デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
2節 神社
9款 其他 8. 有徳公合祀奉賛会
■綱文

第41巻 p.678-683(DK410147k) ページ画像

昭和4年4月10日(1929年)

是ヨリ先、八代将軍徳川吉宗ヲ上野東照宮ニ合祀スルノ議起リ、昭和三年十一月五日内務省ノ認可ヲ得、爰ニ有徳公合祀奉賛会設立セラレ、栄一ソノ会長トナル。是日、当賛奉会、上野東照宮ニ於テ奉告祭ヲ挙行、翌十一日、第二霊屋ヨリ同宮ニ移霊ノ上、合祀祭典ヲ挙行ス、栄一、病気ノ為メ欠席ス。次イデ九月十五日、当奉賛会解散ス。


■資料

(榊原昇造)書翰 渋沢栄一宛昭和三年八月二九日(DK410147k-0001)
第41巻 p.678-679 ページ画像

(榊原昇造)書翰 渋沢栄一宛昭和三年八月二九日
                    (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、先般第一回会合ニ於而御協議致候八代将軍合祀之件、別冊相添別紙各位ヘ御諾否協議致置候間、為念御通知申上候 敬具
  昭和三年八月二十九日
                     榊原昇造
    子爵 渋沢栄一殿
(別紙)
    御協議先各位(イロハ順)
    伊部直光君     石川千代松君 男爵 西紳六郎君
    井出謙治君     馬場鍈一君     蜷川新君
    今泉雄作君  伯爵 林雅之助君     本多静六君
    石渡敏一君     林曄君       豊島住作君
    石橋絢彦君     浜名寛祐君     小田川全之君
 - 第41巻 p.679 -ページ画像 
 男爵 大鳥富士太郎君   山下五三郎君    佐藤正武君
 子爵 大久保立君     直野文二君     佐藤忠義君
    横山正恭君     松本三郎君     木村浩吉君
    吉田増次郎君 男爵 益田孝君      宮田太郎君
    田中政明君     松村直臣君     (以下順不同)
    田島応親君     深谷又三郎君    塩谷温君
    土屋保君      福地信世君     新村出君
    成瀬隆蔵君     古川阪次郎君    土方久徴君
    成田勝郎君     福井菊三郎君    小倉鋲一郎君
    中浜東一郎君    藤村義苗君     石川道正君
    中島与曾八君    藤沢利喜太郎君   中沢金一郎君
    中島資明君     小島長蔵君     村田辰三君
    陸路録君      榎本尚方君     久保春海君
    植村澄三郎君    有坂鉊蔵君     岩崎小四郎君
    野呂寧君   男爵 赤松範一君     岡本功君
 男爵 黒田善治君     荒木貞夫君     栗山勝三君
 男爵 矢吹省三君     佐々木勇之助君   前田昇君
    山口勝君      沢鑑之丞君     木原清君
    山口鋭君      阪本釤之助君    宮地忠文君


青淵先生公私履歴台帳(DK410147k-0002)
第41巻 p.679 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳         (渋沢子爵家所蔵)
    慈善其他公益ニ関スル社団及財団
有徳公合祀奉賛会々長 昭和三年十一月


有徳公合祀奉賛会書類(DK410147k-0003)
第41巻 p.679 ページ画像

有徳公合祀奉賛会書類       (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、陳者有徳公合祀祭前ニ於ケル奉告祭並移霊祭執行ニ就キ、左記ノ通リ往復はがきニテ本会評議員・顧問・幹事各位(東京府以外在住者ヲ除ク)ヘ通知致置キ候間、御通知申上候 敬具
  昭和四年四月五日        有徳公合祀奉賛会
    会長 子爵 渋沢栄一殿

      左記
拝啓、陳者上野東照宮ニ於テ左ノ通リ祭典執行致候間、何卒御参列被下度此段御通知申上候 敬具
一、四月十日午前十時ヨリ上野東照宮ニ於テ東照宮ヘノ奉告祭
二、仝 午後九時ヨリ上野第二霊屋ニ於テ移霊祭
三、四月十一日午前十時ヨリ上野東照宮ニ於テ有徳公合祀祭
四、仝 午後四時ヨリ直会式
  昭和四年四月五日          有徳公合祀奉賛会
                    上野東照宮社司
    追テ乍御手数御参否折リ返シ御回報被下度御願申上候


竜門雑誌 第四八八号・第八一頁昭和四年四月 青淵先生動静大要(DK410147k-0004)
第41巻 p.679-680 ページ画像

竜門雑誌 第四八八号・第八一頁昭和四年四月
    青淵先生動静大要
 - 第41巻 p.680 -ページ画像 
      四月中
 青淵先生は本月も引続き在邸静養せらる。
 されど昨今は最早外出せらるゝも差支なき迄に健康を回復せられたる趣に付、為念申添ふ。 (五月十五日記)


有徳公合祀奉賛会書類(DK410147k-0005)
第41巻 p.680-682 ページ画像

有徳公合祀奉賛会書類           (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
    東京府社上野東照宮に源吉宗
    朝臣を合祀するの趣意書
後陽成院天皇の天正十八年、徳川家康朝臣、江戸に徙り関東八国の領主とならせらる。慶長八年には、家康朝臣征夷大将軍に任せられ、大政御委任の重職に就き、幕府二百六十五年の基を開けり。爾来歴代の将軍、斉しく委重の王事に従ひて、敢て或は懈ることなしと雖も、就中八代将軍吉宗朝臣は、聡明恭謙の資性を以て、空前無類の功績を奏し、竟に時代の風紀を移して堅実善美に嚮はしむ。天下称して徳川中興の将軍と為す。
吉宗朝臣は、皇室を尊み、祖先を崇め、政治・法律・刑獄警備の改定より、殖産・興業・備荒・救療の規画に至るまで、自ら之を総裁せり而して、奨励を実際の教育に加へ、後世有用の学問を認識し、且之を保護せり。皇学並に洋学の濫觴は乃ち此の時に在り。又天文・歴象・測量・制図の技術、祭礼・音楽・文芸・行楽の雑事に至るまで、皆之を審究せり。
吉宗朝臣の統御は、文武兼備にして和衷協同なるに在り、勧善懲悪にして信賞必罰なるに在り、慎守倹約にして、克己勤勉なるに在り、毎に幕府の有司を督責して、為政の模範を作り、之に依りて、列藩諸侯を監視して、其の封内衆庶の福利を増進せしめたり。又全国一般に関係する財政・幣制・経済・商事の為には、物貨自然の法則に著眼し、時々に必要なる処置を施せり。乃ち国を治め天下を平かにすと云ふの事実は、此の将軍の治世に於て之を見たり。
夫れ列藩の藩主、其の徳沢の後世に及べる者は、概ね旧封の地に於て其の地方神社の祭神に崇めらる。盖し枚挙に遑あらず、惟ふに、先賢を郷土に祀るは、古今内外の典例に仍るものにして、其の墳墓の在る所は、即ち其の祠宇の在る所なり。
当市、上野公園に在る東照宮祠は、幕府の始祖源家康朝臣を祀る。往時に在りては寛永寺内の神廟にして、両部習合の奉祀なりしが、皇政維新の後、神仏分離の際、従前此の祠に配享せられし天海大僧正並に藤堂高虎を除きて単に祭神一坐となり主神源家康朝臣と記録せられ、真正なる神道の奉仕に帰せり。
吾人は幕府の旧臣又は其の子孫にして、徳川氏累世の恩誼を忘れざる者なり。聖代の今日に在りて仍ほ前時旧主の功徳を挙ぐるは、偏に累代将軍の奉行せし王事の顛末を追懐し、委重の大命を虚しくせざりし実情を感嘆するが故なり。誠に吉宗朝臣の王事の奉行は、家康朝臣の前訓を遵守せし所以にして、所謂奨順の義命を尽しゝものなり。畢竟するに、前後同一体にして、此の守成は亦彼の創業の如きなり、而し
 - 第41巻 p.681 -ページ画像 
て在職三十年、百度咸く挙かり、其の幾多の施設は、漸く後世に及びて益々重要なる結果を生し、近世文化の淵源の真に此の時代に在りしことなるを確信す。
吉宗朝臣は宝暦元年六月に薨去せられ、諡を有徳院と賜ひ、正一位太政大臣を贈らる。其の墳墓は現に東叡山の塋域に在り。然るに往時朝廷恩遇の渥かりしことは、今に到りて猶感激に勝へざることなれども徳川氏大政返上の後は、国家公式の薦亨自ら停廃し、神仏分離の時に遭へるも、未だ神道の祀典に預らず、唯徳川氏家廟の私祭を享くるのみなり。抑々朝臣生前恭謙の本意に顧みれば、亦是等の事情を愬ふべきにあらざらむも、之を聖代の仁政、古今の徳に酬ゆる所以に照らして、更に功績顕彰の新典を享けられむことを祈りたり。
然るに昨昭和三年は、
今上天皇御即位の大礼を挙けさせたまふへき御予定なりしに由り、吾人は、其の際会に於て、神事の正当なる請願の受理せらるへきことを想ひ、乃ち上野東照宮社司松平子爵と協議して、其の秋九月十七日吉宗朝臣を上野東照宮に合祀せむことを所管府庁に出願せしに、其の十一月五日を以て遂に官憲の許可を得たり。
是に於て、請願人一同は仍ほ進みて、合祀の祭典の為に誠実敬虔なる協賛を効さむと欲し、更に相会して相諮り、先つ当初の代表者を基幹として合祀奉賛会を設立し、次て別項に記す所の規約を作成せり。
今玆、爰に此の規約を提出して本会の由来を公表し、以て之を旧幕府の縁故者に報道し、併せて之を大方有識の諸君に広告す。願はくは孚誠を同しくせらるゝ各位の相呼応して之に参加せられ、以て所期の本旨に協力せられむことを。
              有徳公合祀奉賛会
               会長  子爵 渋沢栄一
               副会長 男爵 平山成信
               同   男爵 山内長人
(別紙)
    有徳公合祀奉賛会規約
第一条 本会ハ有徳公合祀奉賛会ト称シ、上野東照宮ニ源朝臣吉宗公ヲ合祀スヘキ祭典ヲ賛助スルヲ目的トス
第二条 本会ハ事務所ヲ麹町区内山下町一丁目一番地静岡育英会内ニ置ク
第三条 本会ニ左ノ役員ヲ置ク
     会長    一名
     副会長   二名
     幹事    十名以内
     評議員   若干名
第四条 会長及副会長ハ本会発起人之ヲ選挙ス
    幹事及評議員ハ会長之ヲ嘱託ス
    会長ハ会務ヲ統轄シ、必要ナル事務員ヲ任免ス
    幹事ハ会務ヲ掌理ス
    評議員ハ重要ナル事項ヲ審議ス
 - 第41巻 p.682 -ページ画像 
第五条 本会ニ顧問若干名ヲ置キ、会長之ヲ推薦ス
第六条 本会ノ主旨ヲ賛成シテ入会スル者ヲ会員トス、但会費ヲ徴収セス
第七条 本会ノ経費ハ寄附金ヲ以テ之ヲ支弁ス
第八条 本会事務ノ経過及収支ノ決算ハ之ヲ会員ノ総会ニ報告ス
第九条 本会ハ設立ノ目的ヲ完成セシ後ハ之ヲ解散スルモノトス
第十条 本会解散ノ際ニ於テ剰余金アルトキハ、之ヲ上野東照宮ニ奉納スベシ


有徳公合祀奉賛会書類(DK410147k-0006)
第41巻 p.682-683 ページ画像

有徳公合祀奉賛会書類          (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
拝啓、陳者本会ハ昭和三年八月旧幕臣ノ有志相諮リ、八代将軍吉宗公ヲ上野東照宮ニ合祀シ、祭神ニ座トスルノ儀ヲ以テ、上野東照宮社司ニ其ノ旨ヲ建議致候処、社司ヨリ出願ノ末、同年十一月五日附ヲ以テ主務庁ヨリ合祀ノ認可有之候ニ付、玆ニ有徳公合祀奉賛会ヲ設立シ、旧幕臣・縁故者ノ協賛ヲ求メ候処、幸ニ五百七拾八名ノ御同意ヲ得、爾来合祀祭典ニ要スルノ準備ヲナシ、昭和四年四月十一日上野東照宮ニ於テ壮厳ナル祭典ヲ執行、無滞合祀ヲ結了致候、其ノ後事務続行中ノ処、今般別紙ノ如ク支収計算済相マセ候ニ就キ、同年九月十五日上野東照宮社務所ニ総会ヲ開キ、会員諸君ノ御同意ヲ得、規約第九条ニ依リ本会ヲ解散致候間此段御報告申上候 敬具
  昭和四年九月廿六日
              有徳公合祀奉賛会
                会長  子爵 渋沢栄一
                副会長 男爵 平山成信
                副会長 男爵 山内長人
    (宛名手書)
    子爵渋沢栄一殿
  追伸 一、会長・副会長・評議員及幹事ハ残務終結迄留任ス
     二、合祀祭ニ関スル全般ノ報告ハ追テ印刷ノ上詳細御報告申上ベク候
別紙
    有徳公合祀祭収支計算書
      収入ノ部
一金七千九百七拾円四拾六銭也  総収入高
  内訳
   一金七千八百弐拾参円也     寄附金
   一金百弐拾七円五拾銭也     祭典当日参拝者幣帛料
   一金拾九円九拾六銭也      預金利子
      支出ノ部
一金五千百五円六拾参銭也       総支出高
  内訳
   一金弐千八百四拾六円弐拾五銭也 祭典費
   一金百拾壱円五拾七銭也     通信費
   一金八百拾円五拾銭也      印刷費
 - 第41巻 p.683 -ページ画像 
   一金五拾五円弐拾銭也      消耗費
   一金七百拾参円也        報酬費
   一金百円也           寛永寺へ謝礼
   一金百円也           東照宮社務所へ謝礼
   一金百円也           相撲協会へ返礼
   一金弐百六拾九円拾壱銭也    雑費
差引残高
 一金弐千八百六拾四円八拾参銭也

      残金処分要領
 一金弐千八百六拾四円八拾参銭也   残高
  内訳
   一金壱千円也        御木像調製見込額
   一金壱千円也        規約第十条ニ依ル上野東照宮へ奉納
   一金五百円也        御木像附属費並御画像調整費見込額
   一金参百六拾四円八拾参銭也 残務費
   備考
    一残金ハ其ノ処分ノ精算終了迄之カ保管ヲ葵会ニ依頼ス
    一残金処分後尚剰余アレハ規約第十条ニ依リ上野東照宮ヘ奉納ス 以上