デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
7節 其他ノ資料
3款 其他外国関係資料
■綱文

第40巻 p.504-506(DK400151k) ページ画像

大正10年3月21日(1921年)

是日、国際平和協会創立発会式、帝国ホテルニ催サル。栄一出席シテ祝辞ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 大正一〇年(DK400151k-0001)
第40巻 p.505 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一〇年        (渋沢子爵家所蔵)
三月十九日 晴 軽寒
○上略此日関直彦氏平和協会ノ事ニ付来訪○下略
  ○中略。
三月二十一日 曇 寒
○上略午飧後帝国ホテルニ抵リ、国際平和協会ノ発会ニ出席シテ一場ノ演説ヲ為ス○下略


(阪谷芳郎) 大日本平和協会日記 大正一〇年(DK400151k-0002)
第40巻 p.505 ページ画像

(阪谷芳郎) 大日本平和協会日記  大正一〇年
                     (阪谷子爵家所蔵)
○十年三月廿一日帝国ホテルニテ国際平和協会創立発会式アリ、諸名士集マル
 右余ハ断リ欠席ス、亦入会モ断ル(此会ハ初ヨリ不審ノ会ナリ)
 蜂須賀侯会長ニ推サル


中外商業新報 第一二五七六号大正一〇年三月二二日 国際平和協会、華やかに発会式 帝国ホテルに集る三百人 諸氏の演説もとりどりに(DK400151k-0003)
第40巻 p.505-506 ページ画像

中外商業新報  第一二五七六号大正一〇年三月二二日
    国際平和協会、華やかに発会式
      帝国ホテルに集る三百人
      諸氏の演説もとりどりに
国際平和協会創立大会が廿一日午後一時から帝国ホテルで挙行された来賓には徳川貴族院議長・加藤子・渋沢子
 後藤男 犬養・高田早苗・林外務勅参・原首相秘書官等の他、発起賛成人側では箕浦・鵜沢・武藤・北条等の貴衆議員に実業家・新聞記者等三百余名、関直彦氏が開会辞を述べ、杉田定一氏を座長に推す、斯て粕谷義三氏が協会創立の報告をして綱領・宣言・決議をした後、事業・会則の審議を行ふ、次で座長は蜂須賀侯爵を会長に推薦すると
 和服姿 の同侯は立つて簡明な就任挨拶をする、総理大臣・内田外相・徳川貴族院議長・奥衆議院議長・大隈侯等の祝辞や代読があつてから、偉躯を瀟洒なモーニングに包んだ加藤憲政会総裁の演説となつた、珍品で散々毒ついた政友会も今日は呉越同舟、名も平和協会とあつて拍手で迎へ至極平穏に終ると、渋沢子が「会則にある
 政治家 学者・実業家でもない私が招かれたのは不可思議である、然し国民は止めない、元実業界にゐた実業家で平和を希望する一国民として招かれたのであらう」と諧謔一番し、扨て「現在の如く各国が動物の集まりの如く、顔さへ合はすと自国の利益のみを考へて、喧嘩をしてゐては駄目である、国際道徳が向上せねば真の平和は望まれない」と結び、犬養木堂氏は「世間では
 軍閥が あるといふが、それは過去のことで現在はない、然るに各国に色々なことが起るとその罪を軍閥にかぶせてゐる」と皮肉を弄し後藤男は「諸氏から十分に尽されてゐるから、この上話す事は雪に霜を添へる感がある」と簡単に済ますと、蜂須賀会長の発声で陛下の万歳を三唱して三時半盛会裡に散会した、尚同会の綱領左の如し
 本会は国際的正義と人道との大義に則り、凡ゆる国際間の忘想僻見を一掃し、東西文化の融和を計り、日支・日米其他の各国と親密緝
 - 第40巻 p.506 -ページ画像 
睦の実を挙げ、世界の平和に貢献し、人類の福祉を増進し、以て日本帝国の使命を全ふせんことを期す


竜門雑誌 第三九五号・第五五―五六頁大正一〇年四月 ○国際平和協会創立大会(DK400151k-0004)
第40巻 p.506 ページ画像

竜門雑誌  第三九五号・第五五―五六頁大正一〇年四月
○国際平和協会創立大会 昨年八月以来其創立を企図せられつゝありたる国際平和協会は、其創立大会を三月二十一日午後二時より帝国ホテルに於て開催せられたり。来会者は青淵先生を始め、徳川公爵・蜂須賀侯爵・加藤子爵・後藤男爵・犬養毅氏等朝野各方面の名士三百余名に達し、先づ関直彦氏開会の辞を述べ、次に杉田定一氏を座長に推薦し、左記綱領・宣言及事業を決議し、座長の指名にて蜂須賀侯爵を会長に推挙し、更に祝辞演説に移り、原首相・大隈侯爵・内田外相・奥衆議院議長の祝辞代読、徳川貴族院議長の祝辞朗読、加藤子爵・犬養毅氏・後藤男爵及び青淵先生の祝辞演説等あり、最後に蜂須賀会長の音頭により両陛下の万歳を三唱して四時散会せる由。
    宣言
 欧洲の大戦漸く終熄し国際聯盟成立を告げたりと雖も、世界の現勢は未だ安定を見るに至らず、列強皆な戦禍の後を承け、競うて国力の回復に努力しつゝあり、為めに国際関係愈々複雑を極め、世界の平和はむしろ前途遼遠の感なくんばあらざるなり、今や帝国の対外関係は動もすれば猜忌と誤解を招き、彼我感情の阻隔を生ずるの虞れなしとせず、日米・日支の問題の如き、若し何者か其の間に蟠まるところありとせば、是れ啻に相互の不利なるのみならず、又世界平和の為めに最も忌むべき所にして、飽くまで此等の雲翳を一掃するに勗めざるべからず、惟ふに国際間の事は国家相互の諒解と国民相互の意志疎通とに依つて始めて之れが調和を期するを得べし、是れ国民的外交の実を挙ぐるの必要益々加はる所以なり、即はち本会は国民的運動の中心機関を以て任じ、我が国民をして帝国の立場と責任とを自覚せしめ、進んで国際間の妄想僻見を除き、東西文化の融和を計り、日米・日支其の他各国間との親善を保ち、世界の平和と人類の福祉とを二大基調として、以て我帝国の使命を全ふせんことを期す、同憂の士冀くは来つて協心戮力せよ
    綱領
 本会は国際的正義と人道の大義とに則り、凡ゆる国際間の妄想僻見を一掃し、東西文明の融和を計り、日支・日米其他の各国と親善緝睦の実を挙げ、世界の平和に貢献し、人類の福祉を増進し、以て日本帝国の使命を全ふせん事を期す
    事業
 一、政治家・学者・宗教家・実業家・新聞記者等社会の有識者を米国・支那其他必要の地に出張せしめ、親しく言論講演し、以て関係国民の諒解を求むること
 二、電報・文書又は其他の方法を以て、日本上下社会の真相実勢を宣明し、以て我対外思潮及日本の立場を諒解せしむると共に、海外に於ける与論の趨勢を国民に周知せしむる事
 三、其他目的遂行上必要なる一切の施設