デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
21款 太平洋問題調査会
■綱文

第37巻 p.641-647(DK370134k) ページ画像

昭和4年11月12日(1929年)

是日栄一、太平洋問題調査会第三回大会ニ出席シタル各国ノ代員等約三百名ヲ、東京会館ニ招キテ歓迎午餐会ヲ催ス。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。


■資料

太平洋問題調査会大会代員諸氏招待午餐会記録 昭和四年一一月 第六八―七〇丁(DK370134k-0001)
第37巻 p.641 ページ画像

太平洋問題調査会大会代員諸氏招待午餐会記録
              昭和四年一一月 第六八―七〇丁
                   (渋沢子爵家所蔵)
○上略
    (別筆)
    主賓招待状(十月廿五日発送の予定の所時間変更の為十一月一日となれり)
(印刷物・葉書)
拝啓益御清適奉賀候、然ハ太平洋問題調査会大会を機とし、来十一月十二日午前十一時、東京丸ノ内東京会館に於て午餐会相催候間、御繰合はせ御来臨被成下度、此段御案内申上候 敬具
  昭和四年十一月一日          渋沢栄一
  二伸 御諾否乍御手数、別紙葉書を以て御一報被下度候
   ○尚、外国人ニ対スル英文ノ招待状ハ、時日急迫ノ関係上、別ニ調製セズ、常用ノinvitation cardヲ使用セリ。
○中略
    (別筆)
    第二回 時刻訂正招待状(副賓宛)特に活字体を明朝とせり
(印刷物・葉書)
拝啓益御清適奉賀候、然ハ太平洋問題調査会代員諸氏歓迎午餐会、来る十一月十二日正午、東京会館に於て相催候に付、御来臨被下度御案内申上置候処、都合により時間を繰上げ同日午前十一時、同所に於て開催の事に変更仕候間、御繰合はせ御来臨被下度、重而御案内申上候
                           敬具
  昭和四年十一月一日           渋沢栄一
  二伸 御諾否乍御手数、別紙葉書を以て御一報被下度候
   ○右都合トハ、一行ガ同日正午ヨリ新宿御苑ニ於テ皇室ノ催サレタ恒例ノ観菊会ニ招待サレタルコトナリ。


太平洋問題調査会大会代員諸氏招待午餐会記録 昭和四年一一月 第一二―八四丁(DK370134k-0002)
第37巻 p.641-643 ページ画像

太平洋問題調査会大会代員諸氏招待午餐会記録
              昭和四年一一月 第一二―八四丁
                   (渋沢子爵家所蔵)
    ○午餐会記
○上略
一、午前十一時二十分、来賓一同食堂に入る。
 - 第37巻 p.642 -ページ画像 
一、着席終るや子爵先づ立つて左の挨拶を申述べらる。小畑氏その背後に立ち通訳に従ふ。(此間七・八分位なり。)
子爵『本日は時間に余裕をお持ちにならぬ皆様が、よくもかく大勢お揃でお出で下されました事を難有存じます。皆様は太平洋会議で、種々偉大なる御貢献をなさいました。私も是非出席致し、皆様のお説も伺ひ、私の考も申述べたいと思ひましたけれども、頽齢の為め出席が出来ませなんだ事は、誠に残念でありました。然しながら是非一度は、皆様にお目にかゝりたいといふ希望から、本日皆様にお出をお願ひした次第であります。代員の皆様の多数は、これから新宿御苑の観菊御宴に御出ましの事と思ひますので、申上げたい事は数々ありますけれども、一寸御挨拶丈を申上るに止めたいと思ひます。皆様本日は御多忙中を特に御繰合せの上、御来会下されまして難有御礼を申上げます。』
来賓を代表し、ニユータン・ラウウエル氏、立ちて次の如き答辞を述べたり。
 『本日の子爵の御招待に対し有難く御礼を申上ます。たゞ子爵と同じ日本語でお礼を申上げられない事は誠に残念であります。
 太平洋会議は啓発するところが大でありました。これ皆太平洋の平和に役立つ事でありませう。太平洋上の平和は軈て世界の平和に役立つ事でありませう。一言来賓を代表して御礼を申述べます。』
一、午前十一時卅七分、食事開始。
一、食事中、井上大蔵大臣○準之助の主唱にて一同起立、相互の健康を祝する為め乾杯を行ふ。次でアレキサンダー氏の発声にて、渋沢子爵の為め万歳を三唱して乾杯せり。
一、午前零時二十分撤宴。同二十五分散会。
○中略
    昭和四年十一月十二日午前十一時於東京会館
    太平洋問題調査会代員歓迎午餐会招待人名
○中略
一、主賓
    米国代員       八一人     五八通
    布哇代員       三一人     二四通
    英国代員       二五人     二〇通
    濠洲代員       一七人     一三通
    加奈陀代員      四三人     三五通
    新西蘭代員       七人      七通
    傍聴者        一〇人     一〇通
    フイリツピン代員    八人      八通
    支那代員       三九人     三一通
    日本代員其他     六八人     六五通
     小計       三二九人    二七一通
   ○右各国代員中ニハ其家族ヲモ含ム。
二、副賓
    婦人補助委員     二四人     二四通
 - 第37巻 p.643 -ページ画像 
    外務省         四人      四通
    大学校         八人      八通
    同族          九人      九通
    日米関係委員会    一七人     一六通
    実業家其他      五七人     五七通
    代員ヲ辞シタル人    一人      一通
    事務所         三人      三通
     小計       一二三人    一二二通
     総計       四五二人    三九三通
○中略
○末延道成様 ○Mr. Benitez ○Mrs. Atherton ○阪谷男爵 ○Mrs. Rowell ○主人 ○Mr. Greene ○Mrs. Eggleston ○松岡洋右様 ○Miss Eggleston ○Dr. Wang メーンテーブル ○大谷嘉兵衛様 ○Mr. Davis ○Miss Alexader ○Mr. Matheson ○Mr. Rowell ○井上準之助様 ○Mr. Lyttleton ○Mr. Eggleston ○Mr. Atherton ○Mr. Alexander ○Mrs. Wang (別筆) 昭和四年十一月十二日 前十一時 太平洋問題調査会 代員歓迎午餐会 メーン・テーブル 着席者
   ○右丸印ハ朱書、尚メーンテーブル着席者ノ肩書左ノ如シ。
    ラウエル博士Hon. Newton Rowell      (加)元加奈陀政府枢密院議長(団長)
    リタルタン刀自Mrs. Dame Edith Lyttleton (英)アルフレド・リタルタン卿未亡人
    グリーンMr. Jerome Greene        (米)紐育・リー・ヒギンスン会社長(団長)
    エグルスタンHon. F.W. Eggleston     (濠)元大法官、鉄道大臣(団長)
    マゼスンMr. W.B. Matheson        (新西蘭)ローマ国際農業会議政府代表(団長)
    アサートンMr. Frank C. Atherton     (米)ホノルル、太平洋問題調査会出納主任
    アレグザンダーMr. Wallace Alexander   (米)桑港、アレグザンダー・ボールドウイン会社々長
    ベニテツDean Conrado Benitez      (フィリピン)フィリピン大学実業学校長
    王正〓Mr. C.F. Wang.          (支那)奉天、Fengtien 鉱業会社総支配人
    余白章Dr. Z.T. Yui Davis        (支那)上海、全国基督教青年会総主事(団長)


竜門雑誌 第四九五号・五〇―五三頁昭和四年一二月 太平洋問題調査会大会代員諸氏招待会(DK370134k-0003)
第37巻 p.643-645 ページ画像

竜門雑誌 第四九五号・五〇―五三頁昭和四年一二月
    太平洋問題調査会大会代員諸氏招待会
 秋漸く深き十一月十二日に、青淵先生は太平洋問題調査会大会代員並に其家族及其他の関係者を招待して、午餐会を催された。
 青淵先生は、午前十時三十分頃、早くも東京会館に見え、四階宮城側のレセプシヨン・ルーム入口に近く、椅子によつて来賓を待受けられた。広い室に他に人影もなく、嵐の前のやうな静寂の気満ち渡り、水にも似た秋の気がそゞろ身に沁むやうである。此間に食堂を一瞥しよう。エレヴエター前のホールを横切り、階段を上ると食堂である。
 - 第37巻 p.644 -ページ画像 
入口近く、色古りたる籬を置きたるに、紅葉せる蔦の葉面白く這ひ、根締めの秋草低く千々に乱れ、籬の後より薄尾花の夢のやうに覗けるを圧して、雑木の太き幹矗々と天を摩し、赤に黄に緑に色とりどりの葉末の錦、中天にかゝつて絵のやうである。眼を転ずれば一面秋の山野である。楓の枝の弱々しきに、色づける葉の輝ける、松の幹のエネルギツシユなるに、目も醒めん許りに翠色濃き葉の美しき、柿の老木の素朴なるに、スカーレツトに燃ゆる葉と、珠玉と輝く実の面白き、樫・杉の幹の逞しき、烏瓜の瓢逸なる、秋草の楚々たる、何れを見ても秋将に深く、虫の音も聞えん許りである。窓寄りにメーン・テーブルを設け、木々の間に卓をちらし、卓上には菊花、色様々に咲き誇り雪白の卓布に紅葉の散り敷きたるも亦風情がある。
 午前十一時近くから来賓が見えた。エレヴエターの活動が次第に盛になる。携帯品預所は目の廻る忙しさである。六尺豊の堂々たる人が多い。モーニングやタキシードの間を、点綴する単色の紅・白・緑・紫其他調子強き色彩が美しい。青淵先生は握手に忙しい。やがてレセプシヨン・ルームは人の浪に埋れ、款談笑話の渦巻で占領せられる。午前十一時二十分、三百に近き来賓は殆ど集まり、食堂は開かれた。
 青淵先生は、カナダのラウエル夫人の手を執つて起たれた。談笑の声を挙げながら一同が続く。食堂に入らんとしては皆々好奇の眼をみはる。婦人の中には手をたゝき、感嘆の声を挙げるものさへある。
 座定まるや青淵先生は起つた。拍手の音は一時に起る。
  「本日は殊の外御忙しいのに拘らず、かく御揃ひで御臨席下されましたことを、難有厚く御礼を申上げます」
 快いバスが力強く響き渡る。一同其元気に驚きの色を見せて居る。
  ○中略、演説前掲ニ同ジ。
 喝采破るゝ如く暫し止まず。来賓代表として加奈陀のニユートン・ラウエル氏が起つた。拍手又一頻り。
  「子爵の御招待に対し、厚く御礼を申上げます。一同衷心より感謝致して居ることを申上げたいと思ひます。只一つ遺憾なことがあります。即ち子爵と同じく日本語で申上げることの出来ない点で御座います」
 一同声を挙げ手を拍ちて賛同の意を表す。
  「太平洋会議は啓発する所、多大でありました。太平洋会議の結果が将来、太平洋の平和に貢献することを疑ひませぬ。太平洋の平和は軈て世界の平和に役立つことでせう。深く成功を喜ぶことを申上げたいので御座います。一言来賓を代表して御礼を申述べた次第で御座います。」
 午前十一時三十分サーヴイスは初められた。メニユーを記さう。
  Foie-gras en Aspic
  Clam Broth in Cup
  Pâte de Ris be Veau à la Financiere
  Salade d' Asperages
 かくてデザート・コースに入るや、井上準之助氏の主唱によつて乾杯する。代つてウオラス・エム・アレキサンダー氏が起つ。蓋し万歳
 - 第37巻 p.645 -ページ画像 
発声の為めである。
 "Banzai"
 「万歳」
 "Banzai"
 「万歳」
 "Banzai"
 「万歳」
宴を撤し、散会したのは午後零時二十五分であつた。


太平洋問題調査会書類(二)(DK370134k-0004)
第37巻 p.645 ページ画像

太平洋問題調査会書類(二)        (渋沢子爵家所蔵)
謹啓 時下愈々御多祥奉賀候、陳者先般京都に於て開催の太平洋問題調査会第三回大会に際しては、種々御配慮を賜はり、且又十一月十二日代員家族職員一同に対しては、御丁寧なる御饗応に預り難有御礼申上候、外国代員諸氏も我国の諸方面よりの歓待に対しては、誠に感謝の念を抱きて帰国の途に上り申候、早速参堂の上御厚礼可申上候処、乍延引以書中御礼申上度、如斯御座候 敬具
  昭和四年十一月廿八日
         太平洋問題調査会
             理事長 新渡戸稲造太平洋問題調査会常務理事之印
    子爵
     渋沢栄一殿


(ウォーレス・エム・アレグザンダー)書翰 渋沢栄一宛(一九二九年)一一月一三日(DK370134k-0005)
第37巻 p.645-646 ページ画像

(ウォーレス・エム・アレグザンダー)書翰 渋沢栄一宛(一九二九年)一一月一三日
                           (渋沢子爵家所蔵)
          DOLLAR STEAMSHIP LINE
              ORIENT
               AND
          ROUND THE WORLD ON BOARD
                     S.S. PRESIDENT PIERCE
                      Nov. 13th.
My dear Viscount:
  Just a line on leaving your beautiful country, to express my daughter's and my very deep appreciation of the beautiful luncheon that you tendered the members of the Institute of Pacific Relations in Tokio. All the members of the party on the steamer unite in saying that they have never attended a function where the appointments were more beautiful and the hospitality more abounding. We leave Japan with very sincere regret that our stay in your city could not have been longer.
  For my part I have stored carefully in my mind our conversations on the subject of Japanese-American relations, and am returning to the United States more than ever determined that the present friendly relations between our two nations must be furthered by every means in my power, and all injustices removed.
 - 第37巻 p.646 -ページ画像 
  With heartfelt thanks from us both,
            Very sincerely yours,
            (Signed) Wallace M. Alexander
(右訳文)
                   (別筆)
 東京市               十二月九日入手
  渋沢子爵閣下
    一千九百二十九年十一月十三日
           ダラー汽船プレシデント・ピヤス号にて
              ウオーラス・エム・アレキサンダ
拝啓 益御清適奉賀候、陳者玆に秀麗なる貴国を去るに臨み、一書を以て閣下が東京に於て太平洋問題調査会大会員のため御開催被下候結構なる午餐会に対し、小生等親子より厚く御礼申上候、設備の美事さと云ひ又款待の周到さと云ひ、此以上の饗宴に列したることなしと、当汽船乗合の会員一同は賞讃致居候、貴市に永く滞留し得さりしは誠に残念にて、日本に別れを告ぐるに当り愛惜の情禁じ難きもの有之候小生は日米関係問題に関する閣下の御高話を能く服膺致し、必ず全力を尽して日米両国間、現在の親善関係を更に促進し、且つ其間に蟠る凡ての不正を排除する決心を、一層鞏固にして帰途に就き申候
右御礼旁得貴意度如此御座候 敬具
   ○十一月十一日アレグザンダー及ビアサートント日米関係委員等トニヨリテ日米問題協議会開カレタリ。本資料第三十五巻所収「日米関係委員会」昭和四年十一月十一日条ノ参照。


(ゼームス・ダブリュー・モリソン夫人)書翰 渋沢栄一宛(一九二九年一一月)(DK370134k-0006)
第37巻 p.646-647 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕渋沢栄一書翰控 藤巻正之宛 昭和四年一一月一六日(DK370134k-0007)
第37巻 p.647 ページ画像

渋沢栄一書翰控 藤巻正之宛昭和四年一一月一六日 (渋沢子爵家所蔵)
(写)
拝啓、益御清適奉賀候、然ば本書持参のジエームス・テイ・シヨツトウエル博士は、米国コロンビヤ大学教授に有之、今般太平洋問題調査会第三回大会に代員として出席せられ候処、此機会に於て是非貴宮拝観致度希望致居候に付ては、近々夫人・令嬢と共に拝訪の筈に御座候間、参趨の節は可成丈御便宜御与被下度候、右拝願迄得貴意度如此御座候 敬具
                      渋沢栄一
  日光東照宮々司
    藤巻正之殿
  昭和四年十一月十六日
   ○京都ニ於ケル大会出席者ニシテ右ノ他歓迎会又ハ栄一ヲ訪問シタルハ左記ノ如シ。
     十一月十四日 日米関係委員会米国代員歓迎会(紅葉館)
     十一月十五日 ポール・シャーレンバーグ夫妻招待午餐会(飛鳥山邸)
        同日  アイヴィ・リー来訪(同)
     十四日ノ日米関係委員会歓迎会ハ、本資料第三十五巻所収「日米関係委員会」昭和四年十一月十四日ノ条ニ、十五日ノ二件ハ第四十巻所収「其他ノ外国人接待」同日ノ条ニ各々資料ヲ収ム。