デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
1節 実業教育
13款 財団法人東京育英実業学校
■綱文

第44巻 p.505-512(DK440115k) ページ画像

昭和3年3月(1928年)

是ヨリ先大正十三年、当校ハ甲種商業学校トシテノ認可ヲ受ケ、是月ニ至リ第二校舎並ニ寄宿舎ノ建設ヲ完了ス。此ノ間栄一尽力スル所多ク、是月迄ニ総額五千五百円ヲ寄付シ、尚引続キ援助ス。


■資料

東京育英実業学校回答(DK440115k-0001)
第44巻 p.505 ページ画像

東京育英実業学校回答           (財団法人竜門社所蔵)
拝復 益々御清祥奉賀候、扨て御照会有之候当校の沿革其他に就ては別段印刷物も無之候に付、誠に不完全に候へ共概略を記載し御送り申上候間御入手下され度候 匆々
                     東京育英実業学校
    東京育英実業学校沿革
一、大正三年十一月四日、東京市外代々木二九一番地ニ育英実務学校(東京府認可)ヲ設立ス
一、大正八年現在ノ位置(渋谷区代々木初台町七〇八)ニ校舎新築移転
一、大正十三年四月十四日文部省ヨリ実業学校令商業学校規程ニヨリ甲種程度商業学校設立ノ認可ヲ受ク(同時ニ育英実務学校廃校)現在ノ財団法人東京育英実業学校ナリ
一、財団ノ理事及監事左ノ如シ
 指田義雄・諸井四郎・石坂泰三・渡辺得男・粕谷義三郎ノ五氏理事ニ、渋谷正吉・尾高豊作ノ二氏監事ニ就任ス
一、大正十五年理事長指田義雄氏死去セラル
一、昭和二年六月石坂泰三氏理事長就任
一、同十一年四月石坂泰三氏理事長辞任、尾高豊作氏理事長ニ就任ス
 本校設立ニ際シ大正七年ヨリ設立、経営其他ノ事ニ関シ故渋沢子爵ヨリ御援助ヲ蒙リタルコト非常ニ大ナリ
   ○右ハ当編纂所ノ問合セニ対シテ昭和十四年一月二十八日付回答セラレタルモノナリ。


諸会報告書(四) 【(印刷物) 東京育英実業学校の教育】(DK440115k-0002)
第44巻 p.505-509 ページ画像

諸会報告書(四)            (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
 - 第44巻 p.506 -ページ画像 
    東京育英実業学校の教育
 我国は今や各方面に於いて行きつまりの状態である。この事態をどうしたらよいのであらうか、その解決の道は結局人の問題に帰する。而して人物の養成は教育の力に俟たねばならぬ。今日思想界が険悪となり、経済界が不振の状態に陥りたるにつきては元より多くの原因が存するに相違ないが、一面に於いて国民素質の低下せることがその原因たることは否むことが出来ぬと思ふ。産業の不振の如きも強ち国民の技能が幼稚なるが為めではなくて、寧ろ誠意の欠乏から来るやうに思はれる。現代の人々は兎角遠大の理想を欠いて、其場凌ぎの糊塗主義に堕し、其状恰も飢えたる動物が共喰ひする如く、狡獪なるものゝ勝ちとなり、人々もそれを不思議と思はぬ様になつてゐる。正に之れ権利の目醒めと入れ代りに義の観念が根底から消え去つたのである。事態斯の如くなるに係らず国民は今猶何等適当に指導せられず、為政者は確乎たる方針を有せざる有様である。此の儘にして過ぎ行けば、外敵から侵略を受けずとも、国民の素質低劣のために萎微沈衰し行くより外はない。教育は日に月に普及しつゝありながら、国民の素質は低下するのみにして、向上の曙光が毫も見えぬではないか。然し乍らこれは寧ろ当然の事で国民造就の唯一の機関たる我国今日の教育は小学校から大学に至るまで、唯単に試験を目標に知識の詰込を能事とするのみで、人物養成に力を用ゐず、否反対に不良少年を簇出せしめて毫も顧みざる有様である。故に現在の制度のまゝでは人間の霊能は学校教育のために却つて圧迫を受けこそすれ、これによつて覚醒啓発の行はるゝ道理がない。教育益々普及して国民の素質は反対に益々低劣となりつゝあることは吾人の眼前に見る事実である。現在の教育方針を改めざる限り到底我国民を向上せしめ国家を立て直すことは不可能である。然らば如何にせば現代教育の弊を矯め人物養成の目的を達成して国民素質の陶冶と善導に資するを得べきか。事元より容易ではないが、吾人は以下記述する如き方法によつて多少とも現在の教育を改善し教育の使命を全うし得ると信ずる。而して是れ本校建学の趣旨に外ならぬのである。

 学校は其組織上最も有機的機能を有せねばならぬ。之れを人体に譬ふれば、人の首が勝手にすげ換へられぬ如く、一学校の校長は学校其ものと不可分で、その更迭など仮りにも考へられぬものである。次には人体に於て頭の頂から足の爪先きに至るまで血脈が通じてゐて身体全部鼓動を一つにする如く、一学校内師弟の関係は勿論、各教師間各生徒間に至るまで気脈一貫して活きた一団体とならねばならぬ。さうすれば自ら一の弾力あり特色ある気分が其学校全体に瀰つて、玆に始めて立派な校風なるものが生ずるのである。其校風が自然に生徒の上に働いて、陶冶訓練上尤も力強い働きを発揮する。かうなると学校は一の綜合生命体である。かくして其教育が有効ならぬ筈はない。本校は以上の趣旨を徹底せしむるため左の如き方法を試みてゐる。
 生徒数 学年を五学年に分ち生徒総数(五学級全部にて)を百五十名内外とす。而して途中退学者を生ずるとも補欠編入をせず、入学
 - 第44巻 p.507 -ページ画像 
は一学年級のみに限る。
 其理由は学校全体を最も緊密に統一あるものとし、師弟及生徒相互の間を渾然融和して恰も一家庭の如くならしめ、校風を純且つ力強きものとするためである。
 寄宿舎 一般の学校は一定時間各種の学科を講ずるだけで、放課後は全く自由放任の状態であるが、今日の如く誘惑の多き時代に於ては、学科以外に生徒の訓練を必要とするのである。そこで本校には寄宿舎を設けて校長夫妻生徒と寝食を共にして指導に力めて居る。但し現在寄宿舎の収容定員は約二十五名で、大部分は通学生である。
 当校寄宿舎の実状 普通一般に寄宿生活に於いては、三・四の親友を除いては互に親まず、廊下で出会ふても言葉も交はさざる程にて一旦業を了へて退舎したる後は、残る寄宿生中に知友なきため自然に足遠くなるを常とするが、当校寄宿舎は、一年級より五年級に至る全舎生が恰も兄弟の如く共に学び共に遊び、一家庭と全く同様であるから一旦業を了へて退舎した後も来り訪れるもの多く、舎生皆親しく之を迎へて恰も久し振りに兄弟一堂に会したるが如き有様である。だから卒業生は時々寄宿舎を訪ふを何よりの楽しみとして居る。かういふ中に寄宿生は自ら自治自律、情義友愛等の美徳を涵養する。
 当校は一般青年は国民教育若くは普通教育を了へたならば直ちに自立の道に志すべきことを主張する。
 今日多くの中等学校は、自校の教育そのものゝ内容価値の徹底とか自校の立場の独立的見識とかを考ふることを忘れて、只管その卒業生が多く上級学校に進入するを以て誇り否唯一目標とする傾向がある。今日に於て高等教育を受けねば生活上の地位を得ることが難いと考へ学校当局・為政当局に至るまで一緒になつて大学熱を煽るといふ状態である。
 之れが総ての学校を俸給生活者養成所にしてしまつて、やがて卒業生の売れ口に困り、社会としては益々知識階級の就職難として叫ばるるに至る所以である。されど本校の方針は之れと異り、総ての卒業生は一日も早く生産業務に従事して自己の独立を遂げ、国益を増進せんことを常に極力奨励しつゝあるのである。
 一体学校は人間の土台を築き、覚醒奮起を促し、志を立てしめるといふのが少くともその本務本領でなければならぬと思ふ。徒らに多くの知識を注入するを能事とするが如きは学校教育の本旨に反するものである。人間の土台が出来ても人の行く路は千条万枝千差万別であるから、大成を期するには各自内在の霊力に俟つより外はない。必要な知識は自学自修各自勝手に其志す所の方向に従つて到る所に求むべきである。即ち小学教育・中等教育を了れば直ちに各方面に進出して立派に大成し得べきものである。彼の独力にては最も困難と見ゆる学術方面に於てすら、自学自修の学者が往々却つて大学出の学者よりも非常に特色あり、異彩を放つて居るものゝ多いことは幾多の実例が示すところである。況んや其他の方面に向ふものに於ては尚更らである。
 当校は地方青年の為めに最も安全なる学校 地方青年が文化の中心たる帝都に憧がるゝは当然の事ながら、又同時にそこに恐るべき誘
 - 第44巻 p.508 -ページ画像 
惑の潜在するを思ふ時は、何人もその子弟を遠く手離すことに躊躇せざるを得ぬであらう。当校は位置を帝都に占めながら恰も都会より十数里遠隔の地に在るが如く周囲は極めて静寂で、身都会に在るを忘るるばかりである。生徒にも断じて不良分子などは無い。故に学校は確実に安全に父兄に代つて生徒の指導監督の任を果すことが出来る。当校は方針の一として特に地方青年の来り学ぶ事を希望する。都会に学びながらその悪風に染まず、卒業後郷里に戻つて堅実なる地方の指導者となり、地方発展のために尽し得る模範青年を造就するを目的とする。多くの地方青年は一度び東都に学ぶ時は、恰も鳥の巣立ちせると同様に永久に二度と故郷の人とならぬといふ風があるが、当校卒業の地方青年は皆郷里に帰つて其土地の業務に従事して地方人として活動して居るのである。
 研修制度 本校は学期末、学年末に試験を行はぬ。唯自学自修を奨励し平素不断の勉学を行はしむるために、一学期間数回乃至拾数回に亘り課題研修を行ふ。その目的とするところは元より試験考査ではなく、単に研究修行のためであるから、時々教室に於て又は宿題として応用問題を課して成るべく教科書を離れて自己発表を主とする答案を作成せしめる。一面にはその成績が進級の標準ともなる。
             東京府下代々幡町代々木初台
            文部大臣認可甲種商業 財団法人東京育英実業学校
                     校長 粕谷義三郎
     職員                 粕谷義三郎
     同            国学院大学 朝日重康
     同         東京高等商業学校 尾高豊作
     同              法学士 渡辺得男
     同             東京学院 鈴木祐男
     同              法学士 石坂泰三
     同              商学士 目沢掇三
     同           東京物理学校 中野徳三郎
     同             経済学士 西山雄一
     同              法学士 釜井盛四郎
     同           東京美術学校 井上恒也
     同            早稲田大学 玉手英三
     同              文学士 黒田英一郎
     同              林学士 深井五郎
     同         東京高等師範学校 村松重雄
     校医                 灰塚子之吉

     理事長            法学士 石坂泰三
     理事                 尾高豊作
     同              法学士 諸井六郎
     同              法学士 渡辺得男
     同                  粕谷義三郎
 - 第44巻 p.509 -ページ画像 
     監事                 渋谷正吉
     後援者
     評議員            法学士 石坂泰三
                        服部金太郎
                        原邦造
     評議員           林学博士 本多静六
                        堀越角次郎
     評議員                遠山元一
     評議員                大川平三郎
     評議員                尾高豊作
                        大倉和親
     評議員                大橋新太郎
     評議員            法学士 渡辺得男
     評議員                粕谷義三郎
     評議員                田中栄八郎
     評議員                植村澄三郎
     評議員                増田義一
     評議員                小池厚之助
                     子爵 渋沢栄一
                   工学博士 渋沢元治
     評議員                渋谷正治
     評議員                諸井恒平
     評議員            法学士 諸井四郎
     評議員            法学士 諸井六郎
                        森村豊明会


諸会報告書(四) 【(謄写版) 拝啓 高閣益々御清穆奉賀上候、東京育英実業学校につきては…】(DK440115k-0003)
第44巻 p.509-512 ページ画像

諸会報告書(四)            (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
拝啓
高閣益々御清穆奉賀上候、東京育英実業学校につきては従来一方ならぬ御同情を忝ふし、設立以来玆に十五年を閲し漸く自給自足の域に達し候事単へに御高庇による事と感謝罷在候、扨て今回第二校舎並に寄宿舎の建築に就ては又々多大の御援助に預り、御蔭を以て漸く校舎の完成を見るに至り学校の基礎一段と堅実を加へ候事、生等当事者として誠に感佩の至りに堪へす候、就ては工事の御報告を兼ね校舎の写真並に教育内容の概略を認め御座右に呈し候間御尊覧を賜はり度候、何卒将来共御同情御庇護を賜はり度偏に御願申上候 早々敬具
  昭和三年三月 日     財団法人東京育英実業学校
                    理事長 石坂泰三
                    理事  諸井六郎
                    同   尾高豊作
                    同   渡辺得男
                    同   粕谷義三郎(印)
    石坂泰三殿          服部金太郎殿
 - 第44巻 p.510 -ページ画像 
    堀越角次郎殿         遠山元一殿
    東京育英実業学校後援会殿   大川平三郎殿
    大倉和親殿          尾高豊作殿
    渡辺得男殿          植村澄三郎殿
    増田義一殿          松本留吉殿
    小池厚之助殿         三輪善兵衛殿
  子爵渋沢栄一殿          渋沢敬三殿
    渋沢秀雄殿          諸井恒平殿
    杉野喜精殿
(別紙、謄写版)
    昭和二年度第二校舎並寄宿舎新築工事会計報告
一金弐万九千七拾五円也
  内訳
 金弐千四百五拾参円九拾九銭    校庭及校舎敷地々均工事費
   再内訳
  金百拾七円弐拾銭         材木代(六口)
  金拾四円拾銭           防腐剤(二口)
  金弐拾九円拾八銭         砂・セメント及土管(三口)
  金四拾円             古枕木百挺
  金拾九円四拾八銭         金物(二口)
  金弐拾四円            芝及莚
  金四拾円             器具使用料(二口)
  金拾円              諸雑費
  金弐千百六拾円参銭        土工及植木職木職八百八十二人分(四口)
 金七千五百拾五円五拾壱銭      第二校舎新築工事費
          工事請負人領収書ノ通
 金壱千参百七拾五円七拾四銭    同上附帯工事費
   再内訳
  金百八円参拾六銭         材木代(四口)
  金参拾弐円拾銭          石・セメント(三口)
  金拾九円九拾八銭         金物(二口)
  金弐拾八円            竈修理費
  金百五拾弐円四拾六銭       電灯(三口)
  金百四拾弐円弐拾五銭       大工手間代
  金参百五円            井戸掘並タンク
  金参百参拾八円弐拾八銭      旧校舎一部修理
  金弐拾七円六拾銭         畳修繕費
  金百拾参円            技手手当
  金百〇四円八拾七銭        上棟式諸掛
  金参円八拾四銭          諸雑費
 金九千五百六円          雨天体操場新築工事費
           工事請負人領収書ノ通
 金五千九百参拾四円        寄宿舎新築工事費
           工事請負人領収書ノ通
 - 第44巻 p.511 -ページ画像 
 金壱千四百弐拾六円拾壱銭     同上附帯工事費
   再内訳
  金四拾壱円拾五銭         砂・セメント・土管(五口)
  金四拾四円七拾銭         旧校舎一部修理(三口)
  金百八拾参円九拾銭        土工七十八人分(三口)
  金弐百円             建築設計費
  金百拾四円参拾銭         上棟式費用
  金百参拾弐円四拾五銭       電灯費
  金六百六拾五円参拾壱銭      諸設費(十七口)
  金四拾四円参拾銭         諸雑費
 金八百六拾参円六拾五銭      昭和二年度維持費不足分ニ充当
右工事費ニ対スル寄附者芳名
 一金四千五百円也     増田義一殿
 一金四千五百円也     小池厚之助殿
 一金参千円也       大川平三郎殿
 一金参千円也       植村澄三郎殿
 一金参千円也       大倉和親殿
 一金弐千円也     子爵渋沢栄一殿
 一金弐千円也       服部金太郎殿
 一金壱千七拾五円也    東京育英実業学校後援会殿
 一金壱千円也       遠山元一殿
 一金七百円也       尾高豊作殿
 一金参百円也       堀越角次郎殿
 一金参百円也       渋沢敬三殿
 一金参百円也       杉野喜精殿
 一金弐百五拾円也     諸井恒平殿
 一金弐百五拾円也     石坂泰三殿
 一金弐百五拾円也     渡辺得男殿
 一金弐百五拾円也     松本留吉殿
 一金弐百円也       渋沢秀雄殿
 一金弐百円也       三輪善兵衛殿
  合計金弐万七千七拾五円也
工費金弐万九千七拾五円ニ対スル不足額金弐千円ハ借入金ナリ右之通候也
  昭和三年三月 日
(別筆)
    別口
一金壱千七百五拾六円弐拾五銭也   尾高豊作殿
右ハ旧校舎ガ大正十二年ノ大震災ノ際破損セシヲ今回尾高豊作氏ノ御寄附金ニヨリ完全ニ修理セシモノナリ 
         (粕谷)
          (印)
               財団法人東京育英実業学校
                    理事長 石坂泰三
                    理事  諸井六郎
                    同   尾高豊作
 - 第44巻 p.512 -ページ画像 
                    同   渡辺得男
                    同   粕谷義一郎(印)


諸会報告書(四) 【(別紙、謄写版) 財団法人東京育英実業学校々舎建築費並維持費 寄附金昭和三年三月現在累計金額及寄附者芳名録】(DK440115k-0004)
第44巻 p.512 ページ画像

諸会報告書(四)              (渋沢子爵家所蔵)
(別紙、謄写版)
    財団法人東京育英実業学校々舎建築費並維持費
    寄附金昭和三年三月現在累計金額及寄附者芳名録
一金壱万参千壱百円也    指田義雄殿
一金六千六百円也      増田義一殿
一金六千円也        小池厚之助殿
一金五千五百円也    子爵渋沢栄一殿
○中略
 合計 金七万七千参拾五円也
   ○栄一ノ寄付金額左ノ如シ。
    大正七年三月金千円、同八年十二月金千円、同十年十月金千五百円、同十五年六月金二千円、昭和三年五月金千円、計金六千五百円(粕谷義三郎氏談)



〔参考〕(粕谷義三郎)書翰 渋沢栄一宛昭和三年一二月一七日(DK440115k-0005)
第44巻 p.512 ページ画像

(粕谷義三郎)書翰 渋沢栄一宛昭和三年一二月一七日
                   (渋沢子爵家所蔵)
             (大字ハ別筆朱書)
             昭和三年十二月十七日
             東京育英実業学校粕谷義三郎氏
粛啓
時下寒気弥増し候処御機嫌如何遊はされ候や、過般御健康を害はせられ候ひしよりこの方一日も早く御回復あらせらるゝ様にと只管御祈り申居り候処、此頃洩れ承はり候処によれば昨今は殆んと御本復御元気に渡らせられ候御様子、邦家の為め真に之れに過くる幸福は無之候、申上くる機会を失し何とも恐懼致し居る次第に候へとも、過般は弊校のために特に深き御思召しを以て極めて意義深き勧学の句を御揮亳下され、弊校無上の光栄として感謝罷在り候、承はれは各方面より御揮亳依頼のもの数千に上るとの御事にて、小校の分は順序として遠き将来に望みを属し候を、何の幸ひか逸早く御見事なる御揮亳を賜はり全く夢の如く歓喜措く処を知らざりし処に候、自今此校に集まる無数の青年が閣下の厚き御慈愛に浴するを得るを思ひ候て、何たる光栄ぞと只管感涙に咽ひ申候、弊校は程度は中等学校に候へとも元来完成教育を旨とする家塾的の学校に有之、只今生徒は五学級にて全員百名に御座候、校内和気靄々として家庭的に御座候、卒業生も既に五十名に達し、目下第一銀行・武州銀行・第一生命相互会社・三菱商事・服部時計店等に就職致し居り候、又家庭に止まりて働き居るものも多数有之候、尾高豊作様も毎週一回常識講座を御担任に相成御熱心に御助力下され居り候、先は御厚礼旁御報告申上度時節柄邦家の為め弥か上にも御尊体御大切に遊はされ度御祈り申上候 頓首
  昭和三年十二月十七日           義三郎(印)
    子爵渋沢御老台
          閣下