デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
7節 其他ノ資料
2款 日米関係諸資料
■綱文

第40巻 p.473-476(DK400140k) ページ画像

昭和5年5月26日(1930年)

是日栄一、アメリカ合衆国大使館新築定礎式ニ臨ミ祝辞ヲ述ブ。


■資料

(アメリカ合衆国駐日大使) 書翰 渋沢栄一夫妻宛 (一九三〇年五月)(DK400140k-0001)
第40巻 p.473-474 ページ画像

(アメリカ合衆国駐日大使) 書翰 渋沢栄一夫妻宛 (一九三〇年五月)
                    (渋沢子爵家所蔵)
 - 第40巻 p.474 -ページ画像 
(印刷物)
        The American Ambassador
     requests the pleasure of your company
              at the
         laying of the Corner-stone
              of the
       Diplomatic and Consular Buildings
              of the
            United States
            at 3.00 p. m.
     May 26, 1930, Enokizaka-machi, Akasakaku
                       Tokyo
R.S.V.P.
(右訳文)
拝啓、陳者来ル五月廿六日午後三時東京市赤坂区榎坂町ニ於テ、米国大使館及領事館新築定礎式挙行仕候ニ付御賁臨被成下度、此段御案内申上候 敬具
                      米国大使
    子爵渋沢栄一閣下
      同令夫人
  諾否御一報被下度願上候


(ウィリアム・アール・キャッスル) 書翰 渋沢栄一宛 一九三〇年五月二日(DK400140k-0002)
第40巻 p.474-475 ページ画像

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渋沢栄一書翰控 ウィリアム・アール・キャッスル宛 一九三〇年五月一六日(DK400140k-0003)
第40巻 p.475 ページ画像

渋沢栄一書翰控 ウィリアム・アール・キャッスル宛 一九三〇年五月一六日
                  (渋沢子爵家所蔵)
                (別筆)
                五月十四日御承認済
    案
 米国大使館
  ダブルユ・アール・キヤツスル閣下
    千九百三十年五月 日        渋沢栄一
拝復、益御清適奉賀候、然者去二日付尊書を以て来廿六日午後三時亜米利加大使館及領事館新築定礎式御挙行の由にて御寵招被下難有奉存候、同日御指刻欣然拝趨親しく御詞申上、猶仰に従ひ簡単なる御挨拶申上度と奉存候
右御請迄得貴意度如此御座候 敬具
   ○右英文書翰ハ同月十六日付ニテ発送セラレタリ。


中外商業新報 第一五九一三号 昭和五年五月二七日 米大使館定礎式 きのふ挙行さる(DK400140k-0004)
第40巻 p.475 ページ画像

中外商業新報 第一五九一三号 昭和五年五月二七日
    米大使館定礎式
      きのふ挙行さる
震災後仮住居をつゞけてゐた米国大使館は、いよいよ明年三月竣工の予定で、霊南坂の旧大使館跡に再建築に着手することゝなり、廿六日午後三時半から立教大学総長ライフスナイダー氏
 司会のもとに定礎式が行はれた
 来賓は牧野内府・一木宮相・幣原外相・徳川家達公・蜂須賀正昭侯・渋沢栄一子・阪谷芳郎男・三井八郎右衛門男・有賀長文・池田成彬・串田万蔵・鎌田栄吉・深井英五・児玉謙次・大谷嘉兵衛諸氏
その他日米協会関係者、在留米人等三百余氏に達し、ネビル参事官の挨拶に次で日米協会々長として徳川公の
 祝辞があり、これに対しキヤツスル大使は「復興の大東京に更に一美観を加へたい」と感謝の辞を述べ、更に渋沢子は日米親善を説いて祝辞を述べ、右終つてキヤツスル大使の手によつて定礎の儀式を行ひ最後にライフスナイダー氏の祈祷があつて、四時式を閉じた


竜門雑誌 第五〇一号・第一〇二頁 昭和五年六月 米国大使館建築定礎式に於ける子爵の挨拶(昭和五年五月二十六日(月)午後三時)(DK400140k-0005)
第40巻 p.475-476 ページ画像

竜門雑誌 第五〇一号・第一〇二頁 昭和五年六月
    米国大使館建築定礎式に於ける子爵の挨拶
        (昭和五年五月二十六日(月)午後三時)
 - 第40巻 p.476 -ページ画像 
 聊か年長であるといふ以外に別に之と申すべき資格は無いにも拘らず、今日大使閣下より御寵招を蒙りまして此盛典に列するを得た事を難有御礼申上げます。
 私は英語を一向解しませんにも拘らず日米親善の為には長い間努力して参つた一人であります。両国親善の為めには従来幾度か愚見を発表した事があります。然し今日の様な儀式に列した事は之れが始めであると申して宜敷いのであります。従つて何を申上げてよいか解らぬ次第であります。然し唯一つ丈け申述べて置きたいと思ふ事があります。それは如何に物質的進歩が顕著であつても、精神的方面の進歩が之に伴はねば、其進歩は完全とは言ひ得ないと思ふと云ふ事であります。斯く申しますと此御目出度い御席に不適当な言葉を陳上する様になりますかも知れませんが、決して斯かる意志ではなく、御目出度い今日の御式を一層目出度いものにしたい為めで御座います。何故かと申せば、日米の精神的関係が唯今定礎式を挙げられる此大使館の建築物よりも一層強固であつて欲しい、前に申した完全な進歩の楔たらしめたいと期する次第であります。尤も居は気を移すとか、干戈を見れば戦を思ふとか、宮殿を見ては敬礼の念生ずといふ事がありますから此度御計画の立派な大使館が出来るといふ事は、日米親善を増進する有力なる機関を見るのであつて、此点からも慶賀に堪へぬ次第であります。彼是と思返しまして此式の目出度さを沁々と感ずるので御座います。爰に一言感想を述べて祝辞に代へました次第で御座います。