デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
1款 財団法人竜門社
■綱文

第43巻 p.195-198(DK430015k) ページ画像

大正13年9月25日(1924年)

是日、当社講演会、東京銀行倶楽部ニ於テ開カレ、鯨井恒太郎ノ無線電話ニ関スル講演アリ。栄一出席シテ所感ヲ述ブ。


■資料

竜門雑誌 第四三三号・第三四頁大正一三年一〇月 ○本社講演会/○本社会員有志晩餐会(DK430015k-0001)
第43巻 p.195 ページ画像

竜門雑誌  第四三三号・第三四頁大正一三年一〇月
○本社講演会 九月二十五日(木)午後五時半より、東京銀行倶楽部に於て、本社講演会を開く。講演者及講題左の如し。
 無線電話に就て    工学博士 鯨井恒太郎氏
而して、右講演は帝国大学より放送せしめて之を会堂に受け、実験と相俟て、無線電話の原理と其応用に就て、詳細に説明を試みらるゝこと一時間余に亘り、聴者に多大の感動を与へられたり。
当日の出席会員、青淵先生を首め百余名。
○本社会員有志晩餐会 九月二十五日、別項本社講演会終了後、七時半より、同倶楽部に於て、会員有志の晩餐会を開く、青淵先生・鯨井博士を首め出席会員百余名。宴デザート・コースに移るや、阪谷男爵の挨拶、青淵先生の所感談ありて、拍手の裡に宴を閉ぢ、後別室に於て、会員思ひ思ひに款談を試み、九時近く盛会裡に散会せり。


竜門雑誌 第四三四号・第五〇―五四頁大正一三年一一月 新らしきと旧きと 青淵先生(DK430015k-0002)
第43巻 p.195-198 ページ画像

竜門雑誌  第四三四号・第五〇―五四頁大正一三年一一月
    新らしきと旧きと
                      青淵先生
 久々に多数の竜門社員諸君にお目にかゝる事を、誠によろこばしく存じます。殊に今夕は鯨井博士の最も新しいお話を拝聴しました、極く旧い私が一番新しいお話を聴いたといふ事は、大変に好い対照であると言ひたいやうに思ひます。よほど以前の事でありますが老人連中の話に、あまり年寄りじみるといかぬといふので、五十や六十はまだ小僧である、男の盛りは七十からだといふ事を、故安田翁と浅野総一郎氏が話し合ふたといふことは、よく吾々伝へて聞いて居りますが、より以上に今夕は、私は大変に若くなつたやうな気がして、大変に心うれしう感ずるのです。第一に先づ、小学生になつたやうな気がしますので、今晩の鯨井博士のお話は悲しい哉、どうもまだ年の若い為に充分に伺ひ得ぬのを残念に思ひます。併しその代りに大変に若くなつたといふ悦びを持つのです、お集りの諸君は、私よりは中学若しくは大学に入つて御座るだらうと思ひますから、大分年長者でございますけれども、今の安田・浅野両翁の話に比べて、自分は少年になつたやうな心地がして、別して前途を面白く思ふのでございます。
 全体老人が成べく、其の老人たることを心に持たぬが宜いといふ事は、東洋の教にも言つてあるし、近時彼のラプトン・スミスといふ人の「百歳不老」といふ翻訳した書物にも書いてあります。故に私も自
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分の老は深く自覚しながらも、尚ほ努めて気を若く持つことを考へて居りますが、併し左様に若くは考へて居るが、されば旧い事は皆すべて無用に属するか、固陋に終るかといふことは、是は考へ物でございます。誠にお互が依つて以て生活して居る日輪はどの位旧うございませうか、私には迚もわからぬ、是は決して旧いからといつて、お天道様などは、取つてのけろといふ訳には行かぬ。今も水力電気のお話があるけれども、此の水も流れて居る間は新しいやうな気がするけれども、いつも滾々と尽きぬ所は、之を旧いと言ふても宜いのではありませぬか。蘇東坡が前赤壁賦に、
  江上の清風と山間の明月とは、耳之を得て声を為し、目之に遇うて色を成す、之を収めて禁ずるなく、之を用《と》つて竭きず、是れ造物者の無尽蔵なり。
といふことを――誠に彼の哲理とも言ひませうか――述べてあります是等は支那人の説だからといつて、決して私は軽卒には聴けぬと思ふ実に此の旧いもの新しいものといふ事に就ては、新しいもののみを是とする訳に行かぬと同時に、又旧いもののみを尊ぶ訳にも行かぬ、要は善いものを尊ぶといふことが、最も人の向上する所以と思ひます。竜門社員の諸君は、必ず玆に厚く注目されてあるだらうと、私は深く信ずるのでございます。
 殊に電気の事に就ては、今申す通り私は小学生で、何等申上げることはありませぬけれども、併し之を旧い言葉で解釈すると、中庸に
  誠は天の道なり、之を誠にするは人の道なり。
といふ事があります。是は何やら唯一種の精神上の教の如く聞えますが、是は三島中洲先生がよく解釈して、此の天地のかはらず動かず、いつも其の時季を誤らずに、人類ばかりでなく草木禽獣、すべてに対して始終同じやうな行動を執るのは、即ち天の誠である。此の天の自然の道に相対応して、此の誠を完全に徹底させるやうにするのが、人の務であるといふことを説かれて居る。果して然らば、今鯨井先生の此の電気のお話、殊にそれが無線にして斯くも便利に用ひられるといふのは、尚ほ少し旧く之を論じたならば、誠者天之道也。誠之者人之道也。といふ中庸を、三島中洲翁の解釈せられた如く、即ち之を誠になさるの最も微妙に行き渡つたものと申しても宜いと思ふのでございます。
 斯様に考へると、誠に今晩の新しい説が大変にうれしうございます殊に今後の我国の発展の上に於きましては、此の点にお互に最も力を尽さなければならぬのであります。
 併し此の新しいものにも亦、私は善くないものがあるといふ事を言はざるを得ぬのです。今日の大体の思想界とか、一体の風習といふものに就ては、随分新しいものに対して忌み嫌はねばならぬものが数々あるのでございます。今日お集りの皆様方は、其の新しい方の欠点は皆排斥するお方々と思ひますから、之に対してあまり喋々は申上げませぬけれども、要するに旧いもの新しいものの議論でなく、善いものを必ず進めて行くといふ事が、即ちお互人類の、而も世に先立つて世を指導誘掖する位地に立つ人の、務であらうと思ふ。今夕の如く有益
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なお話を伺ふのも、即ち吾々が其の位地に立つて其の効用を拡めようといふ上から起つて、皆様が斯く熱心に、種々な御研究をなさるものと思ひますから、どうぞ私は、唯これが科学にのみ進まず、十分精神上、哲理上に尚ほ完全に応用されんことを、希望してやまぬのでございます。
 つまり平生に論ずる経済と道徳一致といふことの結論になりますけれども、旧いと新しいとを問はず、成べく善者を選んで之に進む、帰する所は経済は道徳に依つて進み、道徳は経済に依つて拡まるといふ事は、何時論じても、旧いからと言つて其の説を卑下するお方が若しあるならば、是は私は心得違ひと申上げざるを得ぬのであります。又竜門社のお方々に於ては、必ず之を、憚りながら金科玉条となさつて下さるのであらうと思ひますから、更に玆に再言して、諸君の十分御注意あらんことを希望致します。
 尚ほ一言申添へますが、今日福島甲子三君が私を訪問して呉れて、日下勺水といふ漢学の先生の文集といふ、五・六冊の上海で出版したといふ書物を送つて呉れました。披いて見ますと、其の中に「青淵訓言」といふものがあります。それは竜門社に於て組織を改めました時に、何か一つ趣意が立たねばいかぬ、元と此の竜門社の起りは、渋沢主義に依つて作つたのであるから、何か一つの綱領とも申すべきものを申せといふことでありました。いろいろ考へて見ましたけれども、なかなか一言にして天下の法たりといふやうな事の、私風情に出来べき訳でもないから、在り来りの顛末を述べて、私は斯う考へますといふ意見を述べたのでありますが、それが即ち訓言として、今の竜門雑誌に記載されてあります。それを日下氏が見られて、甚だ面白いと思つたか、又つまらぬと考へたか、まだ全文はよく読んで見ませぬけれども、それを漢文に直して、自分の文集中に加へられたのでございます。
 私から申せば、甚だ烏滸がましい申し分でありますが、徳孤ならず必ず隣あり、私は漸く仮名文で書いたのが、立派な先生が、之を漢文の文章に直して、我が文集中に加へられたといふことは、蓋し竜門社の道徳主義が、決して唯自分味噌ばかりではない、其の道の人々も相当に値して見て呉れるのではなからうかと思ふのでございます。敢て文章上に就て斯ういふ事を申上げるではありませんが、幸に立派な学者がさういふ意味に翻訳されたといふ事を今朝その文集に依つて見ましたから、諸君は之を先づ金科玉条として下さる方々と思つた、私の言うた事がたとへ詰らぬにしても、既に竜門社としては確かなものとなつて、それが左様に他方から推称されるといふことは、諸君も必ずお喜び下さるだらうと思つて、一応玆に御披露致します。(鯨井博士講演後晩餐会席上にて)
   ▽右青淵先生演説の後、理事長阪谷男は左の如き演説を為し、感謝の旨を述べた。
 只今青淵先生より有益なお話がありまして、一同に代はりまして感謝致します。是で今日の順序は終りました、別席に於て尚ほゆるゆる御歓談を願ひます。又次の月に於きましては、名家を御依頼致しまし
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て、何か有益なお話を願ふ予定でありますから、今夕の如くに多数のお集りを希望致します。
 それから「青淵訓言」に就ての青淵先生のお言葉に就て、尚ほ一言致して置きます。あれは日下勺水といふ有名な漢学者で、重野先生の文章などをよく代筆された人であります、今日七十幾歳でまだ存命でありますが、其の人の文集に、青淵先生の訓言が載つて居ります。唯私の特に玆に申げますのは、今朝私の所にも贈られました四冊ばかりの帙に入つて居る大変立派な書物であります。それから私が問を発して、是は何故上海で印刷したかといふ事を尋ねました。所が上海で印刷して日本へ輸入する方がよほど安いといふのです。支那の唐紙を使つて、立派な本で、実に私共東京では見られぬやうな立派な活字を以て印刷してある、立派な本である。それが東京なり大阪なりで印刷しては高い、即ち日本の印刷が高い、日本の紙が高いといふので、上海で印刷したといふことである。そこで私は是は聞き捨にならぬと思ひまして、直ぐ今日日本倶楽部へ行つて、段々其の道の人に聴いた所がそれは上海ばかりではない、或る人は英字の印刷物をサンフランシスコへ頼んだ、或る人はカナダのバンクバーへ頼んだといふことでありました、其の方が紙も安い、印刷も安いといふことであります。是はよほど竜門社の諸君が御注意になつて、職工にもよく申聞けられて、上海なりサンフランシスコで印刷するといふやうに、日本の印刷業を奪はれるといふことは、甚だ重大な事であらうと思ひます。青淵先生の御披露に附加へて一言を御注意までに申上げて置きます。


(増田明六)日誌 大正一三年(DK430015k-0003)
第43巻 p.198 ページ画像

(増田明六)日誌  大正一三年     (増田正純氏所蔵)
九月廿五日 水《(木)》
○上略
後五時半、銀行倶楽部に於て開催したる竜門社講演会ニ出席す、鯨井博士の無線電話ニ関する講話ありたり
  ○此時期ニ於ケル当社ノ前掲以外ノ主ナル会合左ノ通リ。
   大正十三年七月二十八日 第二回理事会 (午後四時ヨリ、於渋沢事務所)栄一出席セズ。