デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
5款 財団法人修養団後援会
■綱文

第44巻 p.17-19(DK440005k) ページ画像

大正15年6月11日(1926年)

是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当後援会委員会開カル。栄一出席シ、会長就任ヲ承諾ス。


■資料

集会日時通知表 大正一五年(DK440005k-0001)
第44巻 p.17 ページ画像

集会日時通知表 大正一五年        (渋沢子爵家所蔵)
六月十一日 金 午前十一時 修養団講演委員会《(マヽ)》(日本工業クラブ)


竜門雑誌 第四五四号・第一〇五頁大正一五年七月 青淵先生動静大要(DK440005k-0002)
第44巻 p.17 ページ画像

竜門雑誌  第四五四号・第一〇五頁大正一五年七月
    青淵先生動静大要
      六月中
十一日 修養団後援会委員会(日本工業倶楽部)○下略


青淵先生公私履歴台帳(DK440005k-0003)
第44巻 p.17 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳           (渋沢子爵家所蔵)
一財団法人修養団後援会々長 大正十四年五月
  ○右年月ハ当後援会設立ノ月次ニシテ、会長就任ハ大正十五年六月ナリ。


向上 第二〇巻第八号・第四八―四九頁大正一五年八月 渋沢子爵を会長に 陣容更に新なる後援会 創立満一週年を迎へて(DK440005k-0004)
第44巻 p.17-19 ページ画像

向上  第二〇巻第八号・第四八―四九頁大正一五年八月
  渋沢子爵を会長に
    陣容更に新なる後援会
      創立満一週年を迎へて
 昨年五月三十日創立された修養団後援会は玆に満一ケ年を迎へて、六月十一日の向上日を以て丸の内日本工業倶楽部内に於て、午前十一時より第三回委員会を開催した。委員の各位は我国実業界の元勲元老で、身に寸暇なき多忙の方々である。然るに当日出席された方は、顧問渋沢老子爵を筆頭に、森村男爵・博文館主大橋新太郎氏・時計王服部金太郎氏・三菱合資会社常務理事青木菊雄氏・第一相互保険会社々長矢野恒太氏・建築界の覇王清水釘吉氏・代議士津崎尚武氏の各委員修養団よりは、平沼団長、蓮沼主幹、二木・宮田両常務理事列席せられ、猶ほ本会幹事にして十数年一日の如く変りなき福岡県八女中学校長白土千秋氏並に増田幹事も出席し総勢十五人、本会創立以来稀れに見る盛会であつた。時間は遅れたのであつたが、中島久万吉男爵も見えられ、古河男爵と増田義一氏の二人を除く外は在京委員の総てが出席されたのであつた、先きに述べた通り委員の各位は数十の会社・銀行其他の事業に関係され、何れも其重職に当られて居るので、身体は幾つ在つても足らない方々計りである。然るに修養団の為めに万障を排し寸暇を割いて御臨席下さる心情を思ふ時、誠に感謝に堪へない次第である。大橋・中島両委員の如きは他に重役会議ある為め「遺憾ながら出席叶はぬ」と御断りあつたに拘はらず、「予定より早く済んだので出席した」と態々駕を抂げられたのであつた。
      委員会の決議事項
 - 第44巻 p.18 -ページ画像 
 此日第一に提案されたのは後援会の会長推薦の件であつた。平沼団長は例の謹厳にして而も温情溢るる態度を以て、会長推薦の理由を説明されて曰く、
 「後援会も皆さまの御尽力に依り、漸次発展致しまして最初の計画よりも非常に大きくなつて参りました。夫れ故此際会長を置く様に致したいと云ふ御意見も多数にありますので、玆にこの案を提出したのであります。
 而して会長には渋沢子爵に御願ひ致し度いと思ひます。子爵には甚だ御迷惑でせうが、何卒御願ひ致します。皆さま如何で御座いませうか……」
 大橋新太郎氏「至極結構に存じます、是非子爵に、御願ひいたします。」
 渋沢子爵、八十七の老人とは受取り難い若々しい元気と、例の福々しいニコニコ顔で何物をも融し柔げ、そうして暖かく焼き尽さねば置かぬといふ様な明るい気分で
 「本日の議案に会長推薦と云ふ事がありましたので、或は会長を私にと仰しやらるゝではないかと予測されたので、先刻団長に伺つて見ると案の状私に内交渉があつたので、自分としては森村さんが委員長として御尽しになつて居らるゝので、其上、屋上屋を架するやうな会長など置かんでもよからうではありませんか、と申したのでしたけれども、そうかと言つて団長の御意志に飽くまでも反対する訳ではありません……」
 森村委員長、満面笑を湛へつゝ
 「渋沢子爵は今日迄で事実に於て会長以上のお働きをなされて来たので、今日会長になられたとて何等実質に変りはないのでありますからどうぞお願ひ致します……」
 青木・矢野・清水・津崎各委員外満場異口同音に
 「どうぞよろしくお願ひ致します」
 服部金太郎氏感慨無量の面持を以て
 「私共は渋沢子爵が陣頭に立つて居らるゝので感激してお伴を致して居るのであります、どうぞ会長にお願ひいたします……」
 満場復々相共して「宜しく願ひます……」
 渋沢子爵、
 「団長始め満場皆さまの御熱誠なる折角の御推薦でありますから、喜んでお受け致します……」一同「有が難う御座います……」平沼団長「次に規則の一部変更に就て御協議を願ひます。会長推薦の結果当然変更すべきもの及び事務上の都合に依る一部変更であります……」
  第七条「本会ニ」の下に「会長一名」を加ふ
  第八条「主事」を「幹事長」に改むること
  第九条「本会ハ会長ハ修養団長之レヲ推薦シ、其他ノ役員ハ会長之レヲ依嘱ス」に改む
  第十一条但書「参百円」を「壱千円」に改め、「委員長」の上に「会長及ビ」を加ふ
 大橋新太郎氏「原案通り賛成いたします」
 - 第44巻 p.19 -ページ画像 
 満場異議なし
 平沼団長、それでは「原案通り可決確定いたします。」
 次に寄附募集に就て意見を交換し、最後に記念の撮影をなして、和気靄々裡に午後零時半散会した。
      後援会の経過報告
 此日は森村委員長が止むなき事情の為め半時間程遅刻されたので、議事の順序を変更し最後の予定であつた報告を初めにいたしたのであつた。第一に修養団に関する件は宮田常務理事より説明され、特に会館落成に関し感謝と共に其の概要を報告されたのであつた。次に余は後援会の経過と最近の情況とを略説し、後援会の事業は第一に修養団なるものの精神及事業を宣伝して、国家社会の為め緊切欠く可からざる倫理運動なる事を広く有識者に知らしむる事が第一要件である旨を述べ、斯くて共鳴せられたる方々を以て後援者となすに非ざれば永遠に生命ある後援者を得ることは困難なるのみならず、一般社会に行はるる寄附募集と同一視せられて、徒に誤解を招ぐに至る可き恐あるを力説し、為めに昨年以来各地に巡説し、講演会・講習会等を通じて其の目的の貫徹に努力せし所以を力説し、就中、融和講習会並に秩父セメント会社に於ける徹底的本団式講習に於て、偉大なる効果を奏した事例を紹介したのである。最後に五月一日より六月三日に至る満鮮支各地の活動状況を報告したのであつた。
 閉会後午餐を共にし四方山の談話に花を咲かし、矢野委員は近く国家の現状を国民に自覚せしむる為め、著書を公にせん考へなりと言はれ、時に諸井恒平氏も見えて講習会の成果予期以上なりし旨を告げられ、白土千秋氏は九州の国勢復興策を提唱さるゝなど、和気堂に満ちて明るき食堂はいやが上にも輝きを添へ、本会の前途を祝福するのであつた。(光村生)