デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
7節 其他ノ資料
3款 其他外国関係資料
■綱文

第40巻 p.539-543(DK400165k) ページ画像

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■資料

渋沢栄一 日記 大正七年(DK400165k-0001)
第40巻 p.539 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正七年        (渋沢子爵家所蔵)
一月二十五日 晴 寒
午前八時起床、洗面シテ病褥ニ於テ朝飧ス、食後桜井義肇氏来ル、明日発足印度ニ渡航スルニ付告別ノ為メ訪問セラルルナリ、依テ面会ノ上マイソールナルカンタラジヤ氏ヘ日光ノ画巻物ヲ贈リ、曩ニ贈与セラレタル写真帖及神話ノ書冊ニ酬ユ○下略


支那関係諸方往復(一)(DK400165k-0002)
第40巻 p.539-540 ページ画像

支那関係諸方往復(一)          (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
拝啓、益御多祥之段奉欣賀候、陳者今回支那安徽省桐城ノ碩学方望渓ノ後裔ニテ民国画壇ニ名声アル北京国立美術学校教授子易先生方洺氏所作ヲ携ヘテ東遊セラレ、曩ニ三越美術部ニ於テソノ一部ヲ展覧ニ供セラレ候処、更ニ来ル十一月七日ヨリ十一日迄五日間午前九時ヨリ午後八時迄、神田仲猿楽町日華学会(三崎町停留場前)ニ於テ右携来絵画全部ノ展覧会ヲ催シ候間、開会中御家族御知人御誘引御来観ノ栄ヲ賜ハリ度、此段謹而御案内申上候            敬具
  大正十三年十月五日        発起人(イロハ順)
                      稲垣蘭圃
                      細川護立
                      門野重九郎
                      内藤久寛
                      山本条太郎
                      山井格太郎
                      藤瀬政治郎
                      小室翠雲
                      江口定条
                      荒木十畝
                      渋沢栄一
                      白岩竜平
                      杉渓六橋
 - 第40巻 p.540 -ページ画像 
 追而御来観ノ節ハ此状御持参ノ程希ヒ上候


(増田明六)日誌 大正一三年(DK400165k-0003)
第40巻 p.540 ページ画像

(増田明六)日誌  大正一三年      (増田正純氏所蔵)
十月十二日 日
朝、福島甲子三氏鮮人魚江同伴来訪す、魚江は目下日本中学校三年生なるが、学資不足の為め福島氏の懇談に依り、同校卒業迄子爵ニ於て給費(月額金拾五円宛)せらるゝ事と為りしを以て、特に今朝同伴同人を小生ニ引合ハされたる次第なり
○下略


支那関係諸方往復(一)(DK400165k-0004)
第40巻 p.540-541 ページ画像

支那関係諸方往復(一)          (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
拝啓、時下寒冷ノ砌ニ御座候処愈御健祥ニ被為在奉欣慶候、陳者今回中華民国画壇ノ大家孫松画伯日本研究ノ為メ来遊セラレ候ニ付、同志相図リ氏ノ作品展覧会ヲ開催致シ聊カ同氏ヲ紹介致度ト存候間、幸ニ御賛同ノ上御知人御誘ヒ合セ御来観被下候ハヾ光栄ノ至リニ存候
右御案内申上度如斯ニ御座候
 会場 神田区仲猿楽町一七 日華学会(三崎町電車停留場前)
 期日 大正十三年十二月廿日ヨリ廿五日迄
尚ホ開会第一日ハ緩々御観覧願度特ニ招待日ト致シ候間、御家族御同伴御来観被為賜度願上候
 追テ御来観ノ節ハ此状御持参ノ程願上候
大正十三年十二月十七日
  孫松画伯来遊記念展覧会      発起人(イロハ順)
                      石川光雄
                      星一
                      徳富猪一郎
                      頭山満
                      張元節
                     爵小笠原長幹《(伯)》
                    男爵大倉喜八郎
                      大谷藤次郎
                      川合玉堂
                      神田鐳蔵
                      横井半三郎
                      横山大観
                      田口米舫
                      田辺為三郎
                      高橋錬逸
                      高島菊次郎
                      竹村利三郎
                      角田隆郎
                      黒川新二郎
                      山本悌二郎
 - 第40巻 p.541 -ページ画像 
                      山川瑞三
                      山井格太郎
                    伯爵松浦厚
                      松浦鎮次郎
                      正木直彦
                      松岡新一郎
                      福原鐐一郎
                      藤山雷太
                      小村俊三郎
                      小堀鞆音
                      児玉謙次
                      小貫慶治
                      小室翠雲
                      江洪杰
                      後藤朝太郎
                      近藤鉄次
                      江口定条
                    子爵青木信光
                      朝倉文夫
                      荒木十畝
                      朝岡健
                      明渡知瑜太郎
                      油谷恭一
                      菊地長四郎
                      由井彦太郎
                      宮田光雄
                      光永星郎
                      白石村治
                    子爵渋沢栄一
                      白岩竜平
                      平福百穂
                      森弁次郎
                      首藤正寿


(増田明六)日誌 大正一四年(DK400165k-0005)
第40巻 p.541 ページ画像

(増田明六)日誌  大正一四年    (増田正純氏所蔵)
三日○五月 日 雨
来訪者
○中略
 魚江(鮮人)子爵より学資補助ある関係上学校ニ関する件
○下略



〔参考〕(孫松画伯後援会)書翰 渋沢栄一宛大正一五年一月一八日(DK400165k-0006)
第40巻 p.541-542 ページ画像

(孫松画伯後援会)書翰  渋沢栄一宛大正一五年一月一八日
                   (渋沢子爵家所蔵)
        (別筆)
        大正十五年一月十八日孫松画伯後援会来状
 - 第40巻 p.542 -ページ画像 
奉拝啓候、時下厳冬の砌に御座候処益々御多祥に被為渉奉大賀候、陳者目下来遊中の孫松画伯後援会発起人として予て御讃同を忝ふ致居候処、今回愈別紙○欠クの通り展覧会を開催致す事と相成候付ては、重て発起人として御尊名御推戴申上候間、何卒御了承被為賜度奉悃願候
                            敬具
  十八日
                    孫松画伯
                       後援会
    渋沢栄一様
        御侍史


〔参考〕外務省関係書類(三)(DK400165k-0007)
第40巻 p.542-543 ページ画像

外務省関係書類(三)          (渋沢子爵家所蔵)
機密
拝啓、陳者本年十一月三十日民国大学専門部預戯劇専修科主任中国大学文本科教授潘廷幹ナル者、李烈釣氏使者トシテ在支芳沢公使ヲ来訪別紙写ノ通ノ李氏自署ノ書翰ヲ手交シ、同書翰ノ趣旨ヲ貴殿ヘ転達方願出テタル趣、同公使ヨリ申越ノ次第有之候ニ付、右写及御送付候
                            敬具
  大正十四年十二月二十六日
                      外務省
    渋沢栄一殿
(別紙)
(ゴム印)

北京日本公使館芳沢閣下勛鑑
御手数恐縮ナカラ左記要旨ヲ貴国頭山満・犬養毅・田中義一・床次竹二郎・加藤高明・青木信光・渋沢栄一・後藤新平諸先生ニ御伝達被下度奉懇願候
    左記
敝国ハ今回国民ノ努力ニ依リ中央革命稍成功ノ緒ニ就キ、軍閥官僚ノ横暴モ亦漸次之ヲ消除シ得ヘク、今後日支両国国民精神ノ団結及両国政府ノ提携ハ益々容易ナルノ情態トナリタルコトヲ御報知致スコトヲ欣幸トス、願クハ此旨貴国全国民各位ニ御伝ヘヲ請フト共ニ、東亜ノ為メ御協助ト御指教ヲ与ヘラレムコトヲ懇願ス
       於張家口 李烈鈞 十一月二十九日
  ○李烈鈞字ハ協和、江西省武寧県ノ人、西暦千八百八十二年生ル、日本陸軍士官学校第六期砲兵科ヲ卒業シ、前清末年帰国後軍事教育ニ膺ル、第一革命起ルニ際シ雲南独立ニ参画シ、次デ江西独立ニ奔走シ、後江西軍ヲ率ヰテ武漢ノ革命軍救援ニ赴ク、千九百十二年江西都督トナル、翌年宋教仁暗殺後袁世凱ニ反抗シ、江西ノ独立ヲ宣シテ第二革命ヲ企テテ成ラズ、日本ニ亡命ス、千九百十五年袁ノ帝制問題生ズルヤ、帰国雲南ニ入リ其独立ニ協力シ、袁討伐軍ヲ組織シ、自ラ第二軍総司令トシテ広西ニ出動ス、千九百十六年広西・広東相継デ独立シ、雲南・貴州ヲ合シテ広東省肇慶ニ雲貴両広聯立軍務院組織セラルルヤ、撫軍ニ任ジ、麾下軍隊ヲ率ヰテ肇慶ニ入リ、爾来孫文ト行動ヲ共ニス、千九百二十年孫広東軍政府ヲ再興スルニ及ビ参謀部長ニ任ゼラレ、千九百二十二年北伐軍中路総司令トシテ江西ニ侵入シ其南部一帯ヲ占領セルモ、広東政変ノ影響ヲ受ケ、敗レテ上海ニ逃ル
 - 第40巻 p.543 -ページ画像 
翌千九百二十三年広東軍政府ヨリ閩贛辺防督弁ニ任ゼラレ、翌年国民党第一次中央執行委員ニ挙ゲラレ広東政府ノ特使トシテ日本ニ渡ル、同年北京政府ヨリ参謀総長ニ任ゼラレシモ就任セズ、孫ニ従ウテ北京ニ入ル(「現代中華民国満洲国人名鑑」第三八六頁)


〔参考〕諸会報告書 【(印刷物) 拝啓、時下益御健勝奉賀上候 扨各固よりの留学生友遇並に人道的国際友誼の為め…】(DK400165k-0008)
第40巻 p.543 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕国際知識 第一二巻第二号・第四五―五四頁昭和七年二月 日米親善と故渋沢子爵 日米関係委員会幹事小畑久五郎(DK400165k-0009)
第40巻 p.543 ページ画像

国際知識  第一二巻第二号・第四五―五四頁昭和七年二月
    日米親善と故渋沢子爵
                 日米関係委員会幹事小畑久五郎
 大正十二年に起つた関東大震火災以来、昭和六年迄の八年間、個人的に故渋沢子爵を訪問された外国人(大多数米国人)の数は延べ人員にして約三百人である。男女別にすれば男二百三十六人、女六十四人である。男二百三十六人を職業によつて分類すれば実業家五十六人、宗教家五十四人、新聞雑誌記者三十二人、外交官十八人、学者十六人銀行家十六人、教育家六人、官吏六人、国際的事業関係者三人、弁護士一人、社会事業家一人、軍人一人、医師一人、外少年二人である。女六十四人中の主たる者は妻君連であつて、其内には記者・社会事業家・芸術家等も加はゝつて居る。○下略