デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
15款 其他ノ外国人接待
■綱文

第39巻 p.47-50(DK390012k) ページ画像

明治43年7月28日(1910年)

是日栄一、アメリカ合衆国ニュー・ヨーク・ワールド主幹ドン・シー・サイズ夫妻ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。


■資料

竜門雑誌 第二六七号・第六二―六三頁明治四三年八月 ○紐育サイヅ氏招待会(DK390012k-0001)
第39巻 p.47-48 ページ画像

竜門雑誌 第二六七号・第六二―六三頁明治四三年八月
○紐育サイヅ氏招待会 青淵先生並に令夫人には、米国紐育ウオールド新聞主幹ドン・シー・サイヅ氏、並に同令夫人を主賓として七月二十八日正午飛鳥山邸に於て午餐会を催ほしたり、当日列席の陪賓は左の如し
  頭本元貞     同夫人
  石井菊次郎    水町袈裟六
  松尾臣善     高橋是清
  阪谷男爵     同夫人
  福井菊三郎    同夫人
  埴原正直     沼野安太郎
  添田寿一     中野武営
  豊川良平     浅野総一郎
 - 第39巻 p.48 -ページ画像 
  大橋新太郎    佐々木勇之助
当日は種々談話の交換あり、且つサイヅ氏は特に青淵先生に対しウオルード新聞の為めに、日米貿易に関する意見を披瀝せられんことを懇望し、先生は之を快諾して本誌講話欄記載の如き意見書○次掲資料を寄贈せられたり、余興として三曲、芸妓手踊等の催しあり、来賓は孰れも歓を尽して午後三時過散会したりといふ


竜門雑誌 第二六七号・第三二―三五頁明治四三年八月 ○日米通商の拡張に関する所見 青淵先生(DK390012k-0002)
第39巻 p.48-50 ページ画像

竜門雑誌 第二六七号・第三二―三五頁明治四三年八月
    ○日米通商の拡張に関する所見
                      青淵先生
 左に録するは明治四十三年七月、青淵先生が「ニユー・ヨーク・ウオールド」主幹「サイヅ」氏の求により、日米通商拡張に関する所見を答へられたる要領なり
回顧すれば「チヤーレス・スミス」氏が、紐育商業会議所会頭の資格を以て我邦に渡来せられたるは、今を去ること十八年前、即ち明治二十五年(千八百九十二年)にして、余が東京商業会議所会頭の職に在るときなりき、氏は米国に於て有力なる実業家として聞えしかば、我国民は氏に対して最も熱誠なる歓迎を企てたる中にも、吾人実業者は氏の渡来に多大なる喜を感じ、王子なる余の別墅に於て氏の為めに宴会を設け、以て歓迎の盛意を表したりき、其時に当り氏のなしたる演説中特に余の注意を引きたる一点は下の如きものなりき、即曰く、日本人の米国民に対する態度の友情的なるは、吾人の大に喜ぶ所なりと雖も、日米貿易状態に就ては到底満足する能はざるを遺憾とすと、蓋し同氏の所説は日本品の米国に輸入せらるゝ額の多大なるに拘はらず日本に輸入せらるゝ米国品は量に於ても、又価格に於ても共に過少なること、及大体に於て日米貿易は鞏固なる発達の途に在りとは言ひ得ざることとの二要点に帰着するものゝ如し、余亦遺憾乍ら同一の所感を有するを以て、特別の注意を以て考慮を為し、且審に統計上の調査をなしたる上、同氏と此問題に対して所見の交換を為したるが、今尚記憶する所によれば、余は我邦に於ける対米貿易の進歩遅々たるには二大源因あることを指摘せり、其第一を米国に於ける保護関税政策となす、即其結果として米国製品の価格は概して欧洲製品に比し不廉なるを免れず、価格の高きことは事実に於て購買を減ぜしむるは理の当然なるが故に、米人に対する日本人の友情は他国人に対するに比して幾倍の敦厚を見るとはいへ、進で不廉の米品を択び敢て之を購買するならんと期することの不自然なるは、智者を待ち後知らざるなり
第二の源因は米国人は外国人と貿易をなす上に付て、決して拙劣なるに非るは勿論なるも、之が発達を企つる点に於ては、果して欧洲人の如く多大なる苦心工夫をなすや否やを疑ふの点にあり、仮令ば英国人は東洋貿易拡張に就て極めて熱心なる努力をなし、常に鄭寧なる言語と愛嬌ある態度を以て、機敏に顧客を誘引することに勉めつゝあり、独逸人に至りては更に進んで東洋の国語を学び、且顧客の好む所を精細に観察し、以て自国商品の販路拡張に勤勉せり、此等を以て比するに米国人の態度は全然相異れり、彼等は本国に於て急速なる進歩をな
 - 第39巻 p.49 -ページ画像 
し、多大なる繁栄幸福を享受せり、此の如く富力の増進するに従て、自国内に於ける需要は益々増加し来るを以て、自国品の販路を海外に求めんが為めに、欧洲人の如き注意と努力とをなすの暇を有せざるは亦已むを得ざる所ならん、尚一面に於ては日本人が外人と商取引をなすの状態も、亦徹頭徹尾不満足たるを免れず、日本人の商売は俗に所謂躄商売なるものにして、其足は本国の外に出でず、在留外国人を通じて只僅かに外国の需要を伝聞し、之を以て満足するの状態なりき、而して何程の物品を如何なる方法にて輸入せば、最多の利益を得らるべきかの如き実際問題に就ても、敢て自ら外国の商工業界を研究することなく、是亦躄主義以外に何等企つる処無かりき、日米両国間の友情と厚誼とは、固く結びて解けざるものあるに拘はらず、両国間貿易の遅々として進歩せざるは、実に前記の原因に来るに外ならずとは、予が当時スミス氏に向て指摘せし所にして、同時に此等の真相を普く両国民に知悉せしめ、其障害を除去すること、実に商業会議所会頭たるものゝ職責の一部分なりとは自ら深き確信を生ぜし所なりき、日本人の一般の感情としては、政事家たると学者たると乃至実業家たるとに論なく、永き鎖国の夢より我国を覚醒して世界に紹介し、之を今日の文明に導きたる米国の厚情に対しては、衷心深く之を感銘せり、一国の感情已に此の如くなるを以て、米国に対する友情の将来倍々密着に赴くべきは理の当然なるのみならず、貿易に於ても前記の障害排除に努むる以上は、充分之を拡張し得べきこと論ずる迄もなき処なり、以上は予が当時スミス氏に吐露せる意見の概要なり
千九百九年予は渡米実業団の団長として米国に渡航し、社会の各方面に於て進歩の急速なることを実視せり、日米間の貿易亦之に漏れず、千八百九十二年に比し四倍以上の増進を見たり、此増進たるや、両国国民の進歩と当業者努力との結果たるは論なき処なりと雖ども、尚予が遺憾止む能はざるは、十八年前スミス氏が満足せざりし諸項は、貿易額の増加せし今日に至るも尚依然として変化する所無きの一事なり予の信ずる所によれば、凡そ国際貿易を増進するの途は有無相通の経済原理に従ひ、之を正真に実行するの外なきなり、換言せば己が有するものを人に与へ、己の有せざるものを人より得るに外ならず、凡そ米国人が日本人以上に有する便益と、日本人が米人以上に有する利便とは、当然互に相異るの理なり、よく此不同の理を知了し互に相補ふこと、これ即ち国際貿易の発達を開くの鍵なりとす、例令ば米国人は如何に努力をなすとも日本人の為す如く廉価に生糸を生産すること能はざるべし、果して然らば米人として其需要する生糸は成るべく多く之を日本より輸入するこそ自己の利益たること自明の理なり、又例を亜米利加産の鉄にとらんに、予は昨年米国にあるの時、大規模の鉄山及鉄工場を視察し、此人類に必要の商品は如何にも低価にて販売さるべきの理を解し感嘆措く能はざりき、日本人たるもの須く鉄の関税を軽減し充分に之が輸入を計らざるべからず、然るに一国に於て殆生産の望無き品物に対してさへ、輸入の減少又は防遏を企つるが如き、極端的保護政策の行はるゝは屡々吾人の見聞する所なり、尤も或特別の場合にかゝる政策の必要皆無とは言ふを得ざるも、最多くの場合に於
 - 第39巻 p.50 -ページ画像 
ては之が為に有無相通の根本原則を打破し、有害の結果を来すこと、敢て喋々を要せざるなり、前記生糸及鉄の例は一般の原則を説明する為めの一例に過きずと雖ども、実に此理の両国顧客間に於て十分に了解せられんことこそ望ましけれ、若しも米国商人が日本人に多数の商品を売らんことを欲せば、宜しく其目的を遂ぐるに必要なる注意と手数とに怠ることあるべからず、日本商人に対する希望亦其理を一にす日本人は出来得る限りの多額を米国人より買はんことを欲す、是れ実に多額を買ふに従つて多額を売り得るの道理なればなり、要するに予が熱誠なる希望は、国際間の貿易は須く之を行ふに有無相通の原理を以てすべく、之を導くに相利互益の主義を以てすべしと言ふに帰着す近頃「ウオールド」の「サイツ」氏との会晤に当り氏が談話中、嘗て同新聞が「ベネズヰ」問題を落着せしむる最良の方法に関し、「グラツドストン」氏に意見を叩きし時、其答は「只々必要なるものは常識なり」と云ふにありとの一節ありき、流石は英国の大政事家の口より出てたる名言なりと予は非常に嘆称せり、常識は実に非常に価値ある事柄なりと雖ども、只時として学問又は法律の為に圧倒せらるゝの通弊なしとせず、然るに米国人は実に常識を善用し、学問及法律も亦常識の上に立てるを見て、予は自ら感嘆禁ぜざるものあり、玆に願はくは予に常識の字義の一小部分を変更するの自由を与えよ、然る後に言んとす、吾人の真に尊む所のものは道義を基礎とするの常識にあり、かゝる常識にして始めてあらゆる事物に対し、正当にして且尊むべき判断をなさしむるを得んと (了)
   ○チヤールズ・エス・スミスノ来日ニ就イテハ本資料第二十巻所収「東京商業会議所」明治二十五年十一月二日ノ条参照。