デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
4節 キリスト教団体
2款 世界日曜学校大会後援会
■綱文

第42巻 p.231-236(DK420055k) ページ画像

大正9年10月13日(1920年)

是日当会、諸外国参列員及ビ我国各代表者二千余名ヲ帝国劇場ニ招待シ、レセプションヲ催ス。栄一病気ノタメ欠席シ、挨拶ヲ代読セシム。


■資料

集会日時通知表 大正九年(DK420055k-0001)
第42巻 p.231 ページ画像

集会日時通知表 大正九年         (渋沢子爵家所蔵)
十三日○十月 水 午後四時 大会後援会催世界日曜学校参列レセプシヨン(帝劇)
○中略。
廿四日○十月 日 正午 日曜大会ニテ政府当局者招待会(ステーシヨン・ホテル)


竜門雑誌 第三九〇号・第六〇頁 大正九年一一月 ○世界日曜学校大会後援会のレセプシヨン(DK420055k-0002)
第42巻 p.231 ページ画像

竜門雑誌 第三九〇号・第六〇頁 大正九年一一月
○世界日曜学校大会後援会のレセプシヨン 青淵先生の副会長として大正二年以来尽力せられたる世界日曜学校大会後援会は、首尾能同大会をして十月五日より壮大に開会せしめ、其目的を達したる次第なるが、同月十三日午後四時より、同会場たる帝国劇場に於て、同大会に出席したる外国の参列員及本邦朝野の名士合計二千五百名を招待してレセプシヨンを催ふされたり、当日は海軍々楽隊の奏楽の後に、後援会を代表して同副会長の一人阪谷男爵の開会の辞あり、続て青淵先生の挨拶(先生には御病気の為め欠席せられたるに付き、特に書を寄せられたるを代読したり)来賓にては大会の副会長マツクライン氏、総幹事ブラオン氏及外相内田伯爵の答辞あり、夫れより柳兼子夫人の独唱及小倉すゑ子女史のピヤノ弾奏は満場を圧し、又ページエント「ベツレヘムより東京へ」は満場の大喝采を博し、続て一階より四階に整備せられたる食堂開始となりしが、二千五百の会衆が格別の混雑も無く愉快に立食の饗を終りしは、当日の諸掛員の苦心容易ならざりし事と察せらるゝなり。


竜門雑誌 第三九〇号・第二二―二四頁 大正九年一一月 ○第八回世界日曜学校大会参列員歓迎辞 青淵先生(DK420055k-0003)
第42巻 p.231-233 ページ画像

竜門雑誌 第三九〇号・第二二―二四頁 大正九年一一月
    ○第八回世界日曜学校
     大会参列員歓迎辞
                      青淵先生
  本篇は、世界日曜学校後援会主催の下に、十月十三日夕帝国劇場に於て、第八回世界日曜学校大会に各国より参列せる代表者二千
 - 第42巻 p.232 -ページ画像 
余名の賓客を招待せる席上、青淵先生が同会を代表して述べられたる歓迎辞なりとす。(編者識)
 会長、諸閣下並に大会代表者、淑女紳士諸君
 私は今日此歓迎会に賁臨を忝うしたる内閣諸大臣、列国の使臣、及各方面の知識を網羅する淑女紳士の会合に於て、我が後援会を代表して歓迎の辞を述ぶることを得るのを、無上の光栄として欣喜雀躍するのであります。
 想ふに大会代表者諸君は、北は澟烈たるグリーンランドより、南は印度の熱帯海岸に至るまで、世界三十有余国の基督教徒を代表して、此大会に参集せられ、各々異りたる国語を以てするも、其精神は至大なる基督の教旨に拠りて一致して、世界人類の為めに善事を為さるゝは、私共日本人の希望と全然合致する故に、私共は満腔の熱誠を以て諸君を歓迎するのであります。
 日曜学校の目的は、児童に宗教的教育を授けて、其精神の修養と人格の向上とに資せんとするに在つて、諸君は各其関係方面に於て、児童に道徳的教育を施して、人類の改善に尽力せらるゝのである、私は曾て米国の偉人故セオドアー・ルーズベルト氏の格言「国家最終の福利は其国民の正義に基因す」と云ふことを記憶して居る。而して私は之に附加して、世界人類の幸福と平和とは、万民の正義に基因すと言はんとするのであります。
 日本国民も諸君と同じく児童を愛します、而して儒教に拠れる教育は、大学に対する小学がありて、読書以外に児童の良知良能を発揮することを奨めて居ります、古来我邦の教育も重きを児童に置きて、国家の盛衰は子孫の智愚賢不肖に因ることを、丁寧親切に訓へてあります、私共は諸君と国語を異にし、風俗を同じくしませぬけれども、均しく造物者の児童にして、世界の市民である故に、正義人道を世界に拡張するには、須らく人類に四海同胞の意義を徹底せしめねばなりませぬ、是れ諸君が児童の教育に尽瘁せらるゝ所以にして、私共の深く賛同する所であります。
 大会代表者諸君、私は儒教に拠りて立つものでありますから、諸君の中には、何故に此日曜学校大会に協力するやを訝る人もありましようが、今を距る五年前、私が米国にてジヨン・ワナメーカー氏と談話せし一節を玆に陳述したならば諸君の御了解を得ることゝ思ひます。
 千九百十五年十一月廿八日の日曜日に、フヰルデルヒヤ市に於て、私はワナメーカー氏と数時間に亘りて意見を交換しました、而して氏は私に対して
 君は基督教徒ならざるに、何故に日曜学校大会の為めに斯くまで努力せらるゝや
此疑問に対して私は左の如く述べました。
 私は幼時より儒教によりて薫陶せられ、孔孟の学説を以て一身を保持して居ります、而して孔孟の教旨は、凡そ人たるものは、博愛にして忠実に、且つ自己を後にして国家社会を先にせねばならぬのであります、是を以て私は明治の初年より、我邦の商工業の発展に尽力しましたが、常に此趣旨を服膺しました、此儒教の趣旨が或点に
 - 第42巻 p.233 -ページ画像 
於ては全く基督教と一致するのであります、而して世界日曜学校大会に協力する第一の理由は、此大会が国際的性質を有するからであります、現に私共は世界平和の保全に貢献せんと希望します、而して私共日本人は東西両洋の文明を融合するの使命を有するものと信じて居ります、第二の理由は、此日曜学校の大会は人の信念に至大の関係を有するからであります、私は我国の青年が如何なる宗教に拘らず、確実なる信念を有することを望みます、近時欧米の科学が盛に輸入して、唯知識教育のみに傾注し、道徳的精神の減損を憂慮するのであります、故に日曜学校大会は此等青年の精神を激励する為めに、絶好の機会を与ふるものと思ひます。
 ワナメーカー氏との談話は前後二回なれども、相共に襟胸を披瀝して心事を縷述しましたから、私は百年の知己として、今般の大会に我邦に渡来せらるゝを期待しましたが、同君は病の為めに出席が出来ぬと云ふ電報に接して、私は真に遺憾の極と思ひます。
 大会代表者諸君、諸君は今や世界改造の時機に際し、各国の人心安定を欠き、互に相猜疑するの時に於て、此大会に参列せられ、大会開設以後玆に九日間、世界の第二国民に宗教的・道徳的教育を授くる問題に付て熱心に論議せられしは、文明の発達、人類の進歩に貢献する所の偉大なるを、私共日本人は深く称讚して且つ感謝するのであります、加之高尚なる聖歌劇又は音楽等は、私共に永遠の教訓と快感とを与ふるものであつて、我国に取りては実に空前の盛事と云ふも過賞溢美ではないのであります、唯発会の当日に於て、不慮の災禍ありしのみならず、経験なき私共の施設は、百事不行届にして、諸君の満足を得る能はざりしも、幸に此大会は大成功を以て終了するに至りたるは諸君に対して祝賀の意を表するに躊躇せぬのであります。
 終りに臨みては私は一言を添へます、由来日本国民は平和を好愛するのであります、開闢以来未だ曾て他国を侵略する為に戦争を起した歴史はありませぬ、而して諸君は実に世界の平和を確立するに勉焉せらるゝのでありますから、希くば諸君が播種されたる芳草が、他日馥郁たる花を開きて、其実を結ぶに至ることを期待するのであります。
 私は玆に重ねて諸閣下、淑女紳士諸君の御臨場を感謝します。


第八回世界日曜学校大会記録 第一五八―一六六頁 大正一〇年三月刊(DK420055k-0004)
第42巻 p.233-234 ページ画像

第八回世界日曜学校大会記録 第一五八―一六六頁 大正一〇年三月刊
    後援会招待会
                 会場 帝国劇場
 午後四時、内外代員及び来賓約二千名は、帝国劇場内に於ける後援会主催の招待会に招かれた。連日大会場として使用し来りし会場は、忽ちにして秋の美を誇る黄白の菊花と、紅ゐ燃ゆる如き紅葉とにて飾られた。その上無数の万国旗が、入口より廊下の隅々までも引廻はされ、宛ら咲き盛る花壇の中にあるが如くに思はせた。
 定刻四時、司会者阪谷男爵、開会の旨を告ぐるや、静かに海軍々楽隊の奏楽が心地よく響き渡つた。暫くにして司会者は、大隈会長も渋沢副会長も差支のため出席せられざる旨を述べ、併せて開会の辞を述べられた。
 - 第42巻 p.234 -ページ画像 
○中略
次ぎに外務大臣伯爵内田康哉氏は、来賓を代表して
  「司会者並に淑女紳士諸君、予は後援会の御招待を受け海外よりの名士諸君に対して御挨拶するは、甚だ光栄とする所である。蓋し此度の大会は、日本に於ける最初の世界的会合にして、政府及び国民はその成功を祈つて止まなかつたからである。然るに斯くまでに成功を齎し得たことは、世界の好誼を増進し、また日本国民の歴史上に一大紀元を劃するに到つたことゝ思ふのである。
  また主催者なる渋沢子爵及びその他の後援会諸君に対して、予は其光輝ある無私の努力と、大会に与へられたる有形無形の援助を感謝して止まない者である。且つ又大会の役員及び三十余国を代表する代員諸君に対しては、深厚なる歓迎の意を表し、併せて大会の成功を祝賀するものである。諸君が人類の幸福のために致さるゝ熱心なる努力は、人道に対して大なる貢献をなすものなることを信じて疑はない。
  今や吾人は世界改造の新時代に入つたものである、そして一般社会は経済及び社会的正義を主張して居る。この時に於て、諸君の主義や協議は、世界各国にとりて平和と調和とを齎すことに必要なのである。恰も個人が孤立して生存し得ざる如く、国民も亦縦へ強国なりとも、外国との協力なくしては存在し得ないのである。今はマキアベリ的の外交の時代でなく、デモクラシーの時代に入つたのである、各国民は平等及び正義を享有すべき時なのである、日曜学校の目的は、実に世界の将来の国民を道徳的また宗教的に教育して、世界をして人道の為めに安全ならしめんとするのである。
  諸君は実に世界的好誼の宣伝者にして、且つ平和の使者である。若し世界の国民がすべて基督教の主義に依つて政治を行ふならば、如何なる問題も解決し得ざるものはない。故に諸君の無私公平なる努力が、成功の冠を以て完了せられんことを祈つて止まない。且つ諸君の感化が全世界の国民相互に尊敬心を増進せしめ、以て世界同胞主義の実現を見るに至らんことを祈る者である。」
会衆は拍手して外相の挨拶に酬ひ、次に柳兼子夫人の独唱を聴いた、続いて小倉すゑ子女史のピアノ弾奏を聴く。柳夫人の声量の豊富なると、小倉女史の鍵盤を渡る巧妙なる指の運びには、内外人ともに驚歎して割るゝが如き喝采を惜しまなかつた。右終つて、演壇なるステージは一変してページエントの三人の博士が星をめあてに救主をたづね往く場面となり、「ベツレヘムより東京へ」が演ぜられ、会衆をして霊気に溢るゝ清興を覚えしめた。


東京朝日新聞 第一二三二八号 大正九年一〇月一〇日 日曜大会今日の大行列(DK420055k-0005)
第42巻 p.234-235 ページ画像

東京朝日新聞 第一二三二八号 大正九年一〇月一〇日


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 ◇日曜大会◇ 今日の 大行列  大森彦七を廃めて   十三日も大歓迎会には   仇気ない聖劇を余興に   ――十一日には    ◇鎌倉の大仏を紹介 



 - 第42巻 p.235 -ページ画像 
『ベツレヘムより東京へ』も九日夜の『児童の権利』と題した聖劇も浄い仇気もない美しいもので、偉く評判がよかつた、折から来る十三日の午後に
 大隈侯 を会長とし、渋沢子爵・阪谷男等の組織した世界日曜学校大会後援会が、改めて公的の招待会を催すので、其際座附俳優の旧劇『大森彦七』の一幕を余興として観覧させる予定であつたが、計らずも『ベツレヘムより東京へ』を観た渋沢子は、いかにも意味深長で意外の面白さに感動され、当日は原首相を初め朝野の名士数百名を招ずるので、聖劇を
 朝野に 紹介するの有益であり、又大会の趣旨にも適ふとあつて、この旨幹部に謀つた所が、一同もひどく乗気になつて、特に『聖都より東京へ』を再演することにした
○下略


東京朝日新聞 第一二三三二号 大正九年一〇月一四日 二代目渋沢の阪谷男が座長で後援会の聖徒大招待 歯切れのよい外相の祝辞 『これはよいよい』と再演の聖劇に感心した大倉・三井その他の諸名氏(DK420055k-0006)
第42巻 p.235-236 ページ画像

東京朝日新聞 第一二三三二号 大正九年一〇月一四日
  二代目渋沢の
    阪谷男が座長で
    後援会の聖徒大招待
      ◇歯切れのよい外相の祝辞
        『これはよいよい』と再演の聖劇に
        感心した大倉・三井その他の諸名氏
世話役の渋沢子が風の気味で欠けたが、昨日の後援会の日曜学校のレセプシヨンは、二代目渋沢の阪谷男が座長を勤めて斡旋これ努め、定刻午後四時雨晴れて参列の人多かつた
 背景に バイブルを挟んだ東西半球の絵に『われらは世の光なり』とそれらしい情趣を見せ、帝国教育会が贈つた花環を飾つてある、阪谷男が開会の辞を英語で述べる、渋沢子爵の挨拶は笠井重治君が巧みな英語演説に生きて『北はグリーンランドより、南は印度の熱帯の海岸に至る迄』の人々と聖書の句を引用した所は大喝采、ルーズヴエルトの語を引き『国家最終の福利は
 正義に 在り、私は基督教徒でない、儒教を奉ずる、然も日曜学校に世話をするのは、博愛・忠実、己れを後に国家社会の為に先づ尽すの点は同だ』と誠意籠つて居る、阪谷男は加奈陀大審院長マクラレン博士が老齢七十五歳、人道の為に献身するを紹介し、ブラオン博士を同じく称へて満場に紹介した、両氏が叮重な答辞あって、外務大臣内田伯は
 発音の よい流暢な英語で、今度の大会を祝し、更に『マキヤベリーの外交はいけぬ、自由と進歩、平和と正義とに依らねばならぬ、日曜学校は道徳と宗教上の訓練によつて、世界を人類の住むべき安定地とすると聞く、諸君は国際親善の宣伝使である、基督教の正義・慈善を注入して行くなら、いかなる問題も解決が易々であらう』と割るゝばかりの喝采であつた、興を添へんと柳兼子夫人が出た、大柄な着物の姿が
 鮮やか である、伴奏榊原直君で、唄はマイヤベーヤ作『プロフエ
 - 第42巻 p.236 -ページ画像 
スト』二曲、黒いレースの洋装楚々として小倉末子嬢がピアノのシヨパン作の『ペルソース』『バラード』の二曲、見れば数多の外国婦人達は手を口のあたりに添へて首をかしげて陶然として居た、それから例の聖劇『ベツレヘムより東京へ』を演じた、大倉男・三井男・早川千吉郎氏も、志村源太郎・小野英二郎の銀行家の諸氏、浅野総一郎氏など『これはよい』と感に入る、立食あつて七時に済んだ