デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2023.3.3

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
22款 日本国際児童親善会
■綱文

第38巻 p.84-98(DK380010k) ページ画像

昭和2年11月4日(1927年)


 - 第38巻 p.85 -ページ画像 

是日、当会主催答礼人形送別会、明治神宮外苑内日本青年館ニ開カル。栄一出席シ、来賓トシテ挨拶ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一書翰 控 シドニー・エル・ギューリック宛昭和二年一〇月二四日(DK380010k-0001)
第38巻 p.85 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 シドニー・エル・ギユーリツク宛昭和二年一〇月二四日 
                     (渋沢子爵家所蔵)
      案        (栄一鉛筆)  (別筆)
               十月二十二日閲了 11/11 明六
 紐育市第四街二百八十九番地
  シドネー・エル・ギユーリツク博士殿
                   東京 渋沢栄一
拝復、益御清適奉賀候、然ば八月十七日付御懇書正に入手、興味を以て拝誦仕候、貴台には変らざる御熱心を以て国際親善、特に日米親善の為め御尽瘁被成候義を承知致、欣慰罷在候
太平洋沿岸の日本人多数居住致候各都市に於て、集会御催の上日本語を以て御講話被下候趣、在留同胞は喜悦の情に充ちて謹聴仕候事と遥察仕候、予而御高配被下候親善人形問題も、当方に於ては略ぼ一段落と相成、目下答礼人形発送に付委員諸氏に於て種々協議致居候処、最近の委員会に於て来る十一月四日、日本青年会館に於て送別会を開催致、十日発航の天洋丸にて発送のことに決定致候、本問題に付中心となり常に多大の尽力をせられたる、前文部省普通学務局長関屋竜吉氏同行の筈に御座候
右に付ては又々種々御手数相煩し候事と遥察致候得共、何卒有終の美を済さしめ候様此上とも御高配被下度、期望の至に御座候
右拝復旁得貴意度如此御座候 敬具
  昭和二年十月廿四日
  ○右英文書翰ハ同日付ニテ発送セラレタリ。
  ○右二対スルギューリックノ返書ハ本款昭和二年十二月二十七日ノ条ニ収ム
  ○八月十七日付ギューリック書翰ハアメリカ合衆国千九百二十四年移民法対策ノコトヲ云ヘリ。本資料第三十五巻所収「日米関係委員会」昭和二年四月四日ノ条ニ収ム。


国際親善人形ニ関スル往復書翰及書類(DK380010k-0002)
第38巻 p.85-86 ページ画像

国際親善人形ニ関スル往復書翰及書類 (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
謹啓 時下秋冷の折柄愈々御清穆の段奉賀候、陳者過般日米親善の目的を以て、米国世界児童親善会より我が国児童へ多数の人形寄贈有之たるに対し、今般答礼として日本人形寄贈可致に就ては、左記の通り人形送別会相催し度に付、御家族御同伴の上御賁臨被下度、此殿御案内申上候 敬具
  昭和二年十月二十六日
                  文部省内
                    日本国際児童親善会
        殿
     記
 - 第38巻 p.86 -ページ画像 
一日時  十一月四日(金)午後一時より同二時まで
一会場  明治神官外苑日本青年館
 追て座席の都合も有之候に付、御出席の有無折返し御返事賜り度、尚当日御賁臨の節は本状を受付係に御示し被下度申添候 特《(朱印)》


竜門雑誌 第四七一号・第九五頁 昭和二年一二月 青淵先生動静大要(DK380010k-0003)
第38巻 p.86 ページ画像

竜門雑誌 第四七一号・第九五頁 昭和二年一二月
    青淵先生動静大要
      十一月中
四日 亜米利加答礼人形送別会(日本青年館)


国際親善人形ニ関スル往復書翰及書類(DK380010k-0004)
第38巻 p.86 ページ画像

国際親善人形ニ関スル往復書翰及書類 (渋沢子爵家所蔵)
答礼人形ノ名称
 埼玉県 秩父嶺玉子《チヽブネ》       長崎県 長崎瓊子
 宮崎〃 日向瓊子《ヒウガ タマコ》     佐賀〃 鍋島肥佐子
 新潟〃 新潟雪子              東京市 東京花子
 静岡〃 富士山三保子            東京府 東京子《アヅマ ケフコ》
 山梨〃 山梨富士子             茨城県 筑波かすみ
 北海道 北海花子              沖縄〃 沖縄球子
 青森県 青森睦子        ミスジヤパンには依頼により
 群馬〃 上野絹子《ウエノ》   子爵が      倭 日出子
 栃木〃 日光幸子《サチコ》   と命名せられ委員会を通過せり


国際親善人形ニ関スル往復書翰及書類(DK380010k-0005)
第38巻 p.86 ページ画像

国際親善人形ニ関スル往復書翰及書類 (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
     答礼人形送別会次第
                司会者文部次官 粟屋謙
一、開会
二、国歌合唱   全員
    イ、国歌(君か代)      (別筆)(全員起立)
    ロ、米国々歌(The Star-Spangled Banner)
三、経過報告          文部省普通学務局長 武部欽一
四、日本児童の送別の辞          (別筆)松本昌子嬢
五、米国児童の挨拶    (別筆)ベツティ・ジョーゲンソン嬢
六、人形送別の歌                日米児童全員
七、来賓の御挨拶             子爵 渋沢栄一閣下
              (抹消)文部大臣 水野錬太郎閣下
             米国大使 チヤールスマツクベー閣下
                     (抹消)関屋竜吉氏
八、奏楽                 陸軍戸山学校軍楽隊
九、閉会
   附 活動写真


読売新聞 第一八一八六号昭和二年一〇月二〇日 アメリカへ送るお人形の歌 =来月四日= 児童代表二千人で送別会(DK380010k-0006)
第38巻 p.86-87 ページ画像

読売新聞 第一八一八六号昭和二年一〇月二〇日
    アメリカへ送るお人形の歌
 - 第38巻 p.87 -ページ画像 
      =来月四日=
        児童代表二千人で送別会
アメリカから贈られた青い眼の人形のお礼として、吾国の児童から贈る五十八の振り袖姿の人形は、目下全国各府県をお目見得旅行中だがいよいよこの二十五日揃つて帰京、直に上野に開催中の児童生活展内で展覧会を開き、東京のお客さんに挨拶して十一月四日午後二時半から、日本青年館で盛な送別会を挙げる予定である、当日は全国の児童代表約二千人に、外相・文相・渋沢子・阪谷男・徳川公等を初め、日米関係の御歴々多数列席するのみならず、特に宮殿下も御臨場になるさうだ、なほ当日うたふ歌は次の通りで、歌詞は文学博士高野辰之氏の作、曲譜は上野音楽学校教授島崎赤太郎氏の作――
一此の日の国より星の国へ
 今日を門出の人形よ。
 すめるまなこをうるほさず
 眉を開きてさらば行け。
二歓び迎へて出す手に
 その手を延べよ人形よ。
 まことをこむる手と手には
 笑みの花こそつねに咲け。
三我等が心を心とし
 さらばとく行け人形よ。
 波の十日を過ごさなば
 いたる所に春を見ん。


東京朝日新聞 第一四八九八号 昭和二年一一月五日 海越えてはるばると―可愛いゝ答礼使を送る 渋沢さんの眼にも涙が光つた けふお人形の送別会(DK380010k-0007)
第38巻 p.87-88 ページ画像

東京朝日新聞 第一四八九八号 昭和二年一一月五日
  海越えてはるばると―
    可愛いゝ答礼使を送る
      渋沢さんの眼にも涙が光つた
        けふお人形の送別会
アメリカの青い眼のお人形に対する答礼として、十日横浜出帆の天洋丸で渡米する日本のお人形の送別会は、秋雨煙る四日午後一時から日本国際児童親善会主催の下に、神官外苑の日本青年館で行はれた、早朝から小さい日本の少女外交官は、列をなしてくり込んでさすがの会館も張り裂ける様な有様である
 定刻 司会者粟屋文部次官がニコニコ顔で起つ、二千の少女達によつて『君ケ代』が歌はれる、代つて米国々歌がアメリカ児童によつて合唱された、武部普通学務局長の経過報告があつて式は進む、壇上には、日・米国旗を背景に金屏風にかこまれて代表人形大日本嬢(倭日出子)が、ミス・ダイニツポンとなつて正面に控へ、左右には朝鮮・徳島・東京府・大阪府・岡山等々十一人が御嫁入
 ……道具 にかこまれて美しい眼を見はつてゐる、日本児童を代表した御茶の水付属小学三年生松本昌子さん(一〇)と、米国児童代表のベツテイ・ジオーゲンソン嬢が中央に進んで、二人の小さい代表者は堅い堅い握手を交す、昌子さんが『アメリカへお著きになる日まで
 - 第38巻 p.88 -ページ画像 
には広い太平洋といふ海を二週間もお船に乗つて……』と別れ行くお人形に悲しい思ひを寄せる、来賓渋沢子・マクヴエー大使の眼にも
 ……涙が 光る、ベツテイさんの歓喜に充ちた挨拶、式は滞ほりなく進んで『人形送別の歌が』歌はれた、渋沢子とマクヴエー大使の感激にみちた挨拶があり、二時式を閉ぢたが、午後一時竹田・北白川・朝香各宮の若姫宮諸殿下が御臨席になつた


中外商業新報 第一四九八四号昭和二年一一月五日 日の国より星の国へ 今日を門出の人形よ 小さな口々がうたふ送別の歌(DK380010k-0008)
第38巻 p.88 ページ画像

中外商業新報 第一四九八四号昭和二年一一月五日
  日の国より星の国へ
    今日を門出の人形よ
      小さな口々がうたふ送別の歌
  この日の国より星の国へ
  今日を門出の人形よ……
秋雨けぶる日本青年館では、小さき人々は日米国旗の下でうたつた、今日四日ミス大和秀子を始め、全国各府県からの五十八のお人形さんの行をさかんにする美しい集ひである、式場の正面には大和秀子さんを中心に、十二の代表人形が振袖姿にめいめいにお嫁入道具の金かな具を輝かせてずらりとならんだ、千余のちいさい口々から叫ばれる送別の歌は、はるばる波濤をこえて行くお人形さん達の眼をかゞやかせた、やがてお茶の水附属小学の松本昌子さんはいぢらしい送別の辞をベツテイ・ジヨーゲンソン嬢はお礼の御挨拶を、そして二少女は日米旗の下で固い固い握手をかはした、千余の小さい瞳はひとしくその握手、あのお人形の方にそゝがれる、渋沢子爵とマツクベイ米大使も感慨にみちた挨拶と答礼とをかはして、午後三時折しもけぶる秋雨のうちを散会した
  ○右ニミス・ジャパンヲ大和秀子トセルハ前掲資料ニヨレバ倭日出子トスベキナリ。


渋沢栄一書翰 控 ジョージ・ダブリュー・ウィカシャム昭和二年一一月七日(DK380010k-0009)
第38巻 p.88-89 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 ジョージ・ダブリュー・ウィカシャム昭和二年一一月七日
                      (渋沢子爵家所蔵)
                    (栄一鉛筆・十一月ノ誤カ)
                     十月五日閲了 明六
      案
 紐育市
  ジオジ・ダブルユー・ウヰツカシヤム殿
                   東京 渋沢栄一
拝啓、益御清適奉賀候、然ば御尽力により今春寄贈せられ候親善人形の答礼の為め、人形派遣に決定致候義は予て申上置候処、此程全国各地より夫々到着致候に付、宮殿下方の台臨を奉請、右答礼人形の送別会を開催致、貴国大使閣下を始め千余名の参列者有之、今春の歓迎会に劣らざる盛況を呈し申候
今回当方より派遣の人形は僅に五十八個に有之、曩に御派遣被下候親善人形の多数なるに対し、甚しき少数に候得共、予て答礼の為めに多額の出費無之様との御注意も有之、可相成貴意に副ひ候為め特別の醵金等は不致、親善人形の配布に与りし各小学校の女生徒等が資金を醵
 - 第38巻 p.89 -ページ画像 
集致、今回寄贈の人形の製作費に充てし次第に御座候間、事情御諒承被下度候
右人形引率者に付ては種々協議致候処、当初より深き興味を以て本件に関係せられたる前文部省普通学務局長関屋竜吉氏、今般欧米に於ける教育事業視察の為め、来る十日横浜発航の天洋丸にて出発致候事と相成候に付ては、絶好の都合とし同氏に引率を請ひ、其快諾を得且貴着の上、其れ其れ配布に努力せらるゝ事と相成候、就て同氏貴市拝訪の節は種々御助力願上候義と存候間、百事御厚配被下度同氏並に同氏の代表せらるゝ我国際児童親善会の為め、懇願仕候次第に御座候右御紹介旁々得貴意度如此御座候 敬具
  ○右英文書翰ハ昭和二年十一月七日付ニテ発送セラレタリ。


渋沢栄一書翰 控 シドニー・エル・ギューリック 昭和二年一一月七日(DK380010k-0010)
第38巻 p.89 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 シドニー・エル・ギューリック 昭和二年一一月七日
                     (渋沢子爵家所蔵)
                   (栄一鉛筆・十一月ノ談カ)
                   十月五日閲了 明六
      案
 紐育市
  シドネイ・エル・ギユーリック殿
                   東京 渋沢栄一
拝啓、益御清適奉賀候、然ば我が国際児童親善会に於て、答礼人形作製及派遣準備に付ては、前便御通信申上置候処、此程夫々到着致候に付、昨四日今春親善人形歓迎会開催致候、日本青年館に於て宮殿下方の台臨を仰ぎ、答礼人形送別会を催し、貴国大使閣下を始め千余名出席致、歓迎会に劣らざる盛況を呈申候、今般当方より派遣致候人形は僅に五十八個に有之、曩に御派遣被下候人形の多数なるに対し、余りに少く恐縮至極に御座候へとも、予て御注意の次第も有之、答礼の為めに多額の費用を醸すが如きこと無之様との趣旨を以て、各受領者より寄送者各位に対し、夫れ夫れ直接の御挨拶は為致候も、当親善会と致しても御好意の万分の一に酬度、御注意に基き種々協議の上、今春親善人形の配布に与りし各小学校の女生徒等が、醵金して人形製作費に充つることゝ相成候次第に御座候間、事情御諒恕被下度候、右等人形引率者に付ては種々協議致候処、当初より深き興味を以て本件に関係し、尊台とも屡御交渉致候前文部省普通学務局長関屋竜吉氏、今般欧米に於ける教育事業視察の為め、来る十日横浜発航の天洋丸にて貴国に赴かるゝ事と相成候に付ては、此機会に於て答礼人形を引率せられ貴着の上、其れ其れ配布に努力せらるゝことゝ相成候、関屋氏とは屡々文書を御交換被成候由にて、此際特に老生より御紹介申上ぐるまでも可無之とは存候得共、同氏の懇請も有之一書相付候次第に御座候百事御高配御尽力の程を切望の至に御座候
右御紹介旁得貴意度如此御座候 敬具
  ○右英文書翰ハ昭和二年十一月七日付ニテ発送セラレタリ。ナホ右ニ対スル返書ハ本款昭和二年十二月二十七日ノ条ニ収ム。


答礼の使者として米国へ人形を送りませう 日本国際児童親善会編 第一―一四頁 (昭和二年)刊(DK380010k-0011)
第38巻 p.89-93 ページ画像

答礼の使者として米国へ人形を送りませう
 - 第38巻 p.90 -ページ画像 
            日本国際児童親善会編 第一―一四頁 (昭和二年)刊
    答礼の使者として米国へ人形を送りませう
      米国からのかはいゝ使者
 今年の春でした。太平洋の彼方、――我が日本の隣国――アメリカ合衆国から多数のかはいゝ人形が海を越えて続々と日本に着きましたあの人形は一体何の為に我が国に送られて来たのでせうか。それは
 一、三月三日のお節句のお人形に、仲間入りするために来たのでした。さうして
 二、あの人形は、アメリカ合衆国の子供達の純真な好意と、友情とを伝へる使者として来たのでした。
 あの人形は、米国の世界児童親善会の発起により、彼の国の子供達――主として小学校の児童達からの使者として送られたのでした。あのかはいゝ使者を送るためには、彼の国の子供達は、種々の方法で金を集めて人形を買ひ、女の子は其の着物を縫ひ、男の子と相談して名前を附けたりしました。男の子は其の外に使者の旅行切符を求めたり使者に託する友情の手紙を書いたり、必要な金を集めたりしました。
又学校の先生や児童の父兄などは、彼の国から日本までの旅行の道筋や、使者の行き着く先の日本の事情を調べて子供に話して聞かせたり又子供の色々な仕事を指導し、助力しました。其の外各地方の委員も極力子供の仕事を指導助力しました。
 かうして、かのかはいゝ使者は、其の準備が整ふと、各地方それぞれの招待会や送別会に臨み、子供たちの「さやうなら」の別の挨拶を受けて、いよいよ生れ故郷の米国を出発したのでした。
 ですからあのかはいゝ使者は、もともと作つた人形ですけれど、しかも純真な米国のかはいゝ子供たちの魂が吹込まれてゐます。彼等は単なる人形でなく、本当に生命を持つた使者です。彼等は何れも安全に我が日本に渡航しました。さうして東京を始め、各地の盛んな歓迎会に臨席した後、各其の定められた目的地、即ち皆さんの処へたどり着いたのです。此のかはいゝ使者は、多分皆さんに向つて、米国の子供たちの好意と友情とを伝へ、両国の平和、否、世界平和の為に其の使命を尽くしてゐることゝ思ひます。
      我が国からも答礼の使者を送りたい
 好意と友情とをもたらしたかはいゝ使者が、米国の子供たちから送られたからには、我が国の小学校や幼稚園の児童、即ち皆さんも亦答礼の使者として人形を送るのが、美しい礼儀にも叶ひ、又両国の親善ひいては世界の平和の為に一大貢献をする所以ではありますまいか。
 そこで我が国際児童親善会は、種々協議した結果、皆さんからも亦答礼の使者として人形を彼の国に送つて頂き、彼の国の子供達の好意と友情とを感謝すると共に、併せて日本の子供の溢るゝばかりの真情を伝へさせたいといふことになりました。それには
      どんな人形を送るか、又幾つ送るか
 が第一の問題ですが、先づ人形は毀れ易く永持のしない出来合の物ではいけません。海山幾千里を越えて、無事に、又永く使命を果たす為には、十分に丈夫でなくてはなりますまい。又最も美術的でなくて
 - 第38巻 p.91 -ページ画像 
はならぬと思ひます。我が日本が世界に名声を博した一つの有力な原因は、美術の国といふ点ですから。――お節句のお雛様にしても、美といふことが第一になつてゐます。随つて人形は特別に注文して、十分丈夫に十分美術的に作らせなくてはなりません。
 その着物の如きも、実は皆様の手で造つて頂いた方が遥に趣味深いものになるのですが、それには聊時日が足りないやうに思はれます。ですからそこは衣裳専門の技術家にお任せあつて、その上充分皆様の御希望に添ふやうな着物を調製された方が、よりよき早道かとも存じます。
 又米国から来た人形の数は、一万一千以上にのぼりましたが、今若しそれだけの数を日本から送る事になりますと、とても短い日数では間に合ひかねる事情もあります。
 その多数の製作を忙いだが為に、却つて杜撰なものを造り上げますより、寧ろその数を少くして、巧緻典麗な人形を代表的に渡米させた方が、遥に日本人らしい方法かと思ひます。
日本国際児童親善会は、過日協議した結果こゝに
 特別製の人形を五十個作つて、各道府県の代表者とし、之を米国の四十八州及び一地方(コロムビア地方)に送ること(一個は予備とする)
といふ案を皆さんに提出します。今其の人形に就いて詳しく言ひますと、大体
 (イ)人形は三つ折にして曲尺二尺五寸以上、手足は自由に動かし得るやうにし、全部木彫にして之を塗る。価は一個百五十円ぐらゐ
 (ロ)衣裳は友禅縮緬で作り、下着も揃へます。帯は本金丸帯を一本、其の他一通りの附属品を添へて、価百五十円ぐらゐ
 (ハ)持物として草履・駒下駄・傘・箪笥・鏡台など、これが総べてで価五十円ぐらゐ
の物を作つたら、丈夫といふ点からも、又美術的といふ点からも、略満足し得るものになります。
      何時までに送るか
 米国のかはいゝ使者としての人形は、日本の雛祭、即ち今年の三月三日のお節句に間に合ふやうにといふので、それぞれ準備されたのです。今日本から答礼の使者として人形を送るとしたら、何時向ふに到着するやうにしたら好いでせうか。
 皆さんも多分御承知でせうが、西洋にはクリスマスといふお祭(十二月二十五日)があります。(其の日はキリストの降誕したといふ日で)西洋の子供たちは、此の日お父さんやお母さんなどから種々の贈物を頂きます。人形を貰ふのもあれば、本を貰ふのもある、又平常から欲しがつてゐる玩具などを貰ふのもあります。家では、室内に「クリスマスの木」を飾つて、子供は愉快に遊びます。西洋の子供に取つて、クリスマス程楽しいお祭は恐らく外にありますまい。
 して見ると、日本から答礼の使者として人形を送るには、今年のクリスマスに間に合ふやうにするのが、一番適当だと思ひます。さうすると
 - 第38巻 p.92 -ページ画像 
      支度はかなり急がねばならぬ
 ことになります。人形の製作に就いては日本国際児童親善会にお任せ下されば、九月十日頃迄に人形・着物、其の他持物全部が出来上る見込みです。さうして其の一個づゝを各道府県へ御送りして皆さんに御目にかゝらせます。即ち各道府県の取扱者は、人形が着くと、それから約一ケ月半の期間内に於て、此の人形が各小学校・幼稚園の児童や父兄にお目にかゝることが出来るやう適当の方法を取られます。それが済むと、道府県で人形の送別会が開かれます。かうして人形は十月の末日までに日本国際児童親善会に到着するやう、各道府県を出発しなければなりません。そこで同会では十一月三日の明治節を期して全国的展覧会送別会を東京市で開くやうに致します。
 答礼の使者はそれから大急ぎで、日本を出発する用意をしなければなりません。クリスマス前に、米国の各州に必ず到着しなければならないのですから。
  費用に就いて
以上のやうな計画で進むとすると凡そ次のやうな費用が掛かります。
 一、金壱万七千五百円 人形五十個及び其の衣裳持物等の代金。
 一、金九百四拾円   人形を各道府県に送り、又道府県より東京に到着するまでの諸費用。
 一、金弐千円     人形が日本から米国各州に到着するまでの諸費用。
 一、金参千円     人形の展覧会送別会の費用。
 一、金五百円     印刷物其の他諸雑費。
  合計金弐万参千九百四拾円
  各小学校や幼稚園では何をするか
 米国からのかはいゝ使者を迎へた小学校及び幼稚園では、次のやうな仕事をして頂きたいのです。
 一、女児はめいめい一銭づゝお金を出し合せること。
 「塵も積れば山となる。」と申します。皆さんめいめいから出して頂く一銭の金が集つて、答礼の使命を帯びた人形の代金ともなれば、其の送別会の費用とも旅費ともなるのです。かうして頂けば人形が出来るのも、人形を送るのも、全部皆さんの力によつて出来るのです。決して職人が人形を作るのでもなく、日本国際児童親善会が送るのでもありません。
 附記 学校長及幼稚園長は、右児童の金銭醵出に際し、決して強制的にならぬやう御注意下さい。尚児童の醵金は学校長及び幼稚園長之を取纏め、各道府県の取扱者に御送附あるやう御願ひ致します。
 二、展覧会送別会を開くこと。
 各道府県を代表する人形は、各道府県から皆さんの学校や幼稚園に送られて参ります。其の時は此の人形の為に展覧会や送別会を開いて皆さんの誠心を以て之を迎へ、又其の送別をしてやつて下さい。米国からのかはいゝ使者が、米国の各地を出発する時、彼の国の子供達は会を開いて送別の辞を述べ、唱歌を歌ひ、又人形の持つて行く手紙を
 - 第38巻 p.93 -ページ画像 
読上げ、最後に一番小さい子供が人形に握手して「さやうなら」と挨拶したさうです。実をいふと此の答礼の使者たる人形も、職人の手で作つたまゝでは唯作り物に過ぎませんが、皆さんが熱誠をこめて送別をして下さると、始めて此の人形に魂が吹込まれるのです。即ち皆さんのあふるゝばかりの真情が、此の人形にこめられるのです。かうして始めて人形は生きた使者となつて、米国の子供達に使することが出来るのです。
 三、親善の手紙を書くこと。
 各学校・幼稚園児童の総代は、人形に持たせる親善の手紙を書いて下さい。其の手紙には、米国のかはいゝ使者に対する感謝の意を述べたり、米国の子供たちに対する皆さんの友達としての真情を述べたりするのです。此の手紙は学校から、各道府県の取扱者に宛てゝ御送り下さい。
      人形が米国に着いたら
 答礼の使者として送られる日本の人形は、米国に着くと、米国の四十八州及び一地方(コロムビア地方)の主都に、めいめい送られて行きます。多分各地の子供たちは誠意を以て之を迎へ、皆さんの真情を汲むことゝ思ひます。さうして最後には、多数の人が集合するやうな適当の場所に永く滞在させ、保管されるやうに、目下米国世界児童親善会に交渉してをります。
      道及び各府県に御願ひすること
 道及び各府県の取扱者の方々は、次のやうな仕事をして頂きたいのです。
 一、小学校・幼稚園の醵出金を、八月二十日迄に取纏め、之を日本国際児童親善会に宛て御送り下さること。
 二、各道府県に代表人形が到着したときは、これが展覧会並に送別会に関する適当な方法を講じて頂くこと。
 三、各小学校・幼稚園からの親善の手紙を取纏め、代表人形と共に同時に本会に御送り下さること。
      其の他御注意まで
 答礼の使者の持物として道府県の特産人形、又は玩具等を若干加へて送るのは頗る適当と思ひますが、しかしあまりに沢山になると運搬積込其他送費の関係上、御断りすることもあるかも知れません。
 人形の取扱に際しては、染汚・損傷することのないやう十分に注意して頂きたい。尚汽車便にて輸送せられる場合は、荷造に一層の注意を願ひます。
                    日本国際児童親善会


国際親善人形ニ関スル往復書翰及書類(DK380010k-0012)
第38巻 p.93-94 ページ画像

国際親善人形ニ関スル往復書翰及書類 (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
          (別筆)
          昭和二年十月二十九日於文部省普通学務局長の室委員会開催
    答礼人形送別会次第
○中略
 - 第38巻 p.94 -ページ画像 
  答礼人形展覧場所並展覧人形府県名

 場所      方面      府県名
ほてい屋    東北地方   岩手・宮城・秋田・北海道・樺太
松屋      北陸東山地方 富山・石川・福井・山梨・長野
三越      東海地方   静岡・岐阜・三重・名古屋市・関東州
高島屋     近畿地方   滋賀・京都市・大阪府・兵庫・奈良
白木屋     中国地方   山口
上野松坂屋   四国地方   香川・愛媛・高知・鳥取・広島
銀座松坂屋   九州地方   長崎・大分・宮崎・鹿児島・福岡
児童生活展覧会 関東地方   茨城・群馬・埼玉・千葉・東京市

○下略


国際親善人形ニ関スル往復書翰及書類(DK380010k-0013)
第38巻 p.94 ページ画像

国際親善人形ニ関スル往復書翰及書類 (渋沢子爵家所蔵)
    米国答礼人形ニ関スル計算         明六
一各地小学校女生徒醵出金       二九、〇〇〇円
   内
  人形製作費衣装トモ      二〇、五〇〇円
  府県へ送返運賃         一、七五〇円
  送別会及展覧会諸費       二、五〇〇円
  印刷物               五〇〇円
  東京横浜間運賃荷作費トモ    一、三八〇円
  米国各州ヘノ送附費       二、〇〇〇円
  旅費並予備費            三七〇円
* 合計             二九、〇〇〇円
差引残ナシ
一米国ノ人形発送先ヘ送付スルパンフレツト壱万七千冊
                     三、五〇〇円
  右ハ外務省ヨリ補助
一関屋竜吉氏ヨリ米国ノ親善会ノ主ナル人々ニ、土産トシテ人形ヲ持参スルコト如何、此数凡十個 五十円替 五百円ヲ要ス
**
一関屋ニ同行スル佐々木豊三郎氏ノ為ニ、子爵ヨリ親善会ノ為ニ尽シタル労ヲ慰スル意味ニテ若干ノ餞別ヲ願ハ《(マヽ)》サルヤ、菊地書記官ノ談右ハ金弐百円子爵ヨリ贈与サル
一外ニ関屋竜吉氏ヘ洋行費千円寄贈セラル
*(欄外記事)
 [昭和二年十一月七日菊地書記官来談
**(欄外記事)
 [土産持参ニ及ハサルヘシトノ子爵ノ御意見ナリ 明六



〔参考〕集会日時通知表 昭和二年(DK380010k-0014)
第38巻 p.94 ページ画像

集会日時通知表 昭和二年        (渋沢子爵家所蔵)
十一月八日 火 午後一時 関屋竜吉氏来約(事務所)



〔参考〕(メーリ・エフ・ピアース)書翰 渋沢栄一宛 一九二七年七月二六日(DK380010k-0015)
第38巻 p.94-96 ページ画像

(メーリ・エフ・ピアース)書翰 渋沢栄一宛 一九二七年七月二六日
                    (渋沢子爵家所蔵)
 - 第38巻 p.95 -ページ画像 
                    1108 Ethel Street,
                     Glendale, Calif
                    July 26, 1927
Viscount Shibusawa
  Tokyo, Japan
My dear Sir :
  Your great kindness to Mr. Pierce and myself at the time of our visit to your country in 1925 has always remained as one of our heighest memories of that remarkable experience.And your gracious message at hearing of the death of my husband, was very much appreciated. ―
  We watched with much interest the beautiful reception accorded our American dolls when they last spring went on their visit to the little girls of Japan. ― And now we hear that dolls from Japan are to cross over to bring exchange greetings. This pleases us very much.
  We also hear that probably some one will accompany the dolls and help to give them an introduction to America. ― Perhaps it is not out of place for our Japan Society of Southern California to offer one suggestion at this time.
  You probably know something of the high regard which we have for Prof. and Mrs. K. S. Inui, now in Geneva; for during their stay in our country―Mrs. Inui is American-born ― they greatly endeared themselves to us by their native ability and their great spirit of adaptability to the ways of American people.It would give us pleasure if Prof. and Mrs. Inui could be chosen to receive these dolls of Japan and accompany them upon their journeys.
  Trusting you will understand our earnest desire to co-operate with you in every international eudeavor, and deeply appreciating all your high service for humanity everywhere, I am, my dear Viscount Shibusawa,
  Most cordially and
             respectfully yours,
   (Mrs. C. C. Pierce)  (Signed) Mary F. Pierce
(右訳文)
                        (別筆)
               (九月十三日入手) 11/11 明六
 東京市
  渋沢子爵閣下
       加州、クレンデール、一九二七年七月廿六日
                 メーリー・エフ・ピアース
                (シー・シー・ピアス未亡人)
拝啓、益御清適奉賀候、然ば一九二五年貴国訪問の際、私共夫妻が閣下より多大の御厚意を忝ふしたるは、右旅行中の最も光輝ある記憶の
 - 第38巻 p.96 -ページ画像 
一として、常に念頭を去らざる処に有之候、猶ほ良人死去の際には御懇篤なる御弔詞を忝ふし、深く御礼申上候
今春米国の人形が日本の少女のもとを訪れ候際、盛大なる歓迎会を御催被下候は、私共の最も嬉しく感ずる処に御座候、又日本の人形が答礼の為め太平洋を渡り候趣を承り、深く欣喜罷在候
右人形には附添人を附せられ、遥に米国へ渡らるゝ由に御座候処、右に対し我南加日本協会より進言致候は、必ずしも無益には可無之と存候、目下ゼネバに滞在中の乾精末氏夫妻に対し、私共が深厚なる敬意を表し居り候事に就ては、多分御承知の事と存候処、同夫妻は資性惇厚にして且つ大いに米国化せられ居候へば、当地に在住中一同より敬慕せられ候、若し乾教授夫妻が選ばれ―夫人は米国生れの方に候―日本人形を受け、之れを携へて我国に渡来相成候はゞ、欣快之れに過るもの無之候
私共はあらゆる国際事業の為めに閣下と御協力申上度、熱望致居候義を御諒解被下候事と存候、猶ほ人道の為めになされたる崇高なる御尽力に対し、敬意を奉表候
右得奉貴意度如此御座候 敬具


〔参考〕(イー・シー・ベロース外六名)書翰 渋沢栄一宛 一九二七年八月八日(DK380010k-0016)
第38巻 p.96-98 ページ画像

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