デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
1節 儒教
8款 陽明学会
■綱文

第41巻 p.247-248(DK410064k) ページ画像

昭和2年11月26日(1927年)

是日、渋沢事務所ニ於テ、当会元幹事故奥宮正治(南鴻)追悼会ヲ開ク。栄一、追悼ノ辞ヲ述ブ。是ヨリ先、栄一、故人ノ先考奥宮慥斎ノ著「聖学問要」ノ刊行ニ与ル。


■資料

陽明学 第一九四号・第一七―一八頁 昭和二年一二月 奥宮南鴻追悼の辞 子爵 八十八 渋沢青淵談(DK410064k-0001)
第41巻 p.247-248 ページ画像

陽明学 第一九四号・第一七―一八頁 昭和二年一二月
    奥宮南鴻追悼の辞
               子爵 八十八 渋沢青淵談
 私は玆に奥宮君の為に追悼の辞を一言申述べたいと存じます。老人は自ら命が短いものと致して居りますから、此場合に私が追悼の辞を申述べることは或は相応しい事かと思ひます。
 奥宮君は私さう長くお識り申した間柄ではございませぬが、陽明学会の事に関係されまして以来のことでございます。伺ひますると大変各般に亘つて御造詣が深く、殊に文学に就ては御造詣が最も深かつたやうに承知します。斯の如きお方を亡ひましたことは天命とは申しながら洵に慨嘆の至りでございます。
 丁度此前々の御会合のときに筆写してあるものを御持参なさいました、それは即ち君の先人慥斎先生の著「聖学問要」の書でありました私は能く拝見したいと思つた為に印刷したら如何であらうかと云ふことを申上げましたら、奥宮君快諾されまして次て其清書された原稿を私に下されたやうに記憶します。実は私も熟読も致しませぬ事にて其意味を親しく尽したとは申せませぬが、それを閲覧しますると、其際非常に感じた事がありましたので、其事を申しましたときに、それに対して君が答へられた事が其問要の書に詳しう記載してあるやうに考
 - 第41巻 p.248 -ページ画像 
へまする。蓋し奥宮君が今回それに特に序文を起草されて、其事に就て渋沢が印刷する事を取扱つて呉れたことを甚だ喜ぶと云ふ意味のことを書いてございますが、今はそれが先生の形見になりましたのは、洵に或点からは懐かしくもあり或点からは悲しくもあります緒と相成つたやうに感じます。残念ながら斯かる篤学のお方を吾々社中から亡ひましたことは何とも申上げ様がございませぬ。去りながら又一方から考へると、私共平素同君外諸君の御蔭に依つて本会にお仲間入を致したればこそ御講演も承り、且つ玆に慥斎先生の著書の一も世に残り又之を以て奥宮君の精神も吾々の中に生きてお出になるとも申上げ得るであらうと思ひます。
 敢て御追悼を申上ぐる辞に適当であるや否や分りませぬけれども、洵に人寿は測り難いもので、斯様な老人が尚ほ今日此事を為すと云ふことは甚だ不順序なことのやうでございますけれども、古人の説にも命長ければ恥多しと言ふけれども、私は中々そふ思ひ成さない。幸ひ寿があればこそ此の会中に入り聖学の片端をも聞く事が出来たのを喜ぶものでありますが、只是人の寿命が長くないので折角奥宮君などの如き人を失ひやすいので困る。因て私は思ふ、古人所謂恥多しぢやない。それは殊に好ましからぬことであります。それよりは故に其命長ければ涙多しと云ふ事だけは始終申して居りますが、是は実に正確なる説にして、今日もまた涙を一つ添へたのでございます。一言奥宮君の為に諸君と共に御追悼の辞を申上げる次第でございます。
   ○「聖学問要」刊本見当ラズ。