デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
1節 儒教
8款 陽明学会
■綱文

第41巻 p.181-183(DK410056k) ページ画像

大正3年12月(1914年)

是月当会、学舎新設ノ件ニ関スル趣意書ヲ発表ス。栄一、応募出金ヲ約ス。


■資料

陽明学 第七九号・第三五―三七頁 大正四年五月 本会記事(DK410056k-0001)
第41巻 p.181-182 ページ画像

陽明学 第七九号・第三五―三七頁 大正四年五月
    本会記事
○学舎新設の件社告 本会が雑誌経営以外に猶本会の一部事業として学舎を創め度は、其志旧なりと雖も昨年末より漸く其唱をなし、今年先月本会移転と同時に稍々其端緒を開けり。其大旨は先づ左の趣意書に知らるゝ事なれば、玆に出して之を吾同志間に告げて同情を祈る。
 教育は神聖なるものなり。故に今苟も一の学舎を設けて以て教育の実を挙げんと志すものをして、若し毫釐も其其諸生に諂ふの姿もあらしむるときは、教育の神聖破れて、学問の効力何ぞ得べけんや。
 顧ふに吾陽明学会は、既に其最初設立の当時に於て其会則第三条細目の第一項に学舎の設をなすべきを明言せり。然れども学会は幸に諸先輩並に会中諸氏の戮力により、漸次に発達を遂げ、いまや此の滔々たる世間に一旗幟を竪て、其の講ずる聖賢の道を以て天下世道の上に貢献せんと計るものをあぐるときは、何人も先づ吾会に屈指すべきに至れるは、悦ぶべきが如くなれども、其実は纔によく其が月刊雑誌を継続せるのみにして、吾輩固より此に満足する能はず。
 況んや真実学問の道は、師友の親炙切磋中より其が堅実の精神を養成し来らざるものは古来これなきを思へば、此際吾輩内は以て吾陽明学会最初の本旨に顧み、外は以て時運の漸熟するを知り、玆に学舎を設け、教育の実効を収めんと欲すること切なり、然りと雖も、
 - 第41巻 p.182 -ページ画像 
今吾輩も学舎を設けて以て果してよく所謂彼の教育の神聖を失はずして其実効を収めんとするには、少くも此に幾許の維持金なかるべからざるものなるを知れり、此れ併し乍ら、教育上重要の事にして世の苟も其道に経験あるものゝ必らず首肯する所なるべし、故に吾輩は今特に吾が肝胆を披瀝して世の同情諸氏に訴ふ、伏して願くば諸氏必らずしも其額の多少に拘らず、各自応分の義金を其維持費中に投与せられて、以て吾輩の微志を助けられんことを敢て乞ふ。大正三年十二月、陽明学会主幹、兼学舎開設発起者、東敬治再拝。
如此にして以来日猶浅く、加ふるに主幹が第三回の丹病に罹り入院などの事ありしため、事業甚だ埒明ざるも、現今已に応募出金の約束成立せる諸賢もありて左の通り。
 一金五百円(大正三年は金百円大正四五年は各金二百円分割納の約) 男爵 渋沢栄一君
 一金三百円(大正四年より毎年百円づゝ)                池田謙三君
 一金二百四十円                            菊池晋二君
 一金二百円(大正三年五十円四年七十五円五年七十五円分納)       渡辺忠君
 一金二百円(大正四年五十円同五年百五十円分納)            巌本善治君
 一金一百円                              江木衷君
 一金一百円(大正四年と五年の二ケ年間毎年五十円づゝ分納)       服部金太郎君
 一金一百円(大正五年二月に五十円同六年二月に五十円)      男爵 南部甕男君
 一金一百円(大正五年二月に五十円同六年二月に五十円)      男爵 尾崎三良君
玆に厚く右諸賢に御礼申上候。最も猶ほ此丈にては未だ吾輩予期の万一をも達すること能はず、やつとのことにも玆によく移転端緒を開くとはゆふものゝ学生猶ほ寥々たり。但天意の未だ吾道を廃するに意なき限りは、以後益々諸賢の援助を得て資金と共に学生もすゝみ、追々好況に向ふべきは吾輩の窃に信じ且つ祈る所なり。因て誠意の投金は零細のものを択はず喜んで引受くべく、随分寄宿の生徒をも引受くるも是は撰択して性質善良天根未鑿のものを紹介あらんを願ふ。猶学舎と雑誌は其根本同じと雖も、経費各別なれば以後学舎へ投金の御方は其趣を添へて申込ありたし、此分は時折を以て雑誌に出し謝意を表すへし、毎号には出し不申若しまた単に寄附と計りにて何事へともなきは従来の通り篤志出金欄に表章し雑誌経営の費に入れ可申候。
○下略


陽明学 第七七号・第二四頁 大正四年三月 【二月記事『本会の移転』…】(DK410056k-0002)
第41巻 p.182 ページ画像

陽明学 第七七号・第二四頁 大正四年三月
二月記事『本会の移転』此の意味は此よりは本会中に学舎を設けて以て生徒(寄宿―通学共)を養成せんとする端緒を始めんと欲するに在り、猶其の精しきは後に発表する所あるべし、而して其移りしは実に二月五日なり。○下略
    社告数件
○猶学舎新設に就きては、別に他の御寄附契約被成下候御方も有之候
また地方にてもその事に奔走被成下方も有之候得ども、此は後日更に同志諸氏に御報可申上候、


陽明学 第七七号・広告 大正四年三月 【本会事務所は本月より…】(DK410056k-0003)
第41巻 p.182-183 ページ画像

陽明学 第七七号・広告 大正四年三月
 - 第41巻 p.183 -ページ画像 

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 本会事務所は本月より左之通り移転候ニ付き御注意奉願候     ○東京本郷区駒込西片町十番ろノ三号                    陽明学会 猶々従前之通り講義有之(孟子伝習録)通学寄宿の学生を引受く