一月廿三日 土 午後三時 井上準之助氏等ト御会見
              (銀行クラブ)


太平洋問題パンフレツト第七輯 太平洋問題調査会の栞 同調査会編 第一―一三頁 昭和六年九月刊(DK370114k-0005)
第37巻 p.524-526 ページ画像

太平洋問題パンフレツト第七輯 太平洋問題調査会の栞 同調査会編
                      第一―一三頁 昭和六年九月刊
    一、太平洋問題調査会の生立ち
 太平洋問題調査会が愈々恒久的機関として生れたのは一九二五年七月ホノルルで開かれた会議の終りの事であつた。○中略
 第一回の大会を招集したのは布哇の人々で其の中には学者あり、実業家あり、社会運動家あり、宗教家があつた。彼等は曾て布哇の島々の人種的・社会的幾多の問題を、其の利害関係者の間で友誼的に継続して討議した結果、意外の好成績を収めた経験を持つて居た。彼等はこの布哇を目して、太平洋区域に動きつゝある人種的・国際的関係の複雑な勢力の入乱れる有様の縮図とも見るべき、一小天地であると認めた。
 会議では例へば移民制限と言つた喧ましい政治問題や、生活標準の
 - 第37巻 p.525 -ページ画像 
相違から起る経済問題が、人々の注意の焦点となつた事は疑ひない所だが、同時に人種混淆の生理学的・社会学的影響と言つた問題や、太平洋諸民族間に文化交換を為す事の可能性と障碍と言ふ問題にも、可成り注意が注がれた。詰り色々な文明の接触から生ずる事態があらゆる方面から観察せられたのであるが、政治的及文化的思想の闘争乃至は衝突の方面は、経験の交換と言ふ一層積極的・建設的可能性程には重く見られなかつた。
 調査会の創設者達は比較的小規模の会議をホノルルで開き、国際的の機関の組織が果して可能なるやを論ぜんとしたのであつたが、第一回会議の成功に依り常設的機関を設ける事の自信を得たので、此処に太平洋問題調査会は会議の閉会に当り、正式に成立する事と成つたのである。
 かくして新しく事務局長となったJ. Merle Davis氏は、太平洋沿岸の諸国を歴訪することとなり、日本・支那・濠洲・ニユージランド加奈陀・北米合衆国の各地に夫々太平洋問題調査会が設置せられ、次で英自治領グループの希望に依り、英本国にも加入勧誘状が発せられRoyal Institute of International Affairsが代つて調査会に協力する事と成つた。同時に国際聯盟事務局と国際労働局とも連絡がとれることとなつたのでる。
 其後の諸会議の結果、民間の非公式の討議に依り、学術的研究に基きて、国際諸問題を取扱ふと言ふ考は太平洋諸国の歓迎するところとなる事が解り、一九二九年十一月京都で開かれた第三回大会の出席者数は、正に二百名を突破したのであつた。
 此の会議に更に多数の出席者をあらしめる事は敢て難かしい事では無かつたが、却つて各国から精選された代表的人々を得べく、数を制限する事に骨を折つたのである。主要独立国代表者の他に布哇・比律賓等の地方的団体と、労農露西亜・蘭領東印度・墨西哥からオブザーヴアーが来た。同じく国際聯盟と国際労働局からも職員数名づゝの傍聴を見た。
 されば僅々五年有余の間に調査会の趣旨は太平洋領にとゞまらず、此地域に領土的利害を有する欧洲諸国に迄及び、更に仏蘭西・蘭領東印度・労農露西亜にも調査会設立の議が進められつゝあり、ジユネーヴの国際聯盟と国際労働局とも密接な関係が保たれて居る。
 調査会の各国団体は孰れも独立し、一国政府に関係もなければその援助を受けるわけでもない。調査会の初代議長で、同時に米国理事会の理事長であつたRay Lyman Wilbur博士がフーヴアー内閣の内務卿に就任するや調査会との関係を断つたのでこれが先例となつて博士の後任として中央理事会々長となつた日本理事会長井上準之助氏が浜口内閣の大蔵大臣となるや、氏も又調査会の責任者たるの地位から退かれたのであつた。
○中略
 各国調査会は其資金として金額の多少に不拘個人の寄附に俟ち、財政的に独立し自治制をとつて居る。此の自治的の各国団体は、ホノルルの中央事務局と極く自由な形で協力する聯合組織を形作つて居る。
 - 第37巻 p.526 -ページ画像 
各調査会には夫々研究委員会があり、中には調査会自体の計劃の特徴である研究と討議とを他の教育機関にも反映させ、発達させる事を目的とする教育委員会を備へるといつた進んだ所もある。同様の理由により、研究委員会はそれ自体を特別な研究団体とせず、調査をするのに各大学の如き在来の機関を通じてゐる。斯の如く別に新しい機関を設ける事無くして、調査と教育の機能を最も広く発揮させる為に努力する。調査会の使命はその一つ一つでも、又国際的に合流した機関としても、在来の諸勢力をして有益に活動発効せしむる一の接触剤たることにあると考へられて居る。此の点に関し調査会独自の討議法と研究事業の特殊価値は後段に於て詳細に述べられなければならぬ。
 各調査会は共同して、国際委員会の各理事会を連絡するが、これは隔年会議の時には自然会合することになる。も一つ中央事務局の働きに依つて、各理事会の連絡は保たれるが、更に各国理事会の理事長が集り、時には他に指名された代表者が加はつて、調査会の統轄機関たる中央理事会(Pacific Council)が形成される。同様に各国研究部委員長が集つて国際研究委員会を作る。而してこの両者共、隔年会議以外の時に於ては、理事長と秘書に責任を委任する。
 ホノルルに於ける中央事務局は各国調査会に対する手形交換所乃至は聯接機関の働きをする。其職能は主として各調査会間の情報交換、会議準備の手順、プログラムの打合せ、研究事業の協同連絡、月刊雑誌Pacific Affairsの発行等である。調査会の組織は出来る限り分権主義に依り決定権と発議権は調査会構成各国団体に属する。大会のプログラムは各国団体からの提出事項につき意見交換の上作成せられ、研究部の活動も同様に分権主義を取つて居る。
○中略
 中央事務局並に隔年大会の準備とその挙行費用として、各国理事会は協定比率で出資するのであるが、基本金の大部分は比較的財政の豊かな国から集められる。
 この外に某亜米利加財団の義侠的行為により提供せらるゝ別個の国際研究基金もあるが、それはその寄附を仰ぐ国の調査会で或一定額の寄附金を募集する事の条件のもとに交付せられるのである。
 斯くの如くに自由で、そしてなるべく費用のかゝらぬ組織は、調査会に独特な分権主義を採用してこそ始めて可能である。自治的な各国理事会は中央事務局職員の活動に依り、与へられる最少限度の協力を除いては、夫々調査会事業の全負担義務を遂行しなければならぬ、大抵の支部では調査会の委員、理事会の仕事は殆んど無報酬の奉仕として担当されて居る。
○下略