デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.16

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
21款 太平洋問題調査会
■綱文

第37巻 p.600-641(DK370133k) ページ画像

昭和4年10月28日(1929年)

是日、太平洋問題調査会第三回大会京都市ニ開カル。栄一、当調査会評議員会長トシテ、秘書小畑久五郎ヲ派遣シテ「太平洋上の平和」ト題スルメツセージヲ代読セシム。文中、アメリカ合衆国千九百二十四年移民法ノ改正ニ言及ス。


■資料

(阪谷芳郎)日米関係委員会日記 昭和四年(DK370133k-0001)
第37巻 p.600 ページ画像

(阪谷芳郎)日米関係委員会日記  昭和四年
                    (阪谷子爵家所蔵)
四、十、四  ○上略
       此日東京会館ニテ太平洋問題調査委員茶話会 到着ノ加奈太及合衆国代表招待 余挨拶シ、ローウエル(加奈陀)ブレークスレー(合衆国)答辞
  ○中略。
四、十、十一 十月二十三日ヨリ二十六日マテ奈良、二十八日ヨリ十一月九日マテ京都、太平洋問題調第三万国会議《(査会略)》、出席者約四百人
  ○十月二十三日以降四日間ノ奈良会議ハ、同会中央理事会理事及幹事、国際研究部委員並ニ京都大会ノ各部委員・中央事務局員等ニヨリテ開カレタル京都大会ノ準備会議ナリ。我国ヨリ理事トシテ新渡戸稲造・阪谷芳郎・斎藤惣一ノ三名之ニ加ハレリ。
  ○「太平洋問題」(新渡戸稲造編)第三五―三六頁参照。



〔参考〕集会日時通知表 昭和四年(DK370133k-0002)
第37巻 p.600 ページ画像

集会日時通知表  昭和四年        (渋沢子爵家所蔵)
十月廿四日 木 午後一時半 井上準之助氏来約(事務所)


〔参考〕PEACE ON THE PACIFIC: JAPAN AND THE UNITED STATES pp.1―8 1929(DK370133k-0003)
第37巻 p.600-608 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕太平洋問題 新渡戸稲造編 第二八―三二頁昭和五年九月刊(DK370133k-0004)
第37巻 p.608-609 ページ画像

太平洋問題 新渡戸稲造編  第二八―三二頁昭和五年九月刊
 ○二、Ⅲ 出席代表者の会合
    (イ)東京に於ける会合       斎藤惣一
 京都大会に出席すべき代員の氏名が決定してから、京都大会に臨む準備としての打ち合せの為めには、凡そ次の如く会合を催して、予備的に意見を交換する所があつた。即ち
   第一回代員打合会    昭和四年九月十五日
   第二回代員打合会    同   九月廿六日
   第三回代員打合会    同   十月十一日
   文化部々会       同   十月二日
 以上がその主なるものであるが、第一回打合会は、やがて京都に於ては毎日親しく会合するに相違ないけれども、それ以前にこれまで諸準備の経過を報告して、十分に意思の疎通を計つて置きたいとの趣旨で、特に召集せられたものである。大会準備の進捗程度を、予ねて顧慮して居られた評議員会長渋沢栄一子爵は、小畑久五郎氏をこの会合に出席せしめられたのであるが、子爵のこの熱心に対し、出席諸員は非常なる感謝の意を表明した。
 此の日、新渡戸理事長挨拶に次いで、斎藤常務理事は報告を為し、又協議を願ふべき項目に就き説明し、直ちに長尾半平氏の総務委員会経過の報告に移つた。同委員会は京都における会場の準備と、代員予選とを主なる取扱ひ事項としてゐたのであるが、来会者の予定二百五
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十名、しかもこれを泊める為めのホテルの設備が不完全であるから、それに対する十分の注意と、又フオーラムやラウンド・テーブル等の諸会合を催す会場としては、都ホテルに決定したこと、及びわが代員は京都に於て如何に宿泊し、如何に行動すべきかの一般が凡そ知られた訳である。
 次に高木理事の研究部の経過に関する報告に移つたが、調査会における研究部の位置を説明し、今度の大会に関し、中央委員会と聯絡をとつてやつたものは、本邦土地利用問題と、満洲に於ける日本の地位の二つであると述べ、準備しつゝある文書の種類等についても、詳細に説明された。
 レセプシヨンと財務に関しても、夫々説明ありて後懇談に入り、質問応答を重ねて大会の輪廓は、殆んど仔細に亘つて説明された。この席上でボイコツトの問題は日本の立場から相当重大であるから、今度の大会に提案すべしとの希望も出た。
 第二回の代員打合会に於ては、政治部・経済部・文化部の三部門に岐れて、大会に於ける題目に関し、一と通りの研究討議をして置くことが必要であると云ふので、以上三部に岐れ、これまで各部題目の研究に、主として尽力せられた方の議案に基づき、意見を交換し、然る上、三部一同に会して食事をとつたが、文化部の討議は同日に於て終了しないので、更に一回の会合をすることゝなり、十月二日の召集となつた。
 而して第三回の代員打合せ会は、これを帝国ホテルに於て開いたがこれは東京に於ける最後の打合せ会となり、晩餐を共にすることゝしその頃までに東京に到着した外国代員は、茶話会を催して種々意見を交換する機会を得た。
 而して本邦側出席代表者の氏名は、左の如くであつた。
   赤木英道    姉崎正治    団伊能
   船津辰一郎   浜田耕作    埴原正直
   星野愛子    石井徹     岩永祐吉
 伯爵樺山愛輔    金井清     河田嗣郎
   河上丈太郎   小松隆     小村俊三郎
   松岡一雄    松岡洋右    前田多門
   三谷民子    長野朗     長尾半平
   那須皓     新渡戸稲造   小田切万寿之助
   岡実      大沢徳太郎   蝋山政道
   佐原篤介    斎藤惣一  男爵阪谷芳郎
   下村宏     信夫淳平  伯爵副島道正
   末広重雄    鈴木文治    高原操
   高石真五郎   高木八尺    高柳賢三
   友枝高彦    辻マツ子    鶴見祐輔
   上田碩三    山室宗文    安井哲子
   安富正造    八代則彦    頭本元貞
(浜田・河田・山室・八代四氏は不幸にして出席せられなかつた。)

 - 第37巻 p.610 -ページ画像 

〔参考〕太平洋問題 新渡戸稲造編 第九三―一一三頁昭和五年九月刊(DK370133k-0005)
第37巻 p.610-618 ページ画像

太平洋問題 新渡戸稲造編  第九三―一一三頁昭和五年九月刊
 ○三、(Ⅲ)京都に於ける本会議
    (2)開会式及各国代表のステートメント
                      山崎馨一
 (a)開会式
 京都本会議開会式は、十月二十八日午前九時三十分より、烏丸三条日の出会館に於て挙行された。此日天気快晴、市内電車・乗合自動車は、何れも白地に赤くI・P・R、と染め抜きたる小旗を翻して各国代員歓迎の意を表し、又会館の入口には日本国旗とI・P・R、の大旆を交叉し、会館の各窓より亦多数のI・P・R、の小旗を掲げ頗る美観を添へた。定刻に近づくや各国代員及開会式に招待された人々は陸続会場に来着、代員は会場中央前列に、其他は中央後列及「ギヤレリー」に夫々着席して開会を待つた。来会者は約八百名を註した。会場舞台の背後には、無地の金屏風を立てまわし、向つて右側には大花瓶に咲き誇れる大輪の黄白菊花を盛り、中央に大卓子を据えてある。定刻少し過ぐるや、大会議長として開会式を主宰すべき重任を負へる新渡戸博士は、莞爾として各国主席・代員等を先導して、向つて左側から舞台へ上つて来た。此時満場拍手少時止まなかつた。やがて新渡戸議長は中央に着席し、右に英国主席代員ヘールシヤム卿を着席せしめた。舞台に着席した者は、各国首席代員、布哇のフランク・シー・アサトン氏(何れも中央理事会員)、各国理事会名誉書記ホノルヽ中央事務局幹事長ジエー・マール・デヴイス氏、国際聯盟代表者の外、佐上京都府知事・土岐京都市長(代理)等であつた。
 何れも着席し終るや、新渡戸博士は演壇に進み、各国代員に対する歓迎の辞を前記の通りに述べた。
 次に浜口総理大臣の祝辞は、本会ホノルヽ中央事務局幹事山崎馨一氏により、日本語及英語で代読せられた。総理大臣祝辞左の通り
 議長、第三回太平洋問題調査会大会会員並に紳士淑女諸君、
 日本政府の名に於て諸君の来朝を歓迎するは、私の大に欣快とするところであります。殊に私は個人としても太平洋問題調査会の事業の、極めて重要且有益なるを認め、諸君の労力が十二分の成果を収めんことを切に祈るものであります。
 諸君は諸般の問題、就中諸国文明の接触に関する問題を討議せられんとするのでありますが、現代文明の二大潮流が相合し、その相互の反応融合が、概ね平静裡に行はれ、たゞ稀に相扜格するの実状を看取し得る我国に於て、本問題を攻究せられんとするは、極めて適切なりと思惟するのであります。如何なる程度まで又如何なる方法によつて、諸文明の満足なる融合が達成せらるゝかは、実に重大なる討議に値する問題であつて、その解決は主として太平洋問題調査会の努力によるを適切とするのであります。而して全日本を通じて諸君の会議地としては、我文化の古き中心たる京都が最もふさはしいと思ふのであります。この古代平和の環境中に於て行はるゝ諸君の討議は、必ずや終始和親と温情とを失はざるべく、而して時に避け難かるべき議論の上下も激情乃至敵意に駆らるゝことなく、総て
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の問題に対し各自の良好なる理解を齎すべきものと確信するのであります。太平洋の天地は、駸々として休まざる人類の活動に対し、文明向上の絶好の機会を提供するのであります。吾人は国家の安全と合致し得る限り、進んで成るべく軍備の縮小を図り、諸友邦との関係を最も親善友好ならしめ、以て世界平和と人類の幸福とを増進せんが為め、最善を尽さんとして居るのであります。私は玆に太平洋問題調査会が、日本政府の最も深き同情を享くることを確言し、且つ政府を代表して諸君が将に着手せんとする重大なる事業に対し其成功を望んで已まざるものであります。
 続いて佐上京都府知事は『京都は滔々たる時代の洋風化に対抗し、自然の美とそして進化の過程に於ける古き優美とを完全に保持し来つた』ことを述べて、大会の会場として京都が撰ばれたことを光栄とし『現代国際問題の重心が、大西洋より太平洋に移りつゝある』ことを説きて『太平洋沿岸諸国民は、平和なる新時代の向上発展のために結合努力せなければならぬ。』と言ひ『各国代表が京都並に京都人に対して、最も愉快なる印象を以て帰国せんことを望む。』と述べ、又土岐京都市長は『協力の精神は人類生活に於て最も緊要なものであり、本会議の如き、国境と人種とを超越せる真理の究明を目的とするものに於て、一層其感を深くす。』と述べ『会議の余暇、閑寂なる京都の自然に、また日本の国粋の美に心ゆくまでの観光を十分にし、これらのものを通じて日本の国民性についての深き理解を進めん』ことを希望し『本会議が十分なる収穫を以て、成功の裡に終らんこと』を祈り祝辞とした。
 続いて濠洲首席代員エフ・ダヴリユー・エツグルストン氏は、同国前総理大臣の祝辞を用意して来たところ、政界急変し労働党内閣が成立したので、前首相の祝辞はポケツトにしまつて置くことゝし、新総理大臣の祝電を朗読し、次に加奈陀首席代員ニユートン・ダヴリユー・ラウエル氏は、加奈陀総理大臣の祝辞を、支那首席代員余日章氏は外交総長王正廷氏の祝電を読み、新西蘭首席代員ダヴリユー・ヒユー・マゼソン氏ハ新西蘭総理大臣の祝辞を、新西蘭代員エル・ジー・ホツクウツド氏は同国文部大臣の祝辞を説述し、終つて国際聯盟中央事務局次長杉村陽太郎氏は演壇に立つて国際協力を強調し、同聯盟労働局代表ジー・エー・ジヨンストン氏亦祝辞を述べ、更に米国首席代員ジエローム・グリーン氏は米国大統領フーヴアー氏の祝辞を読んだ。
 終りに英国首席代員ヘールシヤム卿は、各国代員を代表して
 今朝の会合で各国代員を代表して答辞を述べる様にとの本会幹部の依頼を果すことは、真に私の躊躇する処である。而して此躊躇は只今吾人が傾聴した諸演説、殊に議長が述べられた演説の思想及措辞の端麗なるにより、一層其度を増したのである。斯くも多数の民族及散在せる地域より、特に意見の相違ある代員の統一せる思想を云ひ現はすは、誠に容易の業に非ず。併しながら私が此美しき国に於て、本会議を開くを得たるに対し、日本政府及日本国民殊に京都の官民諸君に吾人の謝意を述べ、吾人の受けた懇切なる款待を感謝するは、各代員の希望に副ふ所以だと思ふ。日本人は他事を捨てゝ只
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管吾人を待遇するに勉めつゝあり、私は日本人が種々の職業に携はる多数の名士の来訪により、彼等の意見を聞き其経験に学ぶことが款待の対償となることを望む。
と述べ、次に新渡戸博士が大会議長に推薦せられたることを祝し、新渡戸博士の国際会議に於ける広汎なる智識と経験とを称揚し、本会議が同博士の演説に述べられたる如く、威厳と中庸を以て始終せんことを希望すと語り、又太平洋諸国の政府主脳者より、懇切なる祝辞を受けたるを感謝し『此事は本会が今や顕著なる地位を占めたることを語るものである』と説き、進んで
 吾人の努力の成功には亦危険の伴ふことを忘るべからず。大会が其重要の程度を増す程、政府が之に加はらんと試みんとするものあるべし。政府に若し此意向ありとせば、吾人は極力之を拒否したい。何となれば、本大会の価値は其非公式なるに存し、本会は政府を代表するに非ず、各国に存在する種々の意見を代表するにあればなり大会が世人の注意を惹けば惹く程、新聞は其詳細なる記事を載することを希望するならん。吾人は新聞紙が厳正且充分に大会の報道をなすに対し、満腔の謝意を表するものなりと雖も、大会は何処までも私的会合であることを力説しなければならぬ。
 会議の目的は、意見及事実の腹蔵なき交換により之を解決せざれば太平洋国民間の平和関係を乱すべき諸問題の解決に端緒を与へんとするにあり。而して斯かる会議の必要条件は、参加者が自国の政府に迷惑を及ぼす自己又は自己の党派、又は輿論に悪影響を来すの恐を抱くことなく、自由に且忌憚なく、其意見を発表せしめることである。若し会議が公けとなるならば、協調の為めの討議が公けの討論となり、会議は困難なる問題の解決に資することなく、反対論演説の場所と化すべし。会議の目的は本会の憲法に規定せるが如く、太平洋民族間の関係を改善する為め、相互の状態を研究するにあり研究は本会の主なる形態である。此研究は二つの方法に因る。一、調査、二、会議是なり、調査により事実を集め以て吾人の討議を可能且有益ならしめ又時に吾人の研究する問題に解決の端緒を与ふ。会議により困難なる問題及報道を要する点が明瞭となる。又太平洋問題調査の結果が整理せらるゝと同時に、将来の調査計画が立てられるのである。会議に於て討議すべき問題中、吾人の精力を吸収し世界の卓絶せる専門家の思索の材料たるべきものあり。併しながら会議の目的は研究にありて、決定に非ざることを忘れてはならぬ。若し吾人が決定をなさゞるならば、会議の用何れにありや。私の考ふる所によれば会議の齎すべき結果に二つあり。第一は同問題を異れる見地より研究しつゝある異国籍の者が相集りて、討議するときは屡彼等別々には到着し得ざる結論に到着することあり。第二は会議には諸国より異れる思想の者集まるが故に、他の者の思想を学び又其困難とする所を諒解することを得、各帰国して其国人に向つて他国の見解を伝へ、以て両国民間の諒解に資することが出来る。
と述べ、尚ヘールシヤム卿は、明治天皇の五箇条の御誓文を援用し、殊に其第五条の智識を世界に求むることは、本会の基礎とせざるべか
 - 第37巻 p.613 -ページ画像 
らざることを説き『太平洋問題調査会は平和関係の会ならざるべからず』と唱へ
 吾人は平安の旧名を有する都に会しつゝあり。私は比叡山の山巓を四明が岳と云ふことを聞いた、此四明の意味は仏教の真理が明かに了解せられたるときは、光明が四方から心を照すと云ふのである。吾人は北より南より、又東より西より比叡山の蔭なる此都に集まり吾人の研究の為めに提供せられたる問題に対し、吾人は光明を齎らす。此光明は今尚残存する最も暗黒なる場所を照すであろう。而して此光は国民相互の嫉妬・憎悪及不信により、醸成されたる永年の雲霧を永久に消散せんことを、私は望むのである云々。
と結んだ。ヘールシヤム卿は流石に大英国政界の大立物だけあつて、其態度と云ひ措辞と云ひ、誠に堂々たるものであつた。
 次にホノルヽ中央事務局幹事長ジエー・マール・デーヴイス氏は、前大会以後過去三年間に於ける本会の事業報告をした。最後に中央事務局幹事チヤールズ・エフ・ルーミス氏は大会に関する事務上の報告をなし、開会式は閉ぢられた。時に午前十一時五十五分であつた。
 (b)午餐会
 十月二十八日午後十二時半から、日本理事会は外国代員を主賓として、都ホテルの大食堂で大午餐会を開いた。正面の長卓子には新渡戸博士を中心として、各国主席代員及夫人列席し、其他の長卓子には主客入混つて着席し、和気靄々たる中に食事は進行し、デザートコースに入るや、新渡戸博士は日本の太平洋問題調査会理事長として、日本理事会を代表して一場の挨拶を述べ、又坐長として先づ新城京都帝国大学総長を紹介した。新城総長は『世界の平和を維持し、国際間の友誼を増進するには学者が集つて理窟ばかり云ふよりも、一般の理解が第一必要である。この会議は円卓会議を中心とし、その円卓会議は自由にまた忌憚なく、しかも科学的に討究するのだから、一般の理解と友誼の増進に資すること頗る大なるものがあると信ず。』と述べて代員諸氏の健康を祝福した。次に大沢京都商工会議所会頭は『会議中に私の望むことは、此古き都にて幸福にひたりつゝ古き日本の美術技芸を翫味して貰ひたい。』と述べ、会議の成功を祈り、尚英国代員イデイス・リツトルトン、米国代員ローランド・ダヴリユー・ボイデン、支那代員張伯苓、濠洲代員エー・エツチ・チヤーテリス教授、何れも諧謔に富む短き演説をなし、開会式に於ける荘重さに反し、頗る打解けたる空気の中に閉会した。
 (c)各国代表の「ステートメント」
 其夜八時より都「ホテル」大食堂に於て、新渡戸博士を議長として各国主席代員は、夫々予て用意し置きたる陳述をしたが、其内重な陳述は左の通りである。
 支那主席代員余日章氏は、前大会以後二年間に於ける支那の国際関係を述べ、其中済南事件に関しては
 惟ふに吾人は総て或程度迄、事件其れ自身と其直後の影響を知る。即ち如何にして此事件が突発せしや、如何に日本兵が済南、膠済鉄道、及膠洲湾地域に於て戦闘準備を以て召集せられたるか、如何に
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して日本軍占領の間、支那人が日本兵の為めに虐待せられ、又は殺戮せられしか、又此事件の為め日支間に殆ど戦争が起らんとしたかを知る。乍併両国首脳者の忍耐あり、先見の明ある指導により、大なる災害は免かれた。支那国民政府並に日本政府間に協定は成立したが、此事件は未だ満足な終局を告げたと云ふことは出来ない。此事件が惹起した悪感情は、多分未だ当分続くであらう、斯かる事件は常に隣国間の和親関係を脅すものである云々
と語り、張作霖の殺害に就ては
 列車爆破の個所は日本兵により厳重に警戒せられたるが故に、支那人が斯る企をなしたることは有り得べからずとは専門家の報告するところである。加之爆薬は張作霖の乗つて居た客車に対し、科学的精密を以て爆発し、予め充分な準備と正確な作業を要したことを証明する。犯行者は誰なるや決定すること能はざるべし云々
と述べた。支那首席代員が開会日に斯る陳述をなすことの不穏当なることは一般の認むるところであつて、一日本代員は右陳述に対し抗議する処あつたが、右の討議は追て円卓会議の場合に譲ることになつた而して余氏は其結論に於て左の通り述べた。
 支那の外国関係に対して其国内発達の問題を討議するに当り、二個の異りたる議論を生ず。支那人は一世紀の四分の三以上の長期間、支那の手足を束縛し居る不平等にして、時代後れの条約の覊絆を脱せずしては、国内の改善を促進すること不可能なることを信ず。此主張は少しく極端なるも之は吾人が拒否するを得ざる主張である。何となれば犯罪者に支那の法律が及ばない居留地・専管居留地・租借地及治外法権が、支那に存在する結果、多数の謀反・政治的陰謀・阿片武器の不法取引、及支那の外国関係に影響すべき大なる不正行為が行はるゝを認むればなり。
 多数の外国人は支那の問題は主として国内の問題であつて、支那が若し其国内を整頓せば、其国際問題は容易に解決せらるべしと思惟す。支那人が其国内の状態を改善するの必要を認むることは、其方向に向つて彼等が熱心に尽力することにより証明されて居る。併しながら外国人は、治外法権を撤廃するの正当であることを容認しながら、支那が先づ国内を整理するに非ざれば、之をなすべからずと主張するは甚だ迷惑である。支那が先づ国内を整理するに困難なるは、其客が土足で構はず上ることである。支那の国内政策に就て、支那自ら決める権利は、今日何人も拒否しないであらう。若し治外法権を撤廃しても安全であるとき迄、之を継続することが必要であると云ふ人あらば、私は試みに二つの質問をしようと思ふ。玆に少年あり、若し其友人が彼に信用を置かず、其日常生活に責任を取ること妨ぐる場合に、該青年は其力を伸ばし得べきや。若し以上の問に対する答が唯一なる場合に、若き国に就ても異りたる答あり得べきか。
 支那と外国との了解を根本的に改正せずして、重要な支那の国力問題の満足な解決を求むることは、極めて困難なる事業を支那に要求することであつて、即ち国内問題の解決に必要な援助を与へざるわ
 - 第37巻 p.615 -ページ画像 
けである。吾人は悪い仲間を切崩すことを努めねばならぬ。私の判断によるに解決は次の方法に在り。各自は他の主権を誠実に尊重し之を不可侵と認め、各自誠実に他を諒解し平等援助、平和の関係を確立するに努め、他の自主的内政に干渉すべき条件を附することなく、他に対して其義務を履行せねばならぬ。同じ状況の下に自己が他より附せらるゝを好まざる条件を、他に対し要求してはならぬ。吾人の国際関係は諒解・誠実・相互主義・信用・好意の基礎の上に築かれなければならぬ。此基礎のみが世界の永久的平和を確保するであろう。
 国家建設は常に神聖且価値ある事業にして、永き間苦痛之に伴ふことを忘るべからず。支那が将来尚受くべき苦痛は、支那に取り殆んど忍ぶべからず、且其友邦に痛苦を与ふべきものなるべし。併しながら今は第三者が、其批評に就き非友誼的にして又相争ひ阻碍し、又は利己の目的を企て又は失望し、又は援助を拒む時に非ず。新支那は其祖先が善良強健にして教養ある民族なるが故に、若しも適当に発達し平和友好、正義及調和的に養成せらるゝに於ては、遠からざる将来に於て国際家族の強き、且有用な一員たるを得べし。
 最後に私は支那理事会の名に於て、本会の次回の大会を支那に開かれんことを希望す。支那は心から諸君を歓迎するであろう。
 と。又英国主席代員は主として、過去二年間に於ける英支外交を陳べたるが、其中に
 過去二年間に時局は著しく良好となつた。吾人は玆に唯、英支間の感情の疎隔改善した出来事を一言すれば足れり。其出来事の一つは疑ひなく太平洋問題調査会のホノルヽ大会である。両国政府間の問題を冷静に討議することが出来る空気の中で、両国民間の勢力家が会議した。彼等は両国間に存在する誤解を一掃し、両国間の関係を改善する為めに両国政府が採るべき政策を査覈することが出来た。此等討議の報告が各其本国に達し時局改良に貢献した。殊にホノルル大会で英国首席代員であつたサー・フレデリツク・ホワイト氏は其後支那と諸外国の間の感情を改善するに尽力し、本年の初めには同氏は支那国民政府の顧問に傭聘された云々
とあつた。
 新渡戸博士は日本主席代員として、国際協力に対する日本の用意と題し、其私見を述べられた。博士は『日本の過去七十年間の急速なる進歩には、外交関係が至大なる影響を与へた』ことを言ひ『明治維新前の攘夷論は、倒幕の手段に用ひられたるものにて、実は外国人の来朝は日本の発達に貢献したのである。』と説き、進んで
 日本は封建政治から立憲政治に、中世的国家から近代国家に、孤立から国際協調に飛躍した。併しながら此偉大なる努力をなすに就き日本は之に伴ふ障害を全然免るゝことが出来なかつた。幾度か日本は渓谷に墜落するの屈辱を受け幾度断崖を攀登らざるべからざりしや。日本は外国から必ずしも常に正義及同情を寄せられなかつた。唯誇が其勇気を維持した。日本は何れの国にも佞はなかつた。又援助を得る為めに何れの外国の同情をも請はなかつた。日本は重荷を
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負ひ頭を上げ昂然として自己の道を歩んだ。武士道時代に人となりたる私の如き老人には、宣伝は名誉の方法と思はれず、吾人は寧ろ他人が公平な標準で吾人を測度するを欲し、自ら屋上に上つて自己の徳を呼号するを好まず。
と述べ『日本に於ては如何なる者も、殆んど新聞を読まざるものなく新聞の記事中外国記事が愛読せらる。此理由は日本の日常生活が、外国と関係なくしては存在し得ざるを以てなり。』と説き、次に明治天皇五箇条の御誓文の第四及第五条を援用し、此二箇条は、国民思想の羅針盤であり、日本政府の政策、日本の輿論を形造るものであると語つた。
 日本人は言語に拙きが故に、屡外国人に誤解せらるゝことあるも、日本人は国際的精神に富む。見ずや華府会議に於ける日本の態度を日本は五・五・三の戦闘艦比率を容認して国際協調の精神を表明した。而して人は時に精神は協調的なるも、之を実行するに吝なるあり。日本は労働に関する約三十の国際条約に署名し、其或者は未だ之を実施せざるも、これは当然条約の規定が未だ日本の実情に適せざるが為めであつて、却て国際条約の履行に忠実なるが故に、未だ之を批准しないのである。日本の外交は過去に於て成功もし失敗もしたるが、此等の成功及失敗を通して、日本の国際的精神は練磨せられたのである。日本の外交は米国の前国務卿エリフ・ルートや英国の前外務大臣グレー卿が証明した通り、過去に於て何等過失なし。併し日本の東洋に於ける外交は如何、支那及サイベリヤに於ては、過失がなかつたと云ふことは出来ないであろう。又其外交政策は内閣の交迭と共に変更した。進歩的自由思想を有する日本人は、支那の国家的希望に対し、真摯な同情を有して居る。彼等は支那の内政に干渉せざるべく、彼等の望む所は支那の安定と、在留外国人の生命財産の安固である。日本の或政治家は、自ら世界の大勢に通じて居ると考へ、国により其外交方針の使ひ分けをするが、日本の太平洋問題調査会員は此種の人士に非ず。一国民の力は避けたる過失よりも、過失を匡正することによりて高めらるべし。日本が最初になしたる過失は、治外法権と関税自主権の放棄であつた。吾人は詭弁も脅迫も虚偽の説示も喧諍も演述も、一国に娼び他国を罵詈することも、何れも国際場裡には無効であり、尊敬に値する真価が国家の地位を測定する標準であることを熟知して居る。而して此国際的精神の教養は、一朝一夕にして成るものに非ず、長年月を要するのである。日本の近代史を研究するものは、日本は如何に良き計画にても直に之を実行せず。漸次に実施するを認むるならん。自治制度の例然り、議院制亦然り、吾人は治外法権撤廃の準備の為めに閲した年月が、如何に永く感ぜられたるかを想起す。実に西洋諸国をして其国人を日本の法権に服せしむることの安全を認めしむるまでに、二十八年間の長年月を経たり。
 斯かる状態の下に、西洋の智識は国家の組織内に貫通し、国民の思想に浸潤した。之れ日本人が外国の物を好む所以である。日本の学校教科書が国粋を鼓吹するに係らず、数百の教科書を閲査するも中
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に外国を悪様に云ふ記事は毫も発見することが出来ないのである。勿論、外国より輸入せられた思想は、必ずしも健全及有益の思想に非ず。政府は所謂危険思想を弾圧するに努めつゝあり。顧ふに危険思想を排除する有効なる方法は、之に反対する思想の奨励と、道徳上及経済上一般空気の改善である。啻に思想のみならず、外国の風俗習慣亦駸々として国内に侵入し、稀に職業的愛国者の反動的運動あるも、大体に於て日本の欧米化傾向は、蓋し自然の傾向であると思ふ。
 吾人は産業主義の暗黒方面を知つて居る。新日本建設者は西洋を模倣するに急であつて、資本主義及大量生産を奨励した。吾人は其害毒を被らざるべからざるも、資本的生産なくしては日本は、今日の地位に達しなかつたであろう。万一にも反動的・排外的感情が擡頭するとするも、経済的理由のみにて鎮静せらるべし。国民の思想が二代に亘り、国際的に鍛錬せられたる以上、経済的・国際精神は終始一貫して支持せられん。
 新日本の心理的変化は、日本が各種の国際的会合に進んで参加する事実、能く之を証明して居る。
 不戦条約批准の遅延は、其序文に吾人の慣れざる字句ありたる為めにして、該字句の支障が排除せらるゝや挙国一致之を是認した。
 日本は精神のみならず、行為に於ても国際協力をなしつゝあり。
と述べた。
 米国主席代員ジエローム・デイー・グリーン氏は、述べて曰く
 東洋人代員諸君に最も重要に見ゆる問題の討議に対し、米国代員の態度と私が考ふる点を陳述するは、必しも不適当の事ではないだろう。米国代員は支那・日本・露西亜代員に、強制すべき協定方式を携へて大会に来たものでない。総ての政治的要素を除外して、吾人は此三国の各々が生産者又は売手として、将又買手又は消費者として東三省の経済的富源の順当な発達に、最先の利益を持つことを承認す。而して今日迄、満洲に於ける投資は彼等の主たる利益であつて、其他の国に対しては従たる利益であることを吾人は認む。
 而して此等特殊の問題が、世界の平和に影響する以上は、吾人が此等の問題に注意すればとて、決して弁明をなすを要せざるべし。即ち吾人は此等問題の討議に積極的に加担することなく、其腹蔵無く穏当な討議をなす機会を作ることに助力するのである。惟ふに斯る大会又は太平洋問題調査会の如き団体が、世界の平和に貢献する所以は、困難な問題の特殊の解決を発見するのでなくて、普通の方法として、本会の調査及会議に因る国際問題の取扱方法を、世界人心に扶植することにあるのである。戦争は過去に於て斯かる問題を解決する普通の方法であつたが、吾人は満洲に於ける今日迄の時局の進展が、人心及政治が大に変化し始めた実証を示すものであることを望まざるを得ない。
と。尚日米関係に関しては
 日米関係は過去二年間に於て重大なる事件なく、引続き親密の関係を持続して居る。日本人は米国移民法が不正当であることを深く感
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じて居る。大部分の米国輿論も亦此感情を抱いて居る。而して総ての米国人は此件に関する日本政府・新聞及日本の重なる人士の威厳自制の態度を賞賛し居れり。両国間の此遺憾なる悪感情の原因が、何時又は如何なる方法により除去せらるゝも、是れは主として右威厳自制の結果であると云ふことが出来るだろう。
と陳述した。
 斯くして各国主席代員は何れも陳述をなし、全部終了したのは午後十時半頃であつた。


〔参考〕太平洋問題 新渡戸稲造編 第三三四―三五九頁昭和五年九月刊(DK370133k-0006)
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太平洋問題 新渡戸稲造編  第三三四―三五九頁昭和五年九月刊
 ○三、Ⅲ(7)会議の所感
    太平洋問題調査会の概況
                      埴原正直
○上略
 第一回の会議には、これに参加された国は先づ米国を首めとし、カナダ、アウストラリア、ニユージーランド、更に支那、日本、朝鮮、ヒリツピン、斯ういふ国、又は地方的集団であつた。イギリスは第一回の会議当時にはまだ入つて居なかつた。それで第二回の会議を開くについては、どうしてもイギリスをも加へなくてはならないといふ議が本部の方に起り、それと同時にイギリスには御承知の通りブリチツシユ・インスチチユート・オブ・インターナシヨナル・アツフエーアスと云つて外交の研究を専門とする一つの有力な協会があり、右協会関係の人々が主となつてこの会議に是非参加したいといふ希望があつて、一九二七年に同じくホノルルに開かれた第二回の会議には、イギリスも参加することになつた。さうしてイギリスでは今南京政府の総顧問といふ地位にある、サー・フレデリツク・ワイトといふ人が団長としてこれに参加されたのである。イギリスが入つて来ると、御承知の通り英国民といふものは、なかなか実際的政治趣味の多い国民であつて、空漠なることをやつて居るのは甚だ物足りない、もう少し何とか実際的政治に、斯の会の効用を発揮せしむることにしなければいけない、といふ意見が大分あつたやうであり、第三回目には第二回目よりも更に進んで、現在の国際政治上に於ける実際問題を討議研究してお互ひの参考にしやうではないかといふ議が、イギリス側から殊に強く提唱され、それで第三回即ち先般京都に開かれた会議に於ては、恰も政治問題を議する国際会議であるかの如き色彩が甚だ濃厚になつて来た次第である。併し成立ちが今述べたやうな次第で、本来は寧ろ宗教的若くは学問的見地より、太平洋沿岸諸国関係の諸事相を研究して見やうといふのであつて、之を政治運動に移してどうしやうといふことは、初めはなかつたのは勿論である。今日でも其精神が矢張り継続されて居り、本来の目的通り事実の真相を調査して、之を関係国民に愬へて、その関係問題の解決に資する有益なる資料を供するを以て、本会の目的としなければならぬ。さうするにはどうしたら宜いかといふ議論が絶えずあるやうであるが、大体に於て会の仕事は二つに分れて居る。最も主なるものは会議であるが、これは各二年毎に開く。さ
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うして議題を定め、これについて各国の代表者が寄つて隔意なき討論をやる。それから第二の仕事はレザーチ、ウオルクと云つて、調査研究の仕事である。会議といつても準備無しの会議をやつては何にも得る所はないから、物をよく研究しなければならぬといふので、会議は二年毎に開いて、さうしてその二年の間には主として研究をさせる。それが為に研究の機関と研究の費用を拵へて、さうして初めはキリスト教青年会を中心としたのであるが、それはいけない、自治的の独立のものでなければならぬ。何処からか制肘を受けるやうでは公平の研究は出来ない、全く独立のものにしなければならぬ。随て何処の政府にも関係があつてはいけないといふので、その会議には政府の役人は代表者として出席は叶はないといふことになつて居る。さうしてその資金も、政府から保護を受くることはいけない。成べく個人の寄付に待たなければならぬといふことで、今日もその通りにやつて居るのであるが、第一回の会議の時は予算が七万五千弗、即ち我邦貨約十五万円で、この大部はアメリカ人の寄付になつたものであるが、併し我国でも二万五千円の分担をして居る。第三回の今度の費用については、私は幹部の方にあまり関係して居らぬから詳しいことは判らぬが、聞く所に拠れば、日本側としては約十五・六万円の費用を使つて居るといふ事である。これは全部有志者の寄付に仰ぐことになつて居るのである。要するに何処からも拘束されない、全く独立の団体として研究を続けて行かうといふのが、この会議の成立の目的であるのである。
      ○
 さて太平洋関係問題といつて、如何なる問題があるかと考へて見ると、問題は無数にある、例へば此の会議の第一が開かれて居る時分には、日米間に紛糾を起してゐた米国新移民法の問題といふものが、世界の視聴を惹いて居つた次第で、その第一・第二両回の会議に於ては斯の移民法の問題が屡々論議に上つたことは、この会議経過に関する記録を読んで見ても分る。斯ういふ問題は直接当事者を離れたる公平なる国の立場から研究をやつて見たらば、本当の公平なる解決の案が得らるゝのではないかといふのであつて、第一回の時には移民法の問題が、いつもなかなか盛に論議されたのである。第二回も亦引続いてこれが論議されたのである。今回の第三回に至つては、この移民法の問題は第一回・第二回で相当論議されたので、又之を続けてやるといふことは却て倦怠を招くやうな虞れがあるから、今度は新しい問題に移らうといふことで、第三回の討議事項は別に定められたのである。この討議事項を定められることも、却々困難なことで今までどういふ風にして定めて居るかと申しますと、この会議の中央部はホノルルに在り、各参加国に支部がある。さうして中央部が支部と相談を仕合ふのである。それで今度の会議も題目を定めるについては、中央部では人を二名出し、各国を皆歴訪して、各国関係者の意向を聞き、大体の案を作つたので、出来上つた案は新聞にも屡々出て居たから既に御承知と思ふ。先づ支那の外交関係、それは主として治外法権の問題、居留地撤廃問題、それに関聯して満洲問題、これは世界到る処で意外に皆興味を有つてるし、又心配をして居る問題である。之を今度の会議
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に附するといふことが多数の希望であるといふことで、結局この問題を議することになり、如何なる形で円卓会議の議題に上ぼすかといふことは、準備会議に於て決めやうではないかといふことになり、この京都の正式の会議が十月の二十八日から開かれたのである。十月の二十三日から奈良に於て、準備会といふものが四日間行はれた。これに出席する人は本部首脳者及各支部長だけに限られて居る。現在の所で云へば、支部を持つて居る所は、米国、日本、支那、英国、カナダ、アウスタラリヤ、ニウジーランドの七つしかない。其処に支部長といふものがあり、その支部長が準備会議に出席して、そこで円卓会議に上ぼすべき具体的の問題を定める。それが定つて二十八日から京都で開かれたのであるが、その定つたものはどういふものかと云へば、第一に円卓会議に上ぼされたのが、産業化と伝統的文化の関係とでも云ふか、さういふ問題が第一に円卓会議に上ぼつた。
 それではどういふ風に討議をされるかといふことを実例を以て述ぶると円卓会議には問題を大分細かく分けて出した。さうしないと討論があまり空漠に流れて、何等各人の所見を具体的に綜合的に開示せしむることは困難であるといふので大分細かく問題が分れるのである。即ち今の産業化の問題を一例として申しますると、産業化と各国の伝統的文化の関係といふやうな題目の中に、どういふことを議するかといへば、近代の機械文明の発達は、社会的・経済的又は美術的に如何なる程度まで、各国の伝統的文化を衰滅に誘ひつゝあるか、換言すれば労働者の賃銀、或は労働時間の問題、労働条件の問題、或は婦女若くは幼年労働者使用の問題であるとか、或は失業者の問題は申すに及ばず、一国の建築、美術、男女の社会的関係、一般人民の行儀作法等は、機械文明の為めに如何に影響されて居るかといふやうに、細かく分けて議論をされる。之に対しては又参考書をも提供する。斯ういふものをお読みになつたら宜からうといふ訳、前述した通り会議と調査部との両方あり、各国の支部も大体その方針に基いて、研究部と会議部との二つを設けて居る。研究部の方では会議に使ふべき材料を、始終研究して居らぬと有効なる討論が行はれぬから、その材料を始終集める。各国から却々有益なる研究題目を沢山出したが、日本からも相当出て居る。各問題にそれぞれ専門家があつて参考書を皆配つた。併し会議の場合には、誰も読んで居る暇がないから、この材料を前以て分配して貰ひたいといふことで、その事は大分各方面に於て要求が強かつたやうである。さういふ風な塩梅で、成るべく真面目に、事実に基いて議論をしやうといふので、大体の空気を申せば、非常に皆真面目であつた。専門家は固より、専門家たらざる人も亦勉強を致して、その態度が皆真面目であつた。
      ○
 それで第一の問題の、産業化と伝統的文明といふ問題であるが、これは寔に広汎な問題で、これに約三日ばかり費したが何等決定といふことはしない。尤もこの会議に於ては決を採らない。随て結論は求めないといふのが本会議の方針になつて居て、此会議としては決議をするとか、実際運動に携つて各国の政府、其他に迷惑を及ぼすやうなこ
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とを一切避けやうではないか、さういふことをやつては本当の研究は永久に出来ない、一時は良くても色々な支障が起つて潰れてしまふ、それだから結論は出来ない。唯隔意なき真面目なる議論をする機会を与ふるやうに、会議の目的をしやうではないかといふので、それについては色々の議論があり、今日まではその方針で進んで来た。将来もその方針で進まれるだらうと想像される。実を申せば甚だあつけない次第であつて、何の問題を討議するにしても少しも結論がないから、唯人の言ふことを聞いてゐて色々発明することはあるが、会議はどういふ風に向いたのだか、そこに居つても殆ど分り兼ねる場合が多い。
 それで会員は今度の会議に於ては、男女合して約二百名であつたが之を四又は五の円卓に分けたので、一円卓が四・五十人内外宛になるそれに座長があり、記録係の書記が三名附いて居るが、兎も角五十名位の円卓で討論するといふことは、なかなか楽のやうで楽でない。それでは余り多う過ぎるといふ苦情が大分あつたが、兎に角五十人が一と所で互に勝手に議論を仕合ふのであるから、その会議の大体はどつちに向ひつゝあるかといふことを見るには、座長は斯ういふことに非常に経験ある人を選んであるが、その経験ある人ですら大に困難を感ずるといふことを聞いて居る。何づれにしても、どうもどつちに会議が向くのだか、会議の大勢を看取するのが大変困難の場合が多い。随て円卓が四つに分れ、どの会議でも皆知つて居ることは出来ない。精精自分の就いた円卓の会議だけしか知らぬので、全般の事を洩れなく知るといふことは、この会議に於ては殆ど不可能のことだといつて宜い。若し全体の事をすつかり分つて居るといふことを申す人があれば事実と違つた説明である。会議の進行は新聞記者ですら分らぬで困ると言つて居るのである。
 円卓会議は、朝の九時から十二時半迄三時間半やるのであつて、その会議が済むと、各座長は直ぐに集まる、さうして自分の円卓の模様を報告し合ひ、その事を新聞係にこれだけの程度で出して貰ひたいといふことを命ずる。円卓会議は原則として公開を禁じて居り、之は議事が大向ふ相手に流れんとする弊を防ぐ為めで、それだから新聞係は大体を通じてよく知つてゐなければならぬ、しかも新聞係は最も経験のある人であるが、その人の言ふことを聞いても容易に分らない。座長の報告といふものが又区々で、現に自分の出て居つた円卓の座長が報告することが出来ないことが屡々あると言つて居り、その真相を得ることは甚だ困難である。これは漸次経験を積むに従つて、その間にモツト有効に聯絡をつけるやうな機関、若くは手腕家が出来るだらうと考へられるが、今日の所はそれらの点は、甚だ不完全だと言はねばならぬ。第一番の産業化、伝統的文化の関係といふやうな問題は面白い問題で、併かもむづかしい問題であるが、然しあまり人の血を湧すやうな問題ではないから、或意味に於ては興味が少なかつたやうであるが、併しこの問題を一番最初の円卓会議に上ぼせるについては、幹部に於ても大変苦心したのであり、少し話がわきに外づれるが、今度の会議に出席された人の中には、会議に出席される前に、日本・支那方面を旅行された人が多い。殊にアメリカの名士が大分支那を廻つた
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その廻る途中の話を聞いて見ると、到る処で支那の諸君から歓迎されて、つまり支那側の不平不満(特に日本に対する)のことを盛に訴へられ、それらの人が何れも空気が非常に険悪だ、これでは会議がどうなるか分らぬ、この会議で以てあまり激しく討論も出来ずに、徒らに喧嘩ばかりするやうになつては大変困るといふことで、大分真面目に心配されたやうである。その結果、初めに熱して居る問題を出してはいけない、先づ第一頭を和らげてから議論に移らうといふことで、文化の問題で二・三日気持を冷静にするといふ考から、此の問題を出したやうである。
 それが済むと、直に満洲問題が円卓の議に上ぼつた。満洲問題といつても円卓の議に上ぼるには質問事項が幾つもあり、御参考までにその二・三を挙げて見やう。例へば所謂、満洲問題といふものゝ歴史的起原はどういふものであるか、次には各国との条約上の権利は如何なるものであるか、即ち租借地の行政、或は鉄道沿線の警備、それには守備兵もあるし、又普通の警官もある、これらの条約上の根拠は何処に在るのか、さうして又電信であるとか、郵便であるとか、ラヂオに対する条約上の権利は何処に在るのか、といふやうな細かい所までずつと分けて円卓の議に上ぼる。これについて互に議論をし合ふのであるが、細かいことは略し、括めて大体だけをいへば、満洲問題・支那問題もさうであるが、兎に角円卓会議では満洲問題と支那問題を区別して議論して居る。支那問題で主として論ぜられたのは、治外法権・居留地撤廃の問題、それに附属して支那の財政改革の問題それから又ボイコツトの問題などが主なる問題で、満洲問題については、例の二十一ケ条問題などが屡々繰返されたのである。併し満洲問題・支那問題を通じ引括めていへば、先年のワシントン会議で議論せられた以外に、新しい問題は一つも私の承知する所でない。それは他の円卓会議の方を聞いて見ても、皆ワシントン会議に於て論ぜられた問題のみであり、その焼直しに過ぎないで、新なる問題はなく、又論旨に於ても私共の承知してゐる所に拠ると、ワシントン会議当時、支那側の主張された論旨以外に新しい論旨と認むべきものは知らぬ。唯一つ、私の珍しく感じたことは、支那側の人々の申すには、大連の租借地、鉄道の権利、なぜ之を原約の儘にして還してくれることが出来ないか、日本の満洲に於ける利益は、経済的利益が主たるものである、領土的の野心も何にもないと言はれて居るが、それでは何故原約通り返還することが出来ないであらうか、条約の有効・無効といふやうな議論はしない、支那側では二十一ケ条なるものは、無効の条約であると信じて居るが、今日は夫は繰返へさない。唯腹蔵なく言へば、日本では領土的野心・政治上の野心はないと官民共に声明されて居るのに、何故その期限の延長を必要とするのであるか、何故それを返してくれることが出来ないか、経済的の利益だけであるならば、期限の来たものは返してくれてもよいではないか、といふことを頻に訴へてゐたが、併しこれは議論になつた点ではないので唯支那側の希望として述べられたのであるが、これに対する日本側の答弁は私が玆に申すまでもなく、皆さんの頭の中におしまひになつて居るだらうと思ふ。
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 唯之に対して外国の連中は、どんな風の見方をして居るのであるかといふことが、尠くとも私共の知らんと欲する点で、その事については主なる人に屡々話をして、どういふ風に実際感じて居るか知らむといふことについて、謂はゞ隔意なき座談の間に意向を聞いて見たが、どうもこれも確なことは分り兼ねるが、私の看取した所では、これは実にむづかしい問題である、日本とて折角苦心して獲得したる正当の権利・利益を直ぐさうかといふて返しはされぬ。支那がこれに対して保障を与ふるといつた所が、今日の支那に於て有効な保障を与ふべき実がありさうにも考へない。同時に支那の要求する所も決して無理ではないのだ、兎に角自分の領土内に、自分の少しも手の届かない満鉄の立派な鉄道が走つて居つて、事実に於て毎年非常な利益を挙げて居る。斯ういふ状況である。之を自分の手に収めやうといふ希望、若くは欲望を懐くのも、これも決して無理とはいへないではないか、謂はばこの争ひは双方正当の、合理的の争ひだから困るのだ、何とか解決の途はあるまいか、之は仲裁問題では解決はつくまい、何となれば仲裁問題を持つて来た所が、支那は承諾するかも知れぬが、日本は承諾しまい、日本が承諾しない限りは仕方がないのではないか、一口に言へばぶつかるより仕方がない、さうなつたら此会議などは初からやる必要がないのだ。そこに世界の人が頭を悩して居る所がある。どうも満洲問題といふものは何処に結着するか分らぬ。これが一つの禍根になりはしないかといふことが心配に堪へない。併しこれはどつちが善いかといふことは言へない問題であるので、玆に非常な困難を伴つて居るので、兎角斯ういふむづかしい問題については、自然と人に遠慮があり、綾があつて、果して底がどういふものであるか、之を忖度することは少し早計ではあるが、兎に角この問題は非常に重要なものであつて、色々な危険性を含んで居ることを、随分痛切に感じて居る欧米人が少くないといふことは、事実と認めて宜いと思はれる。
 而して会議に付いては、欧米人の中には成程、今まで支那なり日本なりに、まるで来た事がない人もあるが、多数は実によく事実を研究して居る。其道の専門家、殊にブレークスレーといふやうな人は、話をして見ても、尠くも我々よりは余程よく知つて居る。今日までの事実を綿密に研究して居る。唯一寸通り掛りの考へなどとは非常に違ふ唯だ文書の上のみならず、実地に就て諸般の問題をよく研究して居ることには実に敬服の外はない。英国外交研究協会主事トインビー氏の如きも、支那方面に関するオーソリチーとは認められて居る人ではないが、小アジア問題については世界有数のオーソリチーで、極東の問題については何等特別の権威者とは考へられて居ない。併し円卓に就いて見ると、その準備といふものは、私の公平に見たところでは日本側の諸君にも、なかなか綿密な立派な調べをして居た方が少くないが果して遜色がないと言はれるかどうかは、私自身としては甚だ危ぶんで居た。兎に角、意外に研究しなくても宜かりそうなものと思ふことを、真面目に研究して居るのには、私は一驚を喫した次第である。
      ○
 それで満洲問題といふものは、一番これが多くの時間を取つたので
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あるが、これも前に述べた通りの理由で以て何等結論には到着しなかつた。或場合に於ては両方共現実の利害関係を有つて居る問題で、感情も激昂し、随分詭激な言論も交換されたが、併し幸にしてこれが為に後累を貽すやうなことはなかつたらうと思ふ。殊に有志諸君の尽力を得、円卓会議を終り、日支双方に於いて懇談の結果、互に共同の調査員といふか協議員といふか、さういふものを作つて、日支間の問題を何とか最近に、公正に解決する途を求めやうぢやないかといふ話も出て、委員会を作るといふまで話が進んだといふことである。それには多少困難を生じたといふ事であるが、その後の消息は私は知らぬが併しさういふ話が出来るまでに隔意なき空気が醸成されたので、一時は激したと申しても、支那人の性格については既に御承知の通り、彼として言ひたいことを言はしめたといふことは、或意味から見て必ずしも悪いことではなからうかと思はれる。或外人の如きはこれまでにスチームが発散してしまへば、肝腎の汽鑵が破裂する様の気遣ひはないといつて、笑ひ話をして居た次第で、それまで隔意なき話をし合つたといふことは、寧ろ大に慶すべきことではないかと、私共は斯う考へて居る。
 それで満洲問題については、日支両委員が重に議論し会ふたので、欧米人も種々研究はして居つたのであるが、これが遠慮と申すのであるか、座長が屡々勧めてもなかなか討議に加はらない。尠くも躊躇して居たから、円卓会議に於て欧米人の腹臓なき意見の交換を聞くことは出来なかつたが、他の問題、例へば治外法権の問題、居留地撤廃の問題といふことになると、自分も同様の関係のある問題であるから、これには隔意なき議論が出た。これらについても欧米人の頭が、どういふ風に傾いて居るかといふことが明瞭に分る、明瞭に分るといつても、唯私の頭に映じたのであつて、外の人の眼鏡にさう映じたかどうか判然しないが、私の感じた所では如何に支那人がしやべくつた所が駄目だ、何れにしても条約上の権利がどうあらうが、今日の事実の現状は、支那人の言ふことを少しも証拠立てない。治外法権を撤廃する訳に行かない。居留地を撤廃するわけにいかない。殊に上海の居留地の如きは撤廃するわけにいかない。支那の内治の状態が更に改善さるるまではいかないといふことが、決こそ採らないが、その結論であるといふことは、殆ど誰が見ても明かに看取さるゝ所であつた。実はこれが為に支那人を非常に失望させたので、満洲問題を激さしたのも此の事が与つて力あり、日本人にあたることも其の一つで、欧米人にあたるのもその心理の中にあつたのでないか、と私は想像して居つた。この会議の大勢から見ると、これがどういふ結果に至るか分らないが到底治外法権の問題、居留地撤廃の問題は、今日から考慮することは出来ない。お膳立を直して掛らなければならぬといふのが、大体の意向であるやうに私は感じた。
      ○
 細かい問題はいろいろあつたが、それに付てお話すべき重要さもないと思はれるが、一つ日本人から提供したボイコツトの問題で、これは小田切君が主として提唱されたのであるが、ボイコツトといふもの
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が支那で今日行はれて居るが、これは今日の国際法上認めらるべきものであるか、国策遂行上正当の手段であらうか、又斯ういふものを許して置くことが、平和を確保する所以であらうか、といふことについての疑問を提供した。これは私の居た円卓会議に於いてあつた。外も同様であつたさうであつたが、私共は取上げるだらうと思つて居つた所、英国側が一向取上げない。ボイコツトといふものは当然な話ではないか。国際聯盟でも規約に認めて居るぢやないか。一口に云へば、そんなものは今更問題にならぬといふやうな態度が歴々と見えた。併し支那に於て実行されて居る外貨抵制は、実は普通のボイコツトと違ふ。殊に日本に向つて行はれて居るボイコツトといふものは組織的なものであつて、個人の自由意志に基いたものでもない。政府が干渉し教唆して居るボイコツトである。これが果して正当なる自衛の手段であらうかといふことが、日本人の疑問として居るところである。斯かることが国交の親善を確保する途であるかといふことについて大いに疑問を有つて居る。現今の条約に違反して居るといふ法律上の疑問ばかりでない。今日の国際公法に於て許すべき問題であるか、どうかといふ根本の問題として議して欲しいといふことを提唱したが、どうも気乗りがしなかつた。英国殊にさうで、米国側の気乗りもしなかつた様で、その理由がよく分らなかつたから、英国側の或人に対して尋ねたところが、これは英国としては国際聯盟にコンミツトとして居るのだから、国際聯盟の規約に悖るやうな態度をとることが出来ないといふ単純の説明で、どうもそればかりではないやうに考へられた。何か外に理由があるのでないかと、今日まで疑問が残つて居るので、之を少し研究して見たいと思ふ。何が故に議題とすることを好まないのであるか、何か外に理由があるのでないかと思はれてならない。
      ○
 それで満洲問題・支那問題がすんでから、円卓会議に上つた次の問題は、太平洋に於ける外交関係といふ問題で、太平洋に於ける外交関係といふのは、之を具体的に申せば、太平洋沿岸の諸国に於ては、二つの大きな国が国際聯盟に入つて居らない。即ち米国とロシヤであるであるから或場合の外交危機に於て、国際聯盟が為し得る様な仕事を為し得る機関を、太平洋沿岸諸国の間にも作る事が必要、若くは願はしいことではあるまいか。さういふものが現存して居るかどうか、又現存の機関では不十分とあれば、如何に之を補足す可きかといふことの問題である。例へばワシントン会議で締結された四国条約中の規定には、或る問題が起つて、外交手段で解決の出来なかつた場合には、会議を開くといふことがある。併しこれは唯締約国の間だけで、且つ其の所属島嶼に関する問題丈けに限られて居るので、一般に亘つて居らぬから非常に範囲が狭い。だから太平洋一般に亘り、危機切迫と云ふが如き必要の場合に、動員し得る機関を作る事が必要でないか。斯ういふのが提案の趣旨で、これは主として米国側から出て居る問題であつて、米国の立場として無理からぬことであらう。尤も本会議の様な会議に出る人は、米人中でも国際的の理解と趣味を有つて居る人が多いので、国際聯盟加入論者が多いのであるが、米国が国際聯盟に加
 - 第37巻 p.626 -ページ画像 
入して居らぬといふのが、世界平和確保運動の実際上、有ゆることに不便である。アメリカが国際聯盟に入らなければ、今日世界の最大強国として、有意義の活動を為すことは出来ないといふことを、しみじみと感じて居る。又翻つてアメリカの内政関係を考ふる時は、米国をして今日直に国際聯盟に加入せしむるといふことが、実際上不可能なる事情があるので、成る可く早き機会に於て、加入の出来る様な機運を促さんとするのが、此等の人々の希望である様に察せられる。之が為めに太平洋方面に於て、国際聯盟に類するやうな機関を設くることが、アメリカとしては願はしいことであり、又必要なことであると考へられるが、この問題は他の国はあまり賛成しない。国際聯盟がある上に、これと競争の地位に立つやうな、若くは重複する機関を作ることは絶対に反対だといふことは、加奈陀も濠洲も英国と略ぼ同様で、日本も国際聯盟に影響するやうな機関を作ることは反対だ、といふことを自分は認めてゐる。但し支那は国際聯盟が従来余り支那の為めに働いてくれないと言ふので、別に新なる機関を太平洋方面に設定したいと云ふ希望を表明して居た。要之アメリカ側は、新に機関を作るといふことに非常な熱心な様子であつたが、これは今申上げる通りで物にならなかつたのであるが、さうすると次に起つて来る問題は、この会議の将来はどうしたら宜いか。斯ういふことが全円卓会議の問題に最後の日になり、今の所では何等実際上の仕事はしないし、国際聯盟のやうな仕事もしない。唯研究々々といつて居つても金も相当に掛り時間も費える。これだけでは結局自滅するより外ないではないか。もう少し之を拡張する途がありはしないかといふことが問題になり、之に対しても何等纏つた意見がなく、結局もう少しやつて見るか今日だけで相当の効果があることは認めて居るから、この儘で進めて見やうではないかといふことで、之に対する改正とかいふことはせずに、この儘これを継続して行くといふ事で鳧かついたのである。それでこの次の会議は支那でやる。斯ういふことだけ決まり、米国側ではこの次の会議は、米国でやつて見たいといふことであつたが、これには夢見たやうなことが混つて居るので、この次には日米の間に蟠つて居る問題解決の曙光が見える、その為めに米国でやつて貰ひたいといふ様な希望が一部には仄めかされたが、これは夢見たやうなことでないか。兎に角さういふ希望があつたに拘らず、結局支那の何処かでこの次は開くといふことに決定してこの会議は終つた。
 尚、会議の活動としては、上述の円卓会議の外に、毎夜講演会と一般討論会の様なものがあり、其外に会議外に於て公開の通俗講演会が数回催ふされたのである。
      ○
 会議の成行と申せば、詳しいことを申上げれば限りがないが、以上述べた所で御諒承を願ひたい。
 尚、話は前後するが、附加へて申上げて置きたいと思ふのは、今度の京都の会に出席した国は米国と、カナダと、濠洲・ニユージランド・英国・支那・フイリツピン、斯ういふ国々であるが、曩に新聞にも出て居た通り朝鮮代表の出席といふことが一寸問題になつた。会議の規
 - 第37巻 p.627 -ページ画像 
約に於いて各支部の国民的代表の会議といふことになつて居る。その国民的の会議といふことは必ずしも一国でなくても宜い、自治権を有つて居るならば差支ない、カナダの如き、濠洲の如き、ニユージランドの如き、独立の自治団体なら差支ない、併し例へば朝鮮の如きはその宗主の国を代表する支部の許可を得て、さうして又中央部の許可を得なければ会議に入ないといふことになつて居る。併し同時に規定があり、これは自治体として置くけれども、民族的・人種的、若くは地方的の分子に、成るべく参加討議の機会を与ふるのが本旨であるからさういふ分子が会議に出席することは好ましいことであるから、それは成るべく奨励したいといふので、インターナシヨナル・ユニツトの同意さへあれば、直接に属国の――例へば日本に於ける朝鮮の如きも中央部会の全会一致の同意さへあれば、宗主国たる支部の許可なくとも、直接に会議に入ることが出来る――歴史から云へば、初めはキリスト教青年会の運動から起つて居ることで、朝鮮もフイリツピンも属国であるに拘らず入つて居つた。即ち第一回の会議にも、第二回の会議にも朝鮮は入つて居つたのであるが、此会議の規約は第二回に於て変更されたので、三回目から少しむづかしくなつて来た。朝鮮をこの会議に入れようとするには、日本の許可を得なければ出来なくなつて来た。そこで朝鮮はそれは怪しからぬ、日本に従属するのは厭だ、日本の許可を得なければ出られないといふことでは面白くないといふので、大分本部と交渉を始めたけれども、本部では規約に規定してあるのだから、日本の同意を得なければ出席を許すわけにいかないといふことで拒んで居つた。それで一時は日本の同意を得て出席しやうかといふ形勢に傾いたのであるが、結局日本の同意を得なければならぬといふことでは、この会議には出席しないといふことを本部に通知してあつた所が、奈良に準備会議が開かれた時に、又運動をし、我々は初めから独立の団体として特別のグループとして出席して居るのであるから、今度も出席さして貰ひたい、規約上出来ないといふなら規約の改正を提議したいから、その規約の改正運動の為に出席を許して貰ひたいといふことを、準備会議に提議した。所が支部長以外には出席して居らぬから――その位なら日本の同意を得て、兎に角お客として出席することは許したらどうかといふことが多数の意見であつたので、五人か六人、会議殆ど終る二・三日前にやつて来た。これより先、日本の支部に於ては日本支部長がその幹部会に列席する場合に、当然許可を与へないことにして貰ひたいといふことを話して置いたので、前述のやうなことの為にさういふ結果になつたのである。朝鮮人は最後の二日だけ客分として列席して居つたが、満洲に於ける朝鮮人のことに関して、尹致昊氏が何か一言した外には何等討論に加はらなかつたといふことである。その以外には何等問題が起らなかつたが、或部分には朝鮮の出席いたしたことは、怪しからぬといふ議論もあつたやうであり、今尚その議論が残つて居るから、御参考迄に申上げて置く次第である。
 其外にはこの会議に列席した者には、七ケ国の外に視察又は傍聴と申す様な資格で仏蘭西から一人来て居た。和蘭からも一人、メキシコ
 - 第37巻 p.628 -ページ画像 
から一人、それからロシヤからも二人寄越し、国際聯盟の方から特に視察員二名を派遣して来た。又国際労働事務局から三名の視察員を送つて来た、であるから各国に於ても亦此会議の成行に非常に注意を払つて居ることは明かで、これが将来どういふものになるかといふことは一寸判明しない。併し私は日本がこれに加盟して居つて、どれだけの利益があるかといふことを具体的に申上げる事は甚だ困難である。加盟して居なければ、色々の損害を生ずるであらうといふことは想像に難くないのである。尠くも招かなくてもよい誤解を招く。又容易に弁明出来得る機会を失つてしまつたり、又各国の名士と接触する機会が得られ、又彼等をして能く日本の国情を了解せしむる、といふやうなことは無形なことであるが、非常に有益なことであつて将来どうなるか知れないが、新聞でも御承知の通り、兎に角各国から皆相当の名士が来て居り、学者とか専門家ばかりでなく、実業家・政治家・社会事業家といふやうな実際の仕事に従事して居る人々で、相当に世界的に有名且有力な人が大多数集まられて居ることであるから、日本人も成べくさういふ人々と多くの機会に接触することは国家の為にも個人の為にも、有益なことであると考へて居る次第である。唯困難な問題は金のことで、このたびも資金蒐集の局に当られた幹部の方の労は察するに余りあることである。日本では斯ういふことに金を集めることは非常に困難で兎に角十数万円の金が要つたのであつて、これからも年々幾分の金が要るのであるからこれもなかなか一苦労のことであらう。これは又諸君の御理解と御後援を得て成べく日本もこの会に継続して参加して行くやうにしたいと希つて已まない次第である。(終)
  ○本会第三回大会ノ詳細ナル記録ハ「太平洋問題」新渡戸稲造編(昭和五年九月刊)ニ在リ。


〔参考〕国際知識 第一〇巻第一号・第一―四頁昭和五年一月 (問題調査会大会) 第三太平洋会議を終りて(DK370133k-0007)
第37巻 p.628-631 ページ画像

国際知識  第一〇巻第一号・第一―四頁昭和五年一月
         (問題調査会大会)
    第三太平洋会議を終りて
 日本も国際会議の主催者とならねばならず、又やれば現代の日本人は或程度まで、之を仕遂げる実力ありとは、筆者の持論であつて、従て之を筆にし又口にしたことあつたが、禅僧の所謂、時節の到来とも云ふべきか、去秋三個の国際会議が殆んど時を同ふして、我国の東西両都に於て開催せられた、会議自体が相当大仕掛であるためか、斯道の経験ある幾多の人士に依り、指導せられたに拘らず、過ぎたる点や及ばざる節が、彼此ありしやに聞いて居るが、何と言ふても其成功たるや疑ない。
 予は上記三個の会議中、孰れの会場すら覗いたことなきのみならず三会議の一にして予の玆に言はんとする太平洋会議は、公開せざる円卓会議を中心として居るので、従て新聞紙上にも詳報がないから、資料に乏しき観はあるが、然し要点と思はるゝふしが、新聞紙若くは之に参加せる人々に依り伝へらるゝが故に、先づ此辺を基礎として一言することゝする。
 京都の会議は、太平洋問題調査会の第三会議と言ひ、且会前配附せられたるプログラムに依るも、問題が大に調査の結果を要求する様に
 - 第37巻 p.629 -ページ画像 
出来て居つたから、初めて委員として之に参加した人は、大に学術的の研究を発表し、論議するであらうと予期し、且自分も其つもりにて準備した様であつたが、出て見ると議論は満洲問題と、支那に於ける治外法権に集中せられ、其も学術的など云ふ色彩が頗る薄くして、政治的に扱はれたと云はうか、将た政治的になつたと言はうか、一外字新聞は之を批評して、京都に於ける太平洋会議は、世界の各隅より其代表者を集めたのであるが、事実は日支両国の闘技場と化し、両国以外の代表者は、弁論を武器として闘ふ日支両国人の闘技を見物せりと云ふて居る、可なり穿つた評であるが、特記さるゝ満洲問題に関する両国委員の論争等に顧みれば、強ち酷評にもあらざるべし。
 該会議に参加した水野梅暁氏は、支那時報十二月号中に、太平洋会議と支那問題の前途を論じたが、終りに左の如く云つて居る。
  予は此会議に於て、太平洋問題の調査を為さんとするには、之を東西文化の二大系に分ち、一般太平洋問題を論ずる以外に思想的にも、文化的にも截然として、其流を異にせる支那及日本の問題を研究し調査するには、其国土と民族に即したる文化及思想問題に重きを置くべきものである、と言ふことを痛感したのである。若し然らずして、一律平等の米人の提唱せる太平洋問題の調査方式に雷同し中央事務局をハワイに置き、問題の取扱は全部英語を以てすると言ふが如き有様にては、恐らく問題の真髄に触れ得ざるのみならず、現在参加せる多数が英語国民である関係より、英語国民たらざる日支両国民は、永久に彼等のメートルにて其尺度を定められんとするとするものなれば、之を東西の二大系に分つて調査した後、更に之を綜合すると言ふことが必要であると思ふのである。
 恐らく水野氏も、今回の会議が調査会と云ふ名に副はぬものであり調査会としての目的を達するためには、斯の如くすべしとの意であらう、現に食料及人口問題が、立派にプログラムに載つて居るのであるが、集つた委員の多数は、斯る問題に興趣を有せざる如きのみならず斯道の専門と云ふ様な人が、各国から出席少なかつたと云ふ憾を叙する本邦委員もある。
 玆に於て、太平洋会議の将来に就て懸念する人は、之を本然に引直さねばならぬと云ふのであるが、然し第一回のハワイに於ける会議よりして、本会は仮令調査会と称するとは云へ、調査一点張の目的を有したのであらうか。名は実を表はさねばならぬことは無論だが、名は約束的のものだから余り之に拘泥するも如何のものにや。加之よしんば名即実の会であつたとて時と場合で脱線と云はうか、発展と云はうか、ソー几帳面に行かぬことあるを記憶せねばならぬ。
 太平洋会議総会の第一日(去る十月二十八日)新渡戸博士開会の辞に次ぎ、日本太平洋評議会副会長渋沢子爵の、世界の平和と題する挨拶が同子の秘書に依り代読されたが其末端に左の語がある。
  私は彼の一九二四年の米国移民法より生じた紛争は、終結した事件でないと言ふことを、此機会に明瞭にしたいと希ふのであります我国民の名誉心に謂れなく与へたる創痍は、猶生々しく此事件が正当なる解決を得ざる間は、其儘に残るものであります云々。
 - 第37巻 p.630 -ページ画像 
 仲々思ひ切つた言振である、日本国の長老殊に日米親善の為に二十余年来、終始努力せる子爵の口からであるから、其背景を考慮し敢て不思議にもしないだらうが、然し始めて之を耳にした人はビツクリしたかも知れぬ。兎も角帝国を代表する外交官や領事官が、米国人に対し普通に発し得る言辞とは思へぬのみならず、同子爵と雖、帝国の代表として米国に使する場合に於て、発するに適当なる言辞たるやは疑なきを得ぬ。
 会議中、満洲問題が最紛糾せるや上述の通りである。総会の初から日支両国の委員が青筋を立てた位であるから、興奮の度合が想像せらるゝ。支那側は日支の紛争を朝鮮問題を振出にして、思ふて居ることを一切まくし立てたのであるが、日本側も売り詞に買ひ詞と云ふ訳であるまいが、可なり猛烈に応酬して居る様である。中に
  支那が強国で露西亜を其領土から駆逐し得たならば、日本は満洲に入る必要はなかつた、然るに支那は日露の紛争を傍観したのみならず、後に発見した所に依れば、露国と秘密条約さへ結んで居た、故に日本は自国の存立のため勝敗を度外に置き、最後の一人まで戦ふの決心を持たざるを得なかつたのである。(中略)満洲に日本が入つたのは、支那に外敵を防ぐ能力がなかつたからである。支那が外敵を防ぎ得るに至るまでは、日本にとつては軍事的施設を撤廃することは出来ない。(支那時報十二月号二八頁)
と言ふ意味のことがあるが、確にむき出しである、而して是が事実であり又斯く信じて居つても、両国政府の官吏は相互に之を口にすることを敢てせざるのみならず、両国民交款の席に於ては親善を高唱こそすれ、斯る激越の語は喧嘩の場合に於ても、慎しみある者の間には容易に交換されぬ所であらう。然るに其言議の自由なること一国議会内の議事の如く、否議会内に於ては議院法等の規定に依り縛られて居るのであるが、太平洋会議内の言説は、斯る束縛なき結果、議会内の議論にも増して自由なるものがある、つまり議論上の治外法権区域で無礼講の討論会である。兼好法師が思ふこと言はねば腹ふくると言ふたが、国際の関係に於ても、相手方や周囲の関係に於て思ふたことを存分発表し得ざる場合あるが、其を洗ひざらひに言尽せば、気も清々しくなるので先づ安全弁と云ふ所であらう。此際に於ける副産は接触に依る理解である、百聞は一見に如かずとは、昔も今も変らぬ真理で、如何に交通が発達せりとか、情報機関が整備せりとか云ふた所で、時と空間は仲々超へ難き障礙であつて、靴を隔てゝ痒きを掻くの感は、国際間には況して多い現象である。従て如何に通とか専門とか云ひたりとて、実地に即せざる人の談は点睛を欠くの憾がある。此意味に於て斯る会合は、出席せる委員の教育である、外交は政治家や外交家の専門にあらざるは申迄もなく、世界の運命は実に有識者に依りて支配せらるゝこと大である。ソー考ふると会議に於ける代表者は、所謂国際の鍵とも称すべく、彼等が円卓会議に於て知りし所は、各其自国に影響するのであらう。英委員ロード・ヘールシヤムは、自分及僚友は決するためにあらず、知らんが為めに来たのである。自分等が知つて他人に教ゆと言ふたのは至言である。
 - 第37巻 p.631 -ページ画像 
 日支両委員の論争は、両国委員をして清々するまで、其腹内に鬱積せる所を言はしめたものであらうが、亦出席の他国委員をして永く聞いて居つた、両国紛争の中核は此所だなと言ふ工合に、彼等をして解せしむる所があつたと思ふ。吾人がプログラム通りに行かぬ憾があつても仕方がないと言ふのは之がためである。
 上掲水野氏が太平洋問題の調査につき論じた所は、成程其が本筋であるかも知れぬ、が然しそうすれば、今回の会議に依りて得たるが如き結果を失ふことゝなる。真の調査の会とするか、或は無礼講の討論会とするか、各得失あるであらう、但しロード・ヘールシヤムの言へりし如く、知つて帰りて他人に教ゆとか、又は日支両国委員の洗ひざらひの論争の如きは、真の調査会としては企て得ざる所なるべく、而して国際安全弁としての作用の、寧ろ無礼講討論会に多く含まるべきに想到し、必しも会の行動を六つかしく規則つくるの必要なきを感ず若し夫れ其存続性に至りては、研究の方法よりも寧ろ、太平洋沿岸八箇国の利害問題が、存続するや否やに繋るべく、此際形式を云為するよりも、今暫く自然の推移に放置するを可なりとせん。
                  (四、一二、九、奥山)
  ○奥山ハ国際聯盟協会主事奥山清治ナリ。右ニ栄一ヲ「日本太平洋評議会副会長」ト言ヘルハ正確ナラズ。


〔参考〕(ウイリアム・アキスリング)書翰 小畑久五郎宛一九二九年一一月一九日(DK370133k-0008)
第37巻 p.631-634 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕外務省関係書類(三)(DK370133k-0009)
第37巻 p.634-635 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕(シドニー・エル・ギューリック)書翰 渋沢栄一宛一九三〇年三月一八日(DK370133k-0010)
第37巻 p.635-637 ページ画像

(シドニー・エル・ギューリック)書翰 渋沢栄一宛一九三〇年三月一八日
                         (渋沢子爵家所蔵)
     WORLD FRIENDSHIP AMONG CHILDREN
          INSTITUTED BY
THE COMMISSION ON INTERNATIONAL JUSTICE AND GOODWILL OF THE FEDERAL COUNCIL OF THE CHURCHES OF CHRIST IN AMERICA, INC.
          289 FOURTH AVENUE
           NEW YORK, N.Y
                   March 18, 1930
Viscount E. Shibusawa
  1 Nichome Yeirakucho
  Kojimachiku, Tokyo, Japan
My dear Viscount Shibusawa:
 - 第37巻 p.636 -ページ画像 
  .............
  I am enclosing a copy of actions taken by the Study Conference on the Churches and World Peace. One section, as you will see, dealt with the Far Eastern question. The Conference, I judge, would have been quite ready to have made a more emphatic statement with regard to the Asiatic Exclusion section of the Immigration Law of 1924. There were, however, several considerations that made it seem wise to make our statement rather mild though definite.
  Since the return from Japan of such leaders of the Institute of Pacific Relations as Professor James T. Shotwell, Mr. Jerome D. Greene, Mr. James McDonald and others, the program for having that law changed is moving forward in a rather hopeful fashion. Nothing, however, is being done publicly as yet because it is felt that quite a number of preliminary steps must be taken of a confidential nature if ultimate success is to be achieved.
  I am writing this letter merely to assure you that we are still carrying on our program of education and now with a brighter outlook than we have had for several years. Your vigorous statement with regard to the question which was presented to the session of the Institute at Kyoto was, I think, a real contribution to the cause. Many I know criticized it, but I am confident that, if you had not made that statement, the impression would have been strengthened that Japanese leaders are not particularly concerned in the issue, and I think it would have been difficult to have secured the more hopeful outlook here in America which we now have.
  How long it is going to take to work the whole matter out I have no means of estimating. As you know, any legislative matter in Congress has to be exceedingly pressing and the plans for it well laid in advance before it is likely to secure action.
  ............
            Very cordially yours,
             (Signed) Sidney. L. Gulick
                    Secretary
(右訳文)
        (別筆)
        要回答 宣言書に対する態度を感謝すとの意
               五月六日御一覧済小畑
 東京市               (四月七日入手)
  渋沢子爵閣下
   一千九百三十年三月十八日
           紐育市
 - 第37巻 p.637 -ページ画像 
              シドニー・エル・ギユーリツク
○上略
教会問題及世界平和研究会議の決議録一部、玆に同封仕候、御覧の如く其一項中には、極東問題を論究致居候、本研究会議は進むで一九二四年の移民法中の亜細亜人排斥条項に関して、更に一層強硬なる宣言を公表せんと考へ候も、種々考量すべき事情有之候為め、寧ろ温和にして明確なる宣言を採用する方、得策ならんとの点に一致致候
ジエームス・デイー・シヨツトウエル教授。ジエローム・デイー・グリーン氏。ジエームス・マクドナルド氏及其他太平洋問題調査会の有力者が、日本より帰米以来該法の改正計画は、寧ろ有望に進展しつゝ有之候得共、最終の勝利を得んとせば、先づ種々の内密なる予備手段を執るの必要有之候故、未だ何等公然の手段を講ぜざる次第に御座候小生等は従来の教育方針を実行致居り、且つ昨今は過ぐる数年間よりも一層有望に発展致居候故、此旨御報知申上度本書拝呈仕候次第に御座候
京都大会に御提出相成候本問題に関する閣下の活気ある宣言は、本件に対し実際有効なるものと存候、多数の批評も承知致候得共、若し閣下の宣言が発表せられざりしならば、日本の有力者は特に本件に関心し居らずとの誤まれる印象を、我が国民間に強めたるならんと確信仕候、かくして今日の如く当亜米利加に於て、此前途有望なる結果を獲るは困難なりしことゝ存候
本問題解決のために、幾何の時日を要するやは測定の手段無之候、御存じの通り議会に於ける法案は、何れも極めて急迫なるを要し、その通過の見込立つ迄には、前以てそれに対する計画を充分に整へ置く必要有之候
○下略

  同封「宗教団体代表研究会議の教会に対する教書」中の一項
    亜細亜人排斥法
一千九百二十四年の移民法中排斥条項が、猶依然として亜細亜国民に大不満を与へつゝあることを吾人は知る。日本は己れに加へられたりと感ずる侮辱を痛く憤りつゝ、威厳あり且節制ある態度を持しつゝある。
吾人は本問題が新条約か、或は移民法のコータ条項の下に亜細亜人を置くか或は、又何等か相互に満足を与ふる他の方法に依りて矯正せられんことを衷心より希ふ。
   ○右英文ヲ欠ク。


〔参考〕太平洋問題調査会書類(三)(DK370133k-0011)
第37巻 p.637-638 ページ画像

太平洋問題調査会書類(三)       (渋沢子爵家所蔵)
          太平洋問題調査会
               常務理事 斎藤惣一
 太平洋問題調査会
  評議員会々長
    子爵渋沢栄一閣下
 - 第37巻 p.638 -ページ画像 
拝啓 昭和四年十月廿八日より十一月九日迄、京都、都ホテルに於て開催いたしたる、第三回太平洋問題調査会大会に対しては、今日迄各方面より感謝状到着いたし居り候処、本日同封写の如き書状、英国調査会より到着、大会当時、我が国政府及び国民一同の示したる好意に対して、感謝の意を表すの決議文送附有之候につき、御参考迄に御送附申上候間、何卒御一覧被下度、先は右要件のみ如斯御座候 敬具
  昭和五年五月三日
(同封写)
             (COPY)
 The Royal Institute of International Affairs
            ------------
                  Chatham House,
                  St. James's Square
                  London, S.W.1
                    March 21st 1930
The Chairman,
Japanese Council,
  7 Sojuro-cho
  Kyobashi-ku
  Tokyo, Japan
Sir,
  At a recent meeting of the Council of the Royal Institute of International Affairs the following Resolutions were unanimously adopted:
 RESOLVED: that the Council records:
  1.Its thanks to the Japanese Council of the Institute of Pacific Relations for the admirable arrangements made for the holding of the Third Conference of the Institute of Pacific Relations at Kyoto.
  2.Its high appreciation of all the kindness and hospitality which was so lavishly shown towards the members of the Conference and their families by so many persons and corporations in Japan.
The Council has instructed me to transmit these Resolutions to you as an expression of their gratitude.
  The Council of the Royal Institute of International Affairs have heard with great interest the reports from many of the members of the party from Great Britain who have now returned and are impressed by the effect which the Conference has had in assisting our members and many other influential people in this country to increase their knowledge of the Pacific and Far East.
               Yours faithfully,
            (Signed) Ivison S. Macadam
                 Secretary
 - 第37巻 p.639 -ページ画像 

〔参考〕外国人往復(二)(DK370133k-0012)
第37巻 p.639-640 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕渋沢栄一書翰控 鶴見祐輔宛 昭和五年五月一五日(DK370133k-0013)
第37巻 p.640-641 ページ画像

渋沢栄一書翰控 鶴見祐輔宛昭和五年五月一五日 (渋沢子爵家所蔵)
爾来御疎情ニ打過候得共、賢台益御清適之条奉賀候、然ば只今田辺定義君来訪せられ、其報道に拠れは賢台にハ、弥以明後十七日御発途、米国之招待に応し、同国各地之学校ニ於て御講演被成候御都合之由、御勤労之程拝察仕候、就而今夕東京会館に御会同も有之候趣なるも、老齢起居不自由にて拝趨も仕兼候ニ付、乍略儀一書を以て御送別申上候、折角御自愛御健勝御帰朝之程奉待候、就而一事御念頭ニ御保存被下、自然好機会も有之候ハヽ、特に御高配を拝願仕度義ハ、曾而再三御内話申上候例之米国移民法改正之問題ニ候、右ニ付而ハ先頃拙宅に於て御内示も有之候ニ付、貴案ニ従ひ昨年冬、京都に開催せられたる太平洋会議に別紙提出いたし、老生病気出席致兼候ニ付、代理を以て会場ニ於て朗読し、来会者一同之知る処とハ相成候も、爾後今以何等影響無之次第ニ候、但其後も種々之観光米人来訪にて、懇親上之談話にてハ是非遠からす修正致すへし抔と被申候も、所謂一時的之巧言にて改正之事実ハ目下予期致兼候次第ニ候、何卒事情御諒察之上、自然好時機も有之候ハヽ相応之御高配も被成下、同時に御指示を得て此上之努力を尽し度と期念罷在候、右は御発途前拝光仕兼候ニ付、書中衷
 - 第37巻 p.641 -ページ画像 
情申上候 匆々敬具
  昭和五年五月十五日
                      渋沢栄一
    鶴見祐輔様
 尚々既ニ御覧被下候ものなるも、京都之会場ニ提出せし印刷物さし上候、且粗末之墨帳数種御贐に進呈仕候、御落手被下度候也