デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
2節 女子教育
1款 日本女子大学校
■綱文

第44巻 p.608-609(DK440160k) ページ画像

大正8年1月26日(1919年)

是日栄一、当校教授兼付属高等女学校主事松浦政泰ノ追悼会ニ出席シ、追悼ノ辞ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 大正八年(DK440160k-0001)
第44巻 p.608 ページ画像

渋沢栄一日記 大正八年         (渋沢子爵家所蔵)
一月二十六日 晴 寒
○上略 午後二時女子大学ニ抵リ松浦教授追悼会ニ出席シ、追悼ノ辞ヲ述フ、後成瀬氏ノ病牀ヲ訪ヘ○下略


集会日時通知表 大正八年(DK440160k-0002)
第44巻 p.608 ページ画像

集会日時通知表 大正八年        (渋沢子爵家所蔵)
一月二十六日 日 午後一時 松浦教授追悼会(女子大学)


竜門雑誌 第三七一号・第五七―五八頁大正八年四月 ○故松浦教授追悼会に於て(DK440160k-0003)
第44巻 p.608-609 ページ画像

竜門雑誌 第三七一号・第五七―五八頁大正八年四月
○故松浦教授追悼会に於て 左は一月二十六日日本女子大学校に於て挙行せる同校教授兼附属高等女学校主事松浦政泰氏追悼会席上、青淵先生の述べられたる追悼辞にして、同校桜楓会発行の「家庭週報」(二月五日)より転載せるものなり。
 只今かゝる嘆かはしい事を申上ねばならぬ事に立到つた事は誠に残念の至りであります。凡て逝く人を追悼するのは哀しみに堪へぬものでありますが、殊に私の如き老耄のものが、最も世の中に於て而も教育界に於て重大な力を持つ松浦君を五十六歳にして失ひ、それを八十歳の老人が送るといふ事は実に感慨に堪へない事であります私は松浦君の性行家庭の模様等は今日始めて村田君の御話で承知いたしたのであります。私は今日無職の暇人でありますが、今迄の長い歳月の間には実業界に這入つて居ましたから、実業界の事に就ては多少知つて居りますが、教育界の事に対しては屡々接触しても真底を知る事は出来なかつたのであります。かく親みには乏しいが併し日本今日の進歩は偏に教育の力であるといふことを私は信ずるに難くないのであります。若し教育界に於ける先輩諸氏がなかつたら決して今日の日本はかく迄進歩しなかつたらうと思ひます、殊にこの女子大学の創立の頃より成瀬校長が婦人の教育、殊に而も高等の教育に重きを置かるゝに至つて、私共は微力ながら聊か経営に就て力を致して来たのでありますが、併しその教育はよい教師があつて始めてなし得たので、君の如く学識あり人格あり胸中さながらの玉の如く玲瓏にして平和に、且つ教育に熱心であつた方があつてこそ今日の結果を見る事が出来たのであります。然るにかゝる教師を失つたといふ事は、実に本女子大学のために歎かはしい事であります
 - 第44巻 p.609 -ページ画像 
教育家ほど世のために力の強いものはない、又その行き渡る関係の大なるものはありません。然るに私は一般の社会から教育家のうける待遇が非常に薄く少いといふ事を感じます。まだ今日の一般社会が教育を重んずる事の少いのは国の風習の然らしむる所と思ひますが、とにかく、教育家は国家のため非常に必要だといふ事を平常から適切に感じてゐると同時に、かゝる教授を失つた事に就て猶一層感慨に堪へぬ事を一言申述べて霊をまつるのであります。