デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
2節 女子教育
1款 日本女子大学校
■綱文

第44巻 p.689-691(DK440191k) ページ画像

昭和3年3月20日(1928年)

是日栄一、当校第二十五回卒業式ニ臨ミ、祝辞ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 昭和三年(DK440191k-0001)
第44巻 p.689 ページ画像

渋沢栄一 日記 昭和三年          (渋沢子爵家所蔵)
二月十六日 曇 寒気強カラス
○上略 九時過女子大学校長麻生正蔵氏来リ、本校要務ニ関スル事務、殊ニ近日女子教育ニ関スル要旨ニ付水野文相ト会見ノ事ヲ協議シ、其陳述ニ要スル趣旨ヲ文案セシメ、出来セハ阪谷・井上其他ノ評議員ト熟議スベキ事ヲ打合ハス ○下略


集会日時通知表 昭和三年(DK440191k-0002)
第44巻 p.689 ページ画像

集会日時通知表 昭和三年          (渋沢子爵家所蔵)
三月二十日 火 午後二時 日本女子大学卒業式(同大学)


竜門雑誌 第四七五号・第七九頁昭和三年四月 青淵先生動静大要(DK440191k-0003)
第44巻 p.689 ページ画像

竜門雑誌 第四七五号・第七九頁昭和三年四月
    青淵先生動静大要
      三月中
二十日 ○上略 日本女子大学卒業式(同校)


(増田明六) 日誌 昭和三年(DK440191k-0004)
第44巻 p.689 ページ画像

(増田明六) 日誌 昭和三年        (増田正純氏所蔵)
三月二十日 火 晴 出勤
○上略
午後二時日本女子大学卒業式に参列した、本年は知子同附属高女学校卒業ニ付、特ニ多忙なるを繰り合ハせ参会した次第であつた
渋沢子爵の来着が後れたので、午後二時四十分頃漸く式が始まつた、先づ卒業証書授与式があつて、次ニ麻生正蔵校長の告別の辞、阪谷男爵・渋沢子爵の祝辞があつて式を了り、別室ニて茶菓の饗と又庭で記念撮影があつた
○下略


家庭週報 第九二九号昭和三年三月二三日 日本女子大学校 第二十五回卒業式(DK440191k-0005)
第44巻 p.689-690 ページ画像

家庭週報 第九二九号昭和三年三月二三日
  日本女子大学校
    第二十五回卒業式
   卒業式順序
      昭和三年三月廿日午後二時
  一、奏楽     (一同起立)
  一、卒業証書授与
  一、唱歌     豊明幼稚園児童
             (児童退場)
  一、卒業の辞   豊明小学校卒業生総代
           高等女学校卒業生総代
             本校卒業生総代
  一、告辞      校長 麻生正蔵
 - 第44巻 p.690 -ページ画像 
  一、唱歌     豊明小学校卒業生
  一、祝辞     評議員男爵 阪谷芳郎
           評議員子爵 渋沢栄一
            文部大臣 水野錬太郎
  一、唱歌        高等女学校卒業生
  一、謝辞         本校卒業生総代
  一、唱歌           本校卒業生
                  以上


家庭週報 第九三〇号昭和三年三月三〇日 卒業式に臨みて 祝辞 評議員子爵渋沢栄一(DK440191k-0006)
第44巻 p.690-691 ページ画像

家庭週報 第九三〇号昭和三年三月三〇日
  卒業式に臨みて
    祝辞             評議員子爵 渋沢栄一
 久しく皆様に御目にかゝりませんでしたが、今日斯うして妙齢の皆様にお目にかゝりますと自分も急に若返つたやうな気が致します。
 只今校長さんからは御心の籠つた告辞があり、又阪谷男爵からは大変に行届いたお話がありましたので私から加へて申上げる事は殆どないやうに存じます。けれども長い間この学校に微力を尽してをります私としては、一年々々ある点からはその進歩を悦び、又ある点からは未だ此の位かと手に持つて引伸ばしたいやうな感じも持たされるやうな次第であります。これは年寄の愚痴とお聞えかも知れませんがどうぞ悪くお思ひにならないやうに。今ではこんな事を申す私も明治卅何年でありましたか、成瀬先生からこの学校を「女子大学」と云ふ名にしようかどうしようとの御相談を受けたときには、その名を躊躇した私でありました。成瀬先生は女は人である、国民であると云はれ、これを固く信じてゐられました。皆さんはその教へをお受けになりましたが、今の阪谷男爵のお話のとほり家庭で矢鱈に自己を振り廻されては困ります。さうかと申して、学んだ事を少しも利用せずたゞ昔風に合してしまつていゝかと云ふとそれも亦甚だ困ります、従来の己を持する方法は必ずしも満足な方法ではありません。従来は人としての教育が欠けてゐましたが、その新しい教育を受けられた皆さんが、新家庭の人として教育の力を徹底せしめ得るか否かと云ふ事が老人の心配であります。然し今迄にこの学校を出られた多くの皆さんは、自己を振り廻さずに、然も一歩を先じた教育によつて家庭を進め、又子供の教育をも進めてゐられる実際を知つてゐる私は非常に悦びを感じてをります。尤も稀には好ましからぬ事を聞きますが、それは千に一つ位の事でありますから、どうぞ皆さんも先輩のよき例にお慣ひになり、尚益々お進みになる事を御願ひ致します。
 婦人の高等教育を国としてどうするかと云ふ事は十分に考へる余地がある事と思ひ、私共としても文部大臣に篤と御話するつもりでをります。
 なほ特に皆さんに申上げたいと思ふことは、記憶と云ふ事であります。私も来年は九十になりますが今日迄には色々な事がありました、然しその節々の事は今だによく記憶してをります。私が百姓を止めてお士にならうと決心したのは廿三の時で、この決心を父に話したのは
 - 第44巻 p.691 -ページ画像 
九月の十三日、恰度空が少しばかり曇つて月が薄かつた事などをよく憶えてゐます。愈々家を出たのはその年の十一月七日でその日の事もよく記憶してをります。その他ヨーロツパに行つた時のこと、帰つて来た時の事なども記憶にあります。おそらく皆さんも今日の卒業式の事はお忘れにならない事と思ひます。強ち渋沢の申した事をお忘れにならないやうにと申す意味ではありませんが、三月廿日をよく心して記憶されたいと思ひます。今日この時に際して斯くありたいと願はれた事を長く心に保存されたならば、それは必度何かの場合に役立つであらうと思ひます。
 先程からもお話があつた通り、たゞ卒業証書をお貰ひになつた事が尊いのではありません、今日この式に際して皆様の心に宿つたお覚悟を何時迄もお忘れにならないやうにと希望してお祝辞と致します。
                    (文責記者)