デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
2節 女子教育
1款 日本女子大学校
■綱文

第44巻 p.667-669(DK440185k) ページ画像

昭和2年3月26日(1927年)

是日栄一、当校第二十四回卒業式ニ臨ミ、祝辞ヲ述ブ。


■資料

集会日時通知表 昭和二年(DK440185k-0001)
第44巻 p.667 ページ画像

集会日時通知表 昭和二年        (渋沢子爵家所蔵)
三月廿六日 土 午後二時 女子大学卒業式御出向(同校講堂)


家庭週報 第八八二号昭和二年四月一日 祝辞 その責任や重大なり 渋沢子爵談(DK440185k-0002)
第44巻 p.667-669 ページ画像

家庭週報 第八八二号昭和二年四月一日
  祝辞
    その責任や重大なり
                     渋沢子爵談
      ◇
 おめでたい卒業証書授与の時にあたりまして、またかうしてお若い皆様にお目にかゝれます事は、皆様も老人を見ることをお嫌やではないでせうが、年老いました私が皆様にお目にかゝれますことは、どんなに喜ばしいことであるかわかりません。
 歳月が進みますにつれまして、社会も進み、また一方には学業も興進いたしまして今日の卒業式の如き、かやうなる点にまで参りましたことは、おめでたいことで、私共が学校に感謝する次第であります。しかしかゝる日にあたりまして、たゞおめでたうございます。嬉しうございますと申すだけでは足りない感じがいたします。何かお土産がなくてはならない。何か記念すべきことを申上げたいといふ心地がいたします。
      ◇
 先ほど麻生校長が信念についてお述べになりましたが、あのお話はまことに皆様にとりて必要なることゝ思はれます。世の中は学業の進歩と共にすべての方面に進みつゝあります。進みつゝあると同時に、例へば、今日雨ある如く、快いことにのみ進むとは言へませぬ。嫌やなことが数々、他のよき事の進む間に進むのは、私共の見るところであります。これは御婦人の方々に申上げる用は無いところでありますが、社会に相対する男子がたには、随分いとふべき事が進むでゐるといはねばなりません。併し男にのみ社会にのみその厭ふべきところがあるとは申されませぬ。皆様方にも御注意あらねばならぬことゝ思ひますが故に申上げる次第であります。
      ◇
 私は嘗てこのお話は申上げたかも知れませぬ、或ひは重複な言葉と
 - 第44巻 p.668 -ページ画像 
なるかも知れませぬが、それは老人が記憶を失したとお思ひ下さるやう、前以つてお願ひ申します。日米国交親善をつとめつゝありし一昨年のことであります。ボストン、ハーバード大学名誉教授のエリオツト博士に手紙を出しました、其手紙を簡略に申し上げますと、七十年にも近く母国は進歩しつゝあるにも拘らず、貴国では移民法を通過せしめられた。日本をしてまた東洋すべての国をして紳士約束を破られた。貴国の国内の制度を外国から改制は出来ぬが、貴国自身の主なる方々が自ら反省されたい。といふ不満の手紙をさし出しました。エリオツト博士は有名なる教育家でありまして、政治にも相当の意見を持つ方でありますが、氏は一昨年の四月十二日のアメリカの上議院の移民法議決については、日本人の我々が誹るが如く、エリオツト氏自身もしきりにその間違を説き、我々の意見にもつともと同意を表されました。そして尚、然し今に至つてはどうする事も出来ぬ。どうぞ貴国としても時期の至るをお待ち下さるより道はないと慰安的の回答をされ、更に言はれますのに、国と国との好意はお互が相宥すより道はない。相互の境遇が近くなければならぬ。相互の境遇が飛び離れてゐては出来ぬ。と申すのは、日本の今日は男子の教育はとにかくと致し、御婦人の教育は欧洲のそれと同じにまで接近はしてをらぬと申せるかも知れぬ。識者が注意をして同じ程度にまで致されたい。と附加されました。日本女子大学校の方々は、エリオツト博士のこの言葉に対して、何を仰るかと思はれるかも知れませぬが、日米国交を工合よく進ませますには、相互が倶に相接近することは適当なことゝ申されねばなりませぬ。ずつと以前から、成瀬君の如くに先見の組織をされまして、私も微力乍ら経営には多少の力をお添へしてをりますが、エリオツト博士のこの回答にはなるほどと感じました。
      ◇
 而して、更に今一歩進めて考へますのに、学問の出来た方々がまことに出来た方々といへない、限りがなきにしもあらずといふことがあります。これは今日、御卒業なさる方に申すのではありませぬ。男子に対して言ふのであります。さういふ方々が人格信念方面に於て比較的に進歩してゐるか?と問はれます時に、イエースとはいへませぬ。ノーと答へざるを得ないのであります。少々の学問を鼻にかけ、親兄弟に乱暴を言ふ、甚だしきは社会を罵倒する、自己の権利は主張するが義務は忘れる。といふ風は学生のみならず、今日一般の弊であると思ひます。男子にして然り、婦人は今更こゝにやかましく申すまでもありませぬ。立派な学校で教育を受けた御婦人がかういふ社会に対して余りに寛容であると言はざるを得ないのであります。根本的に考へますと、学問を全くさせてこゝに始めて立派な社会国家が出来るのではないかと思ひます。かう考へますと、教育を受けられたる御婦人方は、自ら任ずる事多くして社会に立たねばなりませぬ。
      ◇
 すべての者がさうだとは申されませぬが、併し、一般の男子が、権利主張を知つて義務を忘れてゐると申しましても、これは誹謗ではありますまい。事実が示してゐることゝ思ひます。婦人はさういふ有様
 - 第44巻 p.669 -ページ画像 
にまでは至りませぬが、実際に於て教育を受けた方々が、文明的家庭をつくりしよき例がある迄には至つてをりませぬ。相当な人は出来ましたが、皆様が人のためになると申される迄に至るのは、前途遼遠とは申しませぬが、また充分満足とも言はれぬと存じます。
      ◇
 卒業式の度に貴方々によくせよとは数回申しますが、今日もアメリカ人から申されましたことを申上げて、この責任を貴方々に強ひるやうに聞えますが、未来を考へますと、その神聖なる使命はかゝる場所で本当の教育を受けた方々に希むより道はありませぬ。是から社会に出られるについて、その責任は重大であるといふことは自ら御覚悟がなければなりませぬ。米国から手紙が来たに就きまして考へますことは、成瀬君が声を嗄らして唱道をされ、私共も多少感化され、憚り乍ら女子教育の問題をこゝ迄に進めてまゐつたといつてもよろしいといふことであります。皆様方は真に社会に有効な人となられて、この喜びが、更に満足されるやうに努められますやうにと願ひます。諸君の責任や甚だ大であります。こゝに一言祝辞を申し上げます。
                       (文責記者)