デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
4款 財団法人修養団
■綱文

第43巻 p.420-421(DK430067k) ページ画像

明治43年5月14日(1910年)

是日、東京高等工業学校ニ於テ当団大会開カル。栄一出席シテ講演ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四三年(DK430067k-0001)
第43巻 p.420 ページ画像

渋沢栄一日記 明治四三年         (渋沢子爵家所蔵)
五月十四日 曇 暖
○上略三時高等工業学校ニ抵リ、精神修養団ノ大会ニ出席シテ事業ト道徳ニ関スル一場ノ講話ヲ為ス、畢テ会ノ幹事等ト談話シ、夕七時王子ニ帰宿ス○下略


向上 第三巻第五号・第二〇頁明治四三年六月 ○修養団大会(DK430067k-0002)
第43巻 p.420-421 ページ画像

向上 第三巻第五号・第二〇頁明治四三年六月
    ○修養団大会
△新緑濃かにして青年の気勇むの時、本団の修養団大会は五月十四日午後一時半より東京高等工業学校講堂に於て開かれたり、左に大会の模様を略記せん。
△準備 大会の開催は五月七日にして向上五月号に掲載せし先輩の演説を願ふ筈なりしが、折あしく高等教育会最中にて名士の都合あしく止むなく十四日に延期したりしなり。
玆に於て顧問渋沢男・降屋虎尾・宮田修先生、賛助員山岡中佐・加藤咄堂・中島徳蔵の諸先生に御願せしに、皆悦んで講演を引き受けられたり。
数千枚のプログラムは各専門学校及団員に配布せられ、六坪に余る大ビラ高工団員の意匠により高工食堂及校門前に掲げられぬ。各新聞また広告の労をとる。
△当日 細雨静に灑いて道路泥寧なり。然れども修養に憧るゝ満都の青年、高工指して押し寄せ来る。午後一時既に会場満員となりぬ。好青年の気慨堂に溢る。
会場を眺むれば演壇の前面には修養団大会の額を掲げ、其左右に麗々しく弁士の演題を掲ぐ。
時は来れり一時三十分、顧問・賛助員は欣々然として席に着き、幹事諸氏また満を持して着席す。満堂動揺す、蓋し一刻も早く演説を聴かんと欲するものゝ満々たればなり。
高工幹事小林茂氏は、雷の如き拍手に迎へられて登壇しぬ。開会の趣旨を述べ、本団の精神を語る、言々肺腑より出づ。終りに各支部より送られたる祝電・祝文を朗読したり。血あり涙ある文詞を聴いて深き
 - 第43巻 p.421 -ページ画像 
感慨に吐息を洩らすもの多かりき。
午後二時会場は立錐の地なし。輙ち入場を謝絶す。次に先輩の講演に移る。
中島徳蔵先生は「人生の行路」と題して趣味多き教訓を与へられぬ。
次に加藤咄堂先生の「修養工夫」に就て蕩々水の流るゝが如き快談、切々肺腑より出づる説話ありたり。片唾を呑んで聴く。山岡中佐は失明の人、従者に手をひかれて登壇せらる。黙然として直立せらるゝこと暫時、徐ろに口を開かれぬ。聴衆皆襟を正す。「動中の静」と題し広瀬中佐の最後などの例を引きて感銘深き説話をなされたり。聴衆に泣くもの多かりき。談終るや渋沢男は起つて中佐の傍に進み、「私は渋沢です」と会釈して中佐の手を握れば、中佐はまた「御苦労です」と男の手を握る一瞬時、男の眼底には熱き涙の迸るを見たり。
次に盲唖学校卒業生の三曲を合奏す、失明の人よく弾じよく吹奏す。衆感興深し、時は愈々移りて時針は四時三十分を指せり而して興は益加はる。蓮沼主幹は修養団設立の趣旨につき穏健にして然かも熱誠なる談話を試み。林幹事は国家と科学と題し、憂国の熱誠を洩らしぬ。惜むべし時間切迫して充分に真意を語ること能はざりしとは。
最後に渋沢男登壇せり。さすがは実業界の雄鎮、悠々として迫らず、諄々と語り出せり。先づ顧問として尽力すべきことを述べ、青年の修養団と相対立して老人の修養団の必要を語り、本論に入りて「事業と富」との演題にて一時間に亘る興味多き説話をなされたり。
日は暮れぬ。興尽ざれども閉会の時は来れり。乃ち高工幹事小関時慶君起つて閉会の辞を述ぶ。衆皆深き感慨を抱いて帰路に就く。幸なる哉。前に泥濘なりし道路も今は全く乾いて靴音豊なり。
自動車唸て男は将に帰られんとす、幾度か修養団の将来につき注意せらる。十数名の幹事は之を送る。男、満面に笑を湛えて「諸君さらば」の一言をとゞめて走り行く。
○下略