デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
4款 財団法人修養団
■綱文

第43巻 p.556-560(DK430110k) ページ画像

大正7年7月2日(1918年)

是日当団、小石川区礫川小学校ニ於テ、第二回教育懇談会ヲ開ク。栄一出席シテ講演ヲナス。


■資料

集会日時通知表 大正七年(DK430110k-0001)
第43巻 p.556-557 ページ画像

集会日時通知表 大正七年          (渋沢子爵家所蔵)
 - 第43巻 p.557 -ページ画像 
七月二日 火 午後二時 修養団主催 第二回教育懇話会(礫川小学校)


向上 第一二巻第八号・第一〇四―一〇五頁 大正七年八月 懇談会報告(DK430110k-0002)
第43巻 p.557 ページ画像

向上 第一二巻第八号・第一〇四―一〇五頁 大正七年八月
    懇談会報告
 大正七年七月二日 梅雨漸く霽れんとする蒸暑烈しき日、第二回教育懇談会を小石川区礫川小学校に開催す。会する者百五十名、定刻前より陸続として参集す、府県視学、修養団本部役員等地方より特に出京せる篤志者を初め、小石川各学校職員及市内各校の有志、並に小石川有力者等何れも斯道の熱心家なり。二時三十五分開、司会者開会の趣意を述べ一同君が代を合唱し勅語捧読を行ふ。蓮沼主幹懇談会の趣旨に於て集団の力を説き、熱ある教育者の千万人力を教育の振興に為すあらんことを望むとて、大要次の如く説かる。
○中略
 次で渋沢男爵は温情溢るるが如き巨躯を起して徐々として登壇せられ、現下の教育と維新以前のそれと比較し、旧時の教育は治国平天下の道を大本とし、人物養成のことより初めて一身を律するに及び、現在の教育は形式的に順序より進みつゝありて頗る完備せるを認むると雖も、精神教育人格教育の点に於て尚遺憾なき能はざる旨を叙せられた。(本文参照)
 高木男爵は体格向上に日光空気の必要なるを説かれ、積極的鍛錬を加ふることの緊要なるを述べらる。講演終りて懇談に移る。五分程にて田尻団長来場せらる。懇談は五分間演説の形式に拠る。修養団支部員青山氏・池田氏共に起ちて処世上に関する希望を唱ふ。小石川区学務委員寺崎留吉氏、教育事業には社会各階級協力して尽さゞるべからざること及び児童の豆本耽読の弊を説き、之が改良方法を実施したしと提言す。橋本熊太郎氏は教育者として負ふべき社会的事実の具体例を挙げて痛論す。此の時田尻団長拍手に迎へられて登壇し、細字読物豆本類は其事実を調査し之が改良を計りたし、懇談会に於ては単に広漠なる談話を交換するに止まるよりは、寧ろ緊要なる問題を捉へて之を解決する様にしたきものなり。今日は先ず運動場に敷くべき材料の調査を問題として提出すべし。次会までに組織的研究を行ひ之が報告を得てその改良を事実の上に表はしたし。斯くて実際的に有力なる会合たらしめたしとの希望を述べらる、尚石上弥助氏・梅原錦三郎等交交立ちて斯題に対する有益なる談話あり。関山勝三氏之が処理の実際につきて方法を提議す。次いで高木男爵は運動場問題に就て従来実施せられし所とその研究につき評述せられたり。時に六時尚熱心なる所説の縷出せんとする形勢を見たれども、次会に譲りて閉会を宣せしは正に六時三十分なりき。会後尚教育時事を談じて時の将に移らんとするを忘るゝものの如くなりき。此の会終始緊張輯睦和親の情歴々として実現せられ、経に緯に連繋ある精神的集会を体現し、心力の合体衆力の統合靄々として漲りたるは感激の至りに堪えざる所なりとす。


向上 第一二巻第八号・第一七―二〇頁 大正七年八月 昔の教育と今の教育 顧問 男爵 渋沢栄一(DK430110k-0003)
第43巻 p.557-560 ページ画像

向上 第一二巻第八号・第一七―二〇頁 大正七年八月
    昔の教育と今の教育
 - 第43巻 p.558 -ページ画像 
                 顧問 男爵 渋沢栄一
      一、昔の教育
 昔の教育法と現在のそれとを比較しますれば、その差は実に雲泥も啻ならざる有様であります。幾らか重複するかも知れませんが、稍々精密に之を比較して見たいと思ひます。明治以前、私共が未だ幼少の頃の教育方法を述べて見ますれば、大体士大夫の教育と庶民即ち農工商の教育との二に分けて考へられます。先づ農工商の教育法を言へば下級なものは名頭から始めてその読み方を習ひ、之を習字の手本ともしたので、算術としては勿論珠算で、塵劫記に拠つたのであります。進んだ読み物としては商売往来・庭訓往来・実語教・三字経などで、習字としては千字文位のもの、更に進んだ所で四書を読ませるのが普通でありました。勿論現在のやうに商業歴史・商業地理・物産誌等は見たくもなかつたのであります。一方政治の力によつて其の土地の物産を動かす事も出来たからそれでも間に合つたのであります。けれども恁ういふ教育方法の間にも幾多の傑物が出たので、淀屋辰五郎とか紀国屋文左衛門とか高田屋嘉兵衛・銭屋五兵衛等、それぞれ気力の盛んであつたことは十分に言ひ得るのであります。但し以上はほんの概況で、海外の経済状態などはとても今日の様に分る筈はないのであります。
 士大夫の方面の教育は所謂漢籍教育で、中々確然り行つたのであります。先づ四書をやつたので、大学から初まつて修身斉家治国平天下の道を説いたのであります。次いで中庸に入つたのでありますが、中庸は御存知の通り、孔子の孫子思の作であるが、今日から見れば純粋の哲学で、その道理は中々むづかしく不分明なる点も可なりあります中庸の中にも「天下国家可均也。爵縁可辞也。自刃可蹈也。中庸不可能他」の語もある位であります。それで至誠といふ事を最も力を入れて説いたのであります。道徳経済の中心は此に在りとなしたのであります。過日団長推戴の祝賀式の際、私も言ひましたし、田尻子よりも論述がありましたが、真に至誠は大切なる事であります。次いで論語孟子と四書を済ませると、五経に進んだのであります、之等の教は国としての訓であります。大身の訓であります。即ち修身斉家治国平天下の意味を十分教へ、進んで小学礼記等の一身を規則する教訓や礼法に入つたのであります。即ち治国平天下の大事を先にし、一身を規則する簡易な方面に向はしめたので、高尚なるものより平易なるものに進んだものであります。之は現在の方法とは全然逆であつたと言ひ得るので、心を修養する方面より言へば相当の教育であつたのであります。進んでは子といつて老子・荘子・荀子・抱朴子・韓非子等に入り学者としては更に文章を練らなければならぬので、八大家文・文章軌範・蘇氏文選その他、進んで文選等をやり、それから史に移つて史記漢書・後漢書・三国志・宋書・魏書等の二十一史を一通りやつて先づ学者の仲間に入り得たのであります。斯くの如く進んで来る時は治国平天下の事が学問に必要となるので、従つて其の頃の気力ある青年には必ず治国平天下の心が生じたので、私などもその一人であります。斯くの如き進み方が維新前の教育の順序の大体であります。
 - 第43巻 p.559 -ページ画像 
      二、今日の教育
 今日の教育は欧羅巴の方法を摸擬したとは言ひながら、適応する学科を修め得らるゝ様になりましたのは感佩しなければならぬ所であります。然らば現在の教育は之れで完全であるかと言つたならば、どうでありませうか。大いに然らずと言はなければならぬのであります。即ち先を急ぐ、自己の名誉を先にする等はその最も不良なる現象で、学問を修むる上より起り来る弊害も中々多いのであります。形の上では備はつて居つても人間は出来ないのであります。斯う言ふ点が益々熾んになりはしまいか。体は備はつても眼睛が入つてないのであります。私の古い眼にのみさう見えるかも知れない。謬見かも知れないけれども、学者や教育者の間にも此の嘆声を聞く所から見ると敢て私一箇の謬見とのみ言ふ事は出来ないのでありませう。
 小学校の教育法に対する不満も多く耳にする所で、形式に馳せて居ります。薫陶感化の方面を行ふといふより、形式を詰め込むことを重じて居るのでは無いでありませうか。或は慴れしめ、或は感激せしむるの態度が欲しいものであります。感ぜしむる程度が弱く薄いと思はれるのであります。自身に省みて十二・三才位の児童の時代に起つた事実は好く記憶して居るものであります。義太夫などにも斯う言ふ時代の感触記憶は、美しく強く印象されて居るといふ例が出てをります故に、此の十二・三才の純な時代に強い印象を持たせ、大なる感激を得せしめたいのであります。併しながら斯くの如き方面を十分開拓したいと言つても、今日の教育制度では中々実行が困難で不完全でありませう。故に斯く喋々しましてもその徹底は中々不可能でありませう手続としては遺憾がないのでありますが、仕入学問が多いのであります。中学では学生に欠点が多い。今に売れるだらう、売れるだらうといふ予想の下にする勉強が多いのであります。元々官立学校は政府の必要より出来たもので、此処で学を修めた者が卒業して役人となり、閥といふ様なものも生ずるのであります、平家や藤原氏も初めは必要より用ひた者で、長年経過するに従つて終には閥となつたのでありますが、初め官学を建てたのは役人を作るためであつたのです。其の時代には商工業の方面はソツチノケであつたので、森有礼さんの文相時代に米国人ラヰツトニー氏を雇入れて商業学校を作つた、之が最初の唯一のものでありましたが、明治十八年の頃恁麼ものは必要が無いから廃して仕舞へといふ事になつたので、私は其の当時極力之を止めたのでありますが、之が今の高等商業学校の前身で、恁麼具合で仕入学問が多かつたのであります。続いて商工業方面の学校でもさういふ自身を作てより仕入学問をするといふ傾向が出て来たのであります。如此有様でありましたが、今次欧羅巴の大戦から実業が盛んになつて来て、野に居るものが多く出て来たのであります。一方先生にも弊害がある。即ち新しく修めた知識をその儘に学生の力を考へず教へやうとする傾向があります。以上述べたやうな有様が現在に於ける大体の傾向であります。
      三、現代教育の通弊
 今日の教育は人を作る――精神の修養に就いて教育する方面が幾分
 - 第43巻 p.560 -ページ画像 
欠けてはないか。所謂「作を成し上げる」画竜点睛の働が少いのではないか。之が為めに人格の方面の修練が不十分な人――知識形式が備はつて居つて而も不具な人が出来るのであると信ずるのであります。強い精神を持たせること、言ひ換へれば信念を持たしめること、信念を作ることが今日の教育で成し得られないではなからうかと虞れるのであります。
 今次欧羅巴の大戦は各国民の性質を遺憾なく露出したのであります独逸が人体をさへ処理して有効物を作り出すといふが如き実例は、偶その残虐性を有する事が表はれたのであります。先度もセンチユリー銀行の人と会見しましたが、大抵の人は事務を措いても国の戦争に真実に力を罩めてやつて居る様であります。亜米利加の聯合軍に対する同情は中々感心すべき所が多いのであります。此列強と対峙する我国は今後人を作るといふことが最も大切な事であると思ふ。それには献立沢山で滋味の少い形式的の教育よりも、実際身体の養ひになる滋養分を与へる教育でなくてはならぬと素人ながら考へるのであります。
             (第二回教育懇話会に於ける男爵の講演大要也)