デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
15款 其他ノ外国人接待
■綱文

第39巻 p.200-205(DK390108k) ページ画像

大正9年9月7日(1920年)

是日、明治四十二年渡米実業団員主催、アメリカ合衆国議員団一行歓迎会、芝紅葉館ニ開カレ、栄一出席シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。是ヨリ先同月三日、貴族院議長徳川家達・衆議院議長奥繁三郎主催、同議員団招待午餐会帝国ホテルニ開カレ、栄一出席ス。又同月十一日、栄一、同議員団中ノスモール外六名ヲ、渋沢事務所ニ招キテ午餐会ヲ催ス。

尚コノ前後ニ催サレタル各種ノ同議員団招待会ニモ栄一臨席ス。


■資料

集会日時通知表 大正九年(DK390108k-0001)
第39巻 p.200 ページ画像

集会日時通知表 大正九年          (渋沢子爵家所蔵)
九月三日 金 午後一時  貴衆両院議長主催、米国議員団招待午餐会(ホテル)
       午後九時  米国代理大使ヨリ御案内(米国大使館)
九月四日 土 午後二時  大隈侯爵主催、議員団歓迎茶話会(同邸)
       午後七時  三井男催(燕尾服勲章ハ御随意)
             米国議員団歓迎会(三井別邸)
○中略。
九月六日 月 午後四時  日米協会主催、議員団歓迎園遊会(後楽園)略服
       午後八時半 東京市主催、議員団歓迎茶話会(上野精養軒)
九月七日 火 午後六時  旧渡米実業団催、オスボーン氏招待歓迎会(芝紅葉館)


竜門雑誌 第三八八号・第七〇頁大正九年九月 ○米国議員団一行歓迎会(DK390108k-0002)
第39巻 p.200-201 ページ画像

竜門雑誌 第三八八号・第七〇頁大正九年九月
○米国議員団一行歓迎会 比律賓より支那・朝鮮を経て来朝せし米国議員団一行四十四名の諸氏は、九月二日夜東京駅に到着、朝野の名士数百名の出迎を受け帝国ホテルに投宿せるが、翌三日は午後一時より
 - 第39巻 p.201 -ページ画像 
帝国ホテルに於て、貴衆院両議長主催の同団一行の招待午餐会あり、青淵先生、原首相以下各大臣、在京の貴衆両院議員及び京浜間に於ける知名の実業家、並に有力者、米国代理大使ベル氏以下大使館員等約五百名、食後徳川議長は一行の歓迎辞を朗読し、之に対し加州選出上院議員ジヨージ・ハリス氏の答辞あり、更に奥議長の歓迎辞に対し一行の団長たるジヨーン・スモール氏の挨拶あり、日米両国の立場と地位を論じて各挨拶に替へ、近来稀に見る盛会裡に三時半散会し、尚一行は宴後赤坂離宮を拝観し、同夜米国代理大使の茶話会に列席せる由なるが、青淵先生にも臨席あり、尚四日午後二時大隈侯の同一行歓迎茶話会(同邸)、午後七時三井男の歓迎会(綱町邸)、六日午後四時日米協会の歓迎園遊会(後楽園)、午後八時半東京市主催の歓迎茶話会(上野精養軒)にも夫々臨席せられたりと云ふ。


中外商業新報 第一二三七七号大正九年九月四日 ○米賓歓迎会 両院の主催(DK390108k-0003)
第39巻 p.201 ページ画像

中外商業新報 第一二三七七号大正九年九月四日
    ○米賓歓迎会
      両院の主催
貴衆両院主催米国議員団一行歓迎午餐会は、三日午後一時より帝国ホテルに開催、原首相以下
 内田・山本・床次・中橋・野田・元田の各大臣、田尻市長、鍋島侯夫妻、近衛公夫妻、小笠原伯夫妻、金子子、渋沢・阪谷・近藤・大倉の各男、犬塚国際聯盟理事、大谷横浜商業会議所会頭、ベル米国代理大使
並に主なる実業家を初め主催側より徳川・奥田両院議長、黒田・粕屋両副議長以下在京両院議員、及河合・寺田両院書記官長を合し四百八十名出席、食後原首相は起ちて米国大統領閣下の健康を祝し、次でベル代理大使 天皇陛下の御健康を祝し、終つて徳川議長両院を代表しての歓迎辞(英文)を朗読す 各演説略


中外商業新報 第一二三七七号大正九年九月四日 大臣も総出でホテルの歓迎会 華やかに交る夫人連 木像のやうな誰彼の中に 救ひの舟は先づ内田外相(DK390108k-0004)
第39巻 p.201-202 ページ画像

中外商業新報 第一二三七七号大正九年九月四日
  ○大臣も総出でホテルの歓迎会
    華やかに交る夫人連
     ▽木像のやうな誰彼の中に
      ▽救ひの舟は先づ内田外相
突如として起るオケストラの楽の音、跳るが如く狂ふが如く来賓の魂を只一つの道へと融かして行く……日米親善、それは両国の単なる辞令から
 ◇今一歩 進めて之を具体化せらるべき今日に於て、我米国議員団の一行を三日午後一時から帝国ホテルに迎へ、貴衆両院主催の下に熱誠なる歓迎午餐会の催さるゝは、時にとつての試金石でなければならぬ……ホテル大玄関には日米両国旗がはためいてゐる、原首相は例の通り奇麗に分けた銀髪の下に笑顔を見せ、議員団の団長スモー氏とニコニコ
 ◇握手を 交はす、続いて中橋・床次・野田・加藤・内田・元田・田中の各大臣は来賓の間を游き廻り、野田逓相が先づボーター夫人に
 - 第39巻 p.202 -ページ画像 
紹介されて仁王のやうな手を突出したが、お得意の三段笑ひも此処では役に立たぬので唖の様に沈黙する、徳川議長は夫人同伴、奥議長と前後して先着し、之は本場仕込みだけに夫人連の間を接持して廻る
 ◇続いて ベル米国代理大使、鍋島侯夫妻、金子子、渋沢・阪谷・大倉の各男を始め、在京の両院代議士、実業家連で広間を埋める、婦人連では目賀田男夫人・小笠原伯夫人・徳川頼貞氏夫人などを真先きに今日こそとお仕込の程を披露される、斯くて燕尾服のボタンを念入りに合せた田尻市長の痩躯を殿りに一時二十分食堂に入る、食堂の窓には日米
 ◇大国旗 を交叉、天井裏から渡された五彩のモール、卓上の秋の七草の盆裁も美しい、先づ正面キヤムベル、両夫人《(マヽ)》に囲まれた原首相と差向ひに、団長スモール氏が座を占め、両側の徳川・近衛両公夫人を顧みて之は之はと恐縮する、野田逓相はハーデー氏と其夫人の間に座つて如何にも窮屈さう、ハーデー夫人は木像のやうな逓相の横顔を眺めて之は
 ◇駄目だ と許り隣の内田外相を生捕る、お蔭で大にテレて居た首相もキヤムベル夫人を外相に渡し「婦人外交は君の畑」と言つたかどうか、左手の窓際には田尻市長が隣のオスボーン氏を金子子爵に取られ、結局遥の渋沢男に豆粕声を振絞る、其他元田鉄相の人の話に許り聴耳を立てる如き、中橋文相がグツドール氏に頭許り下げたのも目新しい 軈て
 ◇原首相 は起つて米国大統領の健康を祝し、ベル代理大使は聖上陛下の健康を祝し、次で徳川議長はスラスラとした癖のない英語で歓迎文を朗読して喝采を博し、ハリス氏は日本人名所、歴史より日米親善力を説し、奥議長の歓迎文朗読は、団長ハリス氏が承けて愛嬌たつぷりの挨拶をなし、最後に「私は正直に言つて日本の婦人が大好きです」と満場を笑はせ、三時半一同歓を尽して退去した


竜門雑誌 第三八九号・第六八―六九頁大正九年一〇月 ○米国議員団一行招待会(DK390108k-0005)
第39巻 p.202-203 ページ画像

竜門雑誌 第三八九号・第六八―六九頁大正九年一〇月
○米国議員団一行招待会 去明治四十二年秋、青淵先生引率の下に渡米したる旧渡米実業団員の申合はせを以て、去九月七日午後六時より芝紅葉館に於て当時来朝したる米国議員団一行歓迎会を催されたるが定刻食堂を開き、青淵先生の歓迎の辞、之に対する一行中のオスボーン氏の答辞あり、尚余興として紅葉館附属踊手の野敷娘及鶴亀の踊あり、一同歓を尽し、午後十一時散会せりといふ。
 当日出席せられたる主賓及主人側如左
    △主賓
  ハリス氏   (上院議員) キヤンベル氏 デール氏
  グーダル氏  ハーデイ氏  モリン氏
  オスボーン氏 スモール氏  ヴアレー氏
 フオード氏(以上下院議員)
 埴原外務次官  芳沢政務局長 河井貴族院書記官長
 伯爵寺島貴族院歓迎委員  樋口衆議院歓迎委員
   △主人側
 - 第39巻 p.203 -ページ画像 
 青淵先生    増田明六氏  加藤辰弥氏
 名取和作氏   岩原謙三氏  根津嘉一郎氏
 堀越善重郎氏  小池国三氏  飯田旗郎氏
 田辺淳吉氏   頭本元貞氏  渡辺寅次郎氏
 神田男爵    巌谷季雄氏  大橋新太郎氏
 大井卜井氏   大谷嘉兵衛氏 田村新吉氏
 上遠野富之助氏 伊藤守松氏  小畑久五郎氏
   ○当日ノ記事ハナホ「米国議員団歓迎日誌」(第七〇―七一頁)ニモ掲ゲラレタリ。


渋沢栄一書翰 増田明六宛(大正九年)八月二二日(DK390108k-0006)
第39巻 p.203 ページ画像

渋沢栄一書翰 増田明六宛(大正九年)八月二二日 (増田正純氏所蔵)
○上略
オスホン氏招宴之事ハ九月六日ニて先方差支無之候ハヽ、渡米団之開催として午餐会を銀行倶楽部ニ相開き申度ニ付、堀越氏とも御打合之上可然御取斗可被下候
○中略
  八月廿二日小涌谷客舎に於て       渋沢栄一
    増田明六様
         貴酬


渋沢栄一書翰 増田明六宛(大正九年)八月二五日(DK390108k-0007)
第39巻 p.203 ページ画像

渋沢栄一書翰 増田明六宛(大正九年)八月二五日 (増田正純氏所蔵)
             (別筆)
             「大正九年八月廿七日御返事済」
○上略
オスボン氏招宴之事ハ、夫人同伴ニ候ハヽ紅葉館之方可然と存候、然時ハ当方も婦人出席之事ニ御手配可被下候、踊にても相催し候義なれハ夜之方相当かとも存候、尚堀越君と御相談之上御取究可被下候、米国側も誰かオスボン氏懇親之友人数名相招候方と存候、是又御聞合之上御決定可被下候
○中略
  八月廿五日                  栄一
    増田様坐下
         貴酬
増田明六様 拝復 渋沢栄一
従小涌谷 八月二十五日


招客書類(一) 【大正九年九月十一日正午、於兜町事務所 米国議員団一行招待会】(DK390108k-0008)
第39巻 p.203-204 ページ画像

招客書類(一)              (渋沢子爵家所蔵)
 大正九年九月十一日正午、於兜町事務所
  米国議員団一行招待会

 - 第39巻 p.204 -ページ画像 
                      スモール
                      オスボーン
                      ダイカー《(ダイヤー)》
                      キヤメル
                      グドオール
                      ソーデイ《(ハーデイ)》
                      モーリン
                      男阪谷芳郎
                      添田寿一
                      堀越善重郎
                      主人
                      増田明六
                      小畑久五郎


(阪谷芳郎)日米関係委員会日記 大正九年(DK390108k-0009)
第39巻 p.204 ページ画像

(阪谷芳郎)日米関係委員会日記 大正九年
                    (阪谷子爵家所蔵)
○九年九月十一日兜町渋沢邸午餐、米国議員団中七氏其他加州排日法案ノ非ヲ談ス 渋沢・阪谷・添田外、堀越・桶口・小畑・増田
デモクラツト
John H. Small     Rufus Hardy
Henry Z. Osborne   Louis B. Goodall
Guy Campbell
共和
L. C. Dyer      John M. Morin


竜門雑誌 第三八八号・第七〇頁大正九年九月 スモール氏等招待午餐会(DK390108k-0010)
第39巻 p.204 ページ画像

竜門雑誌 第三八八号・第七〇頁大正九年九月
○スモール氏等招待午餐会 青淵先生には九月十一日正午、兜町事務所に過般来朝せし米国議員団一行の、スモール氏外六名を招待し午餐会を催されたるが、当日出席したるは左の諸氏なりしと云ふ。
 主賓
  スモール氏   オスボーン氏   ダイヤー氏
  キヤメル氏   グドオール氏   ハーデー氏
  モーリン氏
 陪賓
  阪谷男爵    添田寿一氏    堀越善重郎氏
  増田明六氏   小畑久五郎氏



〔参考〕竜門雑誌 第四〇七号・第三九頁 大正一一年四月 ○渡米日誌 青淵先生(DK390108k-0011)
第39巻 p.204-205 ページ画像

竜門雑誌 第四〇七号・第三九頁大正一一年四月
    ○渡米日誌             青淵先生
 本篇は青淵先生が去二月二十五日日米関係委員会に報告せられたる渡米日誌なり。請ふて玆に掲載することとせり。(編者識)
○上略
 十二月九日(金)○中略夜はニユー・ウイラード・ホテルに於て昨年渡日したる米議員団員オスボーン、ハリス、スモール及キヤムベル等の諸氏夫妻の催に係る晩餐会に臨み、主人側の卓上演説に対し、子爵及添田・頭本両氏の答辞ありたり。
 - 第39巻 p.205 -ページ画像 
○下略
   ○本資料第三十三巻所収「第四回米国行」大正十年十一月七日ノ条参照。