デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
4節 国際記念事業
3款 玉泉寺本堂修繕
■綱文

第38巻 p.432-437(DK380042k) ページ画像

大正14年5月13日(1925年)

是日栄一、日米協会会長徳川家達ニ書翰ヲ発シ、静岡県下田在柿崎ノ玉泉寺本堂修繕ニ関シ、同会ヨリ寄付金ノ補助ヲ希望ス。


■資料

玉泉寺本堂修繕ニ関スル書類(DK380042k-0001)
第38巻 p.432 ページ画像

玉泉寺本堂修繕ニ関スル書類       (渋沢子爵家所蔵)
粛啓、安政年間下田開港ノ事ハ、我国ノ文化史上一新期限《(紀元)》ヲ劃セルモノニシテ、又其附近玉泉寺ハ実ニ米国総領事タウンセント・ハリス氏ガ米国総領事館ノ旗ヲコヽニ掲ゲ、我国ニ於ケル外国領事館ノ嚆矢ヲ為セルモノナルコトハ別紙趣意書ニ記セル通リニ有之候、ハリス氏ハ当時列国ノ間ニ斡旋シ、我国ニ取リテ比較的有利ナル条約ノ締結ニ尽力セラレ、其後職ヲ罷メテ帰国セラレタル後モ常ニ我国ノ条約改正事業ニ注目シ、我国ノ為メニ満腔ノ同情ヲ表セラレタルハ世ノ知ル所ニ有之、サレバ我国人タルモノハ今日ニ於テモ氏ノ厚意ニ対シテ探ク謝スル所ナカルベカラズト存候、而シテ氏ガ玉泉寺ニ起臥セラレタルハ三星霜ノ久シキニ亘リ、其因縁浅カラズ、氏ノ記念トシテハ玉泉寺ニ過グルモノ無之ト存候
サレバ寺ノ現住職村上文機氏ハ、ハリス氏ノ為メニ長ク玉泉寺ヲ保存セントノ計画ヲ立テ、目下熱心ニ奔走セラレ、生等地方人モ大ヒニ賛成ヲ表シ、微力ヲ効シ居候次第ニ御座候
側カニ承ル所ニヨレバ、閣下ニハ這般ノ挙ニ多大ノ御同情ヲ寄セラレ候由、生等地方人ノ感激措カザル所ニ御座候、当時檀家トシテハ既ニ此挙ニ対シテ寄附ヲ申出タル金額三千円ニ達シ、尚生等ハ此上約二千円ヲ当地方ニ於テ募集致スベキ心組ニ御座候
願クハ、閣下ニ於テハ文機氏及生等微意ノ在ル所ヲ諒トセラレ、コノ遺跡保存ノ事業ヲ成シ、以テハリス氏ニ対スル我国民ノ謝意ヲ、現実ニ表センガ為メ精々御配慮ヲ仰ギ度、一同懇願ノ至リニ不堪候
                         頓首敬白
  大正十三年六月
                玉泉寺檀家総代
                    鈴木仙蔵(印)
                    土屋定吉(印)
                    和泉竹次郎(印)
                    増田由蔵(印)
                浜崎村長
                    小沢万蔵(印)
                下田町長
                    金沢藤左衛門(印)
    子爵 渋沢栄一閣下
 - 第38巻 p.433 -ページ画像 

豆州玉泉寺保存ノ趣意書(DK380042k-0002)
第38巻 p.433-434 ページ画像

豆州玉泉寺保存ノ趣意書         (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
曹洞宗瑞竜山玉泉寺ハ伊豆半島ノ極南下田町ヲ距ルコト東南約拾余町ナル柿崎ニ在リ、然ルニ此ノ寺ヤ当時真言宗ノ精舎タリシモ、天正年間当寺開山一嶺俊栄和尚ノ改宗ニ由リ斯ニ初メテ一ノ禅寺トハナレリ而シテ爾来年ヲ閲スルコト三百有余年、代ヲ累ヌルコト二十五世、徳川幕府末葉ニ際シ、米国使節彼理来航シテ日米和親条約ヲ締結シ、安政元年此ノ下田港ノ開カレテ欠乏所ノ設置アルヤ、欧米各国ノ船舶此処ニ出入シ、初メテ我ガ国外国貿易ノ端ヲ開ケリ、而シテ当玉泉寺ハ米国使節ノ休憩所ニ充テラレシガ、安政三年七月二十一日米国総領事『タウンセント・ハリス』氏、来リテ此処ニ駐在センコトヲ求ムルニ及ビ当寺ヲ修理シテ仮領事館ト定メ、同年八月九日玆ニ米国総領事旗ヲ掲揚セリ、是レ実ニ我国ニ於ケル最初ノ領事館ニシテ、当寺二十世眉毛和尚ノ時ナリキ、斯クシテ領事館ノ此ノ地ニ存在スルコト実ニ三星霜余ニ亘リ、其ノ間ニ於ケル珍事異聞ハ名主浜田与平治氏ノ日記ニヨリテ之ヲ詳知スルヲ得ベシ、然ルニ安政六年下田港廃セラレテ此地復タ昔日ノ観ナキニ至リシ後ハ、当寺モ亦時勢ノ然ラシムル所トナリ先代翠翁和尚ノ頃ヨリ寺運漸ク艱難ノ状ニ陥リ、庫裡・位牌堂並ビニ梵鐘堂等スベテ逐時頽廃ニ委シ、辛ジテ一宇ノ本堂ヲ存スルノミトナレリ、而カモ其一隅ヲ以テ住職ノ居ニ充ツルノ止ムナキニ至リテハ、当時ヲ偲ビ当寺ヲ想像スルコトスラモ難キ時ノ来ランヤモ測リ難ク、誠ニ憂慮ニ堪エサルナリ、念フニ元ヨリ此ノ地トイヒ此ノ寺トイヒ、我国近世ノ文明ニ取リテ揺籃ノ地タルコトヲ思ハバ、之ヲ啻ニ豆州ノ一寒村トシテ軽視スベク、又此ノ寺ヲ洞門ノ一小庵トシテ等閑ニ付スベキモノニモ非ズ、寧ロ日本ノ柿崎日本ノ玉泉寺ト称セラレテ然ルベキニ灯台ノ下暗キハ一面ノ真理ナルカ、却テ海外諸国ノ間ニノミ多ク喧伝セラルヽニ至レリ、加フルニ、南豆一帯ノ沿岸至ル所奇景勝地ニ富ミ、気候温和ニシテ霜雪稀ニ、温泉各所ニ湧出シ、山海又無限ノ利アルニモ拘ラズ、交通ノ不備ハ、為ニ荊棘途ヲ埋メテ人煙稀ニ到ル所空シク松籟水声ト相和スルノミニシテ、久ク世人ノ閑却ニ委セラレタリ、然ルニ時代ノ進歩ト時勢ノ変遷トニ由リ、水陸ノ交通漸ク備ハリ貴紳墨客ノ此ノ地ニ来リ、遺跡ヲ探リ勝地ヲ尋ヌル者年ヲ逐フテ多キヲ加ヘ、観覧ヲ求ムル者踵ヲ継テ来ル、殊ニ米国大使館ニ於テハ毎歳五月三十日ヲ期シ、堂側ニ在ル軍医官『ゼームス・ハミルトン』氏以下四基ノ墓ニ詣デ、香華ヲ手向ケ茶菓珍饈ヲ供献シ、慇懃ニ同胞ノ英霊ヲ弔祭スルヲ例トセリ、然ルニ現下当寺ノ状況上述ノ如クナルヲ以テ、館員ノ来ルモ迎フルニ所ナク、外客ノ集マルモ語ルニ席ナク、落莫ノ観ヲ覚ユルハ誠ニ遺憾ノ至リニ堪ヘザルナリ
是ニ於テカ不慧文機等、大方ノ賛成ヲ得テ広ク世人ノ同情ニ訴ヘ、其ノ援助ヲ俟テ当寺ノ修築ヲ完フシ、以テ我国文化ノ揺籃タル遺跡ノ保存ヲ図ランコトヲ期ス、希ハクハ江湖ノ諸彦此ノ微衷ヲ諒トシ、一臂ノ力ヲ添ヘラレンコトヲ
  大正十三年七月
               玉泉寺住職  村上文機和南
 - 第38巻 p.434 -ページ画像 
               賀茂郡長   鈴木勝太郎
               下田町長   金沢藤左衛門
               浜崎村長   小沢万蔵
               同寺檀徒総代 増田由蔵
               同      和泉竹次郎
               同      土屋定吉
               同      鈴木仙蔵
   募集規定
一、寄附金ハ玉泉寺本堂其他ノ修繕、記念物ノ保存並ニ庫裡建築ノ資金ニ充ツ
一、寄附金額ハ制限ヲ設ケズ
一、寄附金ノ払込ハ一時及年賦(二ケ年以内)ノ二種トス
一、寄附金ハ払込ノ都度仮領収証ヲ以テ授受シ、追而玉泉寺住職及同寄附金管理委員ノ領収証ヲ発行ス
一、寄附金ハ株式会社下田銀行(静岡県賀茂郡下田町)株式会社日本興業銀行(東京市麹町区永楽町)ニ預ケ入レ保管スルモノトス
一、寄附者ヘハ玉泉寺住職ヨリ感謝状ヲ発行ス
          静岡県賀茂郡浜崎村
               玉泉寺住職  村上文機
          寄附金管理委員
               東京     綾井忠彦
               東京     前橋孝義
               浜崎村長   小沢万蔵
               下田町長   金沢藤左衛門
          事務所ヲ左記ニ置ク
            東京市四谷区片町五〇番地(電四谷一三七七)
                      前橋孝義方
            静岡県賀茂郡浜崎村柿崎
                      玉泉寺内
    賛助員(順位不同)
子爵 渋沢栄一閣下 ○外五十二名氏名略


玉泉寺本堂修繕ニ関スル書類(DK380042k-0003)
第38巻 p.434-435 ページ画像

玉泉寺本堂修繕ニ関スル書類       (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
拝啓、益御清適奉賀候、然ハ伊豆国下田町の東南柿崎の玉泉寺ハ辺陬の一小寺に候処、安政開国の初、米国総領事タウンセント・ハリス氏の駐剳によりて、最初の外国使臣館となり遠く海外にまで名を知らるるに至り候、ハリス氏は御承知の如く勇敢真摯の士にして、当時世界の大勢に疎き我国に対しても威圧を加ふるが如きことなく、隠忍持久三年の久しきに亘りて誘導啓発し、極めて公平なる通商条約を締結し以て後来諸外国をして其矩范を超ゆる能はざらしめ候のみならず、爾来頻発せる幾多外交上の葛藤に対しても、能く我が国情を察して常に懇切穏当の態度を持し多大の便益を得せしめたる、申さば我が開国の恩人に御座候、然るに横浜の開港と共に下田港閉鎖せられ米国国旗徹
 - 第38巻 p.435 -ページ画像 
去せらるゝに及びて、玉泉寺は復た昔日の寒寺となり了り、爾来六十余年の星霜を経て幕末維新史上忘るべからざる此遺跡も、甚しく荒廃致し徒に雑草に埋るゝことゝ相成申候、同寺の住職檀家並に関係郡長町村長等深く之を慨し、今回汎く貲を募りて堂宇を旧観に復し、以て永く後世に伝へんことを謀り、老生の賛助を求められ候、老生は現今日米国交上の関係に鑑み、坐に感慨已み難きもの有之、如何にもして其計画を成就せしめ度と存候間、誠ニ勝手之御願に候へども何卒御会ニ於て此挙を賛せられ、右復旧費御補助被成下度、特に御依頼申上候
                            敬具
  大正十四年五月十三日          渋沢栄一
    (宛名手書)
    日米協会会長 公爵 徳川家達 殿
追啓、本文の復旧費ハ東京に於て金壱万円を募集致度趣に有之、即ち小生の寄附金壱千円を差引残金九千円也、御会より御補助を仰ぎ度存念ニ御座候、尚本件ニ付御用之儀も有之候ハヾ、玉泉寺住職並に関係者何時ニても参上可仕候


玉泉寺本堂修繕ニ関スル書類(DK380042k-0004)
第38巻 p.435 ページ画像

玉泉寺本堂修繕ニ関スル書類       (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、愈々御清適奉賀候、陳者安政開国最初の米国総領事タウンセンド・ハリス氏の駐箚せる、伊豆国柿崎の玉泉寺修理保存に対する基金募集方ニ付、本月十三日附にて縷々御申越の趣致敬承候、御来示の趣旨ニ基き不日当協会執行委員会を開き、御希望ニ副ふ様取斗度と存候ニ付、右横御承知被下度此段不取敢御回答申進候 敬具
  大正十四年五月二十日
            日米協会々長 公爵 徳川家達
   子爵 渋沢栄一殿
 追而執行委員会開会の際、参考の為め予め承知致置度事項も御座候ニ付、玉泉寺住職又は関係者中便宜の際、帝国ホテル内日米協会武田主事まで御出向相成候様、御取斗相願度、此段申添候


(日米協会)邦文記録 第四号(DK380042k-0005)
第38巻 p.435-437 ページ画像

(日米協会)邦文記録 第四号     (社団法人日米協会所蔵)
大正十四年度
    第九、幹事会
一、時日  大正十四年六月四日午后二時
二、場所  帝国ホテル
三、出席者 樺山副会長 ○外二名氏名略ス
決定書項
 (一)、渋沢子爵申出ノ伊豆玉泉寺修理寄付金ニ関スル件ハ、執行委員会ノ議ニ付スル事
○中略
    第二十二、第四十二回執行委員会
一、時日   大正十四年八月三日午後四時
二、場所   帝国ホテル
三、司会者  会長徳川公爵
四、出席者  徳川会長 ○外十五名氏名略ス
 - 第38巻 p.436 -ページ画像 
五、○中略 決定事項左ノ如シ
 (A)○略ス
 (B)伊豆下田玉泉寺修理費醵金ニ関スル件
米国最初ノ駐日使節「タウンセンド・ハリス」ノ根拠地タリシ、玉泉寺修理費寄附ニ関シ、樺山副会長ヨリ役員側ノ意向ヲ述ブル所アリ、次テ阪井委員ヨリ本件ニ関シ渋沢子爵トノ間ニ往復セル行懸リニ付テ述フル所アリ、結果姉崎委員ノ提言ニ対シ、宮岡委員○恒次郎ノ「セコンド」アリ、左ノ如ク決定ス
 (一)玉泉寺ノ修理ハ急ヲ要スルモノナルヲ以テ、先ツ本協会ニ於テ主宰シ、一万円ニ達スル程度ニテ会員間ヨリ寄附ヲ募集シ
 (二)右寄附金ノ余剰又ハ更ニ寄附ヲ募集スルノ余地アラバ「タウンセンド、ハリス」ノ為メニ紀念碑ヲ建立スル事
    第二十八、幹事会
一、時日   大正十四年八月二十六日午後十二時半
二、場所   日本工業倶楽部
三、出席者  樺山伯爵 ○外三名 氏名略ス
四、決定書項
 (一)玉泉寺修理寄附金募集ニ関シ、役員ノ外執行委員中ヨリ七名ノ相談役ヲ加フル事、右相談役ハ徳川会長ヨリ阪谷男爵、阪井徳太郎氏、姉崎正治博士、宮岡恒次郎氏、Prof. Swift, Mr. D. H. Blake, Dr. Teusler七氏ヲ指名スル事
○中略
    第三十二、第四十三回執行委員会
一、時日   大正十四年十月三十日午後四時
二、場所   帝国ホテル
三、司会者  会長徳川公爵
四、出席者  徳川会長 ○外九名 氏名略ス
五、○中略
 (5)、玉泉寺修理寄附金状況報告
   樺山伯右寄附金ノ現状ニ付報告スル所アリ、フレザー副会長ヨリ本寄附金ハ在紐育Japan Societyニモ通知シ、援助ヲ乞ハレテハ如何トノ提言アリ、樺山副会長ヨリ本寄附金ノ日本ニ於ケル結果ヲ見タル上ニテ決定スルモ遅カルマジトノ回答アリ
○中略
    第三十九、第四十四回執行委員会
時日   大正十四年十一月三十日午後五時三十分
場所   貴族院議長官舎
司会者  徳川会長
出席者  徳川公爵 ○外十四名 氏名略ス
決議事項
○中略
四、玉泉寺修理基金報告、樺山副会長ヨリ今日迄ノ経過報告アリ、尚同副会長ノ発言ニ依リ、武田主事○円治ヲ同寺ニ派遣シ実況ヲ調査セシメタル上、基金処分ニ関シ最後ノ決定ヲナスコトニ決ス、午後六
 - 第38巻 p.437 -ページ画像 
時三十分閉会
    第五十一、第四十五回執行委員会
時日   大正十五年一月二十八日午後四時
場所   貴族院議長官舎
司会者  徳川会長
出席者  徳川公爵 ○外十六名氏名略ス
決議事項
○中略
五、玉泉寺修理寄附金募集継続ノ件
 樺山副会長ヨリ同寄附金ノ経過報告アリ、尚一月初メ武田主事ヲ下田ニ派シ、実地調査ノ結果ニ依リ同寄附金ヲ更ニ継続シ、少ナクトモ七千円迄ヲ募集スル方針ナルヲ説明スル所アリ、堀越○善重郎・宮岡両委員ヨリ既ニ寄附ヲナシタル人ニ対シテモ、五割程度ノ再寄附ヲ募集スルノ可ナル旨提言アリ、フレザー委員ノ説ニ依リ再ヒ会員全部ニ対シ、寄附申込方懇請スルコトニ決定ス
○下略


(阪井徳太郎) 書翰 増田明六宛 (大正一四年)八月三日(DK380042k-0006)
第38巻 p.437 ページ画像

(阪井徳太郎) 書翰 増田明六宛 (大正一四年)八月三日
                    (渋沢子爵家所蔵)
                  (別筆)
                  一四、八、六返事済
拝啓、時下愈々御清祥の段奉賀候、陳者豆州下田玉泉寺復興資金の儀ニ付き、疾く御返事差上可申筈の処、実ハ其後日米協会の委員会も無之、段々と遅れ居り申候処、漸く今日委員会開催ニ付き右件を相談致し候結果、日米協会ニて正式ニ各会員ニ勧誘し募金する事と決定致し候ヘハ、左様御承知被下度奉願候、目的金額ハ約壱万円位と承知致し居り候間、左様緒君の了解を得置き申候、猶書余ハ拝眉の上万々可申上候 匆々頓首
  八月三日             阪井徳太郎
    増田明六様