デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
2節 女子教育
1款 日本女子大学校
■綱文

第44巻 p.629-630(DK440167k) ページ画像

大正9年3月29日(1920年)

是日栄一、当校第十七回卒業式ニ臨ミ、訓辞ヲ述ブ。


■資料

集会日時通知表 大正九年(DK440167k-0001)
第44巻 p.629 ページ画像

集会日時通知表 大正九年        (渋沢子爵家所蔵)
三月廿九日 月 午後二時 日本女子大学卒業式(同校)


竜門雑誌 第三八三号・第三三―三四頁大正九年四月 ○女子と高等教育 青淵先生(DK440167k-0002)
第44巻 p.629-630 ページ画像

竜門雑誌 第三八三号・第三三―三四頁大正九年四月
    ○女子と高等教育
                      青淵先生
  本篇は三月二十九日午後二時日本女子大学卒業式場に於ける青淵先生の訓辞の概要なり。(編者識)
 先般来朝した米国の実業家ラモント氏の夫人は私に斯う云ふことを言つた『妾共が大学教育を受けた頃には米国に於ても未だ婦人教育が普及せず、高等教育を受けることを以て、以ての外のハイカラだとしたものであるが、妾は之からの社会に処するにはどうしても充分な教育を受けなければならぬと信じたから、一切の世評に耳を仮さずして
 - 第44巻 p.630 -ページ画像 
勉強した』と果して米国は今や女子教育が一般に行き亘つて教育なきものは人並に交際が出来ぬと云ふ有様である、自分は先般米国に行つた時に、或新聞の婦人記者と婦人のことについて議論し、米国婦人のやうに亭主に靴を脱がせたり荷物を運ばせたり、勝手気儘に振舞ふのは大嫌ひだと云つたところが、その記者は躍起となつて自分に反対し大議論をして、とうとう食事の時間を一時間も遅らしたことがあつたが、併し東洋婦人のしとやかな態度を納得させて、件の婦人記者も今後は靴を脱がせること丈けは止めると降参したことがあつた、自分は一体に米国婦人の此態度を好まぬが、ラモント夫人の話に対しては一の敬意を払つて聴いた、実際日本に於ても今日こそ女子の高等教育を受けて居る者が微々振はないが、今日の如く社会状態が紛糾し、生活状態が複雑となり、将来益々その傾向が著しくなるやうでは、これに処する婦人も余程明敏な頭脳を有たねばならぬ、その明敏な頭脳を養ふにはどうしても教育に依らなければならんのである、今日一般に女子の高等教育を受くる者を以てハイカラとなし、飛び上り者とするが米国と同様に近き将来に於ては之が一般の常態となるに相違ない、されば女子の教育は益々発達せしめなければならぬ、これからの婦人は明敏な頭脳を必要とするが、更に今一つ大切なことは、強き記憶力である、記憶力と云つても一から十まで一切を知ることではなく、事物の真相要点及び自分の逢会した事件事物に対する其時の気分感想を云ふのである、最後に尚一言附加したいのは、これからの婦人は信念を必要とすることである、日本婦人は貞操に対しては存外強き信念を有し、生命を賭しても此の貞操を重しとするが、他の事物に対しては甚だ信念がない、婦人と雖も真理には従はねばならぬ、此の真理に依つて社会生存の上に逢会する事々に対し、真理に基く信念を以て処する丈けの覚悟がなければならぬ、即ちこれからの婦人は明敏なる頭脳、強き記憶力、固き信念を以て自分の常に説く共同奉仕の責任を果すだけの者でなければならぬ。