デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
15款 其他ノ外国人接待
■綱文

第39巻 p.393-396(DK390217k) ページ画像

大正15年10月4日(1926年)

是日、アメリカ合衆国人グッドマン夫人、渋沢事務所ニ栄一ヲ訪フ。


■資料

竜門雑誌 第四六〇号・第七一―七五頁昭和二年一月 グツドマン夫人との会見(大正十五年十月四日午後二時、於事務所)(DK390217k-0001)
第39巻 p.393-396 ページ画像

竜門雑誌 第四六〇号・第七一―七五頁昭和二年一月
    グツドマン夫人との会見
         (大正十五年十月四日午後二時、於事務所)
 出席者 来賓側 ウヰリアム・アキスリング博士
         グツトマン夫人
         同グレース嬢
         エリス・キャンビイ・ドレーキ嬢
         メーブル・エフ・ストライダー嬢
 - 第39巻 p.394 -ページ画像 
      主人側 子爵 小畑秘書
 グ夫人「二ケ年半以前にお目にかゝりました時、次回御訪問の節は娘を同伴して参りますから、それまで御丈夫で居らつしやる様にと申上げてお別れ致しましたので、其約を履んで今日娘を連れて、閣下にお目にかゝる事を此上もない光栄と存じます」
  子爵「左様でしたか、どうもはつきりと記憶致して居りませんが、これは老年の為めと御許しを願ひます。然し生きてお目にかゝる事が出来ましたから、御約束には叛きません訳で、私も喜ぶ次第で御座います」
 グ夫人「私が先年お目にかゝりました時よりも、十年程御若くなつた様御見受け致します」
  子爵「イヤ、どうも老衰しまして、記憶力が非常に衰へました。貴方はスペリー博士の御令妹と承知致して居りますが、博士とは確か理化学研究所でお目にかゝり且つ帝国ホテルの晩餐会で御会ひしたと記憶して居ります」
 グ夫人「スペリー氏は最近伊太利を訪問しまして、ムツソリニ首相に会つて参りました」
  子爵「左様ですか、最近同首相は我国の青年男女にメツセージを送つて大に彼等を奨励して呉れました。之に対し、私は勿論青年ではありませんが、後藤子爵又は教育家の沢柳博士と連名で感謝の回答を送りました。ムツソリニ氏は異つた所のある人で御座います」
 グ夫人「スペリー氏も同様に考へて居りますから、帰りましたなら、子爵のムツソリニ観とも申すべきものを、スペリー氏に語りませう、実にムツソリニは現代の伊太利が要求する人物と存じます」
  子爵「彼の黒シヤツ即ちフアツシスト団を組織して伊太利を治めて居る所は実に驚く程で御座います。唯恐るゝのは同首相があの儘で継続するや否やであります。元来伊太利と云ふ国は、時に偉人も産出します。彼のガリバルヂーも其の一人であります。私はガリバルヂーに面会はしませんでしたが遠くから見ることが出来ました。其れは六十一年前私がスウヰスのジユネーヴを訪問した時の事であります。往来が俄かに雑踏を極めましたから何事かと尋ねました時に、伊太利のガリバルヂーを歓迎して居るのであるといふことでした。私は仏蘭西のナポレオン三世と握手をしたものであります」
 グ夫人「私の孫はまだホンの赤ん坊で御座いますが、私が帰りましたら(御前の祖母は日本の偉人に会つた)と申しませう。そして其の偉人は、まだ生きて居る方であると。どうか子爵が私に約束をして戴き度いのであります。其れは私が其孫を連れて、第三回目に日本に参ります時、彼に会つて戴くといふことであります」
  子爵「イエ其の御約束は出来ません。御滞在は何時頃迄で御座いますか」
 - 第39巻 p.395 -ページ画像 
ア博士「一行は金曜日に東京を出発して関西に向ひます」
 子爵「御一行の今回旅行は御観光丈けで御座いますか」
グ夫人「私共の事業視察を兼ねて観光致す積りで御座います」
 子爵「御旅行は御婦人同志丈けで御座いますか」
グ夫人「ハイ、私共四人丈けで御座います」
 子爵「どうも米国の御婦人達は御偉いです。日本の女達には到底御真似は出来まいと思ひます」
グ夫人「イエ、日本の御婦人達も直きに自由に御旅行なさる様になると思ひます。今日は之れから東京女子大学を訪問する事になつて居ります」
 子爵「左様で御座いますか、若し女子教育に御興味が御座いますなら、私が関係して居る日本女子大学校といふのが御座いますから、時間の御繰合せが附きますなら見て戴き度いと思ひます。私は教育家ではありませんが、女子教育の必要は夙に感じて居るものであります。之に就いて思ひ起すことは、今は故人となられましたが、私の友人エリオツト博士より書面を受けた事であります。博士は、日米の国交は漸次親善を重ねて行くから心配は無い。然し一つ御注意したいことは、モー少し日本の女子の地位を高める事であると申されました。私はエリオツト博士から此忠告を受くる前に、已に其の必要を感じて居つたのであります。エリオツト博士は最近逝去せられましたが、米国に於ける私の友人達は大分死去せらるゝので心細く感じます。例へばジヨン・ワナメーカ。ハインツ。ジヤツヂ・バーク。ジエームス・ヒルなどといふ人は皆故人となられました」
グ夫人「ジエームス・ヒルと仰つしやいましたが、此処に居りますミス・ドレーキはヒル氏と同郷人で御座います。即ちセント・ペウロ市の出で御座います」
 子爵「ジエームス・ヒル氏とは一千九百九年ミンネアポリス市で御目にかゝり、爾来同氏の逝去せらるゝまで、懇親を重ねて居りましたが、私はヒル氏を鉄道業専門の方とばかり思つて居りましたところ、中々農業に詳しい方でありまして、日本は国土が狭小であるが農業国であるから、大に此事業の改良を計らねばならないと申された事を記憶して居ります」
グ夫人「日本女子大学校は是非拝見さして戴き度いと存じます」
 子爵「私は明日大学の学長と面会する事になつて居りますから、此の事を能く打合せませう、水曜日は如何ですか、甚だ御粗末では御座いますが、生徒の料理しまする食事を差上げ度いと思ひます」
グ夫人「其れは誠に有り難ふ御座います。喜んで御受け致します。十二時迄必らず参上致します」
 子爵「吃度御待ち致します。大学の都合は大丈夫と思ひますから、どうか其の日(水曜)正午に御到着を願ひます。大学とは申すものゝ至つて小規模なもので御座います。常に大きなものに御慣れになつて居らつしやる貴方様方に余り珍らしくも無いと思
 - 第39巻 p.396 -ページ画像 
ひます」
ア博士「種々御厚意を蒙りまして、有り難ふ存じます。女子大学の方は午後二時迄に切上げる事が出来ます様に御含みを願ひます」
グ夫人「私が先年東京に参りました時は、地震翌年の春で御座いましたが、其時と今日と較べると、東京の復興は実に著しいもので御座います」
 子爵「御賞めに与つて却つて恐縮致します。道路は幾分改良したと申し得られますが、建築物は一向復興して居りません。私共は復興の緩漫なのを遺憾に思ひます」
グ夫人「子爵は米国化して物事を御急ぎになります」
 子爵「余り先が遠くありませんので、自然急ぐので御座いませう」
グ夫人「今日此光栄ある御会見を御与へ下された事を、呉れ呉れも御礼申し上げます。其れでは又御目にかゝります」
 子爵「事務所で御迎へ致しまして御粗末申し上げました。宅に御出下されば、御茶でも差上げる事が出来ましたのに、尤も宅と申しましても、決して誇る様な処では御座いません」