デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
4節 キリスト教団体
2款 世界日曜学校大会後援会
■綱文

第42巻 p.209-228(DK420053k) ページ画像

大正9年10月5日(1920年)


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是日、第八回世界日曜学校大会開会直前ニ、東京駅前ニ新築セル会場、火災ノタメ焼失ス。依ツテ神田基督教青年会館及ビ救世軍本営ニ会場ヲ移シ、同大会開会式挙行セラル。栄一之ニ臨ミ歓迎ノ演説ヲナス。七日、帝国劇場ニ会場ヲ移シ、十四日マデ同大会開催セラル。其間、栄一、当後援会副会長トシテ種々尽力ス。


■資料

集会日時通知表 大正九年(DK420053k-0001)
第42巻 p.210 ページ画像

集会日時通知表 大正九年         (渋沢子爵家所蔵)
十月一日 金 午後六時 ブラオン氏等ト御会合(兜町)
  二日 土 午前九時 日曜学校大会後援会ニ関する件(兜町)
       午後三時 世界日曜学校委員会(大隈邸)
  三日 日 午後一時 英国大使館午餐会
       午後二時―五時 仏蘭西大使館園遊会


招客書類(一) 【大正九年十月二日午後六時、於兜町事務所 第八回世界日曜学校大会米人参列員招待】(DK420053k-0002)
第42巻 p.210 ページ画像

招客書類(一)              (渋沢子爵家所蔵)
大正九年十月二日午後六時、於兜町事務所
第八回世界日曜学校大会米人参列員招待
紐育スタツフオード会社々長        エス・ピー・スタツフオード
市俄古タツトヒル会社員          エフ・エツチ・タツトヒル
ペンシルヴアニア、エリー汽缶機関会社々長 イー・ピー・セルドン
紐育出版業者               チヤーレス・フランシス
慶応義塾教授               エツチ・イー・コールマン

                      子 金子堅太郎
                      男 阪谷芳郎
                        添田寿一
                        井上準之助
                        堀越善重郎

                        主人
                        小畑久五郎


竜門雑誌 第三八九号・第六九頁大正九年一〇月 ○コールマン氏等招待会(DK420053k-0003)
第42巻 p.210-211 ページ画像

竜門雑誌 第三八九号・第六九頁大正九年一〇月
○コールマン氏等招待会 青淵先生には、本月二日午後六時より、渋沢事務所に於て、此程来朝の第八回世界日曜学校大会参列員中の米国人の数氏等を招待し、懇談会を催されたるが、当日出席せられたるは左の諸氏なりしと云ふ
      △主賓
 エフ・ピー・スタツフオード氏(紐育、スタツフオード会社社長)
 エフ・エツチ・タツトヒル氏(市俄古、タツトヒル会社員)
 イー・ピー・セルドン氏(ペンシルヴアニア、エリー汽缶機関会社社長)
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 チヤーレス・フランシス氏(紐育、出版業者)
 エツチ・イー・コールマン氏(慶応義塾教授)
      △陪賓
 金子子爵 阪谷男爵 添田寿一氏
 井上準之助氏 堀越善重郎氏
      △主人側
 青淵先生 小畑久五郎氏
 因に十月三日の読売新聞に、前記フランシス氏の談話を掲載したれば、参考の為めに左に誌す。
 『世界日曜学校大会に列席する為に来朝したのです』と巧な応待振りで語る『渋沢子爵や金子子爵等にも面会し、襟を開いて快談致しましたが、何も正式に加州問題の相談をした訳ではありません○中略加州では
 △日本移民 の欠点ばかり数へ上げて居る様ですが、半面に於ては確に日本移民の矯正すべき幾つかの問題もあるのですから、渋沢・金子両子爵をはじめ日本の知名の方々と親しく意見の交換を行つて何とかよい解決を付けたいと希つて居ります』


集会日時通知表 大正九年(DK420053k-0004)
第42巻 p.211 ページ画像

集会日時通知表 大正九年         (渋沢子爵家所蔵)
十月五日 火 午後七時 世界日曜学校大会発会式ニテ御演説(大会会場)
  六日 水      世界日曜学校大会催同大会参列者招待会
○中略。
  八日 金 午後三時 日曜学校大会参列者歓迎会(東京市主催日比谷公園)
○中略。
十日 日 午後二時 日曜学校生徒大会(日比谷公園)


中外商業新報 第一二四〇七号大正九年一〇月四日 愈々明日から日曜学校大会(DK420053k-0005)
第42巻 p.211-213 ページ画像

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中外商業新報 第一二四〇八号大正九年一〇月五日 装飾も成りて聖夜を待つ 世界日曜学校大会々場 入口には菊花と杉の大緑門 講壇に輝く我者世之光の字 昨日は移転の繁忙(DK420053k-0006)
第42巻 p.213 ページ画像

中外商業新報 第一二四〇八号大正九年一〇月五日
  装飾も成りて聖夜を待つ
    世界日曜学校大会々場
      入口には菊花と杉の大緑門
      講壇に輝く我者世之光の字
        昨日は移転の繁忙
東京駅頭に聳え立つ世界日曜学校大会場は、四日迄に完備し、愈々第八回世界日曜学校大会を今五日から盛大に挙行さる事となり、事務所も三日夜来より四日朝にかけて
▽会場に 移転した、会場入口には菊花と清杉の大緑門が美しく飾り付けられて居る、階下正面の右は邦人の申込受付で、左は外人の申込所である、四日午前十一時から始めて此処で事務を開き、午後一時から申込受付を始めたが、続々として詰めかける人で事務員は全く汗だくの繁忙を極めて居る、又階下右手の一隅には中央郵便局分局を設け既に事務を執つて居るが、其奥に在る
▽事務室 通訳室等には、書類が累々と積み上げられて、引越姿の混状を示して居た、講壇はと見れば、其上部には地球儀の周囲に「我者世之光也」と云ふ文字が英文・和文で刻まれ、壇上には二個のピアノと棕櫚の盆栽とが巧妙に配置さる、そして西側の男女休憩室、病室には美しい花莚が敷かれ、窓椽や柱に蔦を巻付けて人目に心地よい、後部の和洋両食堂には煌々と数十の
▽電灯が 紅・青の垂幕の間から光を投げ、其下に食事する東西人の顔が美しく射すのである、恰度其時、日光・箱根方面或は宮島方面に清遊中であつた洋人が集まつて、新聞紙に包んだ土産物を繙いて居るのもあり、総幹事ブラウン博士や文学部長の鵜飼氏や川澄幹事、さては総委員長江原翁等の姿が忙しさうに人込を縫ふて居た、斯くて五日の午後七時、井深明治学院長の
▽司会で 開式されるのを待つばかりである、因に日本人の代員として出席する者は、各教派代表者、協同ミツシヨン代表者、都会代表者協会に加盟せる日曜学校・各教派日曜学校局代表者、男女神学校代表者、六個以上の日曜学校を経営するミツシヨン・スクールの代表者であると


竜門雑誌 第三八九号・第五四―五七頁大正九年一〇月 ○第八回世界日曜学校大会開会(DK420053k-0007)
第42巻 p.213-215 ページ画像

竜門雑誌 第三八九号・第五四―五七頁大正九年一〇月
○第八回世界日曜学校大会開会 第八回世界日曜学校大会は予定の如く十月五日より向ふ十日間、東京市に於て開会せられたり。
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 今右大会の記事を摘記するに先立ち、世界日曜学校成立の歴史を知るの要あり、十月四日の中外商業新報は誌して曰く
   ○記事前掲(「中外商業新報」十月四日付)ニツキ略ス。
右記事中、大正二年ハインツ翁来朝云々とあるは、大正二年三月世界日曜協会大会より東洋視察の為め派遣せられたる団長ハインツ氏以下二十九名の来朝を指すものにして、当時本邦官民有志は此一行を迎ヘて大歓迎の誠意を表したる際、偶々大隈侯爵邸に於ける歓迎会席上、第八回世界大会地に及び、これを日本東京にせられたしとの希望荐りに起り、氏等も亦これを諒して去りしにて、超えて七月四日瑞西ヅーリツヒ市に開会中の大会には、日本日曜学校協会も亦、其年会に於て次回を東京に開かれん事を望み、大隈侯・青淵先生・阪谷男・故中野商業会議所会頭の熱誠なる賛同と決議とを携へ、小崎弘道・井深梶之助両氏を派遣し、尚前記四氏の署名にて左の如き電報を発したるに
  Heartily endorse invitation sent
同十三日ハインツ氏より四氏宛にて、次回の大会地を日本東京に決定せる旨返電ありたるに依り、帰朝両氏の報告会を十月二十七日大隈侯邸に開き、十一月二十八日世界日曜学校大会後援会規約の作成を観るに至りしが、同四年十月青淵先生、渡米の際ワナメーカー氏其他世界日曜学校協会幹部と会見の上、世界大会を欧洲戦乱終結後直に開会する事を約して翌五年一月帰朝せられしにて、同八年六月右後援会会長を大隈侯に、副会長を青淵先生・阪谷男・田尻子・藤山商業会議所会頭の四氏に依嘱して万事遺漏なく協議を進めつゝ以て今回の大会を開会せるに至れるものにて、特に青淵先生の尽力一方ならざりしを推するに難からざるべし。
 今回同大会に各国より蝟集せる代表参列員は、三十三ケ国、二千余名にして、之に本邦人を合すれば其数三千余名の多きを算するに至りしかば、右会場地を東京駅前広場に設け、三階木造総建坪一千二百余坪、仏国ゴシツク式に近世的様式を加味せる白堊の大建築を新成し、七月二十三日起工、九月中旬竣工して内外の準備全く成り、二十四日正午東京ステーシヨン・ホテルに政府当局者を招待して、引続き会場の参観あり、翌二十五日午後青淵先生亦会場を参観せられ、十月二日午後二時委員会を大隈侯邸に開きて、玆に開会の当日を俟てるに、超えて五日午後三時五十分、開会に先立ち四時間前、不幸にも漏電の為め右会場全部烏有に帰したるより、玆に青淵先生首め内外の幹部諸氏は急遽東京ステーシヨン・ホテルに会同して善後策を講じ、同会総幹事ブラウン氏は会場焼跡に於て避難聖徒を集めて祈祷式を行ひ、更に同夜午後七時右善後策協議会を青年会館に於て行ふと同時に、内外人正会員は同会館に、又准会員は救世軍大本営に二分参集して、予定の番組通り挙行する事に決定し、尚ほ世界各国には会場焼失に伴ふ種々の浮説流布を慮りて、其出火原因が漏電に基く旨を打電し、玆に三千の聖徒は神の力を信頼して、会議の進行を継続する事となり、午後七時第一会場たる青年館に於ては参列者約千五百余名、明治学院総理井深梶之助氏司会の下に、
 △音楽(日本音楽部員)。△聖書朗読(以弗所書二章、十五節―
 - 第42巻 p.215 -ページ画像 
―二十二節)世界日曜学校大会日本総委員長貴族院議員江原素六氏、△祈祷 神学博士監督ヱム・シー・ハリス氏。△歓迎の辞 日本日曜学校協会代表世界大会日本委員代表明治学院総理井深梶之助氏(此間に武岡鶴代子・戸山国彦二氏の独唱あり)日本基督教会同盟代表東京教役者会代表日本メソヂスト教会監督鵜崎庚午郎氏、協同ミツシヨン代表ヱス・ヱ・スチユアート氏、世界日曜学校後援会代表青淵先生、東京市代表子爵田尻稲次郎氏。△祝辞 原首相。△答辞 世界日曜学校協会代表マクレラン氏。△国歌(英国・米国・日本)△演説「世界進歩の必須要件たる宗教々育」、総幹事フランクヱル・ブラウン氏。△祝祷 日本日曜学校協会々長小崎弘道氏
の順序にて進行し、一方第二会場たる救世軍大本営にても参列者約一千名に近く、是亦第一会場同様の番組にて、午後十時頃、東京聖夜の第一日は浄かなる信虔の裡に静かに其幕を閉ぢたりと云ふ。
 因に当夜青淵先生の祝辞は別項記載の如くなるが、尚ほ右祝辞に先立ち「合回会場が不慮の失火を醸して為めに諸氏に多大の御迷惑をかけしは、偏に自己の過失として大に其責任を感ずる次第なるが、玆に委員諸氏と協議の結果、七日より丸の内帝国劇場を借受け、以て諸氏の会場に当つる事に決定せり」とて満場に陳謝せられたる由なるが、青淵先生が壇上に歩を運ばるゝや、外人は斉しく椅子を離れて敬意を表せりと云ふ。
 斯くて翌六日は従前の通会場を二ケ所に分ちて会合し、七日よりは帝国劇場の一堂に会して、順次其会議を進行せしめつゝありと云ふ。
 追記、大会々場出火の報あるや、当時青淵先生は東洋生命保険会社満十週年記念祝賀会の催ありて帝国劇場に臨席せられつゝありしが、翌日の東京朝日新聞は、先生の激励及び其談話を掲げたれば、玆に転載する事とせり。
○下略


東京朝日新聞 第一二三二四号大正九年一〇月六日 殿堂焼けて 讃美歌の声悲し 余焔の空を眺めながら大会幹部の善後策 渋沢子激励す(DK420053k-0008)
第42巻 p.215-217 ページ画像

東京朝日新聞 第一二三二四号大正九年一〇月六日
  殿堂焼けて
    讚美歌の声悲し
      余焔の空を眺めながら
      大会幹部の善後策
        渋沢子激励す
不意の焼失に驚愕と落胆とに悄然たるブラオン、コールマン、ブライス、スミス氏等幹部は、直に東京駅ホテル三階のブラオン氏の室に集まり
 善後策 に耽つたが、井深・長尾・小崎・江原・川澄の諸氏と共々余りの不意の出来事に策も出でず、ホテルの窓より近く火焔炎々たるを暗涙に眺めたる一同の人は、夕の祈祷を静かに天帝に捧げて讚美歌の声は限りなき哀愁を嗾つた、祈祷終るやブラオン氏は『この不意の火災に殿堂は焼けました、吾々のこの記念すべき世界の
 大集会 はこれによつて中止するものでない、然しながら吾々はあの壮麗なる、あの会堂の建設者たるミストル古橋に甚大の同情を表す
 - 第42巻 p.216 -ページ画像 
未だ一回も開かれざる処女の如き殿堂は、清くも火に燃えた事を悔いない、吾々は今後いかにすべきかを考ふる要があらう』といふ、折柄遑たゞしく駆着け来た渋沢子・阪谷男は
転ぶが 如く室に入つて『お気の毒だ!』と老子爵はブラオン氏の手を堅く握つた、阪谷男は突如起つて『レツト・アス・ハブ・カレーヂ=落胆する勿れ』といふと、一同は悲しき裡に拍手の微笑に蘇生つて善後策に耽つた
    渋沢子涙ながら語る
      挨拶の役目を承つて居た
帝劇見物中から駈付けた渋沢子は、ブラオン氏等幹部を見舞つてホテルの廊下に出た、折柄長尾氏と井深氏が、見送りに出づるや、老子爵は突如両氏の肩を叩き『いかにも残念なことだ!』といつた儘堅く口を噤んだが、軈て両眼からは涙がハフリ落ちた、井深・長尾の両氏も頓に言葉も出ず、うな垂れて同じく貰ひ涙を両眼に泛ベ、黙然として堅く握手を交はしつゝ別れたが、老子爵は軈て駅前に出でゝ再び焼跡の折柄の小雨に濡るゝ惨ましき光景を眺めながら
 私も今晩一言の挨拶をする役目を承はつて居たので、楽しみにして居つたのですが、斯かる事の起らうとは夢にも思ひ掛なかつたので何とも胸が塞がつて仕様もありませぬ、この大会は御承知の如く世界各国の人々の集りで、国際的に大なる関係を有し日米といはず、日支といはず、あらゆる対外の親善を意味するに於て、願はくは何事もなくこの会を終らしめたいと念じて居ました、特に私は先年の第七回の開会で、次の大会を日本で開くやうにした関係上一番に残念に思ひます』
○中略
  大会場は
    青年会館と
    救世軍本営
      余興は帝劇
会場焼失の為幹部一同協議の結果、神田青年会館及び神田救世軍本営の二箇所に変更することゝし、第一日を予定の如く同夜より遂行した猶ページエント・合唱等は二分に分れては不便なので、渋沢子・阪谷男等が帝国劇場を借用したき希望にて、山本専務に交渉を重ねた結果帝劇側も国際的関係を重んじ、目下開演中のを明六日限り千秋楽とし七日より大会に貸与することゝなつた
  会場を代へて
  厳粛なる聖夜
    信仰に依りて万国に
    平和を来す浄き祝祷
      敬虔を極めし青年会館
千九百二十年の十月五日に、世界日曜学校大会の第八回が東京に開かれた、突如襲うた悪魔のやうな怪し火は、新築の白装した東京駅前の会場を焼いて、俄に変つた青年会館には、混乱の裡の淋しさにも記念の東京聖夜が夕の七時から開かれた、此処に集まつた異国人の慌たゞ
 - 第42巻 p.217 -ページ画像 
しげな顔にも
 希望の 光が揺いで居た、正面には青い五つの聖旗が飾られて、此夜の司会者井深博士を中央に、総幹部のブラオン氏も居れば、協同ミツシヨンを代表したスチユアートも居り、お馴染のハリス監督も居る渋沢子爵も、阪谷男も、大谷嘉兵衛翁の長白髯も、この日帰朝の太田嘉吉氏も並んでゐる、一般会員席には世界三十三箇国の人達
 敬虔の 態度粛然として控へて居た、江原素六氏が聖書を捧げ起つて『かれは我等のやはらぎ也……』以弗所書の二章が朗読された後でハリス老監督の重々しい祈祷があつた、満堂は暫し沈黙に陥つた、井深氏の歓迎辞が流暢に述べられてから、ピアノの伴奏に武岡鶴代子の『アーベ・マリヤ』の独唱は可成りに外国人の
 拍手を 買つた、外山国彦氏がメンデルスゾンの『セント・パウロ』を歌つた、穏かに静かに秋の聖夜の開会式は、序を追うて渋沢子爵が起つた時は、外国の人達が皆椅子を離れて敬意を表した、考子爵は、一句一句力を籠めて『この大会を千秋の思ひで待つて居た』ことから『その
 成功を 祈り上げるのでございます』といつた時に一斉の拍手は幾度か繰返された○下略


中外商業新報 第一二四〇九号大正九年一〇月六日 ▽神勇を与へ給ふ 此災難は一に思召なり 此災難は一に思召なり 救世軍本営の部(DK420053k-0009)
第42巻 p.217-218 ページ画像

中外商業新報 第一二四〇九号大正九年一〇月六日
  ▽神勇を与へ給ふ
    此災難は一に思召なり
    会する衆六百感涙溢る
      =救世軍本営の部=
「主にある兄弟」が永く待ち佗びた聖き会合の第一日も、無情の紅焔に聖堂は焼尽くされて、一時は上を下への大騒ぎを演じたが、兎も角神田の青年会館と一ツ橋の救世軍中央会館との
△二手に 別れてプログラムの第一頁は悲しき記念に終りを告げることになつた、其夜七時に中央会館に集まつた所謂日曜学校準会員の男女約六百名は、開会の間に今日の天災を更に語り合つてゐたのも気の毒の至りである、七時を過ぐる廿分、プロクラムを多少変更して霊南坂教会の小崎牧師の司会の下に開会され、一同が「見よや十字の旗高し、君なる
△ エスは 先立てり……」の讚美歌五十四番を声高に合唱した後で小崎牧師は「此不幸が吾々をして万難を排する勇を与へ給ふ神の思召である」と熱い祈祷を捧げる頃には、満堂は水を打つたやうに声を呑む、とスミス氏はアルトで「夜番と旅人」を独唱して人々の心の極底迄も滲み込むやうな音調を漂はせる、次に
△倫敦に 於ける日曜学校協会長プーレ博士は「倫敦を出る時に、偶偶故ブース大将伝を著したベグビー氏に邂逅した私が、今夕は此救世軍の本営の演壇に起つといふのも又不思議な縁である」と述べ、キヤンサス大学総長カーク博士は、来会に就ての使命が七ある、第一は正義人道の上に立つ人類の進歩を促す為め、第二は日曜学校教育の為め第三は
 - 第42巻 p.218 -ページ画像 
△児童の 教育、第四真理に勝つため、第五基督を世に紹介するため……」と論じた、此時田尻市長は例の羊髯を撫でつゝ「もう忘れました」といふ様な英語で「不幸があつたにも拘らず斯く賑々しく御来会遊ばされたことは喜びに堪へぬ」と、来朝の米委員に愛嬌を振舞つて此度は「日本語です」と許りに一廻転をして、自分で之を通訳した辺は、市長ならで出来ぬ技である、とすると鵜崎委員長も巧な
△英語で 「在日本の全新教徒は諸君を此処に歓迎することは最大の名誉である」と、歓迎の辞をやつて下る、続いてジヨンダン牧師は、会長ワナメーカー氏の手紙を朗読して「大隈侯」にも遭ひ、又年来の親友なる「渋沢男」と昔物語りをする喜びを待つてゐたのに、最愛の妻が七日の看護の後天国に逝つた為め
△出発の 出来ぬを悲しむ……最早世界は陸海軍の威力の時代を離れて、聖き愛が平和を保つ時であると告げられた、代つて渋沢子は「後援会を代表して大隈侯が歓迎の挨拶をするが当然であるが、侯は百二十五歳を生ると力んでも八十三の高齢、夜会は御免であると言はれて私が立つた、けれど私とても侯と僅かに廿四ケ月後れて生れた八十一で若くはない」と酒落れた処は御手際である、最後にスチユアード氏の演説、首相祝辞代読等があつて、讚美歌、祈祷の中に午後十時無事会を閉ぢた


中外商業新報 第一二四〇九号大正九年一〇月六日 ▽明日よりは帝劇 渋沢子・阪谷男の奔走 今日だけは昨日通りの会場(DK420053k-0010)
第42巻 p.218 ページ画像

中外商業新報 第一二四〇九号大正九年一〇月六日
  ▽明日よりは帝劇
    渋沢子・阪谷男の奔走
      ◇今日だけは昨日通りの会場
世界日曜学校大会々場焼失の結果、後援会長渋沢子《(マヽ)》、実行委員長阪谷男は之に代るべき会場選択の結果、帝国劇場を適当と認めて直に交渉を開始したるに、同劇場に於ても快よく承諾することゝなれるを以て日曜学校大会は今六日は尚前日通り青年会館並に救世軍本営を会場に使用し、明七日より帝国劇場に移転すべしと


第八回世界日曜学校大会記録 第三六―四〇頁大正一〇年三月刊(DK420053k-0011)
第42巻 p.218-219 ページ画像

第八回世界日曜学校大会記録 第三六―四〇頁大正一〇年三月刊
    応急の処置
 これより先き、広庭を隔てゝ会場と対峙する東京ステーシヨン・ホテルに於ては、いよいよ今夕より開かるべき大会に就き、最高幹部の会合が催されつゝあつたのである。ジヨン・ゼー・マクラレン博士を座長とし、重要なる議事を進め、八年の間絶えて久しく中止せられし大会の今日この夕に開始せらるべきを雀躍しつゝ楽しんだ。時に、端なくも会場出火の警報を耳にした。
 彼等は如何に驚いたことであらう。而してその火災の遂ひに救ふベからざる事を認むるや、直にその会場を寄贈したる世界大会後援会に対し、またそれが為めに準備したる日本委員に対し、深厚なる同情を表せん事を議決した。
 猛火の未だ収まらざる中に、早くも後援会の渋沢子爵・阪谷男爵、その他日本実行委員の総委員長なる江原素六氏、同副委員長井深梶之
 - 第42巻 p.219 -ページ画像 
助博士、同長尾半平氏、小崎弘道氏、川澄明敏氏、コールマン氏、鵜飼猛博士、其他が最高幹部会に列つて応急の策を講ずる事になつた。その時、建築部主事古橋工学士は一言をも発し得ず、たゞ声を挙げて泣いた。数週間の間寝食を忘れてその完成を期したる会場が完成して而して焼失したのであるから、その悲痛を言語に表はし得なかつたのは勿論である、慟哭と熱涙とによりて夫れを表はしたのである。
 その時、側に居合せたるウヰリアム・ジー・ランデス氏は美妙なる声もて"How Firm a Foundation"(さんびか第一篇二百二十五番)の讃美歌を歌ひ出した。やがて満座の人々がこれに和した。感極まれば語るよりも歌ふのである。――
   主のたふときみことばは
      ゆるぎなき道のもとゐ
   たよるわれは安けしや
      世にはまたなきみことば。
更に二節三節と唱へられた。
   火はみちに燃えたつとも
      わがめぐみたえずあれば
   ほのほもそこなひええじな
      たゞなれを鍛ふのみぞ。
 然り猛火は天に冲してゐる、此夕よりの集会を如何にすべき。時刻は早や迫つてゐて、会場は失せ去つてゐる、けれども之れ「たゞ汝を鍛ふのみぞ」一同は言つた、「会場は失くなつても大会のプログラムは中止さるべきでない」。
 其時、阪谷男爵は言を極めて一同を激励せられ、その言々句々に熱誠の迸るものがあつた。而して一同は今後の処置に就て協議を凝し、兎も角も青年会館及び救世軍本営の二箇所に於て予定のプログラムを進めんと決定し、直に両所に交渉し、焼け残りたる小菊の縁門前に、今夕よりの集会は正代員の為めに青年会館、准代員の為めに救世軍本営を会場に当てゝ開催すべしと掲示した。
 然るに、その協議中ステーシヨン・ホテルに渋沢子爵の現はるゝや阪谷男爵は子爵と共に別室に去り、何事をか計られたが、その結果は夜に入りて公表された。夫れは思ひがけなくも帝国劇場を使用し得る運びになつたとの事、折しも開演中の同劇場が、突然その興行を中止して大会に提供することは、元より容易のことではない。之れが為めには渋沢子爵の斡旋と、同劇場を主宰する大倉男爵の好意と、専務取締役山本久三郎氏の苦心の偉大なりし事は、説明するまでもない。
 同劇場は一千六百の座席を有することゝて二千五百の代員を容るゝには稍々狭隘なれど、その構造や設備に於て善美なることは、大会にとりて如何ばかり好都合なりしか、実に感謝に堪へぬ事である。
 日はいよいよ暮れた、淋しき夕暮よ。宏壮なりし建物の跡には、ただ緑門の中央に飾られたクリーム色の塑像の気高き姿のみ、焼跡を掩ふ秋の黄昏に浮き立つて見えた。


第八回世界日曜学校大会記録 第四六―四八頁 大正一〇年三月刊(DK420053k-0012)
第42巻 p.219-221 ページ画像

第八回世界日曜学校大会記録 第四六―四八頁 大正一〇年三月刊
 - 第42巻 p.220 -ページ画像 
八時十分
    歓迎演説            子爵 渋沢栄一氏
 (大要)私は此盛典に参列して祝詞を呈する前に、一言お詑びを申上げねばならぬので御座いまして、寔に恐縮して居るので御座います。それは此度の不測の出来事で、我々の力の及ばざる事ではありますが、此度の盛典のために特に新設した会場が、火災のために焼失しましたのは、天災であつて致方ないとは申すものゝ、私共としては、自己の過失の如く深く責任を感じ、此大会に対し、また来会せられたる皆様に対し、何とも申訳が御座いません。依つて、予め此事を謹んでお詫び申上げて置きます。
  夫れ故に、私共は余炎の未だ終らないうちに、此会を如何にして遅滞なく進行せしむべきか、何しろ突嗟の事とて好い場所も考へつかず、阪谷男爵その他とも御評議の上、帝国劇場が最も適当ならんと一決し、早速交渉の結果、同所を以て会場とすることになりましたから、左様御承知を願ひます。
  さて今夕、此席へお集りの方々は、いづれも世界日曜学校の代表者にして、斯道のために態々遠路を厭はず御来会下されし事、何とも有難いことで御座います。不肖栄一此機会を以て、後援会を代表して、聊か祝詞を呈することは無上の光栄とするところで御座います。
  抑も此日曜学校事業の崇高にして、博愛なる精神に基礎を置き、且つ其施設の雄大なることは、世界の定評にして私が爰に喋々を要しませぬが、回顧しますれば、今より八年前スヰツルランドのヅーリツクで、第七回の大会が開かれました時に、我邦の日曜学校協会の代表者が、次回の大会は我東京で開会せられたしとの希望を提出致しました処が、当時の来会者は満場一致を以て此希望を容れて下さいました。
  此一大快事を聞知したる我国民は、深くこれを歓喜し、私共は基督教宗教家でも無く、又専門的に倫理道徳を唱導して居るものでもありませぬけれども、此日曜学校事業は世界の平和人道の向上に深甚の関係を有するものであると確信して、其翌々年即ち一九一五年の総理大臣大隈侯を会長として、第八回世界日曜学校大会後援会なるものを組織して、之が成功を遂げしめんと努力したのでありましたが、折柄の大戦乱で此大会を開く事が不可能になつたのみならず人心が日々に廃頽し、道義地を払はんとする悲惨の状態に陥りましたが、基督の所謂神の摂理、又東洋の古言には「天定まつて人に勝つ」とあるが如く、正義は最後の勝利者となつて、爰に平和が克復されて、私共が一日千秋の思を為して数年間待ちたる此盛典が、愈我帝都東京に開かれる様になりました事は、我国民の名誉とする処で、真に慶賀に堪へぬ次第であります。
  今回の大会には世界三十三ケ国の代表者諸君が参列され、此一座に会合なされて、将来世界を構成する少年及青年の教育及生活状態を改善すべき方法を攻究せらるゝのであると承り居りますが、此三十三箇国の中には、既に我邦と親交を厚ふして居る国々も多く御座
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いますけれども、此機会に於て新らしく国際的友誼を結ぶ国々は少くなからうと存じます。斯く考察しますれば、我後援会の本懐之に過ぐるものはないのであります。
  乍併風俗習慣を異にせる遠来の賓客を迎ヘます事で御座いますから、設備の不足又は注意の届かざる点が数々ありまして、諸君に不満足がありはせぬかと恐れて居りますが、諸君を歓迎し款待せんとする精神は、我官民共に異体同心であることは、此企劃に対し、曩きに畏き辺より多額の御下賜金のありました事実に照らしても、御諒承下さる事と存じます。終りに臨み、私は此盛大なる大会の開会を祝し、且御成功を祈ります。


第八回世界日曜学校大会記録 第五二―五五頁大正一〇年三月刊(DK420053k-0013)
第42巻 p.221-222 ページ画像

第八回世界日曜学校大会記録 第五二―五五頁大正一〇年三月刊
    書翰
              世界日曜学校協会実行委員長
                  ジヨン・ワナメーカー氏
  (同氏は大会の為めに数通の書簡を寄せられたるが、左に掲ぐるは九月一日附のものなり、ブラウン博士朗読)
 貴下の友人にして同時に予の友人なる故ヘンリー・ゼー・ハインツ氏の生前に占められたる世界日曜学校協会実行委員長の地位に推挙せられたる予は、職責上この書を貴下に贈る。
 東京の大会に於て日本及び世界各国の兄弟姉妹に相会すベく固く決心せるにも拘らず、妻の永き重病のために其目的を果し得ない事となり、その上妻は遂ひに一週間前に永眠したので、到底出席し得ない次第となつたのである。而して数週日前のこと、予は病妻を残して出発することの不可能なるを認めた時、予の代理を、友人にして併も知名の学者であり著述家であり、また有数の牧師なるジヨーヂ・ヱフ・ペンテコスト博士に依頼した、然るに同博士は間もなく紐育市へ伝道に赴かんとして途中忽然として天に召されたのである。
 予の東京に赴かん事を切望する理由は、元より世界大会に於ける諸般の指導を援助せんが為めなるも、また一には曾て貴国を代表して華盛頓に駐箚せられし事ある知友大隈侯爵、その外渋沢子爵とその家族及び同子爵と共に渡米せられし名士、又は屡々紹介せられし日本の紳士諸君に対する旧情を温めたい為めである。
 抑々国家の要素はその国民を構成するところの男女である。故に予は是非日本に渡航して貴下と親しく握手を交はし、天皇陛下の善政のもとに発展しつゝある日本の青年男女のために、胸襟を披いて人格建設の最善の方法を講究し、以て日米親善を助長せん事を希望したのである。尠くとも米国に於て教育を受けつゝある日本人に依りて代表さるゝ貴国の青年に対しては、其品性と能力とに於て米国人は大なる尊敬を払ひつゝある。
 而して、最近に於ける世界の趨勢は、陸海軍の軍備は国家の安寧を維持する最上のものにあらずして、多数の識者は進んで平和の技術を学び、好意と友情とを以て互に人類改善を図るべき秋なりと信ずるに至つたのである。即ち各自の有する優良なる素質を認め、互に之れが
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発揮に努力するは、国民を鞏固にし且つ進歩せしむる所以である。日米両国に於ても、有力者は須らく互に往訪して意見を交換し、その知識を啓発し合ふべきである。論ずるまでもなく、予が一度渋沢子爵の如き人格者に接し、その謦咳に触るゝや、忽ち能く諒解し親睦することが出来たのである。その親善の好果に於ては、行李に充満してゐる貴重なる外交書類に優ること遥かに大なりと思はれる。
 予の敬愛する総幹事ブラウン博士は、世界日曜学校事業のために一生を捧ぐベく其本職なりし銀行業を廃した人である。又ウヰリアム・ランデス氏はペンシルヴアニア州日曜学校事業拡張の為め偉大なる功績を挙げし人である。予は特に右二氏を貴下に推薦し、大隈侯・渋沢子爵及その他の諸君が諸種の問題に就て、二氏と協議せらるゝに於て充分なる期望に添ひ得ることを信ずる者である。
 予は本書を、ベタニヤ教会の前牧師故ペンテコスト博士と同労者なる牧師ダブルユー・エドワード・ジヨルダン博士に托して贈る。同氏は大会代員として出席し、有力なる援助を与へんことを希望する者である。(此書翰は、東京に於ける世界大会々長宛として認められたものである)
   ○右ハ大正九年十月五日、神田基督教青年会館ニ催サレタル開会式ニ於テ朗読セラレタルモノナリ。


第八回世界日曜学校大会記録 第六八―七〇頁大正一〇年三月刊(DK420053k-0014)
第42巻 p.222-223 ページ画像

第八回世界日曜学校大会記録 第六八―七〇頁大正一〇年三月刊
    報告
      火災に関する感謝文
 左記決議文は世界日曜学校協会実行委員の選定に係る起草委員ウヰリアム・ラムベ博士、ダブルユー・シー・プール博士及長尾半平の三氏に依りて起草され、六日朝両会場に於て同時に全会総起立を以て可決されたるものなり。
 三千余方の世界日曜学校職員・教師、及生徒を代表して参拾弐ケ国より参集したる第八回世界日曜学校大会出席の代員たる我等は、遠大なる希望を抱きて十月五日東京市に会合したり。吾等は大会に関する諸準備の極めて整頓せるを認め、殊に日本に於ける篤志家の多大なる援助と夥しき寄附とに依り建築せられたる壮麗なる会場とを観て、歓喜に溢れたり、然るに開会に先だつ極めて短時間、実に僅僅数時間前、悲し哉宏壮なるその会館は灰燼に帰したり。
 吾等は此の不慮の災禍を痛歎する余り、一時茫然たると同時に、大会の大成を期すべき甚大の努力を吝まざりし主人側なる日本人の、悲痛落胆に尠からず感動せしめられたり。
 吾等は、又日本の各地より寄せられたる深刻なる同情の表示と援助の約束とに感激したり。この自発的協力心の流露と今後の行動に関する処置とに、加ふるに諸種の有用なる提議とは、何等の支障を来さず議事の進行を可能ならしめたり。吾等はこの一見災厄の観ある事変を翻へして幸運に転換し給ひし神に感謝す。
 玆に吾等は是等同情者の好意と親切とに対して、深甚なる感謝を表し、特に左記諸氏の芳名を録して記念せん事を決議す。
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      子爵 渋沢栄一閣下        侯爵 大隈重信閣下
      男爵 阪谷芳郎閣下        男爵 大倉喜八郎閣下
 総理大臣    原敬閣下    外務大臣  子爵 内田康哉閣下
 宮内大臣 男爵 中村雄次郎閣下 内務大臣     床次竹二郎閣下
 海軍大臣    加藤友三郎閣下 文部大臣     中橋徳五郎閣下
 陸軍大臣    田中義一閣下  貴族院議長 公爵 徳川家達閣下
 衆議院議長   奥繁三郎閣下  東京市長  子爵 田尻稲次郎閣下
 東京府知事   阿部浩閣下   鉄道大臣     元田肇閣下
 東洋汽船会社長 浅野総一郎殿
 其他諸外国大使館、諸新聞記者、帝国各市の公吏、多数の実業家の各位


第八回世界日曜学校大会記録 第八三頁大正一〇年三月刊(DK420053k-0015)
第42巻 p.223 ページ画像

第八回世界日曜学校大会記録 第八三頁大正一〇年三月刊
    報告
モントイーグル号にて大会参列のために来航しつゝある百十名の代員より左の電報あり。「昨夜大会場焼失の事を知れり、渋沢子爵を始め後援会諸君の同情尽力あることゝ信ず、代員諸君に於ても落胆する事なく、これに依て一層励まされ、燃ゆる火となりて益々努力せられんことを。」


中外商業新報 第一二四一一号大正九年一〇月八日 ◇世界日曜学校大会の三日 聖歌に揺ぐ帝劇 昨日から初めて落着く 昨日から初めて落着く(DK420053k-0016)
第42巻 p.223 ページ画像

中外商業新報 第一二四一一号大正九年一〇月八日
    ◇世界日曜学校大会の三日
  ▽聖歌に揺ぐ帝劇
    昨日から初めて落着く
    聖歌隊七百名の大合唱
世界日曜学校大会第三日は、会場を変更して帝国劇場にて、七日午前九時より開会、折角建設された大会場を焼け出され
◇仮会場 で第一、二の両日を済ませたが、やつと今日から落着いた気分になつて、代員と準会員・傍聴者二千余名で、遉に宏壮の帝劇内もキツシリ人を以て埋められる、今日の主題は「世界の贖主なるイエスキリスト」にて、司会者はマリヤ・ラバリー氏で「民皆喜べ、主は来ませり」の賛美歌合唱で始まり、ジヨージ・ビツクリー氏の「世界的救主の必要」と題する演説あり、スミス氏及夫人の指揮にて「衛士よ
◇吾等に 夜を語れよ」の二部合唱があって、賑々しく同十一時半午前の集会は閉ぢられた、午後からは救世軍本部其他にて各分科協議会があり、役員及講演者百五十名は午後四時より赤阪御苑の拝観を為し夜七時から再開、聖歌隊七百名の「吾等に一人の御子生れ給へり」の音楽あり、東洋人の為に植村正久氏「新時代に於ける基督の充実」の題下演説あつて、第三日の夜は静かに更けた


(阪谷芳郎) 大日本平和協会日記 大正九年(DK420053k-0017)
第42巻 p.223-224 ページ画像

(阪谷芳郎)大日本平和協会日記 大正九年
                    (阪谷子爵家所蔵)
○九年十月十三日、第八回世界日曜学校大会決議八ケ条
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 右第八回大会ハ十月五日ヨリ同十四日ニテ十日間開会ス(東京ニテ)


第八回世界日曜学校大会決議文 一九二〇年一〇月一三日(DK420053k-0018)
第42巻 p.224-226 ページ画像

第八回世界日曜学校大会決議文 一九二〇年一〇月一三日
                    (阪谷子爵家所蔵)
         Resolutions Adopted
            by the
      World's Sunday School Convention
         at Tokyo, Oct. 13, 1920
  We, the delegates of the World's Eighth Sunday School Convention in conference assembled at Tokyo, representing thirty countries and more than thirty million officers, teachers, and scholars, affirm the following propositions, embodying the principles of world brotherhood, with special reference to international relationships.
  1. We affirm our unshaken belief in the solidarity of the human race, and further affirm our conviction that any conception of racial or national integrity, that ignores this basic fact, imperils the security of the world.
  2. We record our appreciation of every movement that makes for a deepening sense of mutual indebtedness and obligation among the nations, and likewise deplore every action that makes for misunderstanding, discord, and dissension.
  3. We attest our confidence in the practicability of a world brotherhood, and hold that fealty to the principle of the common good is more cohesive than mere similarity in customs, habits, and manners.
  4. We maintain that any national or international policy that seems to discriminate in the treatment of nations and races engenders bitterness and is subversive to the best interests of mankind and inimical to the peace of the world.
 5. We believe that all international problems are solvable and all international difficulties adjustable if dealt with in a spirit of dignified tolerance, noble conciliation, and Christian forbearance and that Christian altruism must take the place of enlightened selfinterest in the settlement of all international contentions.
  6. We record our convition that brotherhood must be vitalised so as to have a direct relation to the Kingdom of God.A passion for righteousness is the moral minimum with whihc international relations can be safeguarded. World brotherhood requires an international consciousness. This can only be acquired through the unlimited expansion of our own personality. The spacious world mind can come only through fellowship with Him who is at once Son of God and Son of Man.
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  7. We call the nations to heed the warning given by the present world chaos and to deliberately refrain from taking any provocative national action that would wound national honor, discount national prestige, or be of such a character as to create suspicions, resentment, or revenge.
  8. Finally, we assert our unalterable conviction that nothing in this world is settled until it is settled right. We hold that spiritual sanctions must have a place in life and that moral mandates must increasingly exercise their power in controlling the conduct of mankind. With unfaltering trust and high resolve, we pledge our allegiance to these principles and dedicate our lives to their speedy realization throughout all the earth.
(右訳文)
   今次東京ニ会合シタル第八回世界日曜学校大会代員タル吾等ハ卅余国ト三千余万ノ日曜学校教職員及ビ生徒ヲ代表シテ、玆ニ国際的関係ニ対シ、世界同胞主義ヲ包含スル左ノ決議ヲ為ス
第一 吾等ハ、人類ノ一体タル事ニ対スル吾等ノ確信ヲ肯定シ、更ニ進ンデ此基礎的事実ヲ無視スル人種的又ハ国民的保全ノ思想ハ実ニ世界ノ安寧ヲ危クスルモノナル事ヲ確信シテ疑ハザルコトヲ言明ス
第二 吾等ハ、国際間相互ノ義務責任ノ観念ヲ深クスル総テノ運動ヲ賛成スルト同時ニ、総テ誤解・不和・紛擾ヲ醸ス一切ノ行動ヲ非認スル事ヲ言明ス
第三 吾等ハ、世界同胞主義ノ実行シ得ベキ事ヲ確信シ、亦共同幸福ノ主義ニ忠実ナル事ハ単ニ風俗習慣ノ一様ナル事ヨリモ結合力ニ於テ更ニ偉大ナル効力アルベキ事ヲ確信シ、且之ヲ言明ス
第四 吾等ハ、総テ他国民及ビ他人種ノ待遇上ニ於テ差別ヲ立ル所ノ国民的又ハ国際的政策ハ反感ヲ醸シ、人類最善ノ利益ニ反シ、世界ノ平和ニ害毒ヲ及スモノナルコトヲ主張ス
第五 吾等ハ、若シ高尚ナル忍耐ト基督教的寛容ノ精神トヲ以テ之ニ当ラバ、凡テ国際間ノ難問題モ必ラズ解決ノ道アルべキヲ確信シ、且総テ国際間ノ紛議ヲ調停スルニハ、所謂文明的ノ利己主義に依ラズシテ基督教的ノ利他主義ニ基カザル可ラザル事ヲ確信ス
第六 吾等ハ、世界同胞主義ガ実現セラルヽニハ、先ヅ神ノ国ト直接ノ関係ヲ有セザルベカラザルコトヲ確信ス、単ニ正義ノ観念ノミニ依テ国際間ノ親善ヲ保ツハ殆ンド不可能ノ事ニ属ス、世界同胞主義ノ実現ニハ国際的意識ヲ必要トナス、然レドモ国際的意識ノ発展ニハ吾人各自ノ不限ナル人格的向上ヲ必要トス、而シテ斯ノ如キ公明正大ナル世界的精神ハ、唯神ノ子ニシテ亦人ノ子タルイヱス・キリストトノ交親ニ依ツテ得ラルべキモノナリトス
第七 吾等ハ、玆ニ現時世界ノ大混乱ニ依ツテ与ヘラルヽ警告ニ対シ
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各国民ノ注意ヲ喚起ス、総テ国民ノ名誉ヲ傷ケ国民ノ威信ヲ軽ンジ亦ハ相互ノ猜疑・忿怒・復讐心ヲ惹起スル如キ行動ヲ謹ムベキ事ヲ警告ス
第八 終ニ吾等ハ、此ノ世界ニ於テハ何事モ公平ニ決定セラルヽ迄ハ決定セラレタルモノニ非ラズトノ確信ヲ言明ス、吾等ハ、人類ノ行動ヲ支配スル上ニ霊的制裁ガ益ス彼等ノ生活ニ力ヲ及シ、且ツ道徳ノ権威ガ之ニ多大ノ勢力ヲ有セザルベカラザルコトヲ主張ス
   吾等ハ、玆ニ不動ノ確信ト高潔ナル決心トヲ以テ、此等ノ主義ニ対シテ吾等ノ忠実ヲ誓ヒ、且此等ノ主義ガ一日モ速カニ全世界ニ普及実現セラレンガ為ニ、吾等ノ生命ヲ献グルモノナリ
  右決議ス
        一千九百弐拾年拾月拾三日東京ニ於テ
                   第八回世界日曜学校大会



〔参考〕竜門雑誌 第三九〇号・第四九―五二頁大正九年一一月 ○第八回世界日曜学校大会開会の径路 小畑久五郎君(DK420053k-0019)
第42巻 p.226-227 ページ画像

竜門雑誌 第三九〇号・第四九―五二頁大正九年一一月
    ○第八回世界日曜学校
     大会開会の径路
                     小畑久五郎君
一、日曜学校とは如何なる者なるか 日曜学校とは全くキリスト教的制度であつて、日曜日に正式の礼拝を行ふ外に、児童及成年の男女に対してキリスト教を組織的に教へやうとするものである。学校といふ名称を与へたのは、科目こそ異なれ、其実施法が普通の学校の其れに類似して居るからである。従つてキリスト教会のある所には、必ず日曜学校が設立されて居るのである。
二、キリスト教の宗派 キリスト教には種々の宗派がある。而して其宗派が各団結して、日曜学校聯合会ともいふべき機関を設けて、四季に一度宛とか、一年に二回とか代表者会を開いて種々研究する。之れに因つて相互の奨励を計り、且つ統一的運動を行ふのである。然るに日曜学校の性質は、至つて淡白なもので、各宗派を通じて共通の点が多い所から、一国内に於ける各派日曜学校の同盟が起り、日本に於ても日本日曜学校協会同盟を組織して、日本国内に於ける各宗派の日曜学校を聯合せしめ、其事業を統一して、斯道の進展を計ることゝなつたのである。之れが漸次拡張されて、終に国際日曜学校協会となり、尚ほ進んで世界日曜学校大会を組織する様になつたのである。
三、世界日曜学校大会の目的如何 本大会の目的を知るには、一千八百八十九年(明治二十二年)七月一日から六日迄、英国のロンドンに開かれた第一回大会の決議を見るが一番早解りである。
 「全世界に於ける日曜学校関係者の集合せる本大会は、神の恩寵、エス・キリストの愛、及聖霊の本大会の上にあるを認め、吾人の従事する事業の重要なるを深く覚り、同時に益々全世界に於ける本事業の進歩発展を計らんとす。仍て吾人は本大会の目的として次の数項を挙ぐベし。
 (一)大会は講演等により、全世界に於ける日曜学校当局者の熱情
 - 第42巻 p.227 -ページ画像 
を喚起せしめ、且つ同労者の交情・友誼を増進すること
 (二)大会には日曜学校各分科専門家の研究になる最良の方法を発表せしむること。
 (三)各国の日曜学校同盟と協力し、未だ之が組織なき地には其設立に努力すること」
 当時の大会に於ける大会代員数は八百名で、代表された国は、僅に米・英・独・仏・伊及カナダの六ケ国に過ぎない程度であつたが、今回の大会には、三十余国が一千八百十四名の代員によつて代表されたのである。此外に五百名の准代表員があつたのであるから、総数二千三百十四人となるのである。此等多数の代表者が十日間会議を開いて或は協議会或は講演会或はページエント及音楽会等によつて、キリスト教的教育を宣伝し、且つ宗教々育法を研究したのである。大会の事業として種々後世に範を垂るべきものがある。其内にも左の宣言は実に堂々たるものである。
   ○前掲大会決議訳文ト同様ニツキ略ス。
 序でに世界日曜学校大会後援会に関して一言する必要があると思ふから、簡単に述べて置くことゝする。
 第七回世界日曜学校大会は一千九百十三年(大正二年)七月八日より十五日迄瑞西ツウリッヒに開かれたが、此大会に於て日本代員の一人なる井深梶之助君が、第八回の大会は日本帝国に開かれたしとの招待演説をなし、故ハインツ氏の賛成ありて、終に本大会が一千九百十六年(大正五年)日本に開かれることに決定されたのである。其処で日本の当局者は此世界的大会に対して準備する為めに、朝野の名士を説き、当時の総理大臣大隈侯(当時伯)を始め、実業界の泰斗青淵先生の賛同を得て、後援会を組織することになつたのである。第八回日曜学校大会開会当時の午後四時頃、俄然火災に掛つた新会堂の出来たのも、亦た応急手段として帝国劇場を大会々場に充つるに至つたのも一夕三千名以上の大会参列者を歓待したのも、皆此後援会の働きに依つたものである。日曜学校の如き襟度の広い宗教的団体が単にキリスト教々会内の人々のみならず、真の文明を愛し、正義人道を重んずる一般の人々によつて、今回の大会を開き有終の美を済したといふことは、独り日本帝国の慶事であり、キリスト教会の美事であるばかりで無く、実に世界全般に亘る不朽の大事業である。



〔参考〕竜門雑誌 第三九〇号・第四七―四九頁大正九年一一月 ○外賓接待の最適任者 渋沢子の風格は正に日本の代表的=民衆本位の一富豪=子あらば樽爼折衝安心すべし=(DK420053k-0020)
第42巻 p.227-228 ページ画像

竜門雑誌 第三九〇号・第四七―四九頁大正九年一一月
    ○外賓接待の最適任者
      渋沢子の風格は正に日本の代表的=民衆本位
      の一富豪=子あらば樽爼折衝安心すべし=
  本篇は大阪の「関西日報」記者が十月九日の社説欄に於て青淵先生を評論して、能く其真情を穿てるものあるを以て、玆に之を転載して読者の参考に資す。(編者識)
 日本政界を代表して世界的に名を成せる人に伊藤・大隈あり、伊藤公薨後大隈侯は、日本の代表政治家としてほとんど盛名を擅にせる観あり、勿論隈侯の政治上の境界は、内国の政情に通ずるものより見れ
 - 第42巻 p.228 -ページ画像 
ば、左程畏重するに足らざれども、而も当年、真個に実力上日本政界の中心人物たりし山県・桂・寺内乃至今の原諸氏の如きは、ほとんど富岳に朝宗する箱根連山位にしか思はれず、その故何に依るや。卒然として答ふるに難し。
 これと同じく渋沢子は日本実業家として、何等出色の点ありや、富の番附よりいへば、横綱三役は愚か前頭の上の部にも入り兼ねる地位にあり、唯子には、一種の人徳あり、而も其人徳の底には、言ふに言はれぬ頼もしき士風とでも称すべきものありて、不断に、その人格の光輝を閃揚しつゝある点、他の及ばざる処となす。此意味に於て侯大隈と別種同趣の風格を有する二代表といふベし。
 子は青淵と号し、論語道徳を立唱して、国民の簡易立徳を標旨する一篤志家たることは人の普ねく知る所也。既に此の孔子教を唯一の信条として世を渡るが故に、子は単に一個の金持又は実業家として満足せず、好善の君子として社会的に、何等かの施設を為さずば慊たらずその心は常に社会事業の上に向つて飛ぶ。社会事業の中、官僚のみの命令で行かず、民間のみの仕組でも出来ず、官民両派の合同を要する場合には、必ず子の其間にありて、調節するあるを要し、世間また子の怡顔温容が悠揚として衆客の間に斡旋するを見れば、心暢びやかに意平かに、安心して其事業を信ずるに足ると為す。
 さきの日、労資協調会でも子はほとんど中堅となりて働き、万国労働会議の際のモメ事にも、子は先に立ちて、友愛会の為めに同情したり。今度万国日曜学校の外賓接待の事より、会場焼失後の世話まで、ほとんど一人にて目立ちて周旋尽力せるが如し。曾て実業界の元老としての働きの外に、子は、日本各方面の大お爺として、一切の切盛に任じ、老躯を提げて常に陣頭に立ち、さきには日本女子大学の創立に与かり、又翻つて帝劇の献立にも尽力し、その手足の触るゝところ、広く且つ大に、ほとんど日本文化の為めとあらば、苟くも自ら労して知らざるが如し。その名物たる点に於て、大隈侯と同一疇に出づるも実際侯子の働く舞台、仕事、今やほとんど比較にならぬ程の逕庭を生ずるに至れり、即ち隈侯は過般自ら称して「火の出ぬ老木」に譬へたりしが、渋沢子は、なほ、満身の壮情炎上せんばかりの気概ありと謂ふベし。
 山路愛山、曾て子と安田善次郎氏を評して「渋沢は経国済民の念を以て起ちたるもの也、其人は始めより公人にして、其事業は公の事業也、安田は私の富にして、其大なる富は安田氏一家の富のみ」と云ヘる、よく子の為めに知るものといふベし。
 去る日、万国日曜学校会場焼くるや、直に、帝劇を開いて其会場に充つ、子の奔走の状見るが如し、且米国より更に巨資を増遣せんとするに際し、子は之を謝絶したるは、事小に似たれども、用意の密にして且精なるを見る。子在らば、万国民の前に、まづ日本の体面を汚すことなかるべし。此点に於ても、信用の担保者として、代表者たる資格十分なりと云ふべし。日本に一大物質あり、一は平民宗の福沢氏、一は民衆代表の渋沢子、二沢の国民に尊重せらるゝ、由来ありといふベし。