デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
6節 国際災害援助
9款 関東大震災ニ対スル外国ノ援助
■綱文

第40巻 p.132-140(DK400021k) ページ画像

大正12年9月(1923年)

是月以降、関東大震火災ニ対シアメリカ合衆国及ビ其他ノ国ノ栄一ノ関係団体及ビ友人ヨリ、栄一ニ見舞及ビ災害救援ノ申出アリ。栄一其都度其厚意ヲ謝シ、希望ヲ回答ス。

5. ジャッジ・エルバート・エッチ・ゲーリー


■資料

在本邦外国人往復(一)/米国人来翰(一) 【(イー・エチ・ゲーリー)書簡】(DK400021k-0001)
第40巻 p.132-133 ページ画像

在本邦外国人往復(一)        (渋沢子爵家所蔵)
  Message cabled from New York.
                   September 6,
    To be transmitted to Visconut Shibusawa and
      Viscount Kaneko and the America-
         Japan Society, Tokyo
  Members Japan Society of America in New York are terribly shocked and grieved to learn of the awful catastrophe which has befallen our friends in Japan and beg to tender our heartfelt sympathy. We are using every effort to ascertain details concerning destruction and injury; meanwhile we are perfecting plans to render such practicable assistance as our great affection prompts.
                      Signed, E. H. Gary
  ○右ハザラ紙ニタイプセルモノニシテ、左ノ名刺貼付サレタリ。
        S. J. HAMMITT
   UNITED STATES STEEL PRODUCTS COMPANY
           KOBE
  ○右電文ノ訳文ヲ次ニ掲グ。

米国人来翰(一)             (渋沢子爵家所蔵)
    電報翻訳
  渋沢子爵
  金子子爵
  米日協会員一同
              紐育市(大正十二年九月六日)
                   イー・エチ・ゲーリー
ニユー・ヨーク日本協会々員一同は、今回日本の友人諸君の蒙れる恐るべき大災害を伝聞して驚愕措く所を知らず、悲痛の情切なるものあり、謹んで深厚の同情を表す
物質的損害と死傷との詳細を知らんとして百方尽力中なるが、尚吾等の至情を発露する実際的援助の計画を立て、之が完成に鋭意尽力しつつあり
 - 第40巻 p.133 -ページ画像 
(欄外記事)
 右電報は合衆国鋼鉄会社製品販売会社神戸支店支配人エス・ジエーハンミツト氏を経て到着せしものなり


(エス・ジェー・ハミット)書翰 渋沢栄一宛一九二三年九月一〇日(DK400021k-0002)
第40巻 p.133 ページ画像

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渋沢栄一電報 控 ジヤッジ・イー・エッチ・ゲーリー宛大正一二年九月一三日(DK400021k-0003)
第40巻 p.133-134 ページ画像

渋沢栄一電報 控  ジヤッジ・イー・エッチ・ゲーリー宛大正一二年九月一三日
                    (渋沢子爵家所蔵)
 ニユーヨーク市、日本協会
  ジヤッヂ・ゲーリー殿
                      渋沢栄一
    返電案
神戸のハンミット氏を経、去一日大震害ニ引続キタル大火災ニ付深厚ナル御同情の貴電難有拝誦感激の至ニ堪ヘス、東京ハ震源地ニ近カリシ結果トシテ、全市ヲ通シ住宅地域ヲ存シたるのみにて、生産地域ニ
 - 第40巻 p.134 -ページ画像 
属する重要の地は総て焦土と化し、人畜ノ死傷算なし、当日小生は事務処に出勤中なりしが、崩壊せる煉瓦の中より、身を以て免かれたるも微傷をも負はす、二日以来罹災者の応急救済並東京市復興に全力を傾注致居るが、将来貴台並御友人諸君の援助を仰くべき事多かるべしと思考し、此機会に於て懇願す、尚金子子及貴兄の友人等は孰れも相当の損害を蒙りたるも、身体には異状無し、御安心請フ
  ○右英文電報ノ控ニ左ノ如ク記入セラレアリ。
    大正十二年九月十三日(木)外務省移民課長赤松氏に依頼して発信。


(小畑久五郎)書翰 控 エス・ジェー・ハミット宛大正一二年九月一八日(DK400021k-0004)
第40巻 p.134 ページ画像

(小畑久五郎)書翰 控  エス・ジェー・ハミット宛大正一二年九月一八日
                     (渋沢子爵家所蔵)
 神戸市北野町四丁目一五七
  エス・ジエー・ハミト殿
             東京丸ノ内 渋沢事務所内
                   秘書 小畑久五郎
拝啓 然ば在紐育ジヤツジ・ゲーリー氏より渋沢子爵に宛て発せられたる電報御転送被成下、子爵に於ても感謝罷在り、早速外務省経由左の通り同氏宛返電発信致候に付、爰に子爵の命に依り御礼旁々御通知申上候 敬具
 (電文は此処に省略す)
(欄外記号)
  [一二年九月一八日
  ○右英文書翰ハ大正十二年九月十八日付ニテ発送セラレタリ。


(エス・ジェー・ハミット)書翰 渋沢栄一宛一九二三年九月二一日(DK400021k-0005)
第40巻 p.134-135 ページ画像

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渋沢栄一書翰 控 ジャッジ・イー・エッチ・ゲーリー宛大正一二年一〇月一〇日(DK400021k-0006)
第40巻 p.135 ページ画像

渋沢栄一書翰 控  ジャッジ・イー・エッチ・ゲーリー宛大正一二年一〇月一〇日
                       (渋沢子爵家所蔵)
                 大正十二年十月十日附発信
    案
 ジャッジ・イー・エチ・ゲーリー殿
                        渋沢栄一
  ○本文略ス。後掲フランク・エー・ヴァンダーリップ宛同日付書翰ト同ジ。但、追白ノ部分ヲ除ク。
  ○栄一、十月十二日付ヲ以テ、ジャッジ・イー・エッチ・ゲーリーニ宛テ、エツチ・イー・コールマン紹介状ヲコールマンニ手交ス。ロバート・エヌリンチ宛同日付書翰参照。同文ナリ。


渋沢栄一電報 控 ジャッジ・イー・エッチ・ゲーリー宛大正一二年一〇月二三日(DK400021k-0007)
第40巻 p.135-136 ページ画像

渋沢栄一電報 控  ジャッジ・イー・エッチ・ゲーリー宛大正一二年一〇月二三日
                       (渋沢子爵家所蔵)
 - 第40巻 p.136 -ページ画像 
             (COPY)
Judge Gary
  New york
Phenomenal has been wave of sympathy that has swept over world for stricken Japan and nowhere has it been deeper and more active and widespread than in United States stop This has made indelible impression upon whole Japanese people whose gratitude knows no bound and will last for ever stop Of many donations received of your people none is more gratifying than that sent by you on befalf of Japan Society of Newyork and which has been turned over to disposition of Daishinsai Zengokai (Associated Relief Committee) here of which I am Vice-chairman stop You will rejoice with me that Providence brings about international fellowhip in unexpected ways
                 SHIBUSAWA
(欄外別筆)
[大正十二年十月二十三日大震災善後会を経て発信
(右文大意)
 紐育
  ヂヤヂ・ゲアレ殿              渋沢
世界ヲ挙ゲテ日本ノ損害ニツキ同情セラレツヽアレドモ、合衆国ニ於ケルガ如ク広ク深ク盛ナルモノナシ、日本国民ハ深キ感激ヲ覚エ感謝ノ辞ヲ知ラズ、永ク忘ルヽ事ナカルベシ、就中貴台ガ紐育日本協会ヲ代表シテ贈ラレタル寄附金ハ、我等ノ最モ感佩スル所ニシテ、余ガ副会長タル大震災善後会ニ廻付シタリ、貴台ハ天ノ配剤ガ予期セザル方法ヲ以テ、国際親善ノ実ヲ挙ゲシメタル喜ヲ余ト共ニ分タルヽナラン


(ジャッジ・イー・エッチ・ゲーリー)書翰 渋沢栄一宛一九二三年一一月一日(DK400021k-0008)
第40巻 p.136-137 ページ画像

(ジャッジ・イー・エッチ・ゲーリー)書翰  渋沢栄一宛一九二三年一一月一日
                       (渋沢子爵家所蔵)
           ELBERT H. GARY
            71 BROADWAY
             NEW YORK
                   November 1, 1923
My dear Viscount Shibusawa :
  Many anxious days passed after the arrival of the first cables telling of the terrible catastrophe in Japan before we received more encouraging news, including the report of the safety of yourself and other friends. I need scarcely assure you that I and my associates were immensely relieved and gratified to have these later messages so kindly sent. We were glad to expend all of our time and energy, so long as it seemed necessary, and to give such practical material assistance as we could towards the relief of our Japanese friends, sorely and suddenly afflicted. I think that you and your associates have known for many years the warmth of our sentiments of high esteem and
 - 第40巻 p.137 -ページ画像 
sincere friendship.
  The prompt and effective measures undertaken in your own country for rehabilitation of the affected areas were expected and are characteristic of your splendid people.
  With congratulations upon your safety and upon the great work you are doing, and with highest regard, I am,
             Faithfully yours,
               (Signed) E. H. Gary
Viscount E. Shibusawa,
  Marunouchi, Tokyo
  Japan.
(右訳文)
(栄一墨書)
十二月十六日閲、相当之回答案取調可申事
東京市 (十一月廿七日入手)
渋沢子爵閣下 紐育、一九二三年十一月一日
                   イー・エチ・ゲーリー
拝啓
日本の大震火災の報道に接し候てより数日間は、不安の内に経過致候然る処閣下を始め諸友人は御無事との報告を手にし、漸く愁眉を開き申候、態々御報知被下候御親切に対し、私は友人と共に謹んで御礼申上候、私共は必要ある限り時間と労力とを惜ます、悲惨の極に達せる日本の罹災者を救護する目的を以て、義捐金募集に従事致候、私共の貴国民に対する親善の意は、閣下を始め諸友人の数年来充分御承知相成居る処に御座候
罹災地域復興の為貴国が有効なる手段を敏捷に講ぜられ候は、私共の敬服せる処にして、且貴国民の特徴とする処に御座候
閣下が御無事にて大事業に御従事被遊候事を祝し、猶ほ謹んで敬意を奉表候 敬具
  ○ジャッジ・イー・エッチ・ゲーリーノ救援ニ就イテハ、本款大正十二年九月十五日ノ条ニ収メタル、栄一宛、大正十二年十一月二十三日付ノ堀越善重郎書翰参照。


渋沢栄一書翰 控 ジャッジ・イー・エッチ・ゲーリー宛大正一二年一二月三〇日(DK400021k-0009)
第40巻 p.137-138 ページ画像

渋沢栄一書翰 控  ジャッジ・イー・エッチ・ゲーリー宛大正一二年一二月三〇日
                       (渋沢子爵家所蔵)
                    (栄一墨書)
                    十二月廿一日閲
    案
 紐育市
  ジヤッヂ・ゲーリー殿
                    東京
                      渋沢栄一
拝復、十月十九日付の御懇書正に落手拝誦仕候、然ば過般の大震災に付て老生の安否を痛く御憂慮被下、御懇切なる御慰問難有拝承仕候、当日老生は兜町事務所に於て執務中激震突発し、同所は終に崩潰した
 - 第40巻 p.138 -ページ画像 
るも、幸に微傷だも負ふことなく脱出することを得たるは天佑と喜び居候、又同事務所は同夜の大火災に類焼し、所蔵の書類は烏有に帰し又飛鳥山の拙宅も火災は免れたるも激震の為め大損害を被り候、乍去爾後心身共に頗る健全にて、罹災者救護及震災地復興の為め尽力致居候間御省念被下度候、今次の大震火災に関して貴国官民の懇切なる情意、及罹災救護に関する迅速なる措置は、我が国民全部を感激せしめ吾々は感謝の辞を知らざる程に有之候、而して貴国民が斯く敏活に然も大規模の救援を実行せられしは、畢竟貴台の如き先覚者諸彦が熱心に御尽力被下候結果と拝察いたし、多年日米親善に腐心せる老生は一切の苦痛を忘れて感激致居候次第に御座候
右遷延ながら御回答申上度如此御座候 敬具
  ○右英文書翰ハ大正十二年十二月三十日付ニテ発送セラレタリ。
  ○栄一、右英文書翰ト同文ノ書翰ヲ左記十一名宛各個別ニ同日付ニテ発送セリ。尚、括弧内ノ数字ハ、各人ノ栄一宛来翰ノ日付ニシテ、右同文書翰中コノ日付ノミ各相違ス。(但、タフト宛書翰ハ来翰日付ヲ一〇・二三ト誤記ス)
     ジャッジ・トマス・バーク(九・二五)
     ジェームズ・イー・ゴールドスミス(九・二一)
     ヘンリー・ダブリュー・タフト(一〇・二二)
     ローランド・エス・モリス(一〇・二四)
     ジョージ・イーストマン(一〇・二九)
     シェーラー・マシュウズ(一〇・一六)
     シー・エッチ・ムーア(一〇・一〇)
     ジョージ・ダブリュー・ウィカシャム(一〇・一九)
     ウィリァム・イー・グリフィス(九・三〇)
     ティー・ジェー・オブライエン(九・一五)
     シーモーア・エル・クロムウェル(一〇・四)
  ○右ジャッジ・イー・エッチ・ゲーリー宛書翰中ニイフ「十月十九日付」ゲーリー書翰見当ラズ。


(金子堅太郎)電報 控 紐育日本協会宛大正一二年九月一八日(DK400021k-0010)
第40巻 p.138 ページ画像

(金子堅太郎)電報 控  紐育日本協会宛大正一二年九月一八日
                       (渋沢子爵家所蔵)
                    (栄一墨書)
                    九月十八日一覧
 紐育
  日本協会宛
              米日協会長 金子子爵○堅太郎
今回の惨害罹災者に対する貴会の深厚なる御同情に対し米日協会並ニ全日本人は深く感謝の意を表す 何卒横浜正金銀行を通じて御送金下され度し 渋沢子爵並ニ余は危険を免れたり 特別の御見舞を感謝す
  ○発電経緯ニ就イテハ次掲「白石喜太郎手記」参照。



〔参考〕白石喜太郎手記 大正一二年(DK400021k-0011)
第40巻 p.138-139 ページ画像

白石喜太郎手記  大正一二年       (白石喜義氏所蔵)
九月十一日
○上略
New YorkノGary氏ヨリ見舞ノ電報ヲ接手ス
○下略
 - 第40巻 p.139 -ページ画像 
  ○中略。
九月十八日
○上略 日米協会ノ芝間主事来訪、紐育日本協会ヨリ60,000弗ノ寄付申込アリタルニ付、正金ヲ通シテ送金アリ度旨申送リタリトノ報告アリ其金ハ是非、大震災善後会ヘ寄付セラレ度希望スルニ付、金子子爵ヘモ其旨申上ゲラレ度旨依頼セラル
カクテ午後三時頃事務所ニ見エ、金子子爵ニ大要「日本協会Gary氏ヨリ閣下ト小生宛ニテ電報来リ、急キノ場合トテ御協議ヲセス直ニ小生ヨリ返電シタリ、来電及返電写同封、日米協会ヨリハ$60,000送金ノ旨申来リタル趣ナルカ、右ハ大震災善後会ヘ寄付致度ニ付其旨懇願致ト云々」
○下略
  ○ニュー・ヨーク日本協会ノ義捐金ハ十万弗ニ上レリ。本資料第三十五巻所収「日米協会」大正十二年十月一日ノ条参照。



〔参考〕(金子堅太郎)書翰 渋沢栄一宛大正一二年九月二二日(DK400021k-0012)
第40巻 p.139-140 ページ画像

(金子堅太郎)書翰  渋沢栄一宛大正一二年九月二二日
                       (渋沢子爵家所蔵)
  尚以御申越之米国の寄贈金は、御相談之上決定可致候、其旨徳川公・糟谷君へも御申伝被下度候
尊翰拝読、今回之震火災は世界之歴史に未た曾而見聞せさる惨事に候事、如何なれは帝国に此災難が降下したる乎実ニ痛歎に不堪候、併し既往数十年間を回顧すれは、日本国民は日清・日露戦役に大勝利を得又欧洲戦争にて思ひも寄らさる利益を得て、有頂天となり、浮華に流れ、奢侈に酖りたる為に、天の之を懲戒したるならん乎とも被思候、依而将来自ら反省し徳義を守り奉公之念を涵養して、一大革新を決行すへき好機会ならんと存候、即ち禍を転して福となす事、今日国民之当然力むへき義務と被存候、幸に政府は復旧審議会を設け、尊台も其委員と被成候事者、誠ニ我等之賛成する所ニ御座候、就而は平素御主張之高説を忌憚なく御陳述被成、勇進断行第二之維新を御経営被成候様奉願候、小生も帰京御加勢可申候なれ共、一家之悲惨事に而目下当地ニ滞留致居候次第ニ御座候、御承知之通り川崎肇妻は病児看護之為ニ東京之本邸ニ滞留し、煙突崩落したる為に圧死し、其三人之子供等は森戸(葉山之隣村)之別荘倒潰之為ニ小生別荘ニ避難し、又忰之家族は鎌倉之寓居倒潰し、僅ニ身を以て脱れ、生命丈は助かり、是亦小生別荘に逃け来り、一時は三十有余之婦人小供等玄米之粥にて命を繋きたる而已、殊ニ川崎家之三人の孫は、母を《(の)》死を知らす日々小生之眼前にて楽んて遊戯するを見る事は、老祖父之身として実ニ悲惨之極にて、如何に剛毅なる小生も暗涙に咽みたり御推察被下度候、是は一家之私事に付、近日帰京して当路之閣臣にも進言し、又尊台にも御相談可申と存し居候、何卒為国家十分御尽力被下度候、併し帰京しても番丁之本邸も忰之新宅も全焼し、一物も取り出す事出来す裸一貫無一物之身故、目下宿泊所捜索為致居候間、其確定次第帰京可致候間、其節暖々御相談可仕候《(緩)》、就而は其以前ニ御参考迄ニ一・二之箇条奉供尊聴候
 - 第40巻 p.140 -ページ画像 
一、今回米国官民之同情に基き帝都之復興を謀る事
一、建築に要する鉄・木材・器械、及ひ河川開鑿並ニ道路作製之器械等は、米国より買入るゝ事
一、其金員は公債又は東京市債を以て交附する事、是は交渉次第ニ而出来得る事と確信致候
一、又一方には米国資本家と協議し、復興資本団を組織し、米国之資本を以て復興之費用に充つる事
 是はシカコ市・桑港之例あり
一、今回米人之同情心之発起したるを機会とし、日米共同(経済)事業を創始する事
一、此機を失はす日米親善を扶殖する事
右者只今思ひ附きの儘記載致候へとも、尚御考究被下度候、何れ近日拝顔万々可申述候 匆々頓首
                        堅太郎
  九月廿二日夜十時
    渋沢子爵
          研北
 匆卒之際大乱筆御寛容被下度候