デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
4款 財団法人修養団
■綱文

第43巻 p.507-511(DK430096k) ページ画像

大正6年5月8日(1917年)

是ヨリ先、栄一、森村市左衛門ト当団団長ノ件ニ就キ協議ノ結果、田尻稲次郎ヲ推薦スルコトニ決ス。是日栄一、森村銀行ニ於テ、森村ト共ニ田尻ニ会見シ、団長就任ノ承諾ヲ得。


■資料

渋沢栄一書翰 森村市左衛門宛(大正五年)一二月二〇日(DK430096k-0001)
第43巻 p.507 ページ画像

渋沢栄一書翰 森村市左衛門宛(大正五年)一二月二〇日 (森村男爵家所蔵)
草翰拝読益御清適之段奉賀候、然は老台ニハ本月廿六日頃熱海ヘ御転地可被成由御知らせ被下忝奉存候、老生も其後追々元気も回復ニ付廿四日ニハ一ト先帰京可仕候、就而ハ廿五日午前中ニ従是御訪問可申上候、但修養団主幹とハ未た充分之協議相整不申候ニ付、其事ハ来一月中熱海まて御伺申上候様可仕候、右不取敢拝答如此御坐候 敬具
  十二月二十日
                       渋沢栄一
    森村老台
        拝答
  尚々廿四日帰京次第電話ニて申上候様可仕候、乍序申上候也
   ○栄一、湯河原ニ滞在中。


向上 第一一巻第六号・第二―七頁 大正六年六月 子爵田尻稲次郎閣下を団長に推戴す 主幹蓮沼門三(DK430096k-0002)
第43巻 p.507-510 ページ画像

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修養団三十年史 同団編輯部編 第九一―九二頁 昭和一一年一一月刊(DK430096k-0003)
第43巻 p.510-511 ページ画像

修養団三十年史 同団編輯部編 第九一―九二頁 昭和一一年一一月刊
 ○本篇 三十年史六、陣容全く成る
    修養団長推戴
 心なき人の罵詈、嘲笑を忍びつゝ謙虚熱祷、同志の糾合につとめ、相呼応して国事に奔走すること十余年。
 同志の苦衷は遂に至誠高徳の先輩に通じ、年一年とその地歩を固め漸く社会的に存在を認めらるゝに至つた。
 斯くて、団員の増加、事業の拡張に伴ひ団の基礎を確立するの必要に迫られ、大正三年、渋沢・森村両顧問に団長推戴の件を図つたが、時機未だ至らずとしてそのまゝになつてゐた。
 その後、両顧問は、人格・信望、一世に卓越せる高士を団長に迎へ以て本団の基礎を鞏固ならしめんと種々計画されるやうになつた。
 大正六年五月、主幹は両顧問と協議の末、田尻子爵を団長に推戴するに決し、森村翁が代表となつて、田尻子爵をその私邸に訪ひ、真情を披瀝された。
『修養団をして、完全な活動をなさしめる為には、至誠愛国の高士を是非共団長に戴かなければならない。
 天下人多きもその人なきを嘆ずるの秋、たゞ田尻閣下の高徳に俟たんとするのみである。
 希くは、万障を排して吾人の切願を容れて戴きたい。』
 翁の赤誠に感激された子爵は、
『大翁愛国の至情は余の常に感銘して止まざるところ、今、特に駕を抂げて予に大事を託さる、如何でか之を辞することが出来やう。
 - 第43巻 p.511 -ページ画像 
 不肖、躬を以て事に当り、御期待に背かぬ覚悟である。』
 翁は暫時瞑目して感謝の祈りを捧げられた。
 修養団の発展を祈念し、夢寐にも忘るゝ能はざる主幹の真情が、玆に天に通じ、人に徹し、基礎確立の根柢は築かれた。
 新緑滴る初夏の早暁、起きて東天を望めば弥が上にも希望の光りが燦々として輝きわたつた。


北雷田尻先生伝 田尻先生伝記及遺稿編纂会編 上巻・第七一頁昭和八年一〇月刊(DK430096k-0004)
第43巻 p.511 ページ画像

北雷田尻先生伝 田尻先生伝記及遺稿編纂会編 上巻・第七一頁昭和八年一〇月刊
 ○第一編 閲歴
    第四章 会計検査院長時代
○上略
 大正六年五月三日修養団顧問森村市左衛門、先生を小石川の邸に訪ひ、其の団長に就任せられんことを請ふ。先生熟慮の上同月八日に至り遂に之を応諾せられ、爾後世を終る迄最も熱心に同団の為めに尽力せられたり。
○下略