デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
4款 財団法人修養団
■綱文

第43巻 p.456-461(DK430080k) ページ画像

明治45年5月12日(1912年)

是日、飛鳥山邸ニ於テ、当団春季大会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。閉会後、来賓招待晩餐会催サレ、栄一挨拶ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四五年(DK430080k-0001)
第43巻 p.456 ページ画像

渋沢栄一日記 明治四五年          (渋沢子爵家所蔵)
五月十二日 雨 軽寒
○上略二時頃ヨリ修養団員続々来会ス、且来賓モ多ク臨場セルニ付雨中ニモ拘ラス修養団春季大会ヲ庭中大テント内ニ開キ、余モ処世十訓ト題スル趣旨ニテ一場ノ演説ヲ為シ論語・孟子・中庸等ヲ引証シテ青年ノ訓戒ヲ為ス、余ノ演説ニ次テ岡田良平・宮田修・鎌田栄吉氏ノ演説アリ、畢リテ園遊会ヲ開キ余興アリ、午後五時過ヨリ団員散会シ、来賓及幹事等四十名許リハ残リテ晩飧会ヲ開ク、食卓中種々ノ快談アリ夜九時過散会ス、蓮沼・松岡二氏ハ尚内事ノ協議スヘキ事アリテ十時半頃マテ談話ス


向上 第五巻第五号・第七〇頁明治四五年五月 ◎先輩訪問 渋沢男爵(DK430080k-0002)
第43巻 p.456 ページ画像

向上 第五巻第五号・第七〇頁明治四五年五月
    ◎先輩訪問
  ◎渋沢男爵
△其一、修養団の発展については、常に心にかけては居るが何分各方面の事業が多忙のために中々思ふ通りにはゆかぬ、懇親大会は五月十二日、私の邸内で開くことにしやう。準備もある故今から計劃を充分に立てゝおきなさい。雑誌改良の方も心には急いで居れどこれも延々するが、実業家側の集会は十二日の大会の前後にしやう、都合によつては銀行集会所にでも来て頂いて相談しやうと思つて居る。何せ充分の原案を造つて置かねばならぬ。○下略


向上 第五巻第六号・第六五頁明治四五年六月 修養団春季懇親大会(DK430080k-0003)
第43巻 p.456-457 ページ画像

向上 第五巻第六号・第六五頁明治四五年六月
    修養団春季懇親大会
 目的 一、先輩と団員との親和を計るに在り。
    二、権威ある大雑誌経営の基礎を定むるに在り。
 期日 五月十二日、日曜午後二時開会
 会場 顧問渋沢男爵邸(王子飛鳥山)
 開会
  一、開会の辞        司会 小紫博
  二、報告          同上
  三、本団の主張(風紀革正の根元は流汗主義の実行にあり)
                主幹 蓮沼門三
    青年の意気       幹事 松岡子誠
     尚団員小林・林・河合・鈴木・大森諸氏の演説ある筈の処時間切迫のため中止となりたり。
  四、先輩の講演
 - 第43巻 p.457 -ページ画像 
    処世十訓        顧問 渋沢栄一
    学問よりも人格     顧問 岡田良平
    新旧思想の調和   顧問主筆 宮田脩
    修養の方針   慶応義塾々長 鎌田栄吉
    本日出席先輩
     早川千吉郎氏・大田黒重五郎氏・古川虎之助氏・峰岸高師教授・清水組清水釘吉氏・原林之助氏・井上神社局長・生江孝之氏・堀田内務文書課長・棟居逓信管理局長・藤沢典岳・山岸赤心社主・滝沢師範学校長・杉田高工教授・神保周造氏・福島甲子三氏等三十余名 △島田支部団員の出席、大井幹事を始め十名態々上京せらる
       △紀念写真撮影  △庭園散歩
  五、余興
            薩摩琵琶    佐分利翠南
  六、模擬店開始(シトロン屋・寿司屋・団子屋・田楽屋・甘酒屋煎餅屋・番茶屋)
  当日遺憾やる方なかりしは森村顧問の御出席なきことなり。翁は不快静養中の処是非大会に出席せんと途中迄自動車を進められしが、気分勝れず中途より帰宅せられたり。
  床次次官も近来小傷尚癒えず本日出席を見合せらる。


向上 第五巻第六号・第七―八頁明治四五年六月 渋沢男の挨拶(DK430080k-0004)
第43巻 p.457-458 ページ画像

向上 第五巻第六号・第七―八頁明治四五年六月
    渋沢男の挨拶
△来賓諸卿、団員諸子。折角の春期大会が雨の為めに妨げられましたが、幸に大降りのせぬのは大慶であります。斯く多大の本団に同情ある各種の来賓を得ましたのは、主幹・幹事其の他の諸氏と共に大に喜ぶ所であります。当春には必ず自分の宅で開催せんとのつもりで居て折角開催した処が相憎天候が悪い為め大に悲しんで居りましたが、雨が小止みとなりましたのは、天が来賓初め我々に対するせめてもの同情でありませう。
△前席に蓮沼主幹の流汗主義、松岡君の元気あるお話がありましたが私は二十八歳の当時フランス行きました時、既に流汗主義に注目するやうな機会を得ました。人は額の汗によりて生活するもの即事実に於ては流汗するのでありますけれども、修養団の主義とする流汗は単に汗を流すといふ如き単純なるものではなく、真に精神的の流汗である故に強ち全身に汗を流さぬとも、流汗主義は実行出来るのであります故に私は以前から出来るだけ一人であるき自分の事は勉めて自分でするやうに心掛けて居ますが、之も流汗主義に適つた仕方と思つて居ます。要するに流汗主義とは如何なるものか、其定義を言へば総べての事をするに精神を入れてする。即精神的に実行実動するといふ事に帰着するのであります。私も老人ではありますが常に此心懸けで出来る丈やつてゐるのであります。只今松岡君のお話しによれば老人といふものは余りに要なきものゝやうに云はれたけれども、老人も固は青年時代があつたもので必ずしも老人は不要であるといふことは出来ぬの
 - 第43巻 p.458 -ページ画像 
であります。人の一生を八十年と見積つて其の中二十五年を青年時代とし、五十五年を老年時代として青年期、老年期何れが長きやといはれたならば、青年期は遥かに老年期よりも短く、随て老年は全く不要なりと申すのは大なる矛盾と思ふ。少くとも私には左ういふ算盤はとれません。是非それを思ひ直して貰ひたいのである(笑声起る)而して青年時代は流汗主義を実行すると同時に必ず言行一致する様に心懸けて、世に立つにも単に自分のする事丈をして他を顧みないといふことなく、人と人とが合して国家が出来るのであるから、目を国家本位に置いて居なければならぬ。又事をなすにもそれに精神を注いで常に一意専心を旨とし、又智にのみ趨り過ると己れさへよければ他人などはかまはぬといふが如きことになりやすいからよく心すべきであります。之に反して修養は智よりも寧ろ徳を以て本旨となし、先づ人を立てゝ後に己がすると云ふ様でなければならぬ。そして本団の主義も之に異らぬので私も此点は大に喜んで居る次第であります。され共諸子が世に立つて事を為すに当り其心懸を少しの差の為に誤解して、反対の結果を生ずる様な事も少くあるまいと思ふ故、玆に処世十訓なるものに付きて一寸御注意までに述べて見やうと思ふ。(須田生筆記)


向上 第五巻第六号・第九―一三頁明治四五年六月 処世十訓 男爵 渋沢栄一(DK430080k-0005)
第43巻 p.458-461 ページ画像

向上 第五巻第六号・第九―一三頁明治四五年六月
    処世十訓
                   男爵 渋沢栄一

図表を画像で表示処世十訓

   処世十訓  一、仁恕ト柔愚  二、礼譲ト諂諛  三、才智ト狡猾  四、従順ト卑屈  五、節倹ト吝嗇  六、自由ト放縦  七、卒直ト傲慢  八、勇敢ト狂暴  九、自信ト執拗  十、質実ト粗野 



      一、仁恕と柔愚
仁義も忠恕も甚だ結構なものではあるけれども放縦愚昧に陥り易く、「仁を好みて学を好まざれば其蔽や愚」孔夫子の言はれた通り、忠恕の心があつても学問を好まないと、其の結果は愚に帰するものである即ち忠恕は真心を尽して事に従ひ己を推して人に及ぼすこと、仁義とは仁愛と義理即憐みとミチスヂといふ意であるから、左伝に所謂宋襄の仁といふやうな、馬鹿らしい憐みをしては困る。情にのみからまれて、極端に走らぬやうにせねばならぬ。
      二、礼譲と諂諛
孔夫子は、「己れの欲せざる処人に施すなかれ」といはれ、耶蘇は「己れの欲する処人に施せ」といはれてあるやうに、東洋の教は兎角消極的で、西洋の教へは多く積極的である。それであるから礼譲といふや
 - 第43巻 p.459 -ページ画像 
うなことに就ても、東洋では古くから重ぜられて居る……無論西洋でもさうであらうが……東洋では、謙遜を重ずるといふ性から、自然礼譲を以て美しき徳と見たのである。然し礼譲も時によると諂諛に陥り易い。孔夫子も、「君に事ふに礼を尽せば人以て諂となす」といはれて其の困難を示されてある。これは礼譲と諂諛とは甚だ近きものであるのを憂へて言はれた語である。諂諛は謙遜の悪用に外ならぬ。故によくよく注意せねばならぬ。さりながら、敬意を欠くといふ主義は甚だよろしくない。敬の行ひに表はれたのが礼で、礼の極端になつたのが諛である。要するに、礼譲は諂諛に陥らざる程度に於て必要なのである。
      三、才智と狡猾
世の道徳者流を見ると、兎角才智を慊う風のあるのは私の最も不賛成な処である。宋朝の学者は多く所謂智なるものを排斥した。それは凡ての悪徳は智より生ずると観じたからである。然しそれは、智の悪用された一面を見た意見に過ぎない。智を悪用すれば狡猾となつて最も悪むべきものとなるが、然しそれを以て全智を排斥するのは、実に人間の霊妙な働きを亡ぼすものといはねばならぬ。孔子は「知を好んで学を好まざれば其蔽や蕩」と仰せられてある。知を研く者は狡猾にならぬやう、蕩といはれぬやうにすることが肝心である。
      四、従順と卑屈
之れも一歩誤れば正反対の方向に行くものである。人が服従するに当ても、無邪気にするのが真の服従であつて、何か心に意味をもつて居れば卑屈といふものになる。諸君は青年なる故、必ず老人の言行に従へといふのではないが、矢張り或る程度まで服従が必要である。人は卑屈ならざる従順を考へばならぬ。
      五、節倹と吝嗇
節倹と吝嗇とは、或る点に於ては其程度を区別するに余程困難である出すべき処に出すのを慊ひ、其んなことは無駄だといつて出さぬのは即吝嗇であつて、世間には節倹の名を借りて吝嗇の術を行ふものが沢山ある。其の弁別は私自身も甚だ惑ふのである。誰も人間として慾のないものはない、所がそれが極端になると吝嗇に陥るのである。私も慾があつて広い庭園を有して居るが、然し其の為に今日の大会の役に立つたやうなもので(笑声起る)慾のあるのは無論悪るいと言はない却て慾の無い人に随分困ることがある位であるが、其の慾もあまり深くなると吝嗇となるから、人は其程度を慎まねばならぬ。
      六、自由と放縦
之は誤解の有り勝ちのもので、自由だからとて其度を過せば、遂に放縦な行為となるものである。其反対に余り身心を締められて元気が無くなつては困るが、放縦となつては更に困る。つまり人は余り自由を振りまはせば放縦となるのだから、其の放縦にならぬ範囲に於て生気ある活動が望ましいのである。
      七、卒直と傲慢
直情径行といふことがあるが、人に対して自分の言はんとする処を遠慮して謂はぬのも余りよくないけれども、それを余りに無遠慮に発表
 - 第43巻 p.460 -ページ画像 
して傲慢となつては宜しくない。けれども時には人に対して何の隔意もないやうに、欲するまゝを言ひ得るやうに心得て居らなければいかぬ。即ち青年にとりては必要であるが、之も少し間違へば傲慢となり不遜となるから余程注意せねばならぬ。
      八、勇敢と狂暴
「自ら省みて直ければ千万人と雖も吾ゆかん」といふやうに、人は勇気が大切である。殊に青年に於て然りであるが、それが狂暴となつてはいかぬ。之も共に似たものであるから、注意して狂暴とならぬやう望ましいものである。
      九、自信と執拗
人の行は智情意の三つが並行して、初めて完全となるものであつて、智にのみ走つても善くないし、情にのみ趨つても亦意にのみ走つても善くない。此の三拍子がチヤンと揃はねばならぬ。自信には固より意識の伴ふものであるけれども、其の意識が余り大となると遂に頑固となり、執拗となるものであるから、之を正しく弁別せねばならぬ。
      十、質実と粗野
論語に「質文に勝てば則ち史。文質彬々として然して後君子」とあるが、質実は兎角粗野になりがちのものである。然し粗野は悪いといふて香水をつけ、綺羅を飾るやうでも考へものである。願ふ所は粗衣粗食に甘じて、而も野卑に陥らず。時代の奢侈に流れんとする滔々たる風潮に逆つて、専心修養に身を委ねて貰ひ度いのである。
以上は今朝からアチコチと考へた末、此の十訓を思ひついてお話し申した訳である。
尚ほ之に就て申し置きたい事は、論語に「子曰く由や女六言六蔽を聞けりや、対へて曰く未だしなり。居れ吾れ女に語げん、仁を好んで学を好まざれば其の蔽や愚、知を好んで学を好まざれば其蔽や蕩。信を好んで学を好まざれば其蔽や賊、直を好んで学を好まざれば其蔽や絞勇を好んで学を好まざれば其蔽や乱、剛を好んで学を好まざれば其蔽や狂」といはれてある。即孔子も其の類似せる二つの徳の中、どうも悪徳に陥りやすきものであるといふことを戒められたのである。であるから修養団の人々も努めて博く学んで、人と人、人と国との調和を考へ、理義合一の実を挙げられたい「博く之を学び審かに之を問ひ、慎みて之を思ひ、明に之を弁じ、篤く之を行ふ。」といふ言がある。青年は理想を大きく且つ高くして、善いと思ふ時はそれに就て何処までも貫徹するといふ意気を以て進み、決して一片の空想に終らせないやうにして貰ひたい。「未だ仁にあらずして、其の親を遺るゝものはあらざる也。未だ義にして其の君を後にするものは有らざる也。王亦仁義と曰はんのみ。何ぞ必ずしも利と曰はん」と孟子は曰つて居るが何うか青年には斯ういふ立派な信念と態度が欲しいものである。
                          (完)
 子曰。由也女聞六言六蔽矣乎。対曰。未也。居吾語女。好仁不好学其蔽也愚。好知不好学。其蔽也蕩。好信不好学。其蔽也賊。好直不好学。其蔽也絞。好勇不好学。其蔽也乱。好剛不好学。其蔽也狂。
 - 第43巻 p.461 -ページ画像 
 (論語)
 博学之。審問之。慎思之。明弁之。篤行之。(中庸)
 未有仁而遺其親者也。未有義而後其君者也。王亦曰仁義而已矣。何必曰利。(孟子)
  本篇は大会に於ける講演の大要にして、未だ男爵の校訂を経ざるもの、尽さゞるものあるが如きは、其責固より記者にあり
                        (風外生)


向上 第五巻第六号・第八頁明治四五年六月 △懇親大会晩餐会席上に於て渋沢男の挨拶(DK430080k-0006)
第43巻 p.461 ページ画像

向上 第五巻第六号・第八頁明治四五年六月
    △懇親大会晩餐会席上
     に於て渋沢男の挨拶
先輩諸賢が御多忙中にも不拘、夜分迄も御留まり下され、修養団のために御心尽し下さることは洵に難有感謝に堪えません。御存んじの通り修養団青年諸君は、真に実行実働身を以て風紀改善に当つて居りまするにより、我々はお互に斯く力添致して居りますが、尚一層尽力したいと思ひます。向上誌も一段の光彩を添はせたいと相談して居りますが、諸君の御尽力をも御願しておきます



〔参考〕渋沢栄一 日記 明治四五年(DK430080k-0007)
第43巻 p.461 ページ画像

渋沢栄一日記 明治四五年           (渋沢子爵家所蔵)
六月十六日 晴 暑
○上略朝飧ヲ食ス後○中略蓮沼門三・宮田修・松岡子誠三氏来話ス、修養団向上雑誌ノ拡張ノ事ニ関シ種々ノ協議ヲ為ス○下略
   ○中略。
六月十九日 晴 暑
○上略朝飧ヲ食ス後○中略蓮沼門三氏来リ修養団雑誌刊行ノ事ヲ談ス○下略