デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
1節 儒教
3款 財団法人斯文会
■綱文

第41巻 p.74-78(DK410021k) ページ画像

大正13年11月2日(1924年)

是日、当会主催第二回尚歯会、華族会館ニ開カル。

栄一出席シテ所感ヲ述ブ。


■資料

斯文会書類(DK410021k-0001)
第41巻 p.74-75 ページ画像

斯文会書類               (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
拝啓、時下愈御清適奉祝候、陳者来十一月二日午後二時麹町区内山下町華族会館に於て、第二回尚歯会を挙行し会員と与に貴下の御高齢を
 - 第41巻 p.75 -ページ画像 
敬祝仕度候間、御多用の処恐縮ながら御貴臨の光栄を賜り度、此段御案内申上候 敬具
  大正十三年十月二十日
            財団法人 斯文会会長 公爵 徳川家達
 追て乍御手数御来否折返し御通知被下度候
 又翌三日新宿御苑拝観の許可を得候に付、御希望の方は御返事と同時に其旨御申越被下度候
(印刷物)
    第二回尚歯会次第
 一、開会の辞
 一、会長祝辞
 一、正賓答辞
 一、記念品贈呈
 一、記念写真撮影
 一、開卓
 一、閉会
                    財団法人斯文会


集会日時通知表 大正一三年(DK410021k-0002)
第41巻 p.75 ページ画像

集会日時通知表 大正一三年       (渋沢子爵家所蔵)
拾壱月二日 日 午後二時 斯文会催尚歯会(華族会館)


斯文 第六編第六号・第六〇―六五頁大正一三年一二月 尚歯会記事(DK410021k-0003)
第41巻 p.75-78 ページ画像

斯文 第六編第六号・第六〇―六五頁大正一三年一二月
    ○尚歯会記事
 十一月二日華族会館に於て第二回尚歯会を開催せり。服部総務の開会の辞の中にも述べられし如く、本年は会員全体より七十歳以上の方方を招待することになりし為め、総計四十三名といふ多数に上りたり先づそれ等の方々の芳名を列記すれば左の如し。
 東京市外滝野川町西ケ原一〇三六 八十五歳 子爵○渋沢栄一
○中略
              ○印は当日参列の諸氏なり。
 定刻午後二時、第二回尚歯会は服部総務の開会の辞にて始まれり。
      服部総務開会の辞
 只今より第二回尚歯会を開きまするに当り一言御挨拶を申上げます昨年第一回尚歯会を開きまする時、会員全体に渉りて七十歳以上の方方を招待すべしといふ説も有りました。当時調査の困難を慮つて役員に限定致しましたが、今年は会員全体に推し拡めることに致し予め会員諸君に生年月日の御通知を願ひまして、之に拠つて取調べました。然るに御通知を為し下さらぬ方も有り、其の中に七十歳以上の方が有るかも知れぬと思ひますが、会としては取扱ひ様が御座りませぬ。御通知により判明して居るだけが七十歳以上四十三名と相成り、其の芳名は御手許に差上げた如くであります。昨年申上げました如く役員の方では本年八十歳に躋られました石黒顧問、七十歳に達せられました井上副会長を正賓とし、其の他の方は陪賓とし又会員の方は本年は七十歳以上を全部正賓とし、明年よりは亦役員
 - 第41巻 p.76 -ページ画像 
の例に拠ることに致さうと存じます。正賓の方方には後刻会長より記念品を差上げられます。
 客秋の大震火災の後を承け本会仮事務処の建築、仮聖堂の造営、本会事務の整理等の為め、春物駘蕩の時を以て此の会を開くことを得ず、秋風粛殺の候に臨みて此の式を行ふことゝなりましたのは理事等に於て御詑を申上げます。それにも拘らず諸老先生多く賁臨下され特に地方よりも態々御来光を蒙り、又会員諸君多数御参同下され因て此の会を盛ならしむるを得たるは一同の深く感謝するところであります。御来会の方方の為め 禁庭の拝観を願ひましたところ、御都合により新宿御苑の拝観だけ許可に相成りました。来賓及び会員の中拝観希望の方は芳名を承り置き度、而して明三日午前十時までに新宿一丁目御苑北門前に御参集を願ひます。
次いで徳川会長は斯文会を代表して左の祝辞を述べられたり。
      祝辞
 本会に於て昨年始めて尚歯会を催し、役員にして七十歳以上に達せられたる方方を御招待致しました。それは一は尚歯敬老の美風を天下に弘め度、一は従来本会の事業に援助尽力を賜はりしことを感謝致し度微衷より出でたる次第であります。其後世間にも往往尚歯会の催ある事を聞くに至りましたことは不肖の窃に喜ぶ所であります而して客秋の大震火災の為め本会も多大の損害を被り、又湯島聖堂は烏有に帰しましたので、本会は一面聖堂再建を計画しつゝあり、又一面時勢に鑑み益々思想善導・学術研究の事業を進めんとしつゝありますので、将来更に一層、御援助を仰がねばならないと考へます。本年は第二回尚歯(会)を開くことになりましたので、昨年よりも範囲を広めまして、役員に限らず凡そ会員にして、七十歳以上に達せられたる方方を御招き申すことに致しました。短日の時節にも拘らず多数の御出席を得、特に各地方より態々御来臨下されましたことは誠に難有次第に存じます。本年も印ばかりの記念品を進呈致します。
 御受領下さらば本会の光栄とする所であります。
 終に臨みまして諸老先生の益々御康寧にして国家社会の為めに御尽力あらんことを祈り、併せて長く本会に御援助を賜はらんことを願ふ次第であります。
  大正十三年十一月二日
            財団法人斯文会会長 公爵徳川家達
井上哲次郎博士は役員の正賓として、大体左の意味の謝辞を述べられたり。
 我等の為めに此会を催されたことを感謝する。近来、世の風潮甚だ悪化して、古への敬老の美風は無くなりつゝある。否寧ろ侮老の傾向を生ずるに至つた。此際斯文会に此挙のあることは大に意義あることにして、且つ社会に影響する所も尠くないであらう。会長の仰せに従ひ今後と雖も益々国家社会の為めに大に尽力致し度い。
次ぎに会員の正賓を代表して内藤素行氏の挨拶あり。
 今日の催しは何よりの国家社会の大典と存ずる。今我等老人は感謝
 - 第41巻 p.77 -ページ画像 
と歓喜とに満ちてゐる。我等は微力なりと雖も益々奮起するであらう。思ふに尚歯の美風は東洋に於てのみ之を見る。向後益々此の美風を発揚し西洋にも教へて遣らねばならぬ。
今日の尚歯会に於て年歯の筆頭渋沢老子爵は元気な口調にて左の所感を述べられたり。
 現今の如く一般が西洋流なるには慨歎に堪えない。此頃文明協会訳の英国の書物を見ると、六十以上の人々を殺す方が経済なりとある西洋で老人を嫌ふのは老人が悪いのである。ラブートン・スミスといふ人が人間は九十迄働き得、百二十一迄生存なし得ることを言つてゐる。それは身体の用ひ方如何にあるのである。第一は活動を絶たぬこと、余り放つて置くと錆びる恐がある。第二は正しく自制してゆくこと。第三には心を平静満足にすること。この三つをやれば九十迄は慥かなりと書いてある。我々もそのやうにして長生しなければならぬ。而して長生するからには何かの用に立てねばならぬと思ふ。
これより徳川会長は今日の正賓の方々へ夫々記念品を贈呈せられたり記念品は
     役員の分     新田大碧製
  爵(青銅製)高サ四寸三分 両耳三足
     会員の分     岩滝尚美製
  三組木杯(朱塗金巻絵)大松に鶴 中竹 小梅
 記念品贈呈の後一同は会館の南庭へ出で、柔かい芝生の上にて記念の写真を撮影せり。愈々食堂の開かれしは午後四時四十五分にして、デザートコースに入るや徳川公爵の発声にて、諸老先生の寿を祝福する為めに一同起立して乾杯せり。それに対し渋沢子爵の音頭にて返杯の礼あり。次いで菅原良三郎氏は立ちて、精神修養即ち心の中庸は長命の秘訣なることを説破され、穂積男爵はその後を承けて大体次のやうな所感を述べられたり。
 文化の進むに従ひ徳政も漸進し、従つて敬老といふ徳目も生ずる。畢竟敬老の行はれてゐることは文化の進んでゐる程度を表現するものである。漢字の伯も、英語のサーも、仏語のモツシユーも、皆老といふ意味の含まれてゐる文字であつて、偶々文化の進めるものゝ敬老の風ある一端を知るに足るものである。所が余は先年欧米を視察して、世界の国々で、社会施設として養老院の完成を急としてゐることを知つた。これは、欧米人が個人主義であるが故に、働けなくなつた老人の養ひ手が無き為である。英国抔にては養老年金といふものを出して、此等老人を養ふ為めに、莫大な国庫金を費消してゐる。
 幸ひ日本にては家族制度が盛んであるので、各家庭それ自体が一つの養老院を形成してゐる。故に国家の年金を貰はなくとも、家庭に於て孫や子からかしづかれて楽しく余生を送ることが出来るのである。これは敬老といふ内容を持てる日本の家族主義の賜である。併し乍ら日本人家族中でも下層社会には然らざるものがある。これは日本人の社会政策を減ずる上から敬老尚歯の美風を此の方面に迄及
 - 第41巻 p.78 -ページ画像 
ぼすことが肝要である。少しでも社会政策を減ずることはお互に必要なことなのである。
其の後に三宅捨吉氏は至聖孔子の道を以て現代人を教化せねばならぬことを絶叫され、又会員平野市十郎氏の感謝の辞などありて午後六時十五分会を閉づ。第二回尚歯会は斯くて非常なる盛会裡に終りたり。
殊に当日列席されたる諸老先生が皆揃ひも揃つて壮者を凌ぐ程の元気ありしことは愉快の極みなりき。○下略