デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
1節 実業教育
15款 旅順工科大学
■綱文

第44巻 p.526-531(DK440119k) ページ画像

大正13年12月(1924年)

是年十一月、当大学ノ廃止問題起ルヤ、校友等旅順工科大学存続同盟会ヲ組織シ、満洲技術協会等諸団体ト連繋シテ之ヲ阻止セントス。栄一之等ノ懇請ヲ受ケ、日華実業協会ヲ通ジテ諸方ニ斡旋ス。是月、存続ニ決ス。


■資料

支那関係諸方往復(一)(DK440119k-0001)
第44巻 p.526 ページ画像

支那関係諸方往復(一)          (渋沢子爵家所蔵)
    大正十三年十一月廿四日入手電報
 東京
  渋沢子爵
                   大連ニテ
                      満洲技術協会
特殊使命アル旅順工科大学ヲ今俄ニ廃止スルハ其設立趣旨ヲ忘却シ、対支関係ニ悪影響ヲ及シ、殊ニ満蒙ノ産業的開発ニ支障ヲ来スモノニ付、之ヲ存続セシムル様特ニ御配慮ヲ仰ギタシ


支那関係諸方往復(一)(DK440119k-0002)
第44巻 p.526-527 ページ画像

支那関係諸方往復(一)         (渋沢子爵家所蔵)
    大正十三年十一月廿六日
            (ゴム印)
            東京市神田区中猿楽町十五番地
                 財団法人日華学会
                 電話四谷五三〇八番
 渋沢事務所 明六
  増田明六殿 白石
拝啓、貴所ニ於テ御話有之候旅順工科大学廃止問題ニ関シテハ、当日直ニ関東庁西山事務官ニ面談ノ結果大体左ノ如キ要領ヲ得候
 明治四十二年旅順工科学堂ナル専門学校創設サレタルガ、大正十二年四月大学令ニ拠リ組織ヲ改メテ旅順工科大学トナリ、同時ニ予科ヲ開設セリ、又大正十一年八月同大学予科ニ入学スベキ中国学生ノ為メニ予備科ヲ開始セリ
 工科学堂創立ノ当時ハ専ラ日本人学生収容ノ目的ナリシモ、時勢ノ進運ニ応ジ大正十一年ヨリ中国学生ヲモ収容スル事トセリ
西山事務官ハ其ノ立場ヲ顧慮シテ敢テ明言ヲ避居候モ、交談ノ間大学廃止ノ理由ハ左ノ諸点ニ要約サルヽ様推察被致候
 一、関東庁財行政ノ緊縮
 二、日本人学生ニシテ最高ノ技術教育ヲ受ケントスル者ハ態々満洲迄出掛ル要ナカルベシ
 三、中国人ニシテ最高ノ技術教育ヲ受ケントスル者ハ、日本ニ留学(在日本ノ帝大等ヘ)スル方却テ其目的ヲ達シ易カルベシ
尚廃校ニ伴ヒ何等カノ形式ニテ、現在学生ノ善後処致《(置)》ヲ講ズベキハ勿
 - 第44巻 p.527 -ページ画像 
論ノ由ニ候
右不取敢御報告申上候 敬具


支那関係諸方往復(一)(DK440119k-0003)
第44巻 p.527 ページ画像

支那関係諸方往復(一)         (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
    御依頼
政府ガ今次突然旅順工科大学廃止ノ意ヲ発表シマシタ、是ハ単ニ教育上由々敷問題デアルノミナラズ、一種ノ社会問題デアリ、更ニ同大学ガ満洲ノ地ニ在リ日支国際信義、帝国対外国策ノ変更等ノ重大意義ヲ有スルモノト認メラレマス結果、廃止反対、絶対存続ハ吾々在満邦人ハ勿論、国民トシテモ当然主張スベキモノト存ジ、玆ニ別冊要旨○略スニ依リ極力廃止反対運動ヲ致シツヽアル次第デ、国家将来ノ為何分各位ノ御静察ト御意見ノ御発表トヲ御願致シマス
                 旅順工科大学存続同盟会


支那関係諸方往復(一)(DK440119k-0004)
第44巻 p.527-529 ページ画像

支那関係諸方往復(一)        (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
    旅順工科大学存続運動参考資料
一、旅順工科大学は前身工科学堂として明治四十二年五月勅令第三十三号を以て設置せらる。
一、旅順工科学堂は機械・電気・採礦冶金の三科を置き、各科の収容学生を四十名内外とす。
一、旅順工科学堂は中学卒業生中の成績優秀者を詮衡採用し、中華民国人をも収容す。
一、大正十年度迄に九回の卒業生を出す。
一、大正十一年三月時勢の必要に応じ勅令第百六十号に依り昇格し、及旅順工科大学となす。
一、旧旅順工科学堂の学生は工学専門部に収容し、大正十二年十二月迄に二回の卒業生を出す。
一、卒業生の総数は六百九十七名、其内日本人六百八十五名、中華民国人十二名とす。中華民国は主として大正十二年の卒業に依る。
一、最近に於ける卒業生の分布は次の通り
   海外四百三十四名(六四%)日本内地二百六十三名(三六%)
  海外に於ける内訳次の通り
   満洲     二三〇名   五五%
   朝鮮      五六名   一三%
   満洲以外の支那 四九名   一二%
   台湾      二八名    六%
   樺太      二五名    五%
   南洋外国其他  四六名   一一%
    計     四三四名
一、旅順工科学堂及大学設立の主旨
  日華両国民に工業教育を施し、日本の勢力及技術に依り日華協同支那工業を開発す。
 - 第44巻 p.528 -ページ画像 
一、大学は六年とし予科三年本科三年とす、中華民国人に対しては語学素養を附与する為め予備科を置く。
一、大学に入学し得る者は予科卒業生並に高等学校を卒業したるもの及び関東長官が之と同等以上の学力ありと認めたるもの。
一、大学には機械・電気・採礦及冶金の四科を置き別に研究科を置く本大学の卒業生は学士号を附与す。
一、大学予科は三年、予備科は一年とす、大学予科に入学し得る者は入学試験合格せる者、高等学校高等科に入学の資格を有する者及関東長官が之と同等以上の学力ありと認めたる者
  予備科に入学し得る者は入学試験に合格したる者、中華民国中学校を卒業したる者。
一、工科学堂及び工科大学は卒業後特に支那に於て活動するを目的とし、三個年間支那語を課す。
一、現在の在学生は左の通り

   学校     学年数   日人  華人   計
   工学専門部    二  一四二  二九  一七一
   大学予科     二  一四八  三五  一八三
   附属予備科    一    ―  五一   五一
     計      ―  二九〇 一一五  四〇五


一、在校中華民国学生出身省別左の通り
   関東州   二  奉天省  六〇  吉林省  一七
   黒竜江省  二  北京    二  直隷省   三
   山東省   四  安徽省   三  江蘇省   一
   河南省   三  湖北省   一  湖南省   一
   浙江省   一  福建省   一  広東省  一二
   広西省   二(外ニ台湾一、朝鮮一)
一、過去十五年間に於ける工科大学総経費は約六百余万円にして、内訳左の通り

  費目           総額
   経常費        四、三五〇、〇〇〇円
   諸建築費       一、〇〇〇、〇〇〇円
   機械並諸設備費      九五〇、〇〇〇円
      計       六、三〇〇、〇〇〇円

  但し建築及設備費は主として明治四十二年より大正二・三年頃に於けるものにして現在新たに之を施設するとせば約此二倍となる見込。
一、大正十四年度に計上せられたる関東庁予算総額一千八百万円中工科大学に関するもの
   経常費    五九七、三四五円
   臨時費    二四八、三九〇円(大学昇格の為め)
    計     八四五、七三五円
一、旅順工科大学廃止案に対する政府の説明
 (イ)政府の方針として海外に斯の如き学校を存置する必要を認めず、旅順工科大学は好況時代に濫設せられたるものゝ一なり
 - 第44巻 p.529 -ページ画像 
 (ロ)財政緊縮の時代に際し無用のものは廃止を妥当とす。
 (ハ)大学本科の学業を初めざる目下は、廃止の最好時期なり。
 (ニ)廃止後に於ける学生の処置に就ては未だ決定せず(十二月二日首都官邸に於て江木官長説明)
一、存続必要の理由
 (イ)旅順工科大学の廃止は帝国の満蒙開発の大方針に戻り、明治以来の国策に反し恐れ多くも明治大帝の御偉業に背くものと認む。
 (ロ)旅順工科大学の廃止は海外に於ける日本の威信を損し、日華国際信義を破り列国環視の間に恥を中外に晒し、併せて満蒙の日本勢力に代ふるに欧米列強の勢力を以てする危険あらしむるものと認む。
 (ハ)十五年の歴史、六百余万円の投資、在学生五百名の将来は之を廃止するには余りに重大なる意義あるものと認め、又工科大学卒業生の活躍は日華共存共栄、対支工業的開発に対し帝国として絶対必要の価値を有す。
 (ニ)僅かに八拾万円の経費節減は本大学の価値滅却に対する代償としては余りに少額なり、政府の所存奈辺にありや。
 (ホ)一度廃止せんか再び之を起すは殆と絶対困難なるべし。
 (ヘ)政府は在学生善後所置として高等学校に改正の案を有すと聞くもこれは夫自身を以て学業を完成せず、之を特に此の際工科大学を廃して迄も満洲に置くの意義を認めず、橋を毀ちて渡しを置くものと云ふべし。
一、政府並に国民は存続の必要を自覚し、永久経営の大方針を定むるを要す。(完)
  大正十三年十二月三日      旅順工科大学存続同盟会


支那関係諸方往復(一)(DK440119k-0005)
第44巻 p.529 ページ画像

支那関係諸方往復(一)         (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
    旅順工科大学存続ニ対スル朝野ノ意見
              (十二月一日 着京後各日ノ分)
○上略
渋沢栄一子爵 十二月十一日 午後二時自邸ニテ
 本問題ノ起ツテ以来非常ニ心配シテヰル、特ニ各種対支事業ニ関係アルノデ、関東庁ヤ内閣ニツキ色々取調ベテ其成行ヲ案ジテヰル、日華実業協会ハ明日幹事会ヲ開イテ再ビ政府ニ向ツテ存続ノ請願ヲナス筈デアル(馬場・河村委員)
○下略


支那関係諸方往復(二)(DK440119k-0006)
第44巻 p.529-530 ページ画像

支那関係諸方往復(二)         (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
    旅順工大存廃問題の経過を略叙し
    大方各位に感謝の微衷を捧ぐ
 曩に旅順工科大学存廃問題の突発するや、之が廃止反対の声忽ちに
 - 第44巻 p.530 -ページ画像 
して全満洲に起り、次で之が中央の政治問題と化するに及び、政府は遂に意を翻して昨二十日の閣議にて愈々絶対存続を決するに至れり。之れ偏に大方諸賢の深甚なる御同情と多大なる御援助の賜にして、生等一同感激に堪へず、深く肝銘して忘るゝ能はざるところなり。
 顧るに去月十八日、当大学神谷教授は井上書記を帯同急遽上京せらる。卒業式も目捷に迫れるに其用務を告げずして上京せらるゝは何事ならんと一同不審の念を抱き居たるに、越えて二十日遼東新報は其夕刊を以て突如として工大廃止の東電を報ぜり。これ生等には実に晴天の霹靂なりしなり。翌廿一日午前岡野教授関東庁に長官を訪ひ該記事の真偽を確め事の真なるを報告せられたるより、生等は奮然起つて此暴案阻止の運動を開始するに至れり。即日職員生徒の委員は文を草して当局要路並に在京有識者に打電懇請の準備に着手し、翌廿二日朝之を完成し発送したり。同日事の急なるに驚愕せる旅順市民有志諸士並に在大連卒業生の来校せるあり、期せずして内外の躍起となり存続運動は開始せられたるなり。大川旅順市長代理の激電は大連・営口は固より、遠く長春・哈爾賓の居留民団にまで飛びしものゝ如く、各地の同胞は夫々居留民大会を開催し、各其決議を以て関東長官並に中央政府に主張請願するところあり、旅順の如きは其市民大会を開くこと実に前後三回に及べり。学生の運動は悲痛の中にも常に分を守り礼を失はざらん事を期せり。かくて学生は長官に懇願すること数度、遂に資を醵して十数名の委員を上京せしむ。卒業生も亦本部を大連に設け各地の支部と相呼応し、必成を期して活躍し長官に面接して懇願すること一再ならず、夙に数名の委員を上京せしめ中央に於て学生委員と共に不屈不撓の活動を為さしむ。在満同胞は八方より長官の上京を請ひ親しく政府に折衝せられんことを懇望せしも更に容れられず、漸く廿六日に広瀬局長の上京を見るに至れり、されど関東庁は著々廃校の準備を急ぎたるものゝ如く、二十八日には生徒父母の旅順在住者を招集して廃校の止むなきを宣明し、終に本月四日長官より工大存続は到底其見込無きを以て、新に高等学校の創立に尽力する旨を声明せられたり、然りと雖も生等は当初より正義と信ずる絶体存続論を飽まで高唱し、或は上司に懇請を重ね、或は先輩に助力を求め、一歩も進路を曲ぐること無かりしが、至誠天に通じたるならんか、在京の当大学商議員、工政会員各位並に多数有識者の絶大なる援助を受け、枢密院・貴衆両議院大多数の支持を得たるにより、局面漸く政治問題化するに至れり。此に於て政府も更に考慮を加ふる要ありとなし、児玉長官も亦漸く内外の形勢を看取せられたるものゝ如く、本月十一日旅順発、十四日着、即日より政府要路と熟議を重ね、存続の必要を主張せられたる結果、遂に十八・二十両日の閣議を経て、旅順工科大学は永遠に存続することゝなり、玆に再び光風霽月の下に大方各位と相見ゆるを得るに至れり。
 後日更に改めて経過の詳細を具し清鑑に供せんとするも、今玆に其推移の梗概を叙し、大方各位に正義の喜悦を分ち、更に満腔の感謝を捧けんとすと云爾。
  大正十三年十二月二十一日    旅順工科大学存続同盟会
 - 第44巻 p.531 -ページ画像 

日華実業協会往復(一)(DK440119k-0007)
第44巻 p.531 ページ画像

日華実業協会往復(一)          (渋沢子爵家所蔵)
  十二月廿三日着電
渋沢会長宛 卒業生一同
 「閣議ニテ旅順工科大学存続ニ決定ス邦家ノタメ慶賀ニ堪ヘス玆ニ閣下ノ不断ナル御尽力ヲ深謝シ尚今後ノ官制ニツキ一層ノ御援助ヲ願フ」
  十二月廿三日着電
日華実業協会宛 同志会
 「閣議ニテ旅順工大存続ニ決定ス邦家ノタメ慶賀ニ堪ヘス玆ニ貴会ノ不断ナル御尽力ヲ深謝シ尚今後ノ官制ニツキ、一層ノ御援助ヲ願フ」