デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
4款 財団法人修養団
■綱文

第43巻 p.513-518(DK430098k) ページ画像

大正6年8月8日(1917年)

是日栄一、群馬県赤城山大沼湖畔ニ於ル当団第三回天幕講習会ニ対シ、伊香保ヨリ書翰ヲ送ル。


■資料

向上 第一一巻第九号・第一〇二頁 大正六年九月 先輩の祝辞祝電(DK430098k-0001)
第43巻 p.513-514 ページ画像

向上 第一一巻第九号・第一〇二頁 大正六年九月
    先輩の祝辞祝電
  記者曰、国家を念ひ青年を熱愛せらるゝ先輩が、物資を割き時間を割愛して多大の援助をせらるゝのみならず、態々祝辞激励の長文を会場に寄せらる、今左に之を録して永へに其の芳志に酬いん
      ○渋沢顧問
 炎暑の候、賢台及講習会臨場の修養団員諸君、益御清適御精励の事と遥賀此事に御座候。然者第三回天幕講習会も予期の如く去る五日を以て目出度開場相成、爾来御目的に従ひ御講習被成候事と賢台始め幹部之諸彦に於ては容易ならざる御高配御努力を遠察いたし候。開会前後に於ける毎々の御通信にて拝見致候に、本年は来会の青年諸君も多数にて、昨今は会場の有様所謂気焔万丈赤城山を凌ぐの概あることゝ存候。殊に内務省群馬県等にては別して御同情被下、物質的にも種々御裨補被下候のみならず、局長も知事も御来会被下候由感謝の至に候過日知事公には老生も当地に於て拝眉せしに付、今回は勇を鼓して臨場の積に候旨御答は致置候も、其後少々風邪に冒され今日も尚快方と難申、殊に賢台より尊書及電報にて、山□《(不明)》険にして乗物の準備不充分との来示に接し、さなきだに歩行自由ならざる老生の儀に付遺憾ながら参会差控候事に仕候、怯懦の誹は甘受可致候得共老体に免じ御海容被下、来会の青年各位殊に御援助の為め御来会被下候諸名士諸彦に呉呉も御致声被成下度候
 毎会の講習に付て来会の青年諸君、其心神を清め、其気力を養ひ且数日の共同生活には必然相愛の情相増し可申候得共、老生は常に其事物又は行動の一時的ならずして永く維持継続致候事を企望して已まざるものに御座候。総て青年の際は或時は鋭気鬱勃たるかと見る間に、倐忽変化して忘れたるが如き有様に相成候例毎度有之候も、我修養団には右等遺憾なる態度無之様、臨場の青年各位へ賢台より宜敷御伝語被下度候。右は本講習会を遥祝すると共に、老生欠席の御申訳旁不相替婆心申上度如此御座候 敬具
  大正六年八月八日
                     伊香保客舎に於て
○下略
   ○右ハ大正六年八月五日ヨリ一週間ニ亘リ、群馬県赤城山大沼湖畔ニ於ケル
 - 第43巻 p.514 -ページ画像 
修養団主催ノ第三回天幕講習会ニ対シ、滞在地伊香保ヨリ栄一ノ送リタルモノナリ。


向上 第一一巻第九号・第九―一一頁 大正六年九月 天幕講習 会員諸君に告ぐ 顧問 男爵渋沢栄一(DK430098k-0002)
第43巻 p.514-516 ページ画像

向上 第一一巻第九号・第九―一一頁大正六年九月
    天幕講習 会員諸君に告ぐ
                 顧問 男爵渋沢栄一
      △精神集中は修養の最大良法
 今玆の夏季講習会には、私も上州の伊香保に行く予定であつたから一度開会中に会場に出掛けるつもりであつた、処が生憎開会前の八月三日に感冒をひいたから、五日には渋川の実業同盟会に於て講演をする約束であつたのを、それさへ果さなかつたといふ次第であつた。尤も病状も極く軽く床に就くといふほどでもないのであつたが、兎に角外出する訳に行かなかつたので困つた。折柄蓮沼君からも、道路が険悪で山上は天候も変り勝ちであるから、態々無理をして会場に来て老体を痛めてくれるなといふ親切な通信があつたから、旁々遺憾ながら差控えたのであつた。
 人がある時期を定めて、其間専心修養するのは、誠に修養上に効果の多い事である。我国で武芸其他の寒稽古を古来行ふのも其為めで、文学などに於ても或時期を定めて心を専らにするのは良い事である。修養団が全国の中竪青年を集めて、酷暑の季を選び天幕講習会を催すのも、青年の修養上甚だ有効の事と思ふから、今後も継続して益々効果を挙げられたい。私も出来る丈け今後とも援助し、又機会を得て是非一度講習会に加はつて、仮令青年と合する訳には行かぬでも、青年と共に縦横談でもして見度いと思ふて居る。
      △援助者諸君に感謝する
 今年の講習会に就ては、各方面からの通信や報告によつて同志の努力は勿論、先輩の援助殊に開催地の群馬県からは物質的にも精神的にも多大の尽力を受け、内務・文部の両省に於ても物質的の補助を与へられた而已ならず、田沢・前田・武部・関屋の諸氏を講師として派遣され、又田中中将が本事業の為に大なる援助を与へられたのは誠に感謝に堪へぬ事である。又小尾・肥田の諸君が己を忘れて熱心なる尽力をされしは、真に憂国の士にあらざれば出来ぬ事で、深く之を感謝するのである。
 私は知事さん(三宅群馬県知事)に伊香保でお目に懸つた際、私も会場へ出掛けるつもりであると申上げて置いたが、前に云ふたやうな訳で、つひ不参に終つたのは、甚だ残念なことであつた。
      △思・言・行は一致せよ
 古来一年の計は元旦にありといふ諺があるのは、一年間に行ふべき事の計画を先づ年の始めである元旦に立てるがよいと云ふので、折角元旦に立てた計でも平常之を行はなかつたならば何等の甲斐もない、其計を三百六十五日の間行ふので初めて、年の首めに立てた甲斐があるのである。天幕講習会も単に講習中ばかり真剣本気に緊張して居る生活をしても、其結構な考を平常の生活に発露することが出来ねば、折角の講習会も効果がなくなる訳である。故に会員は講習中の結構な
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考を蓄へて置いて、平日之を発揮するやうに心懸けることが肝要である。フリーメーソンといふアメリカの宗教(一種の秘密結社)に十戒といふのがある。其中に言と行との差別が次のやうな意味で表はされて居る。『心に善事を思ふこと可なり、而して口に発する亦可なり、然れども之れのみでは完全でない、行ふて初めて完備する』と実に味ふべき言ではあるまいか。行へない考、行へない言は、丁度絵に画いた餅を見るやうなもので何の味も感ずることは出来ぬ。
      △有終の美を挙げねばならぬ
 天幕講習会は、全国から将来国民の中堅となる可き有為の青年を集め、それぞれ大家名士が講師となり、俗界を離れた山沢秀麗の地で、全力を集中して真剣の修養するのであるから、誠に結構なことであると思ふが、前にも云ふたやうに其場限りでは言ふて行はぬと同一の結果である。陽明も知行合一と説いて居るやうに、善い考は必ずこれを行ふて、考と行と常に一致させなければならぬ。どうか一時的でなく継続してもらい度い。
 度々学生を引合に出すやうだが、学生は学問の為めに勉強すべきに試験の為めに勉強する者が往々ある、だから一度び試験が通過すれば忽ち総ての勉強を放擲して了ふ。折角多額の学資を投じて、長い年月の間勉強しても、実力といふものが少しもつかない、従て活社会に出た時に働かれぬ。これでは甚だ残念なことである。これは人に生じ易い弊で、青年ばかりでなく老人でも免れぬものであるから、青年諸君は特に心して戴き度いと思ふのである。
 斯様に云ふ私は言ふたことは必ず実行して居るつもりである。私は心で思ふたことを言はぬことはない。言ふた事は行はない事はない。病気で止むを得なかつたり、又時に忘れて果さなかつたことはあるが其他では言ふたことを行はない事はない。
 修養は平日の為めにするのである。種々厭なこと、迷惑なこと、心に不快に思ふことがあるのが人の世の中である。厭だから迷惑だからといふて、種々な事情の為めに行れぬやうでは、百万人と雖も己れ行矣の丈夫となることは出来ぬ。若い間は思想が多くしていろいろに変化する。従つて考が変るといふことは免れんが、修養に心懸ける青年は成る丈け其様にならぬやうに、折角結構な天幕講習が所謂お祭騒ぎのやうに其場限りに終らぬやうに注意せられたいと切望する。
      △秀麗の山水に気を養へ
 炎暑の時期に山川秀麗の気に会ふのは、独り気候の熱を避けるといふ丈けでない。自然に人が接するといふことは、身体の摂養のみならず精神を養ふ為めに非常によろしい。古の大人君子、時に山川に接し名山大山に其の気を養ふことは間々あるやうであるが、自然の風趣に接して、或は広く或は強くするのは大に必要なことである。一方から云へば、それが風雅にもなり、気を養ふ具にもなるやうである。山林の楽を談ずる者は、未だ真に山林の趣を得ず、名利の談を厭ふ者は未だ必ずしも尽く名利の情を忘れずと菜根譚にあるが、之は大に味ふべきことで、自ら修養したと称する者は、実は未だ修養の足らぬものである。
 - 第43巻 p.516 -ページ画像 
   ○右ハ「向上」ノ天幕講習会記念号ノタメニ語リタル栄一ノ談話ナリ。


向上 第一一巻第九号・第二―八頁 大正六年九月 第三回天幕講習会概報 主幹蓮沼門三(DK430098k-0003)
第43巻 p.516-518 ページ画像

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