デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
4款 財団法人修養団
■綱文

第43巻 p.597-598(DK430128k) ページ画像

大正10年10月12日(1921年)

是ヨリ先、栄一第四回目ノ渡米ヲ決ス。是日、当団主催送別会、日本工業倶楽部ニ於テ開カル。栄一出席シテ挨拶ヲナス。


■資料

集会日時通知表 大正一〇年(DK430128k-0001)
第43巻 p.597 ページ画像

集会日時通知表 大正一〇年        (渋沢子爵家所蔵)
十月十二日 水 午後三時 修養団催送別会(日本工業クラブ)


竜門雑誌 第四〇一号・第四九―五〇頁 大正一〇年一〇月 ○青淵先生渡米出発(DK430128k-0002)
第43巻 p.597 ページ画像

竜門雑誌 第四〇一号・第四九―五〇頁 大正一〇年一〇月
    ○青淵先生渡米出発
○上略
 尚今般青淵先生渡米に付、各方面に於て送別会の計画ありたるも、何分にも多忙なりし為め謝絶せられ、特に関係深き分のみ之を受けられたるが、其主なるもの左の如し。
○中略
      十月十二日
 午後三時 修養団主催送別会 工業クラブ
○下略


中外商業新報 第一二七八一号 大正一〇年一〇月一三日 渋沢子送別会(DK430128k-0003)
第43巻 p.597 ページ画像

中外商業新報 第一二七八一号 大正一〇年一〇月一三日
    渋沢子送別会
蓮沼門三氏等修養団幹部十余名は、十二日午後三時丸の内工業倶楽部に渋沢子の送別会を催せり


向上 第一五巻第一一号・第二四頁 大正一〇年一一月 渋沢顧問渡米送別会(DK430128k-0004)
第43巻 p.597-598 ページ画像

向上 第一五巻第一一号・第二四頁 大正一〇年一一月
    渋沢顧問渡米送別会
 愛国の赤誠止み難くして今年八十二才の老齢を以て遥々渡米せらるる顧問渋沢子爵の一路平安を祈る為、十月十一日明治神宮に祈願をこめた本部幹事一同は、翌十二日午後森村顧問の胆いりにより、丸の内工業倶楽部で送別会を開いた。
 会するものは森村顧問を始め本当に内輪の人々ばかりであつた。
 蓮沼主幹の挨拶は溢れ出る真情を吐露したもので、並み居る一同は粛として、只管に子爵の御健康と御旅行の御無事とを祈るのみであつた。主幹の挨拶が終ると、子爵はいとも元気に、『自分は親戚のつもりで諸君に打あけ話をする』と、今度使命を感じて渡米される真相を語られた。徹頭徹尾報国の赤誠に燃えた御決心には、一同思はず感涙を催した。
 降りつゞいた雨も霽れ、生々した秋の夕陽が工業倶楽部楼上の部屋を明るく輝し出した、子爵のお話が済むと、珈琲をすゝつて雑談に入る。話題の中心は矢張り修養会館建築の件である。両顧問を中心に敷地の件から工費の件など議論百出したけれども、要するに一日も早く建てたいものだと云ふ心は一である。
 - 第43巻 p.598 -ページ画像 
 子爵は明朝御出発なさる、その間際まで斯うして会館の為めに御心配下さる事を思へば、吾々は一刻もヂツとして居る訳に行かぬ。
 一同記念の撮影を終つて散会したのは午後五時過ぎであつた。