デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
1節 実業教育
2款 東京商科大学 付 社団法人如水会
■綱文

第44巻 p.338-342(DK440076k) ページ画像

昭和6年10月(1931年)

是月政府、当大学予科及ビ付属商学専門部ヲ廃止セントス。栄一病気ノタメ、中島久万吉ニ阻止ニツキ尽力ヲ依頼ス。其結果存続ニ決ス。


■資料

東京商科大学予科専門部廃止反対書類(DK440076k-0001)
第44巻 p.338-339 ページ画像

東京商科大学予科専門部廃止反対書類    (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
    東京商科大学予科並に附属商学専門部廃止案反対声明書
      決議
  東京商科大学各部料聯合教授会は、光輝ある歴史を有し現に教育的効果の極めて顕著なる我が予科及び商学専門部の廃止案に対して、絶対に反対す
      理由
 東京商科大学は明治八年商法講習所の創設に濫觴を発し、爾来年を
 - 第44巻 p.339 -ページ画像 
閲すること玆に五十有七年。其の間常に商業教育の冠冕として幾多の人材を養成し、出でては海外貿易の実権を収め、入つては商業各般の統帥に任じ、以て邦家奎運の進展に寄与し、経世済民の実績を挙げたり。今や体制日に整備し内容月に充実して能く健全なる学風を樹立し予科並に附属商学専門部と相依り相輔けて渾然たる一大学園を形成するに至れり。豈図らんや今にして予科並に附属商学専門部廃止の提案に逢着せんとは。方今内外多事国帑窮乏を告ぐる秋、敢て其廃止に反対せんと欲する所以のものは、唯本学六十年の歴史に顧み国家教育の将来を思ふ時一片の衷情寔に黙止すること能はざるものあればなり。
 世或は言はん、曷ぞ本学に予科を特設するの要あらん、高等学校及び高等商業学校卒業生を収容して之に所定の教育を施せば則ち可なりと。嗚呼之皮相の見のみ。顧ふに現在に於ける高等商業学校は高等普通教育に於て間然する所甚だ尠からず。未だ以て本学に対する予備教育として適切なりと謂ふ能はず。況んや高等学校に至りては殆ど商業教育に対する一般的基礎観念を欠如せりと謂ふも敢て誣言にあらざるをや。是本学が夙に専属予科を設置して特殊なる雰囲気の中に優游涵泳せしめ、高等普通の学術を授くると共に商学研究に必要なる予備智識を与へ、玆に初めて本学所期の目的を達成し得る所以なり。若し夫れ他の単科大学に専属予科無きの故を以て本学亦斉しく之を廃すべしといふ者あらば、其は所謂劃一主義の弊に囚はれ角を矯めて牛を殺すもの其の愚や遂に及ぶべからざるなり。
 更に附属商学専門部に至りては、実に本学の前身たる旧東京高等商業学校の衣鉢を継承したるもの、大学の理論的なるに対して、専ら商業に必要なる実際的知識技能を授くるを以て目的とす。故に各独自の使命を有すと雖も両者は実に唇歯輔車の関係を有するものと謂ふべく後者の存せざるべからざるは猶前者の存せざるべからざるが如し。専門部の廃すべからざるは識者を俟つて始めて知る所に非ざるなり。況んや四百万の人口を擁する帝都唯一の官立高等商業教育機関たるに於てをや。
 翻つて思ふ、今次の廃止案が国費節減の為事情或は止むを得ざるに出でたりとせんか、而も猶六十年の光輝ある歴史を蹂躝し、予科及び専門部学生千三百の学園を奪ひ、商業教育の淵源を攪乱して政府支出金に於て贏ち得る所二科を通じて僅々八万円(備考参照)の少額に過ぎざるに至りては、其の得失果して如何ぞや。吾人は断じてかゝる暴案の実施せらるゝを坐視するに忍びず。切に当局の再考を希望し且世の識者に愬ふる所以なり。
  備考
   本学予算約五十万円中予科専門部に対する支出額約十八万円にして、其中授業料等収入支弁約十万円を控除すれば、政府支出金は僅に八万円を出でざることゝなる。
  昭和六年十月二日


東京商科大学予科専門部廃止反対書類(DK440076k-0002)
第44巻 p.339-340 ページ画像

東京商科大学予科専門部廃止反対書類    (渋沢子爵家所蔵)
    昭和六年十月六日午後五時入手之電報
 - 第44巻 p.340 -ページ画像 
 東京麹町区永楽町
  渋沢子爵
東京商科大学予科専門部ノ廃止ハ、実業教育ノ振興ヲ阻害シ、産業立国ノ精神ニ悖ル、其ノ存続ニ極力御尽力アランコトヲ懇請ス
                    神戸商業大学教授団
    昭和六年十月七日入手之電報
 東京滝野川西ケ原
  渋沢子爵
東京商科大学及ヒ専門部存置ニ就キ、首相文相蔵相ニ請願電報ヲ発セリ、今後共閣下ノ御尽力ヲ仰グ
                      如水会台北支部

    昭和六年十月七日入手之電報
 東京飛鳥山
  渋沢子爵
母校ノ急ニ際シ、連日ノ御配慮深謝ニ堪ス、尚ホ此上トモ御尽力ヲ仰グ
                      如水会神戸支部


如水会々報 青淵先生追悼号・第三〇―五三頁昭和六年一二月 青淵先生と母校 藤村義苗/;鴻恩を偲ぶ 堀光亀(DK440076k-0003)
第44巻 p.340-341 ページ画像

如水会々報 青淵先生追悼号・第三〇―五三頁昭和六年一二月
    青淵先生と母校
                      藤村義苗
○上略
 先生の商業教育に対する御助力は実に徹底したるものでありまして最近○昭和六年一〇月勃発したる文部省に於ける実業学務局の廃止並びに商科大学予科及専門部存廃問題に就ても、御老体であり御病後にも不拘、その解決につき非常なる御助力を賜り、先生の依托をうけて奔走せられた中島男爵より其報告を受けられた時には、御病気再発に外科手術を受けられたる時であつて御疲労中でありましたが、其順当なる解決に対し非常に御満足であつたと承るのであります。思へばこれが母校問題につき先生を煩はした最後のものでありまして、恐らくは一般社会問題に就ても御配慮下された事の最後のものであつたかと思はれます。
○中略
    鴻恩を偲ぶ
                               堀光亀
○中略
 昭和六年十月には申酉事件に比して優るとも劣らぬ一大災難が母校を見舞つた。突如として発表せられた商大予科及専門部の廃止案之である。一橋の天地は震駭した。乍併幸にして教職員・学生及如水会の一糸乱れざる結束成り、所謂一蓮托生的必死の奮闘は遂に能く政府当局の暴戻を挫いて九死一生を喰止め得たのであるが、此大事件の円満なる解決も亦間接に渋沢翁の御助力に俟つこと大なるものがあつたこ
 - 第44巻 p.341 -ページ画像 
とを忘れてはならない。十月三日、木村・内池・不肖の三名は藤村如水会理事長に伴はれて渋沢翁を飛鳥山に訪い事の急を訴へて御助力を乞ふたところ、翁は政府の処置に対して非常に憤慨せられ、若し健康さへ許せば自身出来る限りの奔走は吝まぬけれども、目下少々不例であるから自分の代理として中島久万吉男を煩はされたしとの御答であつたので、早速一同中島男を訪い、翁の旨を伝へて其快諾を得るに至つた。而して中島男の声望と文相及蔵相との親交とが本件を母校側に如何に有利に転換せしめ得たかは推測するに難くはない。斯くて十月八日蔵相は白紙に帰り、文相は責任を以て問題を行政整理から切離すことを誓言するに至つたので、週日に至る悪戦苦闘の夢も全く醒め、母校は未曾有の危機から免かれ得たのである。母校の育ての親である渋沢翁の御喜悦如何計であつたかは想像の外に出づるものがあつたであらう。
○下略


東京商科大学予科専門部廃止反対書類(DK440076k-0004)
第44巻 p.341 ページ画像

東京商科大学予科専門部廃止反対書類 (渋沢子爵家所蔵)
粛啓
陳者此度母校大学予科及商学専門部廃止問題に就ては、母校当事者は勿論我如水会に於ても問題勃発後直ちに緊急役員会及評議員会を開催実行委員を選挙し本部と各地方支部との聯絡を採り、該案の撤回に努力致候処、幸ひ貴台に於ても此運動に御賛翼被下、各方面に於て該案阻止の為めに御尽力を賜はり候こと感謝措く能はさる処に御座候
幸にして貴台の不容易御尽力其効空しからす、遂に当局の同感を得両部廃止案は今回の行財政整理案より取除かるゝ事と相成候段、一に御協力の賜に外ならすと厚く御礼申上候、乍略儀以書中御挨拶申上度如斯に御座候
尚ほ将来若し学制改革案等に於て本問題再燃致し候様の場合には重ねて御高援賜度御願申上置候 敬具
  昭和六年十月十二日
                社団法人如水会
                  理事長 藤村義苗
    子爵渋沢栄一閣下


東京商科大学予科専門部廃止反対書類(DK440076k-0005)
第44巻 p.341-342 ページ画像

東京商科大学予科専門部廃止反対書類    (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
粛啓、秋爽可人之好時節倍御健勝ニ被為渡候段奉恭頌候、然者今般東京商科大学予科及商学専門部廃止案ニ対する生等之行動に就き深甚なる御理解と絶大なる御援助を賜り、高庇を以て同問題も満足なる帰決を見るに至りたるを拝報するの光栄を荷ふを得るは、洵に欣快ニ堪へさる次第ニして、是れ偏ニ諸賢台御尽力御斡旋之結果と生等一同感劇拝謝罷在候、玆ニ不取敢書中御厚礼申上度如斯何分未熟者共ニ候へハ今後とも御指導御引立之程奉懇願候 敬具
  昭和六年十月十五日
                東京商科大学全学生々徒一同
 - 第44巻 p.342 -ページ画像 
    (宛名手書)
    渋沢栄一殿
        侍者