デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
4款 中華民国国民党党首孫文歓迎
■綱文

第38巻 p.571-577(DK380062k) ページ画像

大正2年2月15日(1913年)

是月十四日、栄一、中華民国国民党党首孫文ノ来日ヲ新橋駅ニ迎フ。是日、東亜同文会主催ノ歓迎会、華族会館ニ開カレ、栄一出席ス。以後其歓迎会又ハ会合数次ニ亘ツテ催サル。即チ是月十七日栄一孫文ヲ帝国ホテルニ訪ヒ、同夜支那公使館ニ招宴アリ、栄一出席シテ演説ヲナシ、十八日日本郵船株式会社主催歓迎会、二十日三井物産株式会社主催歓迎会開カレ、栄一出席ス。二十一日夜実業家聯合ニヨル歓迎会ニ栄一出席シテ演説ヲナス。二十三日青年会館ニ於ケル歓迎会、二十五日大隈重信主催歓迎会、同夜東京市主催歓迎会等アリ、栄一ソレゾレ出席ス。特ニ日支合弁会社設立ニ関シテハ二月二十一日渋沢事務所ニ孫文・戴天仇・益田孝・山本条太郎等会合シテ覚書ヲ作成シ、二十五日之ヲ大蔵省勝田次官ニ示シ、更ニ三月一日三井集会所ニ関係者ト協議、原案ノ賛成ヲ得、三日同所ニ孫文・益田孝・大倉喜八郎・山本条太郎ト協議シ、四日重ネテ同所ニ孫文・益田孝・山本条太郎ト会合、中国ニ於ケル貨幣制度・銀行組織ニツキ会談ス。同日夜、帝国ホテルニ孫文留別会開カレ、栄一マタ出席ス。五日孫文帰国ニ際シ、栄一新橋駅ニ送別ス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正二年(DK380062k-0001)
第38巻 p.571-573 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正二年           (渋沢子爵家所蔵)
二月十四日 晴 寒
○上略 夜食後中野氏ト同シク孫逸仙氏ノ来着ヲ迎フル為メ、新橋停車場ニ抵リ、十時頃帰宿ス、後新聞紙ヲ一読ス
二月十五日 曇 寒
○上略 午後五時過キヨリ華族会館ニ抵ル、孫文氏渡来ニ付東亜同文会ニ於テ其歓迎会ヲ開催シタルナリ、来会者百五十名許リ、清浦子爵司会ス、食卓上歓迎ノ詞アリ、孫氏答詞ス、宴了リテ孫氏ノ演説アリ、日支両国ノ親善ヲ企望シ、将来東洋ノ平和ト東西洋ノ均衡ヲ維持センニハ、切ニ日支両国ノ協力連携ニ待タサルヘカラサルノ趣旨ヲ反復セラル、其衷情ヨリ発スル切実ノ言詞タルヲ覚フ
  ○中略。
二月十七日 晴 寒
○上略 午前十時帝国ホテルニ抵リ孫文氏ヲ訪問ス、何天炯氏ノ通訳ニテ時事及経済上ノ談ヲ為ス○中略 事務所ニ抵リ庶務ヲ処理ス、山本条太郎
 - 第38巻 p.572 -ページ画像 
氏来リ、孫氏会談ノ要件ヲ談話ス○中略 午後六時半支那公使館ノ招宴ニ出席ス、孫文氏渡来ニ付紹介ノ為メニ開催スルモノナリ、食卓上公使及孫氏ノ演説アリ、余モ一場ノ答詞ヲ述ヘ、夜九時過散会帰宿○下略
二月十八日 晴 寒
○上略 阪谷氏ト共ニ日本橋倶楽部ニ抵リ、日本郵船会社ニ於テ開催スル孫文氏歓迎ノ宴ニ出席ス、席上加藤正義氏ノ挨拶、孫氏ノ答詞、大隈伯ノ演説アリ、夜十時頃散会ス
二月十九日 小雨 寒
○上略 午前十時大蔵省ニ抵リ、勝田次官ニ面会シテ孫文氏会見ノ事ヲ協議ス○下略
二月二十日 晴 寒
○上略 山本条太郎氏ト電話ヲ以テ、孫文氏ト明日会見ノ事ヲ打合ハス、○中略 午後六時三井集会所ニ於テ物産会社ノ開催スル孫文氏歓迎会ニ出席ス、夜飧後席画ノ余興アリ、夜十時過散会帰宿ス○上略
二月二十一日 雨 寒
○上略 九時半事務所ニ抵リ書状ヲ認ム、十時過益田孝氏来話ス、十二時頃孫氏来訪セラル、又戴天仇・山本条太郎氏ト共ニ来会ス、蓋シ孫氏ハ十時ニ訪問ノ約ナリシモ、陸軍学校ヲ訪問セシ為メ遅引ノ由ナリ、依テ益田氏・山本氏ト共ニ種々ノ談話ヲ為ス、日華合弁事業ニ付両方ノ意見ヲ交換ス、一時一同午飧ヲ共ニシ、食後更ニ協議シ、追テ覚書ヲ作リ、再応評議スヘキ事トス○中略 五時保険協会ニ抵リ、実業家聯合ナル孫氏歓迎会ニ出席シ、余興畢テ食卓上一場ノ演説ヲ為シ、孫氏及汪公使・胡瑛氏等ノ演説アリ、賓主歓ヲ尽シ、夜十一時過散会ス
  ○中略。
二月二十三日 晴 寒
○上略 午飧後青年会館ニ抵リ、孫文氏歓迎会ニ出席ス○下略
  ○中略。
二月二十五日 雪 寒
○上略 午後一時大蔵省ニ抵リ、勝田次官ニ面会シテ日華合弁会社創立ニ関スル日論見書草案ヲ交付ス、二時大隈伯邸ニ抵リ、孫文氏歓迎会ニ出席ス、伯爵・孫氏共ニ演説アリ、畢テ午後五時紅葉館ニ抵リ、東京市主催ノ孫氏歓迎会ニ出席ス、余興数番アリ、饗宴頗ル盛ナリ、夜十時散会帰宿ス
  ○中略。
三月一日 曇 寒
○上略 十時三井集会所ニ抵リ、日華合弁会社設立ノ一案ニ付会同ノ諸氏ト協議ス、来会者皆原案ヲ賛成ス○下略
  ○中略。
三月三日 曇 寒
午前七時起床、入浴シテ朝飧ヲ食ス、後浅野総一郎氏来訪ス、共ニ自働車ニテ三井集会所ニ抵リ、孫文氏ト日支合弁会社設立ノ事ヲ協議ス申合書ノ草案ニヨリテ逐条ヲ談判ス、益田孝・大倉喜八郎・山本条太郎氏来会ス、十一時半談話畢テ散会ス○下略
三月四月 晴 寒
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○上略 午前九時三井集会所ニ抵リテ、孫文氏ト支那貨幣制度及銀行組織ノ事ニ付談話ス、先ツ帝国ニ於ル両制度実施ノ沿革ヲ詳述シ、支那将来ノ夢ニ付種々ノ談話ヲ為ス、益田孝・山本条太郎ニ氏来会ス、十一時半談話畢リテ散会ス○中略 午後六時帝国ホテルニ抵リ、孫文氏ノ留別会ニ出席ス、来会者六十人許リ頗ル盛会ナリ、食卓上孫氏及清浦氏ノ演説アリ、夜十時過散会帰宿ス○下略
三月五日 晴 寒
○上略 午前十時新橋停車場ニ抵リ、孫文氏帰国ヲ送別ス○下略


竜門雑誌 第四八九号・第八八―九〇頁 昭和四年六月 陳煥章氏来訪(DK380062k-0002)
第38巻 p.573-574 ページ画像

竜門雑誌 第四八九号・第八八―九〇頁 昭和四年六月
    陳煥章氏来訪
  孔教総会長・孔教大学校長たる陳煥章氏は、六月一日午前九時日華学会主事中川義弥氏と同伴、青淵先生を曖依村荘に訪ね、左の如き談話を交したる後、十時二十五分辞去した。
陳氏「早速御訪ねする筈でありましたが、服部博士から御不快と聞きましたので遠慮致して居りました次第です」
先生「笠井君からの紹介状拝見いたしました、老人のこととて時々病気に罹りまして引籠ります」
○中略
先生「昔語りとなり歎息になりますが、孫中山先生が大正元年に革命を遂げて日本を訪ねられた時、お目にかかり、私は戴天仇氏の通訳でいろいろお話を致しましたが、特にこう申しました、日本と貴国とは国情は相違するけれども、道徳の根本は共に孔子の教を遵奉して居る、又文字も同様であり、従つて人情も非常に似て居ります、そして共に東洋に隣して国を為して居るのでありますから、これから先世界から侮られず、お互に尊敬される国にならなければならぬ それにはどうしても中華民国と日本とが経済的に道徳的に結びつかねば完全たり得ないでありませう、由来貴国は二つになり三つになり、時には八つにも分れて相争ふ弊が多い、勿論歴史上貴国のみがさうであると申す訳ではないが、国内に於て相争つてはよいことはない、故に貴国は昔からの孔孟の教へを以て、政治のみでなく経済も進め、道理によつて国の安寧と富強とを図らねばなりません、聞く処によると貴方と袁世凱との仲が面白くないと云ふことであるが前申す通り国内で相争ふのはよろしくないから、政治の方は袁に委ね、貴方は専ら経済の発展に尽されたらどうか、当時孫先生は鉄道総裁のやうな役に就いて居られたから、一歩を進めて経済界の為めに努力し日本と提携してやらねばならぬ、それには日支合同の大会社を作らうと云ひました処、先生も然りと答へ、二・三度その協議に打寄つたことがあります、そして一つの会社たる中日実業株式会社の創立を進めました、処がその事を約束してから孫氏が帰国の途につかれ、長崎まで行かれた時に宋教仁が上海で暗殺せられたと聞いたとかで、袁が刺客を使つて自分の腹心の者を殺すやうでは、手を握つて進むことは出来ないと大いに憤り、直に私の処へ書を寄せて「会社設立の事をお約束したが、政治を袁に譲つて自分は経済上
 - 第38巻 p.574 -ページ画像 
の事ばかりやつて居られぬから悪しからず」と断つて寄こされました。その後此の会社は北京の方即ち袁との間に成り立ち、兎に角経済上相助けると云ふ形造りは出来たけれども、その後の経営は面白くない模様であります、孫先生は次の革命には失敗せられ、亡命的に日本へ来られた時、私を訪ね、革命のために必要だから金の心配をしてくれと申されましたが、政治のことは私の領分でなく、その方面に力がないからお断りしました、そして事業経済上の事柄なら心配し得られるが、戦争に使ふ金はどうもならぬ、と前の時の話をしたやうな次第でした○中略 それにつけても新聞で見ると、孫先生の遺枢祭が今日行はれて居る様子、国民党の人々から尊敬せられる徳望の高いことには敬服いたします」○下略


東京日日新聞 第一三〇〇三号 大正二年二月一〇日 ○孫逸仙氏歓迎会(DK380062k-0003)
第38巻 p.574 ページ画像

東京日日新聞 第一三〇〇三号 大正二年二月一〇日
    ○孫逸仙氏歓迎会
孫逸仙氏の来朝を期とし、東京商業会議所にては歓迎会を開き、日支国交の親善に資せんとするの議あり、八日午後商業会議所に近藤男・中野・大橋・白岩氏等相会し相談の結果、愈二十一日東京商業会議所都下銀行・大会社・実業界有志等三十余名発起となり、孫氏を主賓として汪公使・胡瑛氏等を陪賓とし、歓迎晩餐会を開くことに決せり


東京日日新聞 第一三〇二二号 大正二年二月一九日 ○郵船の孫氏招筵(DK380062k-0004)
第38巻 p.574 ページ画像

東京日日新聞 第一三〇二二号 大正二年二月一九日
    ○郵船の孫氏招筵
日本郵船会社は、十八日午後四時より日本橋倶楽部に孫文氏一行を主賓として、支那代表者及び大隈伯・鍋島侯・岩崎・渋沢両男、其他重なる実業家を招請晩餐会を開く


竜門雑誌 第二九八号・第五三―五四頁大正二年三月 ○実業家の孫文氏招待会 生命保険会館に於て(DK380062k-0005)
第38巻 p.574-576 ページ画像

竜門雑誌 第二九八号・第五三―五四頁大正二年三月
    ○実業家の孫文氏招待会
      生命保険会館に於て
三井・三菱・日銀・正金・興銀・勧銀・第一・十五・第百其他府下有数の大会社・銀行、四十四の発起に係る孫文氏並同一行の歓迎晩餐会は、二月二十一日午後五時より有楽町の生命保険協会々館に於て開催せられたり、予定の如く先づ数番の余興ありて、七時食堂開かれ、デザートコースに至るや、青淵先生は主人側を代表して左の歓迎の辞を述べたり
 東京市に於て実業に従事するもの相謀り、孫中山氏並に胡瑛・汪大燮氏等を御招待したる所、御繰合の上御来臨を忝ふしたるは一同の大に光栄とする所なり、而して我々は従来屡々貴国人と会合したることあるも、今夕の如く、同文同種を事実に顕はしたることなし、惟ふに孫中山氏の過去に於ける御苦心は、尋常のことに非らざるを思はしめ、又た今次御来朝に依り御高説を承りて、如何に民国の政治改革に尽力奮闘されたるかを窺知するに足る、惟ふに国の隆盛は勿論政治上の改革に俟たざるべからざるも、併し之に伴ふ実力の発展なかるべからず、換言すれば今や民国は政治上の改革を為したる
 - 第38巻 p.575 -ページ画像 
も、更に此改革の実を挙ぐるには須らく実業上の発達を図らざるべからず、而して日本は千数百年来支那より大に文物を輸入し、兄仕する所ありたるも、今や実業上の方面に於ては一歩の長を為せり、殊に今夕玆に集れる諸氏は恐らく日本の有ゆる事業に従事し、維新以来実業上に多大の経験を有すれば、今後貴国に於ける実業上の発展に就て、決して助力を惜まざるべし、而して実業上の発展は長年月を要するも、数十年の後には貴国の実業界は恐らく一変するを疑はず、斯くして日支両国は政治上のみならず実業上にも互に手を携へて、所謂唇歯輔車の実を挙んことを期すると共に、帰国後は我実業家が斯る精神を有することを、貴国民に伝へられんことを望む
と結び、右に対し孫中山氏は喝采の裡に大要、左の答辞を述べたり
 予は従来政治上に奔走し、漸く其素志を達したるを以て、今回来朝し斯く多数の日本知名の実業家と一堂に会するを得たるは、予の最も光栄とする所なり、今渋沢男の云はるゝ如く実に実業上の発展は啻に政治上の進歩に必要なるのみか、正に人道の根元を為すものなり、而して実業上の進歩発展には国境なきも、白哲人は動もすれば日本と支那の実業上の進歩を喜ばざるは、畢竟するに右両国が進歩すればする丈け、東洋に於ける欧米人の実業上の勢力が失墜するを恐るが故なり、併し這は甚だ誤るものと云はざるべからず、而して日支貿易が日米貿易に若かざる所以のものは、米国の富が支那の富より豊富なるに依る、併し一歩進めて考ふるに支那の経済界が発達せざれは、勢ひ日本には少なからざる不利益を来たすと同時に、日本の実業発達は更に民国を利するを以て、日支両国の貿易関係は決して軽少の問題に非らず、而して今支那に於ける実業上の進歩力を測定するに、全支那至る所に鉱物・農産物の如き天産物多き上に、数億の民衆を有して労力頗る豊富なれば、民国は必ず富有ならざるべからざるに、惜むらくは此富源を開発すべき鍵、即ち実業の経営方法を知らざるなり、故に此鍵を手に入れば民国の富は直ちに開発さるべし、然るに民国には政治及法律の不完全と、条約上の妨害に依りて直ちに此鍵を手に入れ難し、最も前者は今次の改革に依りて其病根を断絶し得たるも、条約上の障害に至りては容易に之を排除し難し、故に這は友邦たる日本の助力に仰がざるべからず
右にて宴を終り、更に別室にて主客歓を尽して十時半散会せり、尚当日の出席者左の如し
 孫逸仙・馬君武・何天炯・戴天仇・宋喜樹・山田純三郎・汪大燮・胡瑛・阪谷男・山座円次郎(以上来賓)
 青淵先生・三井八郎右衛門・三井元之助・団琢磨・波多野承五郎・飯田義一・山本条太郎・福井菊三郎・井上準之助・志村源太郎・佃一予・井上辰九郎・斎藤恂・村田俊彦・山成喬六・清野長太郎・美濃部俊吉・園田孝吉・松方巌・池田謙三・浅野総一郎・松尾吉太・白石元治郎・大倉喜八郎・高松豊吉・久米良作・佐竹作太郎・古河虎之助・木村長七・森村市左衛門・中野武営・日比谷平左衛門・山本悌二郎・武智直道・伊沢良立・指田義雄・馬越恭平・高杉晋・安田善三郎・阿部泰蔵・福原有信・長松篤棐・村井吉兵衛・根津嘉一
 - 第38巻 p.576 -ページ画像 
郎・犬丸鉄太郎・古市公威・大橋新太郎・坪谷善四郎・白岩竜平・竹内直哉・高田慎蔵・服部金太郎・柿沼谷蔵・星野錫・池田竜一・白石重太郎


竜門雑誌 第二九九号・第五五―五六頁 大正二年四月 ○日支経済関係の曙光(DK380062k-0006)
第38巻 p.576 ページ画像

竜門雑誌 第二九九号・第五五―五六頁 大正二年四月
○日支経済関係の曙光 先頃来朝したる孫逸仙氏と我青淵先生其他実業家諸氏との間に、日支共同事業企画に就て意見を交換する所ありし由なるが、抑も此計画は一朝一夕に起りたるものにあらず、双互の希望一致融和して多少の歳月と沿革を経たること勿論なれど、時機未だ到らず彼我互に故障を生じて親しく胸襟を開き、具体的の協議を進むる機会を得ずして今日に及べり、然るに這回孫氏の来遊は端なく之が好機を齎し、即ち孫氏は昼夜の招宴交歓に寸暇を得ざる傍ら、屡々青淵先生に会見を求め形式的辞令以外に誠意誠心を披き、日本実業家の奮起助力を懇請する処あり、此に於て青淵先生に於ても亦両国共通利益の為め、深く孫氏の熱誠に同情を表し、爰に日支両国経済上に一個無形の団結は結ばれたり、而して之に伴ふ事業の種類、性質、範囲等に就ては素より限定的のものにあらずして金融機関可也、貿易、工業其他有ゆる方面に向つて、苟くも共同利益を擁護発達する為めの施設は、悉く其目的に入るべく、従つて現在未だ何等具体的に企画すべき事業を確定したるものなきに、既に彼我の意志と決心は充分疏通融合したるを以て、今後は彼我各自に於て周密なる調査を進め、一朝時機と必要なる事業を認めたる時は、何時にても相知照して直に具体的の着手を為すべき手筈とし、本邦側は青淵先生代表交渉の任に当る事となりて、孫氏は帰国の途に就きたる次第なれば、何れにしも遠からず何等かの企画実現し、延いて日支貿易其他経済的関係に一生面を開くに至るべしと、一関係者は語れり


当社の沿革(一)(DK380062k-0007)
第38巻 p.576 ページ画像

当社の沿革(一)          (中日実業株式会社所蔵)
    当社の沿革
創立より改組まで
大正二年三月当時中華民国全国鉄路籌弁全権たりし孫文氏日本に来遊の際、渋沢子爵に面会し、談偶々日支両国の経済聯絡並に民国に於ける富源開発の事に及びたるが、之が実行機関として両国合弁に成る企業機関設置の必要を認め、当会社創立の議起れり○下略
  ○尚「中日実業株式会社」ニ就イテハ本編第二部実業・経済中「朝鮮及対外事業」所収同会社ノ条参照。



〔参考〕農商務省商工彙報号外 第一二―一四頁 明治四五年四月刊 清国動乱ト中清ノ経済界(其六)(DK380062k-0008)
第38巻 p.576-577 ページ画像

農商務省商工彙報号外 第一二―一四頁 明治四五年四月刊
  清国動乱ト中清ノ経済界(其六)
 ○最近支那重要経済事情
○上略
    第四 革命戦後ノ支那ノ実業熱
今ヤ支那ハ政治上ノ革命ニ於テ成功シ、漸ク其整理ノ端緒ニ著カントスルヤ、財政整理実業振興ノ熱ハ勃然トシテ、支那ノ民心ヲ支配スル
 - 第38巻 p.577 -ページ画像 
ニ至リタリ、昨今各新聞ハ筆ヲ揃ヘテ之レヲ論ジ、各種ノ会合亦之レガ為メニ開設セラルヽコト雨後ノ筍ノ如ク、中央政府亦之レガ為メニ施設セントス、其将来ニ与フル影響決シテ少ナカラザル可シ、試ミニ其論旨ノ一端ヲ紹介シ、並ビニ各種会合ノ情勢ノ一般ヲ見ルニ、去ル二月廿四日ヨリ上海ノ新聞報ハ特筆大書シテ論ジテ曰ク
 革命ノ大功已ニ成リ相慶ス可キニ似タリ、然レドモ世界上ニ於ケル支那ノ存立ハ、未ダ之レヲ以テ確定シタリト云フ可カラズ、今次政治的革命ニヨリ支那ヨリ満洲人ヲ駆逐セリ、而モ之レ支那ノ世界上確立ニ対シ、何等ノ価値ヲ有スル所ニアラズ、支那ハ夫レ自身確立ノ基礎ヲ有スルニアラザレバ、亦以テ革命ノ真価ヲ論ズ可カラザル也、而シテ支那確立ノ道ハ只夫レ富国ノ一策ノミ、然ルニ今次革命ノ動乱ハ支那経済界ニ大破滅ヲ与ヘ、四方産ヲ捨テ業ヲ蕩シ、産業ノ動揺未ダ之レヨリ大ナルナシ、更ラニ一方ヲ顧ミレバ光復以来、風俗ノ一変ハ或ハ衣帽ニ、或ハ散髪器・化粧品ニ、其他アラユル商品ノ外国輸入ハ日々ニ増加シ、益々輸入超過ノ勢ニ趨リ、正貨流出ノ恐慌ヲ致シ、遂ニ皇国ノ産業ニ大頓挫ヲ与ヘズンバ止マザルノ形勢ナリ
 今ニシテ此根本問題ヲ討究シ、利権ノ外ニ漏ルヽヲ挽回シ、以テ長久ノ計ヲ建ツルニアラズンバ革命亦何ゾ価セン、玆ニ此機ニ際シ特ニ実業振興ノ必要ヲ論ズル所以ナリ、実業ヲ振興スルノ策多岐、就中方今我国ニ施ス可キノ道ハ由来、吾国工業不振ノ原因ハ互ニ相排擠シ、詐虞風ヲ成シ、信用地ニ墜チタルノ弊ニ帰ス、輸出スル所ノ生糸・茶・花筵等ニ於テ此弊ヲ見ザルナシ、之レヲ救済スルノ方法ハ即チ各業ニ対シ、聯合共進ノ機関ヲ建ツルニアリ、又我国工業ノ起ラザルハ大企業ノ行ハレズシテ手工業ニ拠リタルニ存ス、是レ決シテ長久大利ノ道ナラズ、之レヲ救済スルノ道ハ各箇人ノ資本ヲ集メテ一ツトナシ、大会社ノ設立ヲ奨励セザル可カラス、次ニ商業上ニ於テハ列強諸国ノナス如ク保護政策ノ必要ナリ、蓋シ国際貿易ハ一・二商人ノヨク伸ブル所ニアラズ、之レ保護政策ノ起ル所、其他商標・特許・専売ノ条令ハ須ラク速カニ之レヲ定ム可ク、模範工場商品陳列館ノ設立ハ国民実業教育ノ一端ナリ、希クハ実業当局ノ人反省一番、共和ノ新天地ニ於テ之レガ企劃ノ行ハレンコトヲ希望シテ止マズ云々
ト、此ノ如キ提論ハ豈夫レ一新聞報ニ止マラザル也、之レト共ニ此問題ノ研究ト遂行トノ為メ、各種ノ会合ノ設立セラルヽモノ頻々、実業振興ノ声ハ普ク支那ノ声タルニ似タルモノアリ、左ニ重要実業振興ヲ目的トセル会合ノ名称等ヲ挙グレバ○中略
サレバ民国政府ニアリテモ之レガ施設ヲ急トシ、二月八日実業大臣ハ各省政府ニ電飾シテ速カニ実業司ヲ設立セシメ、其他農業試験所・模範工場等設立ノ案アリ、今地方実業司ノ官制ヲ見ルニ
 実業司ニハ司長・副司長各一人ヲ設ケ、実業一切ノ事宜ヲ弁理セシメ、分チテ総務・工務・商務・農務ノ四科トナス、当司未設ノ間ハ民政司ヲシテ該事務ヲ取扱ハシム
○下略