デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
2節 女子教育
1款 日本女子大学校
■綱文

第44巻 p.609-615(DK440161k) ページ画像

大正8年1月29日(1919年)

是日、当校校長成瀬仁蔵自ラ病ノ癒エザルヲ知リ、生徒及ビ学校関係者ヲ講堂ニ集メテ訣別ノ辞ヲ述ベ後事ヲ託ス。栄一出席シテ答辞ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 大正八年(DK440161k-0001)
第44巻 p.609 ページ画像

渋沢栄一日記 大正八年         (渋沢子爵家所蔵)
一月二十二日 晴 寒
○上略 午前女子大学ニ抵リテ成瀬校長ノ病ヲ訪フ○下略
   ○中略。
一月二十四日 曇 寒
○上略 午飧後日本女子大学ニ抵リ森村氏ト同シク成瀬校長ノ病ヲ訪フ、種々ノ協議ヲ為シ、尚明日モ会合ノ事ヲ約シテ散会ス○下略
一月二十五日 雨 寒
(欄外)
 午前十時女子大学ニ抵リ、大隈侯、久保田・森村両男ト共ニ成瀬氏ノ病気ヲ訪ヒ、種々協議ヲ為ス
   ○中略。
一月二十八日 晴 寒
○上略 午前九時日本女子大学ニ抵リ成瀬校長病気ニ付将来ノ措置ニ関シ大隈・久保田二氏及麻生・堤等《(塘)》ノ諸氏ト協議ス
○下略
一月二十九日 半晴 寒
○上略 午後二時女子大学ニ抵リ校長ヨリ生徒一同ヘ病気ニ付テノ告別的演説ニ参席ス、大隈侯ト同シク一場ノ意見ヲ生徒ニ訓示ス○下略


集会日時通知表 大正八年(DK440161k-0002)
第44巻 p.609 ページ画像

集会日時通知表 大正八年         (渋沢子爵家所蔵)
一月廿八日 火 午前九時 女子大学校評議員会(同校)
一月廿九日 水 午後二時 女子大学校ヘ御出向


竜門雑誌 第三六九号・第六三頁大正八年二月 ○成瀬女子大学校長告別式(DK440161k-0003)
第44巻 p.609-610 ページ画像

竜門雑誌 第三六九号・第六三頁大正八年二月
○成瀬女子大学校長告別式 本社特別会員、女子大学校長成瀬仁蔵君は病気の為め過般同校評議員の手許迄辞表を提出せられしかば、大隈侯・青淵先生其他の評議員諸氏は右に関する評議員会を開きて其留任を勧誘せるも、成瀬君の辞意切なるものあり、依りて再び評議員会を開きて協議の結果、成瀬君の推薦に依る本社特別会員、現学監たる麻生正蔵君を後任校長に定むる事に決したるも、万一の事ある迄、成瀬
 - 第44巻 p.610 -ページ画像 
君の職名は現在のまゝ保留し、其間麻生君をして校長の実務を執らしむる事となれる由にて、成瀬君は一月二十九日同校千余名の生徒を大講堂に集め、前記評議員諸氏列席の席上、病躯を壇上に運びて一場の告別辞あり、大隈侯・青淵先生亦立つて同君の功績を推奨せられたりと云ふ。


家庭週報 第五〇二号大正八年二月五日 我が継承者に告ぐ 一月廿九日午後、母校講堂に於て教職員並に母校の娘に後事を嘱す 日本女子大学校々長 成瀬仁蔵(DK440161k-0004)
第44巻 p.610-615 ページ画像

家庭週報 第五〇二号大正八年二月五日
    我が継承者に告ぐ
      一月廿九日午後、母校講堂に於て
      教職員並に母校の娘に後事を嘱す
                  日本女子大学校々長 成瀬仁蔵
△先生の御話 によると昨年九月頃から健康を害しておいでになつたにも関らず、先生は極力婦人の覚醒を促しつゝけふに及ぶ迄奮闘の生活をお続けになつて居ります。其間先生は恰も病を忘るゝかの如く、又周囲の人々も、その御奮闘振りに接して先生がかばかりの不治の病を懐いて御いでにならうとは夢気づかなかつたのでございます。
 然るに旧冬二十八日の教育会議を終り、二十九日から静養の目的で暫く国府津においでになりました、其の一月四日の夜俄かに腹痛が起つて非常にお苦しみになつた後――その時は隣の大隈侯爵別邸から医師を迎へて診断を乞ひ、一時痛みは止りましたが――其の頃から一層病勢を進めたらしく、六日に御帰京になつた後もいつもの御元気に回復せられぬのみならず、漸次御衰弱が見えるやうになりました。先生は密に高木博士の診察を受けて御いでになつたとの事でありますが
△十五日頃から 先生のお顔には益々御疲労が見えて、或は黄疽などではあるまいかと、周囲の人々が気遣ふやうになりました。高木博士と二木博士、平井赤十字病院長の診断は先生の御病気は肝臓の肉腫或は癌であることを明かにされました、それは二十三日でした。本文先生の御話にあるやうに、この病気は肉腫か癌か何れにしても医術の及び難いものとなつて居ります。かくて先生は不治の病に面して更に更に婦人の覚醒、母校の将来に就て捨て置き難き先生の義務と御自覚なさるゝことに向つてその完結に急がれました。
△御病状と後事 を依嘱さるゝ用意の出来た二十九日、初めてこの御病状について校内一般及び桜楓会員に対して御発表になり、且つ母校将来の大方針について巨細に亘る訓辞がありました。蓋しこれは先生が講堂に於て母校の娘に与へらるゝ恐らく最後の遺訓となるものかもしれませぬ。
 一時医師が病床を離れるさへ禁じたほど或は危い容態であつた先生が、枕頭に人々を集めて重要なる事柄を議せらるゝことさへあるに、尚且つ病躯を押して講堂に出で、教職員及び学生、卒業生に送別を意味して最後の訓辞を与へたいといふ御希望を聞いた時、否当日初めて衰へた先生の御容姿に接した時、驚きと悲しみとに満たされて、誰れか肺腑をえぐらるゝ思ひのないものがありませうか。○中略
△かくて先生 は一時間余に亘るるお話をお続けになりましたが、医者はその間少しもお元気に変りなくお脈さへ少しも乱れなかつた事を
 - 第44巻 p.611 -ページ画像 
いつて感服して居られました。その夜又その翌日も御疲れが出るかと思つたことも、周囲の者の杞憂になつたやうな幸でありましたが、ああ併し御病気そのものは如何ともすることの出来ないのを母校の娘等はわがこの母校の為否邦家のために悲しんで居ります。
 併し先生の態度は実に達観されたもので、如何にも死に面して泰然自若とは先生にして初めて私達に示されるのであります。私達は今更悲しんでばかり居る事を許されないのであります。先生の訓辞はこの時に於ても同じく私共婦人に立てよ、立てよと導き励まさるゝのでありました。
 この声は恐らく私達終生の警醒でありませう。一粒の麦地に落ちて其所に生るゝ多くの新なる生命といふことを今まのあたり示さるゝかのやうでございます。(編者)
       ×
 まことに御面倒をかけまして且つ御心配をかけてすみませんが、本校の将来に就きまして重要な事柄を一言あなた方に訴へて置きたいと思ふではない――これが私の義務であると感じまして、良心の命令に従つて最初に先づ私の病状につき、且つ後事を依嘱するに就いての用意が出来ましたら、もう一度――ではないこれから機会さへあれば何度でも――お目にかゝつて、直接諸子に申して置きたいと思ふことがあります。それについて渋沢男爵・大隈侯爵、皆さん非常に御壮健でありますが、皆私より御老体のお方々が、非常に私の此身体で此所に立つことを御心配下さつたのでありますが、高木博士・二木博士及び大学病院分院の医局長矢田医学士等が『けふは我々が附いて居つてやるから』というて下さつて、皆さんも先づ御安心下さつてお許しが出た訳であります。斯うして皆さんがいろいろ御尽力下さつたお蔭で、私の病気がその後進まずして今日こゝに出ることが出来ましたのは深く感謝するのであります。この外にまだ御礼を述べねばならぬことはいろいろありますが、それ等は今は省いて出来る丈大事な事だけ申さうと思ふのであります。で極平気に又平日と少しも違はないやうに且つ成可談話体にボツリボツリとお話をします――それでいくらか時間がかゝりますが、その代り私の身体には少しも障らずにお話をいたすことが出来ます。――○中略
 私は今日の会は今から八年前――大正元年――に私が欧米を漫遊するについて皆さんと送別会を開いて、さうして留守中のことを皆さんにお願ひいたしましたが、今の私の心持はその時の心持と同じことでこの会はその送別会である心持で後事を先輩の方々にお願ひし、又諸子には能く留守をして貰ひたい、能く此の理想目的を達成して貰ひたいといふことをお願ひして置きたいといふのがこの会の私の心持、又この満堂の気分であります。さうして今先輩たる教務委員、大隈侯爵、久保田男爵、財務委員、渋沢男爵・森村男爵に私の考へをよく御了解いたゞき、又快く御承諾いたゞいたことは私は実に難有感謝に堪へないのであります。それで今度は諸子に云つて置きたい箇条をこれから御話し致します。此の箇条書は最初私が渋沢男爵にお目に掛つて後事を御依嘱したものと同一のものであります。さうして又これは評議員
 - 第44巻 p.612 -ページ画像 
方皆さんの全部御承認になつたものであります。故に私は実に歓喜措く所を知りませんのであります。今これを朗読いたしますから、諸子も共同一致此の折角築き立てた事業を発展改善するの責任を分担して皆さんが相共同して此事業を成就して貰いたいのであります。
  ――朗読――
 今回不治の病気に罹り候事、各位に御心配相掛け候へ共、自分に於ては四十年来の宿志に殉ぜし確信を以て秋毫の怨みも無之、一身上に就ては有限の肉体を離れて無限の生命に入るの日も遠からざるべしと覚悟罷り在り候て心中何等の不安を覚えず候。本校の事業に就ても十又九年間評議員各位の多大なる御尽力によつて今日の規模を見るに至りたる事、衷心感謝に堪へざる所に有之候。而し未だ当初計画の半にも達せずして、之れを後継者に引継ぐは甚だ遺憾に思ふ処なれども、現在の基礎の上に漸次発展の道を策することは、評議員各位及び後継者諸氏の努力を惜まれざるべきを信ずるが故に、左に将来の計画に就て自分の懐抱せる希望の要点を挙げて御審議を乞はんとす。
   学校組織の事
 一、設立当初の目的に基づき専門学校の現制を改め、綜合大学の組織に進むるの時機に到達せるを信ずるを以て此の際十年計画を以て之れが実行を策すること。
 一、先づ第一に本校内の閲歴と設備に考へ、又社会の情勢と要求に鑑み、家政大学を設立するを適当の順序と認め、漸次文科・医科に及ぼさんことを期す。
 一、之れが準備として適当の資金を募ることを急務とす。之れは従来多大なる御助力を賜はりし評議員各員の御援助に待たざるべからず。
   教育の精神的基礎に関する事
 一、校内に於ける精神教育の基礎は従来自分の主力を傾倒して培養したる生命なれば、後継者に於て一層鞏固に確立するやう努力せられんことを切望す。
   右二項に就ては幸に評議員各位の是認賛同を得て、此の際其の計画方針を決定せられんことを切望す。
 次に私の後継者に関する件 此の後継者に関して問題が起ることゝ思ひます。それは後継者を内に求むるか将又外に求むるかといふ問題であります。私は今日、母校の此の一大家族のメンバースを皆ここにお出でを請うて、これを外に求めませうか、或は内に求めませうかというて、投票を行うて諸君の意見を求めたならば、如何なる結果になりませうか、私は申す迄もなくこれは内より求めんければならぬといふことにならうと思ひます。如何となれば、これを外に求めたならば、本校の今生命として居る教育の精神的基礎を永久無限に継承して行くことが出来ません。
  第二の問題は、今後この母校の継承者は又この無限に進展するこの意志は、婦人の団体が継承すべきか将又男子の団体が継承すべきかというたならば、此の問題に就ても等しく今投票を以て行うたな
 - 第44巻 p.613 -ページ画像 
らば、大多数を以て婦人の団体即ち桜楓会が継ぐべきであると決定するに違ひないと考へるのであります。必ずや此の女子大学此の本校の当初からの主義精神を以てすれば、これを女子の団体即ち桜楓会に求めんければならない。桜楓会がこの責任を負うて立つといふ大決心をなさらなければならぬ、又さう決心しなければならぬと信ずることであらうと私は思ひます。さういふ私の考へから私の考へを決めて玆に評議員方の御賛同を願つたのであります。
  ――朗読――
  後継者に関する事
一、麻生正蔵氏を以て校長の後任者に挙ぐる事
 麻生氏は創業時代より、自分と提携して共に協力して其の計画に従事し、殆ど同心一体たりしのみならず、開校以来学監として自分を補佐して今日に至り、本校の主義方針に就て、両人の間何等杆格する処を見ず、校長として後事を託するに、同氏を以て最も適任なりと信ず。
一、塘茂太郎氏を評議員に推薦する事
 塘氏は開校以来幹事として専心一意校務に鞅掌し其の功労少からず将来評議員として本校の最高機関の一員に列せしめたく希望す。
一、従来の学監は副校長の意味を有したれば、今後は之れを廃止し、而して各学部の部長を学監(又は学長)と称しては如何、井上秀子氏を家政学部の学監に挙げ、家政大学成立の上は引続き其の学監たらしめたく、又平野浜子氏を学生指導主任(其の名義は適当に定められたし)に挙げ指導方面を掌らしめんことを希望す。
 井上氏は第一回の卒業生にして卒業後直に、平野氏は開校以来共に在職多年、生徒薫育の功績少からず、且本校教育の精神より云ふも女子をして女子教育の要衝に当らしむるは当然の事理に属するを以て右両氏を主要なる任務に就かしめて補導し、順次他に及ばされんことを希望す。
一、塘・井上・平野三氏を麻生氏の下に本校の幹部員として互に協力補佐して、教育経営の両方面に亘る枢機に与からしむること
  職員生徒に発表の事
一、自分はかゝる不治の病体を以て到底校務を見ること能はざる場合となりたれば、将来学校の組織に関する計画及び後継者の事は只之れを内定に止め置かす、既に今日に於て各其の実務に当りて責任を尽されんことを望むが故に、此の際職員生徒に対して之れを発表し其の不安動揺を防ぎ、将来の事に杞憂を抱かしめざるは機宣に適する処置なりと信ず。
 斯う云ふ決議にしたのは、要するに今後だんだんと女子の位置を高めて行くといふことになるのであります。私は男子の身であるから、たゞたゞ縁の下の力持ちをやつて来たに過ぎません。麻生君・塘君とても同じことで、三人の後はだんだんにこの母校の娘がやつて行かなければならぬのであります。
 斯う申しても私が明日から直ぐと活動を止めるといふのではありません。前に申した通り私は病床に就きましても、呼吸のつゞく限り此
 - 第44巻 p.614 -ページ画像 
の私の仕事に熱中して、諸子と共にこの学校の精神教育の基礎を養ひ育てゝ行く為めに奮闘いたします。さうしてどうか諸子が共同の力を以てよくやつて下さる所を十分見届けて、安心してお別れがしたいのであります。大変に時をとつて且つ御心配をかけまして済みませんがこれ丈のことは私が直接に申して置かねばなりませんので、御許しを願ふたわけであります、殊に慈愛深き学校の親たる評議員各位が引続いて非常な御熱心を以て此の問題をお決め下さつたのみならず、今日これを発表するまで御臨席下すつたことは私は衷心より感謝に堪へない次第であります、ではさやうなら、さやうなら皆さん――。(この講演時間一時間と廿分、音声も終止変らず、否説き来つて益々熱誠溢れて真に病を忘るゝかのやうでありました。)
    心霊は深く諸子の上に
                   侯爵 大隈重信
   ○演説本文略ス。
    及ばずながら後事は引受けた
                   男爵 渋沢栄一
 女子大学の今日あるに至りましたのは偏に成瀬校長の御力であります。今日成瀬校長はその旅立たんとするに際して皆さんに訣別の言葉を残しました。私共は只今の心を何と名状してよいか分らないのであります。教育の要求は成瀬校長一人ではない、時代の要求でありますが、斯くの如き主義、斯くの如き方法のもとにこの女子大学がかくまで完備するに至つたのは実に君あつてこそ始めて成つたわけであります。私も学界の人ではありませんが、君の精神を賛して平日些か経営に就て御助力して参りました。教務に就ては大隈侯爵・久保田男爵等が助けられ、その他の方々も補助されて追々歳月を重ねて参つたのでありますが、斯くの如く献身的に専心一意この学校に対し、日本の女子教育に対して尽された、将来も亦大に成すあるの成瀬校長が、難病に罹られたのは誠に諸君と共に意外に感じたのであります、平常からあまり身体を粗末に使ふから病気になつてはいけないと老人の気遣ひをしたのも毎々で、昨年チブスがよくなつてからも只管予後の静養に注意をさるゝ事を望んでやまなかつたのであるが、今日かゝる事になつたといふ事は実に驚愕措く能はざる事であります、其の後屡々伺つて将来の計画に就て縷々御話もし、今日のこの会は身体によくないからと切に御とゞめ申したのですが、成瀬校長の精神旺盛なる遂にこれを遂行する事になつたのであります。但し二木・高木両博士もそのために病気を向上させるといふ事はあるまいとの御診察であつたから、遂に私共も承知してこの訣別の会が開かるゝに至つたのであります。かく申すともう二度逢へぬと思はるゝかも知れないが、校長の病気は果して不治であるか、どうであるか、私も嘗て同様の病気にかゝつて必ず死ぬと云はれたにも係らず、壮健になつて廿五年来かく元気になつたといふ事もありますから、諸君はそんなに落胆するには及ばない私はまだまだ大に望を属してゐるのであります。よし死なれてもその精神は何時までも残つてゐるのであります。大隈侯爵も、森村男爵も亦私も決して若いとは申されぬが、侯爵はその持論から云ふとまだ四
 - 第44巻 p.615 -ページ画像 
十三年は生きる事が出来る。私も百歳まで生きてゐるといはれたやうなわけで、まだ決して望みを断つには及ばないのだから、皆さんも決して頼み少くなつたと思つてはいけない。たとゐ微力なりとはいへども、私共も出来るだけの力を以てこの学校のため、否日本の女子のために、大に力を尽したいと思つてゐるのであるから、皆さんも吾々の精神を腹に入れてどうか心づよく思つて戴き度いのであります。