デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
2節 女子教育
1款 日本女子大学校
■綱文

第44巻 p.671-684(DK440188k) ページ画像

昭和2年5月13日(1927年)

是日、当校綜合大学予科高等学部入学式挙行セラル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

日本女子大学校四拾年史 同校編 第二二二頁―二二五頁昭和一七年四月刊(DK440188k-0001)
第44巻 p.671-673 ページ画像

日本女子大学校四拾年史 同校編 第二二二頁―二二五頁昭和一七年四月刊
 ○第四章 麻生校長時代
    二 女子綜合大学の建設
 高等学部開設 綜合大学完成の遺言を残して他界せられた成瀬校長の意を体して、直ちに基金募集に取掛つた桜楓会では、既に一周忌に於て三十万円の募集に成功したが、学校側として具体的に運動が始めらるる迄には尚数年を要した。
 先づ成瀬先生の逝去後間もなく森村男の逝去を見たのは本校にとつて大きな打撃であつたが、更に十一年一月には大隈侯を失つた。一方新評議員としては森村男の後任としては令嗣開作氏が評議員を継がれ又三井三郎助氏の令嗣高修氏も御就任あり、更に又和田豊治及び江口定条の二氏の評議員就任を見、我が校としての人的最高陣容は一応整つたかの観があつた。然るに世界大戦後の財界の不況は尚深刻にして容易に回復の曙光を見せず、我が校の募金運動の前途に暗影を投げてゐたが、その中にも漸く光明を見初めるに及んで十二年六月、募金趣意書を発表し、予算百五十万円を目標として運動を開始した。
 - 第44巻 p.672 -ページ画像 
 然し運動開始後間もなく例の関東大震災に遭遇し、本校自身数十万円の損害を蒙つたばかりでなく、帝都を襲はれた日本としては国富に非常な影響を受けたので、本校の綜合大学建設運動は又もや大打撃を蒙るに至つた。此の運動が漸く再開せられたのは帝都復興事業も緒に就いた大正十三年五月のことで既に三十万円の募金に成功した桜楓会では更に三十万円を会員の勧誘によつて集める事となつたが、此の時本校側として重ねての打撃であつたことは渋沢子爵の将来の後継者として、大いに期待せられた和田豊治氏の急逝せられたことであつた。
 然し此の間世間一般に於ても女子高等教育促進の叫びは漸く高くなり、大正十四年二月には代議士内ケ崎作三郎氏によつて賛成者八十余名の連名を以て女子高等教育振興に関する建議案が議会に提出せられた。それは帝国大学其の他の官公私立大学に女子の入学を一層容易ならしめ、又女子高等学校及び女子の各種専門学校を新設せんことを建議したものであつた。又越えて十五年二月には全国聯合女子教育大会が神田基督教青年会館に於て開催され、我が校の井上秀子氏が議長に推され、女子教育促進の方法を検討した。
 かういふ学校外の運動が本校の綜合大学建設事業を側面から支援した事は言ふ迄もない。学校に於ても和田豊治氏逝去の後、財界人としての信望、閲歴、手腕共に兼ね備はる井上準之助氏が新評議員として本校を援助さるる事となつた。此の間に於て我が校としても更に建設案を検討し、最低額百二十八万円を募集し、それによつて予科高等学部を設立し、十五年度から開校の事に決した(十四年九月評議員会決議)。その内訳は四十八万円を以て校舎建築費及び設備費に当て、八十万円を基本金とするものであつた。綜合大学第一回募集は十五年四月を期して文理科予科生各四十名宛行はるる筈であつたが、開校真際になつて設立の準備まだ不十分なところがあり、かたがた第一回生の募集の時機を逸したので、万全を期して更に一年延期さるる事となつた。
 十五年十月、予科教室たる新館も竣功し、招聘すべき教授の人選、交渉も大体順調に進行したが、尚、大きな難関が当学部の上に横たはつてゐた。それは文部省の大学令との交渉である。之に関しては麻生校長の意見をそのまま左に採録しよう。
○中略
 然るに当局に於ては、大学令を適用し難しといふ意見であつて、我が校に於ては已むを得ず一先づ専門学校令の下に於て設立認可を得、程度実質に於ては、大学令による大学と劣らぬ大学教育を、否本校独自の学風の下に開始することに決した。本校独自の学風とは言ふ迄もなく、信念徹底、自発創生、共同奉仕の学風であつて、只従来と稍々異なるところは、研究といふことが強調せられた事であつた。これは大学として勿論当然なことであらねばならぬ。即ち麻生校長の言葉によれば「私達の目的は美しい魂の持主であつて、而かも学術上の新問題を解釈し得る思考力を具へた女性を養成しようとするに在る。斯様に私達は精神の修養に重きを置くも、勿論私達の大学は修道院ではなく高等の学術研究の機関」である。
 - 第44巻 p.673 -ページ画像 
 然し認可申請の交渉で此の度も募集期日が遅れ、高等学部の入学式を挙行したのは昭和二年五月十三日であつた。而して此の時の新入生は文科五十四名、理科二十七名であつた。
 高等学部の修業年限は文理科とも三ケ年で、その目的とするところは女子の高等普通教育の完成と品性の涵養にあることは言ふ迄もないが、大学本科へ到る予備教育たることに使命があつた。 ○下略


家庭週報 第八八九号昭和二年五月二〇日 綜合大学予科生(高等学部)の入学式(DK440188k-0002)
第44巻 p.673 ページ画像

家庭週報 第八八九号昭和二年五月二〇日

図表を画像で表示--

 綜合大学予科生 (高等学部)の入学式 



    高等学部入学式
 既報の通り十三日午前九時から母校講堂に於て、綜合大学予科高等学部始業式が挙行された。
 高等学部新入生並びに従前の在校生一同、職員、桜楓会員、評議員各位着席の後、聖歌を拝唱続いて麻生校長より大要左の意味の式辞が述べられた。
 『創立者成瀬前校長が多年心に願つてゐた女子綜合大学は愈々今日を以て実際に生れ出る事となり、今日はその誕生日である、本来なら相当の祝賀式を挙げるのであるが今年は諒闇中ゆゑ、それは一年先に延期することゝし、本年は内わの始業式に止める』と冒頭されて、女子大学建設に到る経路、創立者成瀬前校長の生立等に関して述べられる処があり、つゞいて本校の教育主義精神、即ち宗教、自働主義、社会は共存共栄なるべしの三綱要に就て熱心に論述され、若しも我々の考が間違つてゐたならば御遠慮なく忠告され、又我等の信ずる処をよしとされるならば、何卒充分の御助力を下さつて、父兄保証人の方々とも一致協力以て本校の発展を期したいと思ふ。本日此処に出席した新入生は八十名許りであるが、入学者は百名である、之をケンブリツヂのガルトン女子大学開校当時の入学者六名、同ニユーナン大学の廿六人に比すれば遥かに成功の方であらう。今日入学された諸子の責任は実に重大である。諸子はその責任を充分に荷担れたい。申述べたい事は沢山にあるが、諸子の全てが、小成瀬となり、成瀬校長の信念を信念とされるならば私はもう何も云ふ事はないのであります。と結ばれ、次で本校評議員森村男爵・同渋沢子爵より別項記載の祝辞があり金剛石を唱つて式は閉ぢられた。


家庭週報 第八八九号昭和二年五月二〇日 嬉しさ心配さ 高等学部入学式に 日本女子大学校評議員 渋沢栄一(DK440188k-0003)
第44巻 p.673-675 ページ画像

家庭週報 第八八九号昭和二年五月二〇日
    嬉しさ心配さ
高等学部入学式に
                日本女子大学校評議員 渋沢栄一
  △旧幕時代の学問のこと
 お目出度い式日に参上して皆様にお目にかゝる事は老人の最も悦びとする所でございます。
 只今森村さんから、普段もニコニコしてゐるが今日は一層ニコニコしてゐると仰言つたのは、心に包みかねた思ひが自づと外に現れた事
 - 第44巻 p.674 -ページ画像 
と思ひます、如何にもその通りで今日は別して嬉しいのでございます併しあまりに長い話をするのは無用と存じますが、兎かく老人は嬉しいにつけても老の繰言を申したがるものでございます。皆さんは、また渋沢が五月蠅い事を云ふと思召すかもしれません。併し思ひ出と云ふものは嬉しい事のみが思ひ出となるのでなく、苦しい事も亦思ひ出となるものでありますから、今日の私の話が長くて苦しいと思召したら、その苦しかつた事を御記憶とされたいと存じます。
 一体わが帝国の教育の進歩の跡を辿つてみますと、その教育は多く漢学式の教育でありまして、明治時代になつてから欧羅巴から輸入された学問と幕府時代の学問とを較べますと、誠に雲泥の差を生じたのであります。幕府時代の教育は極めて乱雑で、自分を売り、人と議論し、他に攻撃を加へるために学問を必要事と考へられたやうな風があり、殊にその学問にはそれぞれ党派があつて、悪くするとその党派党派が争ひ合ふやうな弊風にすら走りました。人の幸福を計り、或は国あつて国を治めるの学ではなく、自分の文化を人に誇るやうな学問でありました。併し欧米から輸入された処の学問は然ではなかつたのであります。併しながらその学問は男子にのみ通用する学問で、婦人は僅かに貝原益軒の『女大学』に依つて学ぶのみでありました。これは決して御婦人を軽蔑するのではなく、当時の事実を申上げるのでございます。
  △成瀬前校長の卓見に動かされて
 それ故前校長が、婦人は国民である、婦人は人であると喝破された如き大議論はその当時に無かつたのであります。現に私の如きも成瀬校長から熱心に女子教育の必要を説かれて始めて感奮した一人で、その時以来例へ微力でもこの仕事のために捧げようと覚悟した者である事を、今日皆様の前に告白する次第でございます。それ以前は東洋に於ける有名な学者白河楽翁公の如きもその座右の銘に、『誠無き人の才、婦人の才は有つて益なきもの』と書いてをられます。蓋し寛政の頃までは斯様に考へられてゐたものと思はれます。勿論その全部がさうであつたか否かは解りませんが、楽翁公の一ケ条には右のやうな文字があるのであります。以て婦人に対する封建時代の情無い考がおしはかられるのでございます。でございますから、明治維新となりましてのちも、女子教育に関する考は矢張さうあつた事と御考へ戴きたいその時に当つて、成瀬前校長が『女子は人である』と喝破された点を貴女方は特にお忘れないやうに願ひます。私共も従前の惰勢に引かれてをりましたのを成瀬校長に依つて始めて警醒されました事は前言の通りであります。而して女子大学が今日に及びました際、この事を回想致しますと、現在の私の心には悦びと共に憂ひがあり、憂ひと共に悦びある事を察して戴きたいのであります。
  △先づ婦人を高めよ
 今日綜合大学が開かれるに当つて、先程森村男爵が仰言つたお言葉は御もつとも千万で、以上のやうな経過を思ひ浮べますと、真に悦ばざるを得ません。併しながら、今こゝで悦んでをります私はやがてすぐ世を去つてしまふ者でありますから、その悦びは短うございます。
 - 第44巻 p.675 -ページ画像 
この悦びを真に世に現す方々は、今私の面前にをられる皆さん方なのであります。
 以前にもお話した事があるかも知れませんが、今は故人になられたアメリカのドクトルエリオツト氏が私に寄越された書状の中に、『アメリカが日米関係に就て色々交渉の末、日本に対して失礼な制度を決めたのを怒られるのは尤もである、これは確かにアメリカが悪い、これには必ずよい解決をつけたいと思つてゐるが、国民の交際には各方面に相当の共通点がないと必ず久しい交際を続ける事が出来ない、国民的一致をなすためには各方面が似寄つた発達をせねばならないと思ふ。然るに日本は婦人に対する教育がどうも完全とは思はれない、男子と比して遥かに低級な教育であると思はれる、なるほど婦人の徳操を養ひ、又は純情の美徳は持つてゐるかも知れぬが、婦人をして知識の活用をせしめる教育は施してないと思ふ。婦人は家の内部を纏めれば足りると考へられてゐる、苛も婦人が国民の一人たる以上、これでは満足が出来ないのではあるまいか。決して議論するのではないが、日本の婦人教育は英米の如く普及されてゐない』と云ふ意味が記されてありました。これは私が多少敷衍してお話した嫌ひがあるかも知れませんが、先づこのやうな意味が含まれてゐたやうに了解されます。これは決して日本にとつて有難い手紙ではありませんが、忠実を寵められた手紙であり、その中には真意がありますので私は屡々各方面でこの話を致します。
  △悲喜交々迫る思ひ
 斯の如き事を考へましても、この学校が今日に到りました事は真に悦びに堪へません。こゝまでに到達致しました事に対して、面前の皆様にお祝辞を申述べると共に、世の中の事は単なる悦びのみではいけないと云ふ事を申上げたいと存じます。即ち権利には義務が附帯する如く、悦びにはそれに伴ふ心配もある事を御忘れなきやうに、云ひ換へれば、義務を遂行する事に依つて権利が長く保存されると同じく、心配憂ひを忘れねばこそ真に悦びも味はれるのではありますまいか。然らざれば楽翁公の云はれた『有つて効なきものは婦人の才』の謗を免れぬ事となります。蓋し楽翁公の云はれた言は一見間違ひのやうにも見えますが、深く味へば、権利のみあつて義務の行はれざる如き場合を指して云はれたのではないかと思ひます。斯く考へますれば楽翁公の言も強ち間違ひではないと思はれるのでございます。
 私は今日、実に此上もない悦びを感じてをります。殊にこの学校を立てるに就ては成瀬前校長と数回討論した事をも思ひ出し、又現校長はじめ各職員方が今日に到る迄の並々ならぬ御努力を思ひ併せて感謝の意を表すると共に、皆さんにお祝辞を申述べる次第でございます。
                      (文責記者)

集会日時通知表 昭和二年(DK440188k-0004)
第44巻 p.675 ページ画像

集会日時通知表 昭和二年         (渋沢子爵家所蔵)
五月十三日 金 午前十時 女子大学へ御出向



〔参考〕家庭週報 第八八四号昭和二年四月一五日 綜合大学予科 高等学部の開始に就て 麻生正蔵(DK440188k-0005)
第44巻 p.675-677 ページ画像

家庭週報 第八八四号昭和二年四月一五日
 - 第44巻 p.676 -ページ画像 
    綜合大学予科
      高等学部の開始に就て
                      麻生正蔵
 昨年の四月開始すべく志した綜合大学は、校舎建築等の準備の為一年をおくれ、愈々本年五月をもつて、その序幕を切つて落す事となつた。本校評議員各位、桜楓会員諸君並に世の同情後援者の方々に対し玆に謹んで深厚なる感謝の誠意を表します。
 顧みれば、本大学は本校創立の当初よりの理想であつたが、当時は色々の事情の為、時尚早く、専門学校程度の本校の設立でさへも非常の困難支障の間に七年の長き努力奮闘の結果、漸く辛して生れ出でた時勢であつたから、本大学の開設を第二期の事業として後日に譲つたのであつた。当時私達は約三十年も経過せば時機到来すべく予期し、其の覚悟で進むべく互に誓ひ合つたのである。
 然るに、創立後正に満十八年目の大正八年に至り、創立者故成瀬校長は不幸にも隔世の人となつた。死を予感した成瀬校長は本校評議員たる大隈侯・渋沢子・久保田男・森村男等に後事を托し、将来十年を期して綜合大学創立の件を懇請し、評議の快諾を得たのである。爾来評議員並に桜楓会員は直ちにその設立準備事業に着手し、遂に満八年目の本年度に於て、勿論完全とは言へないが、目出度その予科たる高等学部の開始を見るに至つた事は感謝の至りであります。
 成瀬校長の臨終前の告別講演中に『設立当初の目的に基き専門学校の現制を改め、綜合大学の組織に進むるの時機に到達せるを信ずるを以て、此の際十年計劃を以て之れが実行を策する事』と言はれた通りに、新設せられんとする所の綜合大学なるものは専門学校令による者でなく、大学令によるもので無ければならない。勿論大学令によると言ふ言葉はないが『専門学校の現制を改め』と言ふ言葉の内にそれは含まれて居るのである。
 大学令に拠ると言ふも、大学令によらない以上、大学教育が出来ぬとか、大学令による大学が最も完全であるとか、理想的であると言ふ意味ではない。私達は大学令を渇仰崇拝して大学令によることを願ふのではない。大学令に拠ることが、却つて有害であるかも知れぬ。大学令に拠るが為に、私達の教育上の理想や主義が拘束せらるゝ様のことがありとするならば、私達は大学令に拠ることを寧ろ避けねばならぬ。併しながら、若し大学令に拠るも、私達の理想や主義が容れられ又は実現せらるゝ余地があつて、而かも大学令に拠ることによりて獲得せらるゝ利益が与へらるゝならば、当然大学令に拠るのが至当であると、私は考へて居る。私達はさう言ふ考へから、大学令による大学として認可せられん事を申請したのである。私達は何事を為すにも最善の途を採るべきであると思ふからである。
 然るに、当局に於ては教育法適用上、私達と意見を異にし、急速に大学令によりて認可し難いと言ふのであるから、私達は一先づ専門学校令の下に於て設立の認可を得、程度実質上に於ては、他の大学に劣らない大学教育を、而かも一種特色のある学風の下に開始することに決定したのである。本学年度はその予科及高等学部を開始し、その学
 - 第44巻 p.677 -ページ画像 
生を募集するのであるが不幸にも学生募集の時機を逸し、遺憾至極ではあるが、亦如何とも致し難いので、背水の陣を張つて、勇敢に開校する決心である。世の教育家諸君を始め、同情者各位、並に本校評議員・教職員・桜楓会員の方々の御援助を仰ぎ、健全なる発展を遂げ、綜合大学たる実を挙げ、国家・社会・人類の向上に貢献するに至らんことを熱望して止まないのであります。尚新設綜合大学の抱負特色に就て次号に述べる積りである。
○中略

    母校高等学部学生募集要綱抜
  一、本校の組織内容に就て
 本校にては、創立当初の目的を達せんが為め、大正八年以来計画中でありました女子綜合大学設置の儀諸般の準備を整へ、曩日其筋に認可申請いたしました所、当局に於て大学令適用上急速認可の運びに至り兼ぬる趣に付き、時日切迫の折柄止むなく当分の内専門学校令の下に大学令に拠りたるものと同一の学科程度の内容を以て実質上の大学教育を開始することに決し、今回先づ其予科たる高等学部に学生を募集することにいたしました。
 右様の次第に付き今後引続き当局とも協議を重ね、近き将来に於て大学令に拠る綜合大学たらしむべく期待して居りますが、現在に於ける本校組織の内容(詳細は学則参照)は之を簡単に分類すれば左の通りであります。
一、今回綜合大学として新設したるもの

図表を画像で表示--

    文学科      国文学部    文科             英文学部 高等 本科 (修業年限三ケ年)       (修業年限三ケ年)             家政学部 学部 理科    理学科      化学部 




   研究科 本科卒業後学術の蘊奥を究むる所とす
二、従来の日本女子大学校本科

                家政学部
                国文学部
   専門科(修業年限四ケ年) 英文学部
                師範家政学部
                社会事業学部

一、入学志願者心得○略ス



〔参考〕渋沢栄一 日記 大正一四年(DK440188k-0006)
第44巻 p.677 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正一四年         (渋沢子爵家所蔵)
一月十六日 曇 寒
○上略 午飧後女子大学校長麻生正蔵・事務長堤茂太郎二氏来《(塘茂太郎)》リ生徒手製ノ洋菓ヲ贈与セラル、麻生・堤二氏トハ学校ノ未来ニツキ種々ノ意見ヲ交換シ、尚充分ノ調査ヲ打合ハス、且森村氏ニ先ツ協議スヘキ事ヲ注意ス
○下略

 - 第44巻 p.678 -ページ画像 


〔参考〕渋沢栄一 日記 大正一五年(DK440188k-0007)
第44巻 p.678 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正一五年         (渋沢子爵家所蔵)
一月五日 曇 寒
○上略 麻生・堤二氏来《(塘)》リ女子大学新築ノ事ニ付設計図ヲ以テ詳細ヲ示サル、直ニ同意ヲ表シ小印ヲ捺ス ○下略



〔参考〕集会日時通知表 大正一五年(DK440188k-0008)
第44巻 p.678 ページ画像

集会日時通知表 大正一五年         (渋沢子爵家所蔵)
十一月卅日 火 午后九時 麻生正蔵氏来約



〔参考〕日本女子大学校書類(一)(DK440188k-0009)
第44巻 p.678-684 ページ画像

日本女子大学校書類(一)          (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
 我が日本女子大学は、創立当初から其の程度実質を高め綜合大学の制に改めんことを期し、爾来二十有七年其の方針に従つて邁進し来つたのでありますが、特に大正八年愈々其の設立準備に着手し、同十二年資金の募集額は当時予定の百三十万円に達したので、同十五年旧制は其儘保存し、別に新学制を編制し、案を具して大学令に依る女子大学設立認可の儀を申請したのであります。然るに容易に認可の沙汰に接する事が出来ず、学生募集の時期を逸せんとするに至つたので、止むことを得ず一先づ専門学校として認可を受け、翌年五月予科高等学部を開始致しましたが、之れ唯々一時臨機の応急策たるに過ぎないのであります。故に今玆に再び本財団法人理事の名を以て別紙設立願書を提出し、大学令による大学としての設立認可を請願する次第であります。
 窃に惟るに、大正二年東北帝国大学に、其の後九州帝国大学に於て正科生としての女子の入学許可の新例が開始実行されたのは、明に国家が女子の大学入学権を認めたもので、従来男子にのみ入学権を許与し来つた帝国大学に女子の入学を許されたことは、時代の必要に臨機応変法規活用の適切至当な処置をとられたわけであります。果して然らば女子大学の設立に関しても、それと同様に大学令を解釈活用し得ないでありませうか。大学令中に女子の入学を禁止する条項がないといふ理由で帝国大学を解放し、女子の入学許可の処置をとり得る以上は、女子大学設立を禁止する条項が大学令中にないのであるから、大学令の要求する私立大学設立の要件を具備する限り、女子大学設立認可の処置をとられることも亦可能なわけではありますまいか。
 高等学校令中には女子禁止と同一意義を含む条項がありますけれども、女子大学は他の私立男子大学と同様、高等学校に準ずる予備学校を附設して、其の卒業者を収容する途をとり得るが故に、女子大学の設立認可は高等学校令とも抵触しないと考へられるのであります。尚又私立大学の予備校に入学し得るものは、中学校四年修了者、中等学校卒業者、又は文部大臣の定むる所に依り之と同等以上の学力ありと認めたる者でありますが、此処に解釈適用の余地が存するのであると思はれるのであります。
 私共が大学令による女子大学設立認可を請願するのは、大学令によらなければ女子の大学教育が不可能である為でなく、或は大学令を以
 - 第44巻 p.679 -ページ画像 
て教育上唯一無上の典拠とする為でもなく、又徒に大学の名称特権に恋々たるが為でもありませぬ。私共は大学令によりながら私共の主張する所の教育上の主義方針方法等を実現し得ると信ずるものであります。唯々苟も国家が大学令を公布し、官公私立幾多の大学を設置管理督励補助せられて居るのに、単に性を異にするのみの故を以て其の恵沢に浴する能はざる者の多数あることを遺憾とし、女子も亦帝国臣民の一半として、之が均霑を得るのを至当とするが故であります。然るに女子の大学たる一事に於て異る外、其の課程設備等に於て他の幾多既設私立大学に譲らざる設立要件を具備し、且つ設立禁止の法令がないにも拘はらず、其の認可を受け得ないといふことは、不肖等の諒解に苦むところであります。私共は当局が解釈を広義寛宏にし、考察を公平深切にして、本大学の設立を認許せられ、以て帝国が特に時代に逆行して女子大学の設立を禁止し、女子の大学教育を排拒するものでなくして、世界と共に之を認容奨励し、婦人の向上女性文化の発展を庶幾助成するものなるの実を、一日も早く具体的に示されることを希望して止まないのであります。
 次に新設綜合女子大学の組織及び其の特徴の概要を略述して、御詮議の参考に供したいのであります。本大学の内容は別紙学則の通りでありますが、創立当初は理文両学部を以て組織し、漸を以て経済学部医学部等の学部を増設する予定であります。又理学部は化学科及び家政学科、文学部は国文学科及び英文学科を以て開始することに致して居りますが、将来は理学部に生物学科其の他、文学部に宗教学科其の他を加へ、順次資金の充実を図ると共に、綜合大学としての組織内容を完成する計画を立てゝ居ります。教育上の主義理想等は従来のそれを継承して更に大成する方針でありまして、即ち信念徹底、自発創生共同奉仕の三綱領により、人間として、婦人として、国民として、個人としての四方面から教育するのを原則とするからであります。信念の涵養によつて人生の目的理想を確立し、其の実現の原動力を養はしめ、学生の自発創生的研究生活によつて各自の個性を発揮し、学理の蘊奥を究め、且つ其の応用に力めしめ、団体的自治生活の体験によつて社会的性格の鍛錬、共同奉仕の態度と方法との習熟を得しめ、以て弊習に泥まず、急激に馳せず、中正健実の公道に立脚する高尚なる品性と為す有るの実力とを兼ね備へた日本婦人を養成して、家庭社会国家世界に女性独特の貢献を為さしめんとするところに其の特色が存するのであります。就中私共の最も留意する要点は第一に宏遠なる我が建国の理想、炳乎たる団体の精華を体認せしめて、深く国民精神の根柢国民道徳の大本に培ひ、民族固有の婦徳を醇化発揮せしめると同時に、広く人類愛の思想心情を養ひ、以て日本婦人としての天職を果さしむると共に、世界の日本婦人としての使命を全うせしめるために平常の努力を傾注するは勿論、殊に学生自治制度の下に於ける団体生活により献身奉仕の勤労を体験せしめ、夏季有志修養生活によつて専心信念涵養に精進せしめることであります。第二には注入暗記、聴講筆記、試験学問の弊風を排し、実験研究読書討議思索等の方法によつて自発的創造的の学風を馴致し、独力探究問題解釈の能力と態度とを養
 - 第44巻 p.680 -ページ画像 
ふことであります。第三に男性模倣の教育でなく、女性の本質的特徴を自由に伸展流露するに適切有効なる女性本位の学園に於て、而かも男子大学に比して決して劣るところなき研究生活を営ましめ、以て独特な女性文化の創造によつて従来の男性文化の欠点を補ひ、完全なる文化の発展に貢献せしめることであります。此の第三の要点は即ち本大学が特に女子大学として設立される主要の理由なのであつて、男子大学の模倣に過ぎざる英米女子大学と全然其の趣を異にするところであります。此の点は恐らく本大学が世界唯一の特色ある女性の学園として立つ意義を持つものでありませう。
 勿論一方より見れば、学術の研究に男女性個人性の差別はないのであるが、他の方面より見れば、個性が学術研究の上に多大の影響を及ぼすと同様、性の差別も亦特異の色彩を附与することが少くないのであります。女性は女性固有の興味を有し、其の独自の立場から事物を眺め、問題を解釈する傾向を持つのが自然であつて、そこに男性文化と質を異にして、価値を等しくする特殊の文化を創造する天賦の可能力が秘められてゐるのであります。私共は必ずしも男女共学を排斥するものではありませぬが、唯前述の如き特異の新機軸を有する女性本位の女子大学を創設するといふことは、独り我が国のみならず、或は延て世界の女子大学教育に一新展開を促す端緒ともなり得べく、従て世界的にも亦意義あり価値ある企図たることを窃に自信するものであります。従て又仮令将来帝国大学を始め、他の大学が女子に向つて十分に開放せられ、或は官立其の他の女子大学が設置される時機が到来すると致しましても、猶本大学の設置及び発展の必要は確乎として存することをも敢て自信するのであります。
 我が新設綜合女子大学の特質本旨の大要は以上の如きものでありますが、最後に女子の大学教育は我が国に於て果して必要か否かの問題に就て一考したいのであります。私共よりすれば今日の時勢に於て女子の大学教育の必要を説くが如きは午時に灯火を呼ぶの感があるのであつて一たび欧米に於ける女子の大学教育の盛況並に婦人の活動状態を見て眼を我が国の現状に転ずる時、世界の文明国一等国たる体面と実質とに顧み、忸怩として聖世の痛恨事たるを覚えるのであります。
 英米の過去七・八十年間に亘る女子の大学教育の発展は言を俟たず其の殿後たりし独逸のプロシヤすら一千九百八年十大学の門戸を一斉に而かも正式に開放する英断に出た以来、女子の大学教育は急速の進歩を遂げたのであります。其の結果欧米婦人の人格能力は共に大に高まり、社会各般の方面に重要の地位を占め、男子と相比肩し相協力して盛んに活動し、国家社会の改善進歩、人類文化の向上、世界平和の促進に貢献する女子の続々輩出するに至つたことは、こゝに絮説するまでもなく周知の事実であります。
 我国に於ては、漸く最近数年来女子の為に其の門戸を開いた二・三の大学がありましても、それは男子と同等の入学権を与へたものでなく、僅かに小部分に於て、変則的に余席を与へてゐるに過ぎないのであります。
 然るに社会の進運に伴ひ、女子の向学心は益々高進し、大学教育を
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志望する女性は年一年増加する傾向を示して居ります。現に公私立女子専門学校の続々設立せられるのは、正しく更に高き教育の要求される一証左と見做すべきでありませう。この急劇なる増加の趨勢を有する専門学校に教師たるべき婦人の養成も差当つて急務と思はれますが併しこれは寧ろ一小部分の問題であります。更に一方広く文化の進運に鑑み、一方刻下内外の国状に察する時、社会の各方面に於て、識見あり人格ある婦人の指導と協力とを要すること多大なるものあるを感ずるのであります。
 家庭は国民の基本的哺育場として、従来頗る重視せられてゐたのでありますけれども、近来皮相の個人主義的謬想に侵されて、淳美なる家族的情誼、家庭的徳操を軽んずる風を生じ、其の結果独り中流下流の家庭からばかりでなく、比較的上流の家庭から非倫不義の事件、男女の不良少青年の続出を見るに至つた如きは、大に憂ふべき傾向の標徴であります。之が匡救の為には高き理想と深き情操の上に新に家庭道徳を植立普及し、善良なる家族員として教養する必要あるのみならず、更に一般的根本的なる人間の霊性信念を啓培し、高尚なる人格を培養し、天賦の個性才能の認識伸長に意を用ふると共に、特に国民としての性格精神を幼孩に於て養ふの必要があるのであります。実に億兆国民は之れ皆悉く婦人の生むところ、家庭に於て養育するところなるを思へば、家庭に於ける基本的精神教育は、現在の我が社会状態に照らして特に痛切なるを覚ゆるのでありまして、其の重責を負ふべき主婦たり母たるものゝ修養と研究とには深き考慮が加へられなくてはなりませぬ。従て又之が準備たる女子教育に於ても、雑駁不統一なる知識、散漫なる形式道徳、家事料理裁縫の技巧に偏したる従来の教育内容方法に依つては、到底今後の時代に処する良妻賢母を養ふに足らないのでありまして、女子の人格の根本に発したる十分の改善を教育の主義及び方法の上に加へる必要があるのであります。而て之に対して男子の協力を要するは勿論なるも、結局に於ては女子自ら其の内省に基く独特の研究によつて、其の理想を確立し、方法を選択するのでなくては到底改善の適切を期し難いでありませう。
 女子教育の問題としても、亦一般文化の問題としても、大に奨励開拓せざるべからざるは学術研究の方面でありまして、欧米女流の学界進出の盛況と比較するまでもなく、我が教化の現状に顧み、又其の理想に照せば、本邦婦人の最も後れたる一面は是れであります。男子に於けると同様、専門的の学術研究を総ての婦人に望むべきには非るも天賦の才能と興味とを有する者に適当なる境遇を与へ、奨励を加へて十分に女性の特色を発揮せしめることは、種々の意味に於て婦人の為にも、国家の為にも、人類文化の為にも、極めて切要であります。既述せる如く、之れ本女子大学を設立する所以の主要理由の一であります。又人生に於ける芸術の魅力と影響とが如何に強大なるかは、事実の明示するところでありますが、之を我が現在に見るに、家庭教育上社会教化上、人の深き感情に訴へ、趣味を高め、人格を養ふに足るべき人性の明るき方面を描き出せる高尚なる芸術に至つては甚だ乏しきを告げるのでありまして、其処にも女性固有の優美なる情操と技能と
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によつて、大に開拓せらるべき荒蕪地が横つてゐるのであります。
 近時の思想問題は極めて複雑でありますけれども、特に其の主要の潮流たる物質観的思想、経済偏重の傾向は、到底社会の安寧人生の幸福を将来し得ないものでありますから、必ずや其の誤謬を正し、且つ其の有害の暴進を人生本然の正道に嚮導しなくてはなりませぬ。然るに女子の本性たる愛の奉仕の態度こそ、実に社会生活の基調たるべきもので、我が国民道徳の根幹たる忠孝の実行も、これが徹底拡充によつて始めて見られるのでありますから、此の問題に処して国本を培ふ為に貢献すべき婦人の使命は決して軽くないのであります。思想問題と関聯して各種社会問題の発生も亦近時頓に繁劇に赴きつゝありますが、之が解決の根本精神に於ても、亦匡救の実地事業に於ても、其の母性愛の拡充によつて婦人の干与すべき領域は甚だ広汎なるものがあるのであります。而して又思想問題と言ひ、社会問題と言ひ、其の一方の根柢を経済的事情に有するものなるが故に、人生に対する経済の職能と価値とをよく正当に理解する必要が存するのみならず、特に我が国に於ては、経済力の貧弱なるが為めに、内には国民生活に種々の欠陥を生じ、外には国際的進展を妨げらるゝこと少なからぬ現状である以上、経済力の整理充実は帝国として喫緊の重要事であります。而て婦人は生産方面にも多大の貢献をなすと同時に、殊に消費の方面は主として婦人の手によつて処理せられるのでありますから、帝国の経済力の整理充実のために、婦人の用意と努力とに待つべきもの、之れ亦多大であります。
 家庭及び社会各般の問題に対し、婦人特有の立場から努力し、貢献するに就いては、その適当の範囲に於て政治的地位と権利とを有するの必要あるのみならず、一般国民としても亦当然のことであります。殊に参政権が拡張されて、婦人の地方及び中央の議政壇上に立つべき時期も早晩到来することゝ思はれますが、現衆議院議員中百分の七十二まで高等教育を受けた人士である事実に徴するまでもなく、中央乃至地方の政治に干与すべき婦人が十分なる教養あるを要するは極めて明かなることであります。
 近来は又婦人の国際活動を要求する機会が激増致しまして、欧米婦人の其の間に於ける貢献は多大であるに拘らず、本邦婦人の之に参加するもの寂々寥々として効果の見るべきものゝ少いのは、帝国の世界的地位上遺憾至極のことゝ言はなければなりませぬ。殊に又帝国が東洋唯一の先進国たる責任上、上古最高の文化を産生したるにも拘らず萎靡久しく振はざる東洋諸民族の指導者、助言者として、少くも欧米と比肩し得るまでに復活振興を遂げしめ、東西融和協同の文化世界を現出し、人類の幸福を増進せしめる努力の必要に迫られているのでありますが、此の国際運動に関して分担すべき婦人の任務も決して軽くないのであります。
 之を要するに進運の駸々たると共に、各種事態の頓に複雑深刻に赴きつゝある我が国家社会に於て、精神的、経済的、政治的、国際的諸問題の指導者協力者たるべき婦人を要求し、将来益々其の要求の増大すべきは明かであり、而して此の任務を負担する婦人が其の孰れの方
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面に参加活動するとしても、皆斉しく最高の教養を有せざるべからざることは言ふまでもありませぬ。従つて孰れの方面から観察致しましても、本邦女子の大学教育の必要は既に切迫し、慎重審議の時期は疾に過ぎ去つたもので、即時実行に着手するも猶遅きを感ぜざるを得ないのであります。然るに本来男子のための国立大学にして、而も男子志望者の全部を収容するに足るだけの拡張乃至増設すら未だ計画せられざる現状に於て、国家の施設を以て女子の大学教育を行ふ機会の到来を即今に望み難いとすれば、他に方法を講じて其の欠陥を補ひ、以て時代と女性との要望を充たすのが、刻下必須の処置ではありますまいか。
 私共は是処にも亦私立女子大学設立の急務たる所以を見るのであります。
 私共は以上の如き処信を以て、綜合女子大学設立の為に微力を捧げてゐるのでありますが、未だ至らないところの多々あるは勿論でありますから、将来歩々完備に努めて、何分の貢献を国家に致す積りであります。
 尚又我が日本女子大学校創立当初以来、恐懼感激措く能はざる 皇室数次の恩遇を辱くし、殊に本綜合女子大学設立計画発表に際しては畏くも皇太后陛下より多額の御下賜金を拝し奉り、私共一同我が校卒業生と共に、無上の光栄に感泣して重責を草茅の鄙躯に負荷し、必ず本大学を完成せしめて、以て女子の大学教育御奨励の 玉旨に奉答致さなければならぬと固く決心して居るのであります。幸に清鑑を垂れて微衷を汲み、一日も早く認可の御詮議を賜らんことを懇願措く能はざる次第であります。
  昭和四年二月
             日本女子大学校
               理事 校長 麻生正蔵
               評議員   井上準之助 (印)
                     江口定条 (印)
                  男爵 阪谷芳郎 (印)
                  子爵 渋沢栄一 
                  男爵 藤田平太郎
                  男爵 古河虎之助 
                     松本亦太郎 (印)
                     三井高修
                  男爵 三井八郎右衛門
                  男爵 森村市左衛門 (印)
                     塘茂太郎
                     井上秀
                     藤原千代
    文部大臣
   ○本資料ハ謄写版刷ノパンフレツトナレド、末尾ノ日付及署名捺印ハ、日本女子大学校所蔵ノ原文書ニヨリ追加記入セルモノナリ。
    日本女子大学校長井上秀子ノ談ニ依レバ、此ノ請願書ハ評議員中反対者ア
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リタルタメ、結局文部省ニハ提出セラレズシテ中止サレタルモノナリト、記名評議員中麻生・塘・井上・藤原等ノ学校職員以外ノ評議員ニシテ捺印ナキモノハ其ノ反対者カ、反対ノ理由ハ、大学令ニ依ル綜合女子大学ノ認可ヲ得ルトキハ、男子教育ト同一ノ規範ヲ強制セラルヽコトトナリ、前校長故成瀬仁蔵ノ創立趣旨ニ反スルニ至ル可シトノ意見ナリ。
    右ニ依リ此問題ヲ繞リテ種々ノ紛糾ヲ生ジ、結局新設セル高等学部ヲ廃止シテ、元ノ専門学校ニ復帰スルコトトナリ、学制ハ調査委員ヲ設ケテ研究セシムルコトトナセリ。昭和六年四月栄一ノ校長就任ヲ見タルハ右ノ如キ事情ノ存セルタメナランカ。



〔参考〕麻生正蔵談話筆話(DK440188k-0010)
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麻生正蔵談話筆話               (財団法人竜門社所蔵)
                    昭和十二年七月七日聴取
綜合大学計画ニ就テハ大正八年成瀬校長ガ逝去サレル時、渋沢子爵其他ノ方ニ是非其実現ヲ依頼シタ。開校当初ニ於テハ開校後二十年モ経テバ綜合大学ノ実現ヲ見ルデアラウト考ヘタノダガ、成瀬様ハ十八年ニシテ亡クナツタ。ソコデ渋沢子爵ハ大正十年頃マデニハ実現シタイモノダト考ヘラレテ、現在未ダ大学令ニヨル綜合大学トシテハ認可サレテナイケレドモ、子爵ハイツモ熱心ニソノ実現ニ骨折ラレタ。「自分ノ生前ニソレヲ実現シナクテハ、死ンデ成瀬ニ合ハセル顔ガナイ」トヨク言ハレタガ、実際ソレ程ニ御心配シテ頂イタノデアル。
女子ノ綜合大学トシテ文部省ニ認可ヲ願フノハ第一ニ文部省ガ女子大学教育ノ真相ヲヨク理解シテヰルカラ願フノデハナクシテ、寧ロ女子大学教育ニ就テ文部省ニ理解シテ貰フタメデアツテ、謂ハバコレハ認可ヲ願フ主義デアル。第二ニ大学令ニヨル大学ハ一ツノ資格ヲ意味スルノデアルカラ、サヤウナ資格規定ガアル以上ソレヲ利用スルコトハ学生等ニトツテ色々好都合ヲ生ズル。之ハ謂ハバ利用トイフ観点デアル。コノ二ツノ点カラシテ従来絶エズ文部省ノ認可ヲ求メ来ツタノデアルガ、ソレハ渋沢子爵モヨク御理解サレテ努力シテ下サツタノデアル。(文責在記者)