デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

大正2年6月5日（1913年）

是日、アメリカ合衆国カリフォルニア州フローリンノ婦人アリス・エム・ブラオン、栄一ニ書翰ヲ送リテカリフォルニア州排日土地法案其他ニ関スル意見ヲ述ブ。

竜門雑誌　　第三〇三号・第三〇―三二頁　大正二年七月
　　　　加州問題とブラオン女史
　　　　　　　　青淵先生への来信
　北米合衆国加州フローリン町アリス・ヱム・ブラオン女史より六月五日付にて青淵先生の許へ左の来信ありたり、女史が如何に崇高なる識見を以て加州問題を観察し居るか、又同問題の表裏が如何になり居るか等之に依つて窺知するを得ん。
　拝啓仕候、陳ば私が玆に本書状を閣下に呈し、且つ先般加州議会会期中我が政治界に勃発瀰漫したる軽挙妄動に対して打撃を加ふるの目的を以て著述したる小印刷物を拝呈致すことになりしは、閣下の友人にして同時に又私の友人たるジヨルダン博士の御勧めに従ひたるものに御座候。
　邪曲なる政治家と労働組合とが連合して企てたる這般の計画は不幸にも美事に其目的を達し申候。
　議会の司法委員会に出席して日本人攻撃を試みたる一弁護士の如きは、人格甚だしく下劣なる人物にして、若し此際相当の知識と品格とを具ふる人士の之れを駁撃するあらば、確かに有効なる結果を生じたりしならんとは、我々どもの当時深く感じたる所に御座候、斯かる劣等なる政治の行はるゝを見ても、我々は之を以て誠実てふ美徳が此の世に既に不用となりたるの実例とは認め申さず候。
　抑排日問題の勃発したる当初に於ては、我々は尚ほジヨンソン知事に対して信用を抱き居りしも、其後逐次氏の真相を知るに及んで我々は全く同氏に対する信用を失却し、同時に這般の政治的悪計の加担者たることを発見仕候。
　同氏は労働組合の投票を獲得して其の地位を守るに熱心なるが為め遂に防禦力なき日本人を其の詭計の標的に択び、以て労働者の歓心を買ひたる次第に候、又氏は中央政府の態度を困難ならしむる機会を発見するや否や急速に排日案を通過せしむるに努め申候、若し夫れルーズベルト氏が大統領の職にありしならば氏の手腕は能く斯くの如き議
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案を消滅せしむるの力ありしならんと存じ候。
　ジヨンソン知事の性格は甚だ挑戦的に有之、昨秋の失敗の如きは其の最も苦痛多かりしものに御座候。
　貴国民即ち日本人が加州の為に仕遂げたる事業が確実に認められ且つ賞讚せらるゝの日は他日必ず到着すべしと信じ候、又我々は加州に於ける這般の差別的立法に対して閣下が表せられたる寛容なる態度に敬服致すものに御座候、又近く開かるべき巴奈馬太平洋博覧会には貴国が西洋文明を摂取咀嚼したる結果を表示すべき出品を行はるゝ筈なるも、這般加州事件の報復手段として其の出品を謝絶すべしとの議論貴邦に於て大に行はれたるに対し、閣下は之を非難して予定通りの出品をなさしむるに努められたる由、昨日発行の当地諸新聞に於て其の記事相現はれ申候、私は右の報導を一読して閣下の高尚なる襟度に深く感服仕候、恐らく識見ある米人は此の記事を見て皆私と同様の感想を抱きたることゝ信じ候、実に這般の如き事件に遭遇して感情憤恨の高まりたる場合に斯かる冷静高潔なる態度を持せらるゝは、即ち其の道徳的勇気の盛なる証拠にして、同一の道徳的勇気を我が米人が抱持するを得るや否やは残念ながら疑問に御座候、貴邦民今回の態度は洵に寛容大度の徳に就て我が米国人に実物的教育を施されたるものと可申候。
　又一方より観察すれば、貴邦人が斯の如く寛容大度忍耐の徳に富まるゝ事は、之れを以て貴邦民を白人同様に待遇するに足るべき一の証拠と認むることを得べく候。
　西洋文明は必ずしも東洋文明より優れりと謂つべきものにも無之、東洋に於ける我が友に対しては、少なくとも平等を認むべきものに有之候。
由来教育は寛容と欽仰の徳を進むるものにして、我等米人は今後一層教育の力を藉りて智見を開くを要し候、蓋し我等は現今の東洋諸国を知るの程度寧ろ往古の希臘羅馬を知るよりも少きが故に御座候、然りと雖ども広く知識を追求せしむるが為めに、一般国民を覚醒せしむるには、這般の加州問題と殆んど同様なる人心の激動を見ざるべからずと存じ候、世上価値あるものを獲得するに未だ曾て苦闘を要せざりし例無之、夫の詩人ブローニングが「阻礙よ来れ、平地を荒土となすの障礙よ来れ」と詠じたる如く、偉大にして善良なる産物は必ずや常に苦痛の中より生れ来れるものに有之候、而して異人種が其の相互間の理解を深くし四海同胞の確信を抱くに至るまでには、若干の軋轢紛擾を経ざるべからずと信じ申候、中央議会に於ては既に加州の行ひたる偏頗なる措置を匡正せんとするの運動開始せられ申候、即ち議員ハルソールト氏は各州をして外国人の利害に関する立法を行はざらしめんとするの法案を提出し、議員モルドツク氏は東洋人に帰化権を附与せんとするの議案を提出致され候、而して私は右両氏に長文の書案を送りて斯かる法律の極めて必要なることを唱道致置候。
　私は此程当国へ来たられたる知名なる貴邦人（按ずるに添田博士等のことなり）に面会するの機会を得たりしことを喜び申候、但し其の会見の時間の甚だ短少なりしは遺憾に堪へざる次第に候へ共、孰れワ
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シントン府より当地へ帰着せらるべきに就き、其節更に会見仕度と存じ居候。
先は右謹で得貴意候　敬具
　　一九一三年六月五日
　　　　　　　　　　　　加州フローリンにて
　　　　　　　　　　　　　　　　アリス・ヱム・ブラオン　拝
　　　　東京　渋沢男爵閣下

北米の日本人　末広重雄著　　第二一二―二一四頁　大正四年二月刊
　○第四章　第二節　第二款　啓発運動の実行方法
　　　　第二項　外的啓発運動
○上略　斯かる国であるから排日の最も甚だしい加州でも、日本人の為排日派の主張を弁難攻撃する者が少くない。吾人は此等の人々に対し深厚なる謝意を表さねばならぬが、中にも感服せざるを得ざるは、一村挙つて排日派のところで、毅然日本人の為に奮闘する一人の女子がある。其の人は加州の都サクラメントを去る約九哩の地にあるフローリン村のブラウン嬢である。此の村は日本人が入込む前は牧草位の耕作をやつて居て、地価も廉く借地料も亦従て低かつた。日本人が此の村に来住したのは約二十年前のことであるが、彼等の奮闘努力の結果、砂を化して黄金と為し、今日は葡萄と苺の産地を以て有名となり、地価は騰貴し村は富んで全く面目を改めるやうになつた。然し勤勉なる日本人農夫の為追出された白人の小作人がある。日本人の競争の為門前雀羅を張るやうになつた白人の小売商人もある。彼等は猛然として排日を叫ぶやうになつた。米国で二百万の売高ありと称せられるコリアー週刊雑誌記者マクフアーレンが日本人侵入の恐るべきを絶叫し、加州土地法の必要を弁護する為実例として挙げたのは此の村である。国務卿ブライアンが昨年土地問題に関して、加州議会の反省を促す為加州に赴いた時、土地法案賛成者が氏に立法の必要を覚らしめる為、態々案内したのは同じく此の村である。ブラウン嬢の父は二十英加許りの葡萄畑の地主で、収穫折半の約束で之を日本人に耕作せしめて居る、嬢が日本贔負となつたのは根柢に利益問題があることは疑がないけれども、女子の身を以て而も痼疾ある身を以て、日本人は排斥どころでなく、加州農業上欠くべからざる者であることを論じ、或は雑誌に寄書し、或はパンフレツトを出し、盛に活動して日本人の為に万丈の気焔を吐いて居る。此の如きは之を現代の日本女子に望み難いは勿論のこと、有髯男子をして後へに瞠若たらしむるものがある○下略
　　○Alice Brown　ガ　Florin　地方ノ状況ヲ述ベタル一文ハ　"The Real Japanese Question" pp.48-49 1921, N.Y.,　ニ掲ゲラレタリ。ナホ同地方ニ関シテハ　"The Japanese Problem in the United States" pp.l52ff. 1915,N.Y.,　ニ詳述セラレタリ。