デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
1節 実業教育
2款 東京商科大学 付 社団法人如水会
■綱文

第44巻 p.328-329(DK440073k) ページ画像

昭和6年1月(1931年)

是月栄一、社団法人如水会名誉社員ニ推薦セラル。


■資料

如水会々報 第八六号・第一―二頁昭和六年一月 渋沢子爵及白耳義国大使 本会最初の名誉社員に推薦せらる(DK440073k-0001)
第44巻 p.328-329 ページ画像

如水会々報 第八六号・第一―二頁昭和六年一月
    ◇渋沢子爵及白耳義国大使
      本会最初の名誉社員に推薦せらる
 本会定款に明示する如く、我如水会は商業の進歩発達を図ることと社員相互の交情を温め智識を交換するを以て目的と為し、其社員たる資格は東京商科大学及其前身並に附属諸校の出身者たる事を以てして居る。而して定款第十一条には更に名誉社員及客員の制度を規定して居るが、前者に就ては創立以来未だ一人も之を推薦する事が無かつた然るに昭和五年四月の本会定時総会に於て、右規定を活用し、十名以内の名誉社員を推薦する権限を一年間本会理事会に一任する旨決議したので、理事会に於ては爾来慎重に其人選に当つて居たのであるが、此度愈々議熟して不敢取二名推薦の事を決定したのである。
 かゝる問題に際して、第一に我々の念頭に浮ぶのは渋沢老子爵である。子爵眤近の人が云はれる如く、「子爵御自身は既に如水会員同様に考へて居られる」程、子爵と本会との関係は密接である。子爵が我国商業の進歩発達に如何に多大の貢献寄与ありたるかに就て、又本会の母体とも云ふ可き一橋学園の成育に如何に御尽力下されたかに就ては今更玆に呶々を須ひず、本会にとつても名付の親である事は此れ亦会員諸君既知の事実である。されば今更形式的に名誉社員等に御推薦申上げる事は如何なものか、何時迄も「名付親の渋沢さん」で宜いではないかと云ふ敬愛の情が期せずして一同の胸中に共通して居たので今日迄誰も敢て之を云ひ出さなかつたのである。
 然るに前記の如く、社員総会の決議で名誉社員を推薦する事となり若し其中から子爵を逸すれば折角の此の栄位、本会としての此の栄位が、誠に光なく力ないものになりはしないかとの懸念が抱かれるに至つた。そこで子爵としては却て御迷惑であるかも知れぬが、本会の名誉の為め、枉げて御承引相願ひ、筆頭に御推薦申上げる事としたのである。
 次に我一橋学園は、啻に我国商業教育の本流たるのみならず、特に国際通商の肝脳たる人士を産出したる事に於て誇る可き存在たるを確信するのである。白耳義国は商工の先進国、而して我国の商業教育、特に一橋学園に対しては最も親切なる先達の役目を尽して呉れたのである。我同窓の士は多く此学園に於てスタツペン、マリツシヤル、ブロツクホイス等同国教師の薫陶を蒙り、白耳義国の名は我等一同にとつて非常に親しみがあるのである。現在同国を代表して我国に駐在するド・パツソンピエール男爵は、在任既に久しく、現に駐在外交団の首席を占め、両国国交の為めに尽す事最も大なるのみならず、常に商業及商業教育を通じて彼我の親善関係を弥が上に増進せん事を念とせられ、我等の母校並に本会に対しては特別の関心好意を持せられて居
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たのである。今春母校学長及本会理事長に対して同国より高勲を贈られたる如きは偶々其片鱗を示したものと思はれる。如斯関係に在る白耳義国の代表にしてしかも個人的にも優れたる高潔の士たる同男爵は本会名誉社員として最も好適なる一人たる事を確信し、此度渋沢子爵と同時に推薦する事に決定したのである。
我如水会も創立以来既に満十六年、先輩諸君の努力が実を結んで、会運日に月に隆盛を加へ、同窓団体として最も結束強く、最も有力なるものと一般に識認せらるゝに至つた。社員相互の交情を温める事も勿論本会目的の一であるが、此の力、此の勢を最も有意義に国家の為め社会の為めに動かし用ゆる事を我々会員は常に念頭に保つ可きであらう。此意味に於て我等に力を添え勢を加へる事を快しとせられる人士は、仮令同窓に非ずとも或は名誉社員に推し、或は客員に迎へ、相伴に手を携へて本会目的の成就に向つて進む可きであらう。