デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
15款 其他ノ外国人接待
■綱文

第39巻 p.128-132(DK390056k) ページ画像

大正5年6月13日(1916年)

是日、帰一協会主催アメリカ合衆国人モートン・プリンス招待茶会、飛鳥山邸ニ催サレ、栄一出席ス。又七月十二日、栄一、帝国ホテルニ催サレタルプリンスノ招待会ニ臨ム。十五日、日米関係委員会主催、プリンス送別晩餐会帝国ホテルニ開カレ、栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

集会日時通知表 大正五年(DK390056k-0001)
第39巻 p.128 ページ画像

集会日時通知表 大正五年 (渋沢子爵家所蔵)
六月十三日 火 午後三時半 帰一協会催
              モリトン・プリンス氏招待会(飛鳥山邸)
   ○中略。
七月十二日 水 午後七時半 プリンス氏ヨリ御案内(ホテル)


竜門雑誌 第三三七号・第九七頁大正五年六月 ○帰一協会の外賓招待会(DK390056k-0002)
第39巻 p.128 ページ画像

竜門雑誌 第三三七号・第九七頁大正五年六月
○帰一協会の外賓招待会 青淵先生の幹事たる帰一協会にては、六月十三日午後三時より飛鳥山曖依村荘にて、プリンス博士及びミレツト氏を主賓とし、春秋会員等を陪賓として招待したり、邸内愛蓮堂前の広庭なる天幕張講演会場にて、先づ青淵先生の歓迎の辞あり、次てプリンス博士の団体心理に関する講演あり、姉崎博士之を通訳し終りて日本室にて立食の饗あり、午後七時前後散会せりとなり。


帰一協会会報 第八号・第一六六―一六八頁大正五年七月 ○プリンス博士・ミレツト氏歓迎会(DK390056k-0003)
第39巻 p.128-129 ページ画像

帰一協会会報 第八号・第一六六―一六八頁大正五年七月
    ○プリンス博士・ミレツト氏歓迎会
 大正五年六月十三日午後三時、王子渋沢男爵邸に於て、本会の主催にて、春秋会々員・日米関係委員・紐育日本協会協賛会々員及びハーヷード倶楽部員各位を招待し、米国タフトコレジ教授にして、医学心理学者たるモルトン・プリンス博士、並にボストン出版業者にして日本に関する書籍を出版したるミレツト氏の為に歓迎会を開く。
 定刻に到り一同打揃ふや、先づ庭園に出で、それより愛蓮堂に上りつゝ、博士、ミレツト氏、渋沢男に対し一同握手の礼をなし暫らくにして堂を下る。其間ミレツト氏が彼地より伴ひ来れる活動写真技師は一方に在りて之をフヰルムに収む。尚ほ此の活動写真は之を米国に於て演じ、彼地の人をして目のあたり日本の情況を知らしめ、善く日本を了解せしめ、以て日米親善に資せんとする目的なりといふ。右終つて一同洋館前の庭園芝生上に張りつめられたる大天幕内の席に着くや男爵は立ちて、歓迎の辞を述べ、博士の世界平和に関する大使命を賛し、本来の帰一協会の主義に其の使命の恰かも相応しき事を喜び、且
 - 第39巻 p.129 -ページ画像 
つ又写真によりて、本日を紀念したる事を一同と共に欣ぶ旨を述べ、次でプリンス博士は壇に上りて先づ本日の歓迎を謝し、それより博士の心理学的立脚地より論を起し、社会意識ともいふべき一大潜在力の命を奉じて、世界万国は終に互に相争ふ事なきに至るべきを論じ、大喝采裡に壇を下り、斯くて一同は天幕を出でゝ庭園を散歩し、五時過ぎ書院大広間に用意せられたる食卓に着き、一同十分の歓を尽し七時頃散会せり。当日の出席者本会々員三十四名、春秋会其他約三十名なりき。


竜門雑誌 第三三八号・第七二―七六頁大正五年七月 ○プリンス博士招待会(DK390056k-0004)
第39巻 p.129-132 ページ画像

竜門雑誌 第三三八号・第七二―七六頁大正五年七月
○プリンス博士招待会 青淵先生の中野武営氏と共に常務幹事として尽力せらるゝ日米関係委員会にては、去十五日午後六時半より帝国ホテルに於て、先般米国の同志五百名を代表し、聯合国民に対する公開状を携へ、我邦に来遊せるボストン市モルトン・プリンス博士の近々帰国せらるゝを送らんが為め、同氏を主賓とし日米両国の親善に努力しつゝある人々、及春秋会会員を陪賓として送別の宴会を催されたるが、当日の来会者は同博士・青淵先生・中野武営氏を始めとして金子子爵・瓜生男爵・目賀田男爵・神田男爵・大倉男爵、添田寿一・飯島魁・井上哲次郎・新渡戸稲造・中島力造・姉崎正治の諸博士、宮岡恒次郎・日下義雄・井上準之助・串田万蔵・簗田𨥆次郎・松井広吉・増田義一・須崎芳三郎・沢田隆助・海老名弾正・成瀬仁蔵・頭本元貞・堀越善重郎・増田明六の諸氏にして、頗る盛会なりしと云ふ
又同席上、青淵先生の送別の演説及プリンス博士の答辞の要領は左の如し
青淵先生の送別の演説
 先般来本邦滞在のプリンス博士には、近々帰国の途に就かるゝに付き、日米関係委員会が主宰者となり米国に関係を有せらるゝ方々にも来会を仰ぎて、同博士を送らんとしたるに、多数の来会者を得たるは、本会の欣幸とする処なり
 博士は米国同志者五百名が一昨年来欧羅巴に於て修羅の巷を呈せる戦乱に付き、聯合国々民に対し公開状を公にしたるを、其一たる日本国民に伝へんとの使命を帯びて来朝せられたるものなるが、此使命に対しては先きに春秋会に於て其意を諒とせられ、宴を開きて博士を招待し、其趣旨を審にし、之を世間に発表し博士の使命を完了せしめられたるは、此機会に於て大に感謝する処なり
 公開状の趣旨は真に是と非とを明かに判断識別したるものにして、予をして之を評せしむれば、自然に発したる米人の人道に厚き意念にして、東洋の古語に所謂天もの云はず人をして云はしめたるものならん、斯く尊むべき使命を以て来朝せられし博士に対しては、固より敬愛して止まざるは勿論、其根原は米国の同志諸君否米国々民の真意より出てたるものと、日本国民は如何に能く公開状を迎へたるかは、博士帰国の上米国人に伝へられん事を請ふ
 欧洲戦乱は何れの日にか果して終局すべき哉、察知する事を得ざれども、此間に於て最も利益の地位に立たるゝは米国なるが、米国人
 - 第39巻 p.130 -ページ画像 
は此利益あるが為に特に戦争の長引くことを希望せざるべし、日本も米国と同様其間多少の利益を蒙るものなれども、予は平和の一日も早く到達せんことを希望して止まざるなり、併し其平和は道理正しき国が勝て、不道理の国の負けたる上の平和にあらざれば、其平和は永く望むべからざるべし、予等の要求する平和の主旨は五百の米国人の唱ふる趣旨と一致したるものなる事は、博士より米国人に伝へらるゝならんと信ず、予は日米親交に就きては多年終始渝る処なく微力を尽し来れるが、昨年加州に於けるパナマ開通記念大博覧会参観の為め渡米し、引続き東部諸地方を歴訪し、先年受けたる米国人の厚意を謹謝したる次第なるが、其際米国の旧友人及新に得たる友人と親敷意見を交換したるが、予は米国民の力は必ずや欧洲の平和を維持するならん、同時に微力ながら日本は東洋の平和を維持する事に勉むべし、斯くして日米両国は東西両洋の平和を永続せしむべしと力説したり、紐育に於てはヴアンダーリツプ氏の主宰する万国会社は、其巨資を以て東洋特に隣国に力を延さんとしつゝあるが、斯る場合には日本と提携する様に致度し、日本の実業と米国の実業とを連絡せしめ度し、之れ両国の利益なれば、米国人も玆に意を止められんことを希望したるなり
 我実業界の人々は米国人と競争の位地に立たざるのみならず、相提携したしとの意見を有する事を述べたるに対し、米国人のあるものは理解したるならんと思ふが、多数の人は果して如何の感を為せしか、東洋の古諺に疑の心は暗から鬼を出すと、事多き説の広き米国に於て鬼を出さずとも限られざるなり、博士は来朝以来日本の各地を漫遊し、略日本人の情意を会得せられたるならんと思はるゝが、其間政治上に於ては日露協約成立せられたるが、米国人にして之を誤解するのあらば甚だ遺憾の至りなり、博士の日本に対する深き情意を寄せらるゝは、過日博士の催されたる宴会に於て明かなる処なるが、予は大に感謝する処なり
 予の憂ふる疑心暗鬼が米国人にありとすれば、日本人を知得せられし博士に依りて、此誤を米国人より解かれん事を望むなり、此希望は日本人を解釈せらるゝ博士に依頼するは無用の事にあらざるべきを信ずればなり云々
プリンス博士の答辞
 本夕渋沢男爵・中野武営氏を始め、日米関係委員会の諸君及来賓各位が一堂に会し、特に予の為に送別会を開き呉れたるは予の大に光栄として記念する処なり、只今は渋沢男爵が同会を代表して日本人の意思を米国人に伝えよとの御言葉は篤と承知したり、帰国の上は必ず之を広く伝へんことを期するなり
 予の名前がプリンスと云ふて日本字の意義にすれば皇族の意味なりとの事なるが、予は爾来皇族に均しき待遇を与へられたるを深く謝するなり、此待遇は単に予に対するのみならず、之れ日本に同情を為し、諸君と共に協力して日米の親交に勉むる背後の親日米国人に対して、与へられたるものと思ふなり、各国民の間を円満ならしむるは勿論の事なるが、若し仮りに円満を欠きたる事ありたるときは
 - 第39巻 p.131 -ページ画像 
両国人相寄り之が解決に勉むべき事は昔より存する事なるが、今日程之を必要とする時期はいまだあらざりしなり
 欧洲戦争は数百年来築き上げたる無形及有形の財産を一時に浪費せしむる有様にて、各国は各其国の繁昌を永き間抵当とする負債を為すの状態にあり、其爰に至れるは帝国主義・軍国主義を有するものが、腕力に依りて強圧的に其目的を達せんとしたるが為に起りたるなり
 仮りに塞耳比亜の行為が不都合なりとするも、若し平和を望まば、他国の仲裁に依りて解決を見る事を得たりしなり、然るに軍国主義を以て万能とする独逸は、目的を達するには兵力に如かすと考へたるなり、今回の戦争は米日両国に対して三つの良き教訓を与へたり其一は兵力に依りて世界に目的を達せんとすることは時代後れなる事を、蓋し近世の戦争は悲惨極まるものにて、古の戦争は如此大悲惨を来さゞりしなり
 第二は今後世界の各国の何れの国も兵備を拡張するならん、東西南北軍備を整ふるに汲々たるならん、単に兵数を増加するのみに止まらず、兵器弾薬の製造工場を増設するに惟れ日も足らず、而して各国互に枕を高ふする事能はざるべしと思はる
 第三は巨額の軍費を要し、為之産業は根底より破壊され、数百年を経て築上げたるものも一朝にして滅亡し、其結果は勝ちたるものと雖とも政治上の利益を得るのみにて、産業の回復は償ふべからざる事なり、尚此戦争の予等に教ふる処は如何に平時に兵備を充実しても愈開戦の場合には機関銃・大砲・飛行機・潜水艇・自動車等如何程ありとも不足を免れず、平時に於ける兵器製造工場は到底用を弁ずる事能はざるなり
 此如状態なるを以て、一朝戦争に遭遇したる時は、戦後殖産興業政治通商社交上に於て如何にして調和を遂げ得らるべきや
 如此考へ来れば日米両国は兵器を増加し、軍備を拡張するが如き事無からん事を切望す、御互に意志を疏通し、日本の所謂武士道を国際間に行はん事を欲す、今夕の盛宴を設けられたる、日米関係委員会及桑港に於ける同趣意の会は、真に此意味を全ふするものなりと確信す
 向後は兵力に依りて他国を圧迫せんとするものは、他国の同情声援を失ふものなり、軍備の拡張を計るものは猜疑を招くものなるは、予の云ふまでも無き事なるが、鉄血宰相と称せられしビスマーク将軍すら、腕力を有するよりも同情を有する事必要なり、特に戦争の場合には独逸を他国の同情を得る位地に置かざるべからずと訓戒したるなり
 予の公開状の使命は、多数米国人の意志なる事は諸君の諒知せらる処なるが、文明に向て迫害を加へつゝある、諸君の敵に対しては、同時に抗議を申込みたるなり、英仏日伊露が彼の文明の敵を圧迫して、白耳義及塞耳比亜を旧態に復せしめられん事、希望して止まざるなり
 黄紙上に於て日米両国民間に悪感情の存する如く記載し、又或る地
 - 第39巻 p.132 -ページ画像 
方に於ては両国の利害関係の相反する如く唱ふるものあれども、米国人の多数は日本に同情を有するものなり、日米間の友情は黄紙又は一部地方の米人に依りて断絶する事能はざるなり、仮に黄紙の為に双方の間に疑惑を生ずるものありと雖ども、兄弟喧嘩の納まると同様に互に意思疏通し、思遣りの意念を欠かざれば友情の離隔するが如き事無かるべしと思ふ、云々
  因にプリンス博士はボストン市に於ける医師にして、神経系統の病理の研究より心理学者となれる人にて、其著書も尠からずと云ふ、而して氏は頗る親日派にして彼の明治七年頃、東京帝国大学に教授の職を取りしモールス博士、有名なる美術家たるビゲロー氏、ハーバート大学総長ローヱル氏(十六年前来朝したる人)の如き有力なる親日の人々と親交を重ね、今回始めて来朝し、大に日本を会得したりと談話せられたり
   ○本資料第三十三巻所収「日米関係委員会」大正五年七月十五日ノ条参照。


竜門雑誌 第三四〇号・第四六―四七頁大正五年九月 ○タゴール翁と語る 青淵先生(DK390056k-0005)
第39巻 p.132 ページ画像

竜門雑誌 第三四〇号・第四六―四七頁大正五年九月
    ○タゴール翁と語る
                        青淵先生
  本篇は○中略 実業之世界記者の訪問に対し語られたるものなり(編者識)
     △タゴールと会見の径路
○中略
 序を以てプリンス氏の使命に就て一言して置くが、独逸今回の所置は、白耳義の中立を破り、その土地財産を掠奪し、甚だしきは婦女を辱しむるなど、列国民の遵守すべき人道を蹂躙し、塞爾比に対する所置の如き又頗る横暴を極はむるものあるにより、独逸にして将来国際上の情誼尊重すべき保障を与ふるまでは、決して平和の克復を急ぐべからずとの趣旨より、米国の有力者五十余名之に連署して公開状を世界に発することゝなり、プリンス氏は其身心理療法学者で相当の学歴もある人だといふが、この公開状の趣旨を日本に弘演する為め、態々来朝したのである。
○下略
   ○「集会日時通知表」(大正五年)ニ「六月三日午後六時半日下義雄氏ヨリ御招待(浜町常盤屋)ドクトル・モルトン・プリンス氏招待会ナリ、シカシ徳川家ヨリノ御案内アル故都合ニヨリ、事ニヨルト八時頃出席ナルヤモシレヌ旨返事シヲキタリ」ト記入セラレタリ、当夜欠席ナリシガ如シ。