デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
1節 儒教
6款 曲阜孔子廟参拝
■綱文

第41巻 p.157-163(DK410051k) ページ画像

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■資料

(古仁所豊)書翰 渋沢栄一宛昭和三年一〇月二日(DK410051k-0001)
第41巻 p.157-158 ページ画像

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(門野重九郎)書翰 渋沢栄一・阪谷芳郎宛昭和五年九月二〇日(DK410051k-0002)
第41巻 p.158 ページ画像

(門野重九郎)書翰 渋沢栄一・阪谷芳郎宛昭和五年九月二〇日
                     (渋沢子爵家所蔵)
謹啓、秋冷之候愈々御清祥之段奉大賀候、陳ハ予而御申聞有之候曲阜孔廟保護の儀に付、靳雲鵬氏に御伝言申入候に対し、別紙の通り御両所に御礼御伝へ可致様依頼有之候儘、玆許来信御高覧に供へ申候、尚天津にて発行の京津日々紙上に、戦禍に因る孔廟損害に付別紙の如き記事有之候、御参考迄に供貴覧候、先ハ右御報告旁々得貴意申候
                          敬具
  昭和五年九月廿日
                       門野重九郎
    子爵 渋沢栄一殿
    男爵 阪谷芳郎殿
   ○別紙門野宛靳雲鵬書翰ハ次掲。京津日日新聞(昭和五年九月十日付)ノ切抜ハ略ス。


(靳雲鵬)書翰 門野重九郎宛(中華民国一九年)九月一〇日(DK410051k-0003)
第41巻 p.158-159 ページ画像

(靳雲鵬)書翰 門野重九郎宛(中華民国一九年)九月一〇日
                     (渋沢子爵家所蔵)
門野先生閣下握別以来屡更月琯臨風懐旧積日欽遅頃由増永長雄君転到恵箋開緘三復如親
光霽即承
動履綏嘉
興居集祜慰如所頌承
示曲阜至聖林廟日前頗有風鶴之驚当時戦起倉猝不免稍有損失但現在双
 - 第41巻 p.159 -ページ画像 
方均深知尊重聖地諒不致再於附近地方発生激戦且近聞南京政府已下令保護寗垣大成殿以此推之則曲阜発祥之地為聖賢桑梓之郷以後当益知敬重可保無虞夙佩
閣下維護聖教並承 渋沢子爵 阪谷男爵懸念殷々凡有血気同深感佩弟意時局略定自応将小有残損之処謀之当道急図脩復並永著為令凡附近聖地数十里之内無論何項戦事不得再有憑藉工作之挙以示尊崇而遠危害区区之意或亦中外人士之所許耳謹此奉復並謝
盛意臨楮不尽馳依敬頌
健康諸維
恵鑑不宣            愚弟靳制雲鵬拝啓九月十日
  渋沢子爵
      均希代致拳々
  阪谷男爵
(右訳文)
謹啓、拝別後既ニ数ケ月ト相成リ、景慕ノ念日増ニ相募リ候折柄、此度増永長雄氏ニ御委託ノ貴翰拝受、繰返シ捧誦仕候処、時下弥々御清祥ノ趣敬承仕リ、宛モ拝芝ヲ得シ如ク、欣賀ノ至ニ奉存候、仰越シノ曲阜至聖林廟ノ過般危険状態ニ陥リ候次第ハ、当時突如戦争勃発致シ候為、幾分ノ損害ハ免レ難キ処ニ候シモ、現在ニテハ、双方共ニ聖地ノ尊重スヘキコトヲ深ク承知致シ候ヘハ、該地方附近ハ再ヒ激戦ノ発生ハ之レ有ル間敷ク被存候、且ツ近時南京政府ハ、南京城内所在ノ孔子廟保護ヲ発令致シ候由承リ及候、之ニ由リ推測致候ニ、曲阜ハ発祥ノ地、聖賢塋域ノ郷ニ候ヘハ、将来益々之ヲ尊重シ、其安全ハ充分保障セラルヘク候、夙ニ閣下ガ聖教ヲ維護セラレ、且ツ渋沢子爵・阪谷男爵ニ於カレテモ、深ク尊慮ヲ煩ハサレ候由ヲ拝悉シ、一同感佩罷在候、鄙意ニヨレバ、時局略ボ安定ノ上、自然幾分ノ損所等有之候ハヽ当局者トモ相謀リ至急修覆致サスベク、尚又聖地附近数十支里内ハ、戦時ニ於テ如何ナル理由有リトモ、之ニ戦事工作ヲ施スノ挙ニ出テサル様発令シ、永遠ニ戒飭ヲ加ヘ、以テ尊崇ノ念ヲ示シ、危険ヨリ遠サケ度存居候、区々タル微衷或ハ中外人士ノ首肯スル所トナランカト被存候、右謹ミテ御回答旁々申述ヘ、且ツ御厚意ニ対シ奉深謝候、終ニ臨ミ御健康ヲ祝上候、追テ渋沢子爵並阪谷男爵ニ、鄙意御伝達方宜シク奉願上候 敬具
  九月十日
                     愚弟靳雲鵬拝啓
    門野先生閣下
   ○右ハ野口米次郎ノ訳ナリ。


(門野重九郎)書翰 渋沢栄一・阪谷芳郎宛(昭和五年)一〇月七日(DK410051k-0004)
第41巻 p.159-160 ページ画像

(門野重九郎)書翰 渋沢栄一・阪谷芳郎宛(昭和五年)一〇月七日
                    (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、陳ハ曲阜孔子廟戦禍に因る損壊の現状済南総領事館に確め方依頼致候処、別紙の通り西田総領事より来信有之候間御覧に入れ申候、尚済南馬場春吉氏よりの情報によれば、南洋其他方面より公府に戦禍見舞の入電有之候趣にて、日本有志よりも見舞の手紙又ハ電信を発し置かれてハ如何にやとの意向申し来り候、御承知の通り公府ハ曲阜巡
 - 第41巻 p.160 -ページ画像 
歴の日本人ハ何れも多少厄介に相成居候由に候、御参考迄に御耳に達し置候、先ハ右要用而已如此御座候 拝具
  十月七日
                      門野重九郎
  子爵 渋沢栄一殿
  男爵 阪谷芳郎殿
○別紙西田総領事ノ書翰ハ次掲。


(西田耕一)書翰 門野重九郎宛昭和五年九月一九日(DK410051k-0005)
第41巻 p.160 ページ画像

(西田耕一)書翰 門野重九郎宛昭和五年九月一九日
                    (渋沢子爵家所蔵)
拝復愈々御清祥ノ段奉大賀候、陳者八月十六日附貴信御来示ノ趣致拝誦候、魯大公司淄川炭鉱ハ御承知ノ通リ数年来時局ノ影響ヲ受ケ又昨年来工人ノ怠業等ニヨリ営業不振ニ陥リ経営上ニ甚大ノ支障ヲ及ホシ居ル処、時局ノ安定ヲ俟ツト共ニ日支当事者ノ一層努力ヲ要シ、当方トシテモ出来得ル限リ之カ援助ニ尽力致居ル次第ニ有之候
扨テ御来示ノ曲阜孔子廟ニツキテハ、過般ノ南北戦ニ際シ同地ニ於テ局部戦行ハレ、被害状況ノ概要ハ当時本省ニ報告致置キ候処、目下泰安曲阜方面ノ戦災救済会ノ如キモノ支那側ニテ組織セラレントスル模様ニ有之候、又曲阜被害状況ハ大要別紙ノ通リニ付御承知相成度候
将又聖蹟保全ニ関スル渋沢老子爵及阪谷男爵等ノ御懸念ノ次第ハ、東方文化ノ精神及古跡保存ノ御趣旨ニテ至極結構ノ計画トハ被存候モ、現在支那ノ状況ニテハ、日本側ニテ積極的ニ保存方法ヲ講スルカ如キハ誤解ヲ発生シ易キ虞アリ、又靳雲鵬氏ノ如キモ目下政界ノ圏外ニ在ル人物ニ付、本件保存方ヲ依頼セラルヽトモ、之カ実現困難ナルヤニ推察セラレ候、尤モ現時ノ支那有識者ハ勿論支那政府ニ於テモ、故意ニ孔子廟ヲ破壊スルノ意ナキモノヽ如ク、時局ノ安定ヲ俟ツテ漸次聖蹟保存等ニ自覚シ来ルヘキコトヽ存候間、今後支那側ニテ同廟修繕等計画アル際幾分ノ寄附等ヲナシ、聖賢尊敬ノ意ヲ表スルコトハ一案カト思料被致候モ、目下ノ状態ニ於テ日本側ヨリ積極的行為ニ出ツルコトハ、却テ我方ノ好意ヲ穿違ヘ易キ事情モ、有之ヤニ被思考候間、其辺御了承願上候
尚ホ本件ニツキ、当地馬場春吉氏ノ調書及同氏私見写何等御参考迄送付致候間、必要ニ応シ渋沢子爵並ニ阪谷男等ニモ可然御回覧相煩シ度候
先ハ右貴答迄 匆々敬具
  昭和五年九月十九日
                      西田耕一
    門野重九郎殿
○下略
   ○別紙略ス。


(内堀維文)書翰 渋沢栄一宛(昭和六年)七月一日(DK410051k-0006)
第41巻 p.160-161 ページ画像

(内堀維文)書翰 渋沢栄一宛(昭和六年)七月一日 (渋沢子爵家所蔵)
                     (別筆朱書)
                      内堀維文
                   (ゴム印)
                   昭和六年七月参日
 - 第41巻 p.161 -ページ画像 
啓上 愈益御清適恐悦至極ニ奉存候、陳ハ来七月十四日東京発当大東文化学院第三回支那大陸修学旅行ヲ企画、山東曲阜ノ聖廟ニ参拝致度已ニ先方トは交渉済ミニ相成居候ニ就テハ
尊大人ニ左ノ件々御懇願申上候
一、尊大人御近影 壱葉
一、御高著
   論語新釈旧版、コレハ絶版カト奉存候ニ付論語ニ関スル何等カノ御著述ニテ結構ニ奉存候
一、御祭粢料 壱封
   コレハ当学院ヨリは軽微ナガラ献上ノ予定ニ有之候
 山東ハ明治卅六年ヨリ同四十二年迄曾遊ノ地ニ有之先代 衍聖公ニハ屡次拝謁致候縁故モ有之候ニ付 維文ニ対シ御代拝ヲ御恵許奉願度拝趨御願可申上候得共、以書中予メ願意開陳申上置候 恐々謹言
  七月初一
                       維文
    渋沢老子爵
         御侍史


(内堀維文)書翰 渋沢栄一家職宛(昭和六年)七月一〇日(DK410051k-0007)
第41巻 p.161 ページ画像

(内堀維文)書翰 渋沢栄一家職宛(昭和六年)七月一〇日
                    (渋沢子爵家所蔵)
                   (ゴム印)
                   昭和六年七月拾参日
                   (別筆朱書)
                   内堀維文
啓上 来七月十四日東京発八月中旬山東省曲阜ニ孔子廟ニ参拝致度、過日
老子爵ニ御願申上候処、御内命可有之候哉御左右拝承致度、以書中如此ニ御座候 敬具
  七月十日
                         維文
    渋沢子爵
        御家職各位


(内堀維文)書翰 渋沢栄一宛(昭和六年)七月一二日(DK410051k-0008)
第41巻 p.161-162 ページ画像

(内堀維文)書翰 渋沢栄一宛(昭和六年)七月一二日
                    (渋沢子爵家所蔵)
                   (ゴム印)
                   昭和六年七月拾四日
                   (別筆朱書)
                   内堀維文
啓上、霖雨鬱陶布奉存候処愈益御清適恐悦至極ニ奉存候、陳ハ昨日ハ孔廟ニ献上ノ御品段々御取揃、御特使御届頂戴難有御預申上候、慎重ニ奉持可仕何卒御諒承奉願度、民国人心不定ノ折当東隣ニ斯道ノ継承ヲ如実ニ証明スル事ヲ得ンコト止ニ維文ノ面目ニ無之我
帝国ノ光栄ト奉存候
衍聖公始メ公府□□《(不明)》ノ御慶ヒ今日ヨリ想像ニ余リ居申候、拝趨御礼可申上候得共以書中如此ニ御座候、何卒九月末復命ノ一日ヲ御恵与被成下度御願上置候 恐々謹言
  七月十二日
 - 第41巻 p.162 -ページ画像 
                          維文
    渋沢子爵
       大人
        御侍史


渋沢栄一書翰 控 韓復榘宛昭和六年七月一四日(DK410051k-0009)
第41巻 p.162 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 韓復榘宛昭和六年七月一四日 (渋沢子爵家所蔵)
未だ謦咳に接せす候へとも一書敬呈仕候、就ハ貴国累年戦乱之余殃先般遂に曲阜に於ける大聖孔子之霊廟をも大破せしむるに至り候由長大息に堪へさる所に御座候、然る処尊台ハ其復興を以て任とせられ日夜御尽瘁あらせられ候由伝承深く感激致居候、誠に夫子之教ハ醇正忠篤にして東洋道徳之本原ニ有之、独り貴国のミならす我日本国に於ても二千年来由りて以て孝弟忠信之美風を長養致来り候ものにて、老生の如きも少年時代より夫子之教を尊奉し、論語を以て処世之準縄と致居候程に候処、去る癸亥九月一日之大震災にて江戸幕府以来之唯一之聖堂を烏有に帰せしめ候ニ付、老生等知友と相謀りて目下鋭意其復興に相勉め居候次第ニ候へハ、尊台刻下之御努力に対し一入感銘を深くする所に御座候、何卒此上とも十分御戮力、一日も早く完成致し益夫子之遺風を発揚し、以て名教之維持思想之善導に資せられ候様偏ニ希望致候 不宣
  昭和六年七月十四日
                          渋沢
    韓復榘殿 (山東省長)


(韓復榘)書翰 渋沢栄一宛(中華民国二〇年)八月六日(DK410051k-0010)
第41巻 p.162 ページ画像

(韓復榘)書翰 渋沢栄一宛(中華民国二〇年)八月六日
                    (渋沢子爵家所蔵)
                   (ゴム印)
                   昭和六年八月廿八日
渋沢栄一先生台鑑頃接
大圅敬悉
閣下尊孔重道具有同情至深佩仰惟曲阜聖廟規模宏大雖
已募款興修未敢自信即日観成尚盼
教言時賜俾資佩韋専此佈復順頌時綏
                韓復榘拝復 
                       八月六日
(右訳文)
拝復、此程華翰ヲ拝受致シ候処、閣下ニ於カレ孔聖ヲ尊ヒ儒道ヲ重ンシ深ク御同情ヲ寄セラレ候コト敬承仕リ、感佩景仰ノ念ヲ深クシ候、惟タ曲阜ニ於ケル聖廟ハ規模宏大ナル為メ既ニ資金ヲ得候モ未タ修覆ヲ了セス、乍併不日落成ノコトヽ確信罷在候、尚冀クハ時々高教ヲ賜ハリ不逮ヲ匡サレンコトヲ切望仕候、不取敢貴酬迄如此御座候 敬具
  八月六日
                       韓復榘
    渋沢子爵閣下
   ○右ハ野口米次郎ノ訳ナリ。
 - 第41巻 p.163 -ページ画像 


(内堀維文)書翰 渋沢栄一宛(昭和六年)八月一五日(DK410051k-0011)
第41巻 p.163 ページ画像

(内堀維文)書翰 渋沢栄一宛(昭和六年)八月一五日
                    (渋沢子爵家所蔵)
                   (ゴム印)
                   昭和六年八月廿八日
啓上、愈御清適恐悦至極ニ奉存候、維文等一行七月六日北平発七日山東済南市着十二日登泰十三日曲阜ノ聖地ニ参リ、公叔孔令儁先生ヲ訪ヒ、同先生ノ先導ニテ衍聖公府ニ
衍聖公ニ拝謁学院ノ献上品、祭粢料ヲ奉呈同時ニ
子爵大人ノ尊影、御手写ノ論語壱帙、祭粢料金壱百円換銀票弐百弐拾元奉呈致候処
衍聖公並ニ当局各位大ニ感激セラレ、維文等一行大ニ面目ヲ施シ申候孔家ニ於テハ別ニ御挨拶可相成候得共、維文ヨリ宜布御礼申上候様繰返シ申出ラレ候間、此儀御諒承奉願度
又一昨年拝承致候
衍聖公御来游ノ件 老子爵ノ御意衷申上候処、孔家ニ於テモ色々評議ノ上
九積晋二ノ御高齢ニ対シ敬意ヲ表セラレ、然ル□大体ノ議ニ相向ヒ申候哉、其後此処一両日中ニ方針決定可仕歟、塩谷博士ヨリハ朱子ノ祭典ニ曲阜ヨリ参列方馬場春吉氏ヲ通シテ御申出有之、今日ハ馬場氏ノ東道ニテ公府ノ客分ト相成恐縮千万ニ奉存候
老子爵ニハ
衍聖公ノ対聯ト其真影トヲ贈呈相成候事ニ決定致居候、本日迄ノ事情御報告申上、御使命ノ万一ヲ果シ申候儀ニ付如此ニ御座候 恐々謹言
  八月十五日
                       維文
    渋沢老子爵大人
           御侍史