デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
1款 財団法人竜門社
■綱文

第42巻 p.629-637(DK420106k) ページ画像

大正6年11月4日(1917年)

是日、当社第五十八回秋季総集会、飛鳥山邸ニ於テ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第三五四号・第一四九―一五三頁 大正六年一一月 ○本社秋季総集会(DK420106k-0001)
第42巻 p.629-632 ページ画像

竜門雑誌 第三五四号・第一四九―一五三頁 大正六年一一月
    ○本社秋季総集会
 本社第五十八回秋季総集会は、十一月四日午前より飛鳥山曖依村荘に於て開かれたり。当日は生憎非常なる雨天なりしにも拘らず、来会者約二百名に達せり。定刻評議員会長阪谷男爵登壇、開会を宜し、且つ曰く
 本社第五十八回秋季総集会を開くに当り、生憎雨天に会したるは、蓋し天が、竜門社をして特に此の日を択ましめたるものなるやも知る可らず。今や同盟与国の国民は挙つて戦地に赴き、而して塹壕の裡に在りて、一身を堵して敵と戦ひつゝあり。欧洲一面戦雲濛々、天地為めに荒寥、此未曾有の事変に際会す、吾人亦た天意を諒として、深く警戒する所なくして可ならんや。
 扨て欧洲戦争の終局は何時なるやを知る能はずと雖も、近来露国を始めとして、一種危険なる社会主義思想は殆ど欧洲全土を風靡せんとするの勢あり。戦争終局後の経済上の競争、軍備の補充拡張亦た急ならざるに非ず、因つて吾人日本国民たるもの戦後経営に遺算な
 - 第42巻 p.630 -ページ画像 
からむことを期せんと欲すれば、即ち軍備・経済共に予め大方針を確定せざる可らざるは勿論なりと雖も、夫れと同時に危険なる民主思想の襲来を予防し、以て苟めにも我帝国の国体を傷くることなきやう、国民各々覚悟する所なくんばある可らず。本社の秋季総集会開会に際し、昊天、雨を降す、是れ豈に偶然ならんや云々
 次に海軍大佐山木英輔氏の「欧洲戦争と海軍」と題する講演(追て本誌掲載)あり。欧洲戦争の過去・現在に亘り、殆ど二時間近く講演せられて、会員一同に多大の感動を与へられたるは、本社の感謝する所なり。最後に、青淵先生登壇、山本海軍大佐の講演を感謝し、且つ曰く
 余等も亦た軍備の補充拡張の急務なる所以を知らざるに非ず。併し只今山本海軍大佐の具体的の説明を承りて、一層痛切に其必要を感ずると同時に、山本海軍大佐が斯く説かるゝからは、定めて世界の大勢斯の如し、我日本の軍備拡張は一日も緩ふす可らず、国力を尽して之を完成せずんば、則ち国殆しと結論せらるゝならんかと気遣ひたり。然るに兵は凶器なり、善戦善勝は兵の上なるものに非す、徳即ち戦はずして勝つの備えを為さゞる可らずと結論せられたるは大いに余の意を得たり。軍備完しと雖も、弾薬糧食等之れに伴はずんば、将た何の用をか為さん、他国に於て如何に尨大に軍備を拡張すればとて、我国力には限度あり、国力相応の軍備拡張を行ふに非ずんば、或は恐る、軍備成りて国力枯れんことを、然るに山本海軍大佐が、軍備殊に海軍拡張の急務を説きながら、孫子の語を引きて兵は凶器なり、徳を以て治めざる可らずと結論せられたるは、余が平素の持論に吻合するを喜ぶものなり。人と人と相対する時は、吾人共に仁義道徳を信条と為すにも拘らず、国と国との国際関係に於ては、夷以て夷を制するの状態にて、亦其間に仁義道徳の存するものあるを認むる能はざるを遺憾とす。此時に当り、各国競うて軍備の拡張にのみ国力を傾尽して、亦仁義道徳を顧みざるに於ては、国殆からん。希くば国力相応の軍備拡張は可なれども、其の又一方に国際道徳の向上を図りて、成ベく武力を用ゐざらんことに注意せざる可らず云々。今日は新潟より東北地方旅行の所感談を試みる意向なりしかども、時迫れるを以て東北旅行談は他日に譲らん。
とて、山本海軍大佐の具体的講演を聴きて感動せられたらん如き会員諸君の同情に、国力の一語を灑がれたる青淵先生の深意、当日の雨にも似たり。是れにて八十島幹事の閉会の辞ありて園遊会に移れり。折柄降雨益々激しく、生麦酒・煮込・燗酒・天麩羅・蕎麦・寿司・団子甘酒等、各模擬店の軒下に雨宿るもの数を知らず、恰も一家団欒の如く「斯う云ふ時でもなくば、君に邂逅することが出来ぬ」とて、久闊を叙して満を引くもあり、其処にも一団、此処にも一団、和気靄々として興の尽くるを知らず。軈て此方の講演場は余興場となり、荒牧輝鳳の筑紫琵琶、松旭斎天洋一座の西洋手品あり、各自歓を尽して散会せるは午後五時頃なりき。当日来会諸君は即ち左の如し。
△名誉会員
 青淵先生    同令夫人
 - 第42巻 p.631 -ページ画像 
△来賓
 海軍大佐    山本英輔君
△特別会員(いろは順)
 石井健吾君   伊藤登喜造君  伊藤新作君
 伊東祐忠君   一森彦楠君   萩原源太郎君
 西野恵之助君  西尾豊君    西田敬止君
 堀井宗一君   堀内明三郎君  堀越善重郎君
 穂積重遠君   堀越鉄蔵君   土肥脩策君
 利倉久吉君   大原春次郎君  大橋光吉君
 沖馬吉君    尾高幸五郎君  川田鉄弥君
 吉岡新五郎君  横山徳次郎君  多賀義三郎君
 高根義人君   高橋波太郎君  高橋金四郎君
 仲田正雄君   永野護君    成瀬仁蔵君
 武藤忠義君   上原豊吉君   植村金吾君
 内山吉五郎君  植村澄三郎君  倉田亀吉君
 山口荘吉君   矢野由次郎君  簗田𨥆次郎君
 八十島親徳君  松本常三郎君  松谷謐三郎君
 松平隼太郎君  増田明六君   古田中正彦君
 江藤厚作君   浅野総一郎君  浅野泰次郎君
 明石照男君   同令夫人    佐々木勇之助君
 佐々木清麿君  斎藤艮八君   佐藤正美君
 佐藤毅君    阪谷芳郎君   斎藤峰三郎君
 佐田左一君   斎藤章達君   木村雄次君
 渋沢武之助君  同令夫人    渋沢正雄君
 同令夫人    渋沢秀雄君   渋沢元治君
 芝崎確次郎君  白石甚兵衛君  白岩竜平君
 渋沢義一君   渋沢治太郎君  白石喜太郎君
 平田初熊君   肥田英一君   諸井四郎君
 諸井恒平君   鈴木金平君   鈴木善助君
△通常会員(いろは順)
 今井与四郎君  市川武弘君   石田豊太郎君
 家田政蔵君   井田善之助君  磯村十郎君
 井戸川義賢君  春名喜四郎君  原久治君
 林弥一郎君   西正名君    二宮正幸君
 堀内歌次郎君  堀家照躬君   本多勝君
 友野茂三郎君  苫米地義三君  東郷一気君
 大竹栄君    奥川蔵太郎君  大畑敏太郎君
 大原万寿雄君  太田資順君   恩地伊太郎君
 岡本亀太郎君  岡田能吉君   岡本謙一郎君
 渡辺轍君    渡辺福松君   金井滋直君
 上倉勘太郎君  河野間瀬治君  河見卯助君
 金子四郎君   金子喜代太君  横尾芳次郎君
 田沼賢一君   俵田勝彦君   高山仲助君
 田島昌次君   高橋森蔵君   高橋毅君
 - 第42巻 p.632 -ページ画像 
 武笠達夫君   高橋光太郎君  田淵団蔵君
 竹島憲君    辻友親君    塚本孝二郎君
 蔦岡正雄君   長井喜平君   中西善治郎君
 永田市左衛門君 村山革太郎君  上村政雄君
 浦田治雄君   氏家文夫君   臼井俊三君
 上田彦次郎君  生方裕之君   野口米次郎君
 熊沢秀太郎君  久保幾次郎君  桑山与三男君
 国枝寿賀次君  久保田録太郎君 山村米次郎君
 山崎一君    山口虎之助君  山下三郎君
 八木安五郎君  松村五三郎君  松本幾次郎君
 松村修一郎君  古田元清君   藤木男梢君
 福島三郎四郎君 藤井信二君   小林茂一郎君
 小林徳太郎君  小田島時之助君 遠藤正朝君
 綾部喜作君   粟生寿一郎君  阿部久三郎君
 明楽辰吉君   沢隆君     座田重孝君
 斎藤又吉君   木村金太郎君  木下憲君
 木村弥七君   行岡宇多之助君 御崎教一君
 箕輪剛君    塩川薫君    平賀義典君
 平塚貞治君   森由次郎君   両角潤君
 関口児玉之輔君 鈴木源次君   鈴木富次郎君
 鈴木豊吉君   住吉慎治郎君  鈴木勝君
 鈴木正寿君   鈴木旭君
 尚ほ当日会費中へ金品を寄贈せられたる各位の芳名を録し、謹で御厚意を謝す。
 一金拾円也          浅野総一郎君
 一金拾円也          田中栄八郎君
 一金拾円也          中井三之助君
 一金拾円也          小池国三君
 一金五円也          平田初熊君
 麦酒五十リーター及びシトロン ミユンヘン、ラズベリー二打宛 大日本麦酒会社殿


竜門雑誌 第三五六号・第二一―二六頁 大正七年一月 ○本社秋季総集会に於て 青淵先生(DK420106k-0002)
第42巻 p.632-637 ページ画像

竜門雑誌 第三五六号・第二一―二六頁 大正七年一月
    ○本社秋季総集会に於て
                     青淵先生
 本篇は、十一月四日、飛鳥山曖依村荘に於て開催せる、本社秋季総集会講演会に於ける、青淵先生の講演(未校閲)なりとす(編者識)
 生憎の雨天で、折角の総会が充分に皆様の歓を引くことの出来ないのを残念に思ひます。さりながら、唯今山本海軍大佐の海軍に関するお話は、寧ろ好天美日は望ましくない位に思ひます。斯の如く雨の降り、天候の荒れて居る場合が、寧ろ拝聴する者の心を緊張せしめ、時に取つて吾々は深く感激しつゝ、丁寧なお話を拝聴したのであります斯の如くお心を籠め、細大漏らさず、一国の防備よりして世界に亘る国の堅実なる発達は何に依るか、又帝国として何が一番国の権衡に必
 - 第42巻 p.633 -ページ画像 
要か、諄々とお説き下すつたことは、実に感佩に堪へませぬ。而して私は特に大佐の結尾のお話に就て、洵に感を深うしまするのは、斯の如く軍艦を多く造らねばならぬ、我四面環海の国に於て、斯の如く海車の力の進まぬのは宜しくないと云ふ、先づ防備専一のお話の末に、然らば唯々それのみで満足するか、否さうではないぞ、道徳家は何と訓へたか、宗教家は何と説いたか、殊に兵備を論ずる孫子は何と云うたか、矢張兵は兇器なり、妄りに用ゆべきものでない、真に勝つのは戦はぬで勝つのである。然らば其真に勝つのは何であるか、道徳である。斯く兵事は論ずるが、帰着する所は道徳に依らねばならぬと云ふ御説明は、よもや海軍大佐としてはさうは仰しやるまいと思うた。斯の如くであるから、租税も沢山出せ、海軍拡張をせねばならぬ、徳も何も要らぬ、力さへあれば宜い、と斯う仰しやりはせぬかと、気遣うたのであります。所が真に私の意を得た結末を伺ふたので、別して私は有難く感じますのです。此程山室軍平君が欧羅巴を廻つて帰られて――是は山本大佐とは本と室の違ひだけで、大変お名は似て居りますが、其見て来た有様はマルで反対で、頻りに今の平和論者の説を聴いて帰つた、甚しい極端なる平和を唱へて居る人が、矢張今日欧羅巴にあるさうでございます。其極論に至ると、丁度福音書にある通り、右の頬を打つたら左を出せ、さうして満足に打たせろ、斯の如くすれば世の中は平和だと、斯う云ふ主義を唱へて居る。然らば一歩進めて、自己一身は暫く第二に措いて、妻子眷族まで反対派の横暴に罹つても宜いか、然る場合にも尚且つ平和を以て終熄が出来ると思ふか、と云ふ問に対しては、万一さう云ふ場合に逢着したならば、先づ身を殺す身を以て其相手に当る、己れの死んだ上のことは分らぬが、併し妻子眷族を殺すまでに相手がして呉れぬと云ふのが、天の神の道理であらうと思ふと、斯う云ふ答をしたと話して居りました。其平和論者は何某であつたか、何れ宗教専念のお人であらうと思ひます。現在さう云ふ論をして居る人が矢張此修羅の巷にポツポツあるさうであります。但し是は或救世軍の如き宗教的のお人の聴いて来たお話で、決して其説が甚だ広く且つ多いのではございますまいが、或絶対なる平和論者としては、左様な説までも存して居る。吾々共は勿論一国を道理正しい、安全なる主義に依つて進ませ事物も発達させ、而して君に忠に国を愛して、我国の天壌と共に無窮たることを希望する者共である、必ず事に当つては人に負け且つ倒れると云ふことは、如何に私共道徳を説き仁義を唱へ居りましても、決してそれをば容赦は出来ぬのであります。其昔所謂外国に対しては、必ず侵略主義が多いと深く思ふた為に此帝国が遂に外国の奴隷になる、支那の如くなつたならば、実に大変だ。所謂金甌無欠の国をして、其時には夷狄禽獣と思ふた彼等に蹂躪されるとなつたならば、それこそ身を殺して仁を為さねばならぬ、孝明天皇の其時の勅諚に一国焦土となるも已むを得ぬ、死を覚悟せいと云ふことを度々仰せられた。吾々深くそれを感佩して、幕府の政策は其観念を根本に外交をせぬから、斯の如く国威の凌辱、政治の廃頽を来してしまふのだと、憤慨したことがございました。さりながら段段世の進みを見ますると、如何にも精神が必要ではあるけれども、知
 - 第42巻 p.634 -ページ画像 
識ある精神、道理ある進歩でなければ、到底此世の中に立つ訳にいかぬ、仁義道徳を論じましても、実務の働きの無い仁義道徳は、或は書物或は論理としては貴いやうに見えるけれども、甚しきは唯々空理に流れてしまつて、実際の進みと云ふことは、どうしても出来ない。遂に己れの考も実際の進みを期するには、東洋の其時の有様は、迚も西洋のそれに及ぶべきものではない。是はどうしても西洋と同じ仕組を以て、国の進歩発達を図るの外ない、と云ふことを深く観念致したのであります。是等の場合には、私共知識の乏しい身には、敢て軍備其他の事を思出さぬではないけれども、先づ何事をするにも相当なる力がなければならぬ、即ち国富を造ると云ふことを唯一の務めとせねばならぬ、と考へた所以である。さて国の富を造ると云ふことは如何にすれば宜しいかと云へば、もう勢の然らしむる所、欧米のそれに倣うて、世界の舞台に工業を進め、商売を繁昌せしむる外、真正の富の造り方はないと、是はもう申すまでもなくさう覚悟しまして、爾来其方面に微力を尽した積りであります。其尽す微力も極く極端に申すと、独逸帝国の如く、何処の国も皆侵略しやう、征服しやうとは思ひませんけれども、反対に侮辱されやう、服従しやうといふやうな観念は、毛頭持たぬ為に、余計に苦み且つ勉強した。自己の精神から申しますれば、左様でございますから、仁義道徳と云ふ中にも、前に申す今の欧羅巴の絶対的平和論者とは、私はどうも考へが違ふのであります。さらば反対に又力の進まぬ間に唯武力を進めさへすれば、帝国は世界に雄飛が出来ると云ふ類の説を為す向もあります。又現在にも無いとは言はれぬ。維新草創は尚更其論が強かつた。強いから富めるので、富んでから強くなるには及ばぬのだと、斯う云ふやうな理論から、先づ強きを先にするが宜い、と云ふ主義を以て、国の政策を定める向も少なからぬやうであります。政治家たらざる私は、さう云ふ政策上には敢て参与はしませぬけれども、之に反して、道理正しく富み、富めば且つ強くなるに相違ないから、其富むと云ふことは、物質的事業を是非欧羅巴に負けぬまでになり得る外はない。而して又、此事業を経営する人の心事が、同時に唯だ富むと云うて、自己を富ますのみの観念を以て、富を造らぬと云ふ境遇にならなければ、我国をして完全に富み且つ強い国たらしむることは出来ない。故に結局此国の将来を図る上からは、先づ物質の富を進める外ない。其物質の富を進める其人の覚悟は、自己観念で富まないで、国家の富を主義とすると云ふことに若しなつたならば、政治界にも其主義が貫き、学問界にも其希望を充たし、此処に全国一致の強味を現はすであらう。其心を以て、物質方面の力を進めると共に、之に従事する人々の仁義道徳の観念を増し相愛謙譲の行を強めて、而して一方には其富に相応する力を張る。此力の張り方に於ては、只今の海軍に重きを置かねばならぬと云ふ御趣意は、今日伺つて始めて覚つたのではない積でありますけれども、実に今日の如き、精しい比較権衡をしてのお話を伺ふと、益々以て我国は此処に重きを置かねばならぬと云ふことは、斯く老人になつた私でも、大に啓発致したやうな次第でありますから、竜門社の皆様も、今日の山本君の丁寧なる御説に対して、海軍に別して同情を持たねばな
 - 第42巻 p.635 -ページ画像 
らぬ。海軍を重要に考へねばならぬと云ふことは、真に然りとお答を申上げ得るであらうと思ひます。唯だ併し、富の権衡から論じますると、如何にも仰の通り、亜米利加との比較は甚だ貧弱であると言はねばならぬ、併し之を相一致せしむると云ふことを、海軍が御希望なされば、或は恐る、富と武力の権衡を又過つことになりはせぬか、此処に至ると決して、前席の御講演に反対御意見を申すではございませぬけれども、私は希望するのであります。若し精神が逞しく、充分の力が其処に充ち満ちたならば、必ずしも兵の多少、又は軍艦の多少のみで、戦争の維持が出来るとは言はぬ場合もありはすまいか、是は講釈師の云ふたことでありますから、私が玆に引合つて、山本君のお説に批評を加へるやうに相成つては済みませぬけれども、柳生但馬守の息子の柳生十兵衛と云ふ人が、如何にも撃剣が強くて気が狂つた。此位始末に困るものはない。それで沢庵禅師が説得したと云ふ話があります。まるで発狂したのではない、負けぬ気が高じた為に、精神が多少錯乱した、だから人を見ると直さま負かすと云ふ観念が強い。之を取沈める為めに問答を懸けた。お前と相対して闘つたときに、一人と一人なら屹度勝つか。無論である。それならば相手が二人であつて、左右から来られたらどうする。訳はない、先づ右を討つ、返す刀で左を討つ。然らば前後左右四人で来られたらどうする。それも訳はない、エイと云つて外して後を討つ、又前を討つ。それならばそれを倍にして八人で八方から来られたらどうする。段々と限りなく云ふ中に、どうもそれは屹度勝てるとは云へないやうに自分も考へた。少し首を捻つた。すると沢庵が其処だ、其時は己れの精神である。己れの精神がウンと落付いて居れば、四方八方尽く応じられる、お前のやうに二十人・三十人を相手にしては間に合はぬ、己れの心を沈め体を据えて、所謂精神を一つにして居らねばならぬと言はれて、十兵衛始めて沢庵の一の剣法に大に閉口して、是から病気が直つたと云ふ話を聴いたことがあります。私は決して我海軍を柳生十兵衛たらしめたいと思ふのではない。けれども戦争は必ずしも軍艦の数のみに依らぬでも、己れの精神を真に落付けると云ふ、所謂沢庵の禅味を充分にお加へ下すつたならば、敢て或は当り得ぬものではなからう。嘗て亜米利加の学校を参観して其生徒を教ゆる道具が日本の十倍も掛かつて居る、ペンも良し、紙も上等であるのを見て、学理を教ゆる材料は、若し一方が勉強家であつたならば、もつと少ない金でも目的は果し得るであらう。私は不断にも自分の宅で申して居るが、例へば富豪の息子が紫檀の机に向ひ、結構な墨と唐筆を以て字を書いても、素養の無い文字は余り立派なものは出来ない。打付けた食卓で、粗末な丸八の墨と普通の筆を以て書いても、熟練した筆者の書いたものは、矢張其字が善く見える。必ず唯だ道具のみに依るものではないと、亜米利加人に申して、頻りに余り物の豊富に過ぐることを、聊か誹諦ではない忠告の言葉を以て申したことがあります。是等は決して今の大佐の仰せられた軍事上などゝ比較になる話ではありませぬから、決してそれを以て希望し上げる訳ではないが、今の日本の富から考へて、どうしても亜米利加と是非物質上から同一を図ると云ふことは、余程難いことゝ思ひます
 - 第42巻 p.636 -ページ画像 
為に、如何にも御注意御尤とは感じまするけれども、舞台に立つて働くお方々に、其舞台を造る吾々が、必ず総ての道具を整へねば働けぬぞと仰しやつて下さらぬやうに、希望致すのでございます。而してより以上に私はどうしても、丁度先刻申上げた通り、実業界の富が進むほど、人格が増し、お互に人を掠めぬ、道理を誤らぬと云ふことに進む如く、国際上にもさう云ふことは、どうも出来ぬ筈はないと思ふのでございます。是は私が此竜門社の若いお方だけに話せば、誠に訳もなく出来さうであるが、世界の広き、又人慾の暴戻なる、言うて行はれぬことがありませう。ありませうが、併し何の為に世の中に人文を進めるか、哲理を論ずるか、宗教を唱へるか、今日の有様で行つたならば、智恵のある人ほど害悪が多いと言はねばならぬ。私は常に申します、鼠か鼬ならば其弊害甚だ微少である。是が犬になるともう一層相噛み、害悪が強くなつて来る。更に進んで虎獅子であつたならば、其獰猛限りない訳である。果して然らば若し此相奪ひ相争ふだけを以て世の中が最上の務めとするならば、智恵の増すほど害が多くなつて来る。それが人文の進歩とはどうしても云へないであらう。蓋し今日の洋人総てが皆誤つて、私共の昔云ふた通り夷狄禽獣である、夷狄禽獣が五十年経つて、始めて言当てたやうな気がするのであるから、其中には又禽獣から目が覚めるに相違ないと思ふのでございます。左様な次第で、若し先刻云ふやうな相対する者から加へられた暴戻には、妻子眷族に先立つて己れが犠牲になると云ふ、極端なる平和論には私は同意しませぬ。それを防ぐだけの務めはせねばならぬ。又先刻大佐の仰せの通り所謂我力を他方が軽侮せぬだけの備あるものにしなければならぬ、と云ふことに就ては、私は全然御同意でございます。是非さうなければならぬと思ふ。さりながら若し侵略の心を全く止めるならば、即ち国際の間にも道徳は屹度行ひ得るに相違ない。若し国際の間に道徳が本当に行ひ得るやうになつたならば、此道徳ある国々が侵略に対して充分なる防ぎをすることが出来るであらうと思ひます。試に帝国と亜米利加・英吉利が先づ其国であるとしますれば、此三国が力を協せたならば、他の暴戻の国に対し、お前さう云ふ事はさせぬぞと云ふことを言ひ得るに違ひないと思ふ、斯の如くしたならば、前に申す絶対平和論者でなくして、社会をして唯だ弱肉強食、強い者の道理は何時でも宜しいのだ、獅子と虎の噛合は究極止まぬと云ふ修羅道のみに世界を終らせぬことが、出来さうなものではないかと思ふのであります。但し斯く考へるにしても、結局我帝国として、何が一番他国の侮を受けぬ所謂睨みの利くものであるかと云ふたならば、今諄々お述べ下すつた海軍に重きを置くことは、殆どもう満堂一致、大佐のお話に賛成と云つて宜いでございませう。但し其力は所謂用ゐざるにあらしめたいと云ふことに就ては、私の今の希望も決して無用の弁ではなからうと思ふのでございます。
 実は私は先達て、越後から奥州の方を廻つて参りましたから、其お話を少し竜門社の諸君にしやうと思ふたのでありますけれども、もう大分時が遅れましたから、只今大佐の御懇切な御講演を深く感謝すると同時に、私の平常此国際道徳をもう少し高める工夫はなからうかと
 - 第42巻 p.637 -ページ画像 
始終申して居ります、其持説の一端を、此場合諸君のお聴に入れたに過ぎませぬのでございます。


中外商業新報 第一一三四七号 大正六年一一月五日 ○竜門社秋季総会 渋沢男の演説(DK420106k-0003)
第42巻 p.637 ページ画像

中外商業新報 第一一三四七号 大正六年一一月五日
    ○竜門社秋季総会
      渋沢男の演説
竜門社第五十八回秋季総会は、四日午前十時、飛鳥山渋沢男爵邸なる曖依村荘に於て開会、先づ阪谷男開会の辞を述べ、講演会に移りて、海軍大佐山本英輔氏は「欧洲戦争と海軍」と題し、飛行船・飛行機及潜航艇の構造より、実戦上に於ける動作・効力、其他に就き、詳細説明し、独逸が本年二月商船の無警告撃沈を宣言して以来、遂に日本海軍も欧洲の交戦区域に策動するの止むなきに至れるが、独逸に於ては更に最近巡洋潜航艇を建造せりと云へば、向後の戦局測り知る可らざるものあらむと説き、又一転して日本の海軍力を比較し、八八艦隊の要は、常に快速なる巡洋戦艦の四隻二隊を以て主力戦艦を挿み、単縦陣を形成する場合、左右前後常に敵艦の先頭を圧迫するが為なりと説き、兵は凶器也、故に之を用ふるが為に、殊更に海軍の拡張を必要とするに非ざれど、万一の場合に相当の海軍力は絶対に必要也、海に国境なく、海軍力の及ぶ所即ち国境也と説き、講演二時間に亘りたり、畢つて渋沢男は左の講演を試みられたり
 △渋沢男爵講演 智識ある精神と道理ある行動によりて、国家の進歩発達を望まざる可らざるが、国家が発達進歩は詮ずる所、先づ富の力を養成するにあり、而して国の富を作るには如何にす可きやと云ふに、其勢ひに従ひて、欧米の先進国に做ひ、工業を進むると同時に、貿易に商業に熱心努力するの外なく、此方面に対しては、従来予が微力を捧げ来れる所なり、而して富を作るに努力したる所以のものは、畢竟するに、他の武力に征せられ若くは服従する事より脱却せむとの意味に外ある可らず、随つて世の所謂絶対的平和論者の唱道する意味と同一ならずと雖も、同時に武力万能論又は強きが故に富むの論とも異れり、要は物質的に進むと共に、仁義道徳の観念を進め、富相応の武力を具へざる可らず、海軍力の必要は素よりの事にして、大に之に同情の念を寄すれど、富と力の権衡を失するが如きは慎まざる可らず、武力を具ふると同時に又精神の無限力の発揮養成亦必要也、国家の富相応に国防上必要程度の武力は之を具ふ可き事勿論なれど、一方国際的にも道徳の向上を企図し、冀くは其力を成る可く用ひざらしめ度き事を
午後二時講演会を閉ぢて、園遊会に移り、露店を開き、尚ほ余興に筑前琵琶と松旭斎天洋一座の西洋手品あり、降雨にも拘らず三時半過ぎ迄歓を尽したり、当日の来会者は阪谷男爵始め、渋沢秀雄・虎雄・正雄・浅野総一郎・尾高幸五郎・佐々木勇之助・植村澄三郎・小池国三・八十島親徳・土岐僙・穂積重遠・堀越善重郎・木村雄次・上原豊吉・平田初熊・諸井恒平・白岩竜平・手塚猛昌・伊藤祐忠・堀内明三郎・野口米次郎・諸井四郎・高根義人氏等約二百名なりき