デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
2節 女子教育
9款 普連土女学校
■綱文

第45巻 p.74-79(DK450027k) ページ画像

昭和3年11月(1928年)

是ヨリ先、大正十一年十月、当校関係有志、普連土女学校後援会ヲ設立ス。是年当校創立四十年ニ当ルヲ記念シ、同後援会第一事業トシテ、記念体育館ヲ建設ス。是月、栄一金五百円ヲ寄付ス。


■資料

寄附金依頼ニ関スル来書 【(宛名手書) 渋沢栄一殿 (謄写版) 拝啓。普連土学校が「山の上の城」と…】(DK450027k-0001)
第45巻 p.74 ページ画像

寄附金依頼ニ関スル来書          (渋沢子爵家所蔵)
    (宛名手書)
    渋沢栄一殿
(謄写版)
拝啓。普連土学校が「山の上の城」と、聖坂の丘に建てられて玆に四十年、我等の友ギルバート・ボールス氏理事長として経営の任に当り信仰ニ基く女子教育を施すと共に、社会廓清、国際平和等に力を竭して、日も猶足らざるは隠れなき事実でございます。斯種の事業は独同氏の如きを煩はさず、寧協同すべきハ時代の要求、我等の責任であると信じます。此目的を以て普連土女学校後援会ハ設けられ、主として内国有志の賛同を仰ぐ次第でございます。本年恰も昭和御大礼の年ニ当り、十月には同校創立四十年記念式を挙ぐることになつてゐますので、後援会第一事業として記念体育館を建設し、昭代士女教養の資ニ供すべく、建設費壱万五千円を与へられたく祈ります。何卒御賛助を賜りたく、お願ひ申上げます。 敬具
        普連土女学校後援会評議員長 新渡戸稲造
        同        幹事   平川正寿
  昭和三年七月十八日


(ギルバート・ボールズ)書翰 渋沢栄一宛一九二八年一一月二日(DK450027k-0002)
第45巻 p.74-76 ページ画像

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寄附金依頼ニ関スル来書 【(印刷物) 普連土女学校後援会趣旨及規則】(DK450027k-0003)
第45巻 p.76-77 ページ画像

寄附金依頼ニ関スル来書          (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
    普連土女学校後援会趣旨及規則
 基督教女学校が我国女子教育の開拓者たり、先覚者たることは周知の事実で、今更言ふに及ばないことであります。普連土女学校も其の一として、斯の道の為め多年貢献して来ましたが我国女子教育も長足の進歩をなし、到る処高等女学校の設けられた今日も、尚其の使命の存することを堅く信ずるのであります。そは信仰の礎の上に人格の完成を図ること其の一、一学級の人員を少数に限り教育力の徹底を期することが其の二でありまして、斯かる主義目的を達せんとするには、理想的私学教育の発達に俟たねばならぬと同時に、世の有志同感の士の援助に頼らねばならぬのであります。英米の私学教育が各其の特色を発揮し、彼の国文化の進運に貢献することの多いのは、教化事業に興味を有し之が為めに財と力とを竭すを惜まざる人士の多いからでありませう。
 従来普連土女学校の経営は、主として米国フレンド(友会)有志の寄附に成つて居ました。経常費の如きも、授業料の収入は僅にその半にも足らぬ有様でありますが、今後学校が益発展し其の使命を果さんとするには、大に内国有志の後援を仰ぎたいのであります。之はたゞに経済上のみならず、精神上に与へらるゝところ多く、学校経営上新紀元を劃する所以であると信じ玆に普連土女学校後援会を設け、有志諸賢の賛助を仰ぐ次第であります。
                評議員長 新渡戸稲造
                校友会長 富山時子
                理事長  ギルバート・ボールス
                幹事   平川正寿
第一条 本会ハ普連土女学校ヲシテ其ノ目的ヲ達シ使命ヲ果サシムルタメ後援ヲナスモノトス。
第二条 本会ハ事務所ヲ東京市芝区三田功運町卅番地普連土女学校内ニ置ク。
第三条 本会会員ハ本会ノ目的ヲ賛助スル有志者、生徒保護者及ビ校友会員ヨリ成ル。
第四条 本会ニ評議員若干名ヲ置ク。
 - 第45巻 p.77 -ページ画像 
    評議員中拾名ハ総会ニテ選挙シ、其ノ他ハ評議員会ニテ推薦スルモノトス。
第五条 評議員ハ評議員会ヲ開キ諸般ノ計画ヲナシ、会務ヲ処理スルタメ必要ナル役員委員ヲ挙ゲテ事務ヲ分担セシム。
第六条 本会々費ハ一口一ケ年金五円トシ、随意ノ口数ヲ負担スルモノトス。但出金高五拾円以上ニ達シタモノハ終身会員トス。
第七条 本会々費及寄附金ハ評議員会ノ定メタル目的ヲ指定シテ、財団法人普連土女学校ニ寄附スルモノトス。
第八条 本会ニ生徒保護者部及ビ校友部ヲ置ク。
第九条 生徒保護者部ハ保護者会ヲ開キ、生徒教養上学校家庭間ノ連絡ヲ図ル。
第十条 保護者部及ビ校友部ノ役員ハ評議員タルベキモノトス。

    申込書
一、貴会ノ目的ヲ賛助ス
一、会費 口 (一口一ケ年金五円)
  払込方法。
    一時払 分賦払
    振替貯金 (口座東京六二六五四番普連土女学校)
    集金郵便 (指定時日)
   昭和 年 月 日
          住所
            氏名
    普連土女学校後援会
             御中


諸会報告書(五) 【(表紙) 体育館建設報告 普連土女学校後援会】(DK450027k-0004)
第45巻 p.77-79 ページ画像

諸会報告書(五)             (渋沢子爵家所蔵)
(表紙)
  体育館建設報告
               普連土女学校後援会

図表を画像で表示--

 此ノ体育館ハ御大典記念トシテ本校後援会ガ母校ノ為メ建設シタルモノニシテ、校友会員生徒ノ保護者及同情アル内外有志諸彦ノ浄財ニ依レリ、即チ此等多数愛校心ノ結晶ニシテ、向後此ノ館ニ集リ此ノ館ヲ仰ク人々ニ油然トシテ感謝ノ念ヲ生セシメ甚大ナル霊感ヲ与フルコトヲ信ズルモノナリ   昭和三年十二月          普連土女学校           後援会評議員長 新渡戸稲造 



    体育館建設報告
 此の体育館の建設は、普連土女学校後援会の計画したものでありまして、昭和三年九月工事にかゝり、同年十二月末に竣工いたしました
 - 第45巻 p.78 -ページ画像 
 後援会の設けられましたのは、大正十一年十月学校創立第三十五年記念式の秋でありまして、上田辰之助、前田多門、沢田節蔵の諸氏、新渡戸博士を推して委員長として生徒保護者、校友会員と力を協せて先づ後援会第一事業として体育館の建設を企てたのであります、着手後間もなく、大震災に遇ひ、つぐに経済界の恐慌を以てしましたが、大方の同情賛助に依り建設資金一万八千六百余円を与へられましたことは誠に感謝に堪へませぬ。
 賛助者の主として内国有志諸彦でございますことは、後援会の大に頼むところでございまして、また遠く海外より此の挙に賛同せられたる支那四川公誼会(友会)、米国ワシントン市、バークレー市、英国のヨク市等の友会員、蘇国ジユツトランド島一牧師などの有りますことは、後援会に国際的色彩を添ふるものとして、喜ぶところでございます。
 体育館は木造二階付、総坪数百二十六坪でありまして、体操場の外更衣室、体育事務室等を備へ、また文芸会等に利用せらるゝことになつて居ます、建築費壱万八千余円、設備費約二千円を費して、女学校体育場としては先づ完備したものと言へませう、将来学校教育上、女子の体育、国民保健の上に益を受くること多きを信ずるものであります。
 設計者渡辺利雄氏、建築者秋葉秀三郎氏が各種の事情と要求に応して、最善の力を尽されたることを深く謝する次第であります。
  昭和四年三月二十二日
          普連土女学校後援会幹事 平川正寿
    後援会賛助者芳名 (昭和四年三月末日)
普連土校友会殿       (壱千百四拾壱円七拾壱銭)
アルフッド・エルキントン殿 (壱千弐拾九円)
普連土自治会殿       (五百弐拾六円四拾弐銭)
浅野総一郎殿        高田耕安殿
森村豊明会殿        三井合名会社殿
三菱合資会社殿       安田保善社殿
渋沢栄一殿         (以上五百円宛)
普連土財団殿        (四百四拾九円)
エステル・ローヅ殿     (参百五拾五円)
野村太助殿         岸清一夫人殿
(以上参百円宛)      三井元之助殿
島田武助殿         (以上弐百円宛)
○中略

    後援会会計報告 昭和四年三月末日
      収入ノ部
      円
一八、六〇一・一六 会費及寄附金
 二、五二八・八二 預金利子
二一、一二九・九八
 - 第45巻 p.79 -ページ画像 
      支出ノ部
      円
一八、一八九・一三 体育館建築費
 一、九一五・七〇 同 設備費
   二四九・三一 事務費
   四一四・四三 旅費雑費
   三六一・四一 維持基金
二一、一二九・九八
                  幹事 平川正寿
                  監事 野村太助