デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
2節 女子教育
12款 其他 5. 立教高等女学校
■綱文

第45巻 p.94-95(DK450034k) ページ画像

大正7年3月26日(1918年)

是日栄一、当校第十回卒業式ニ臨ミ、訓話ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正七年(DK450034k-0001)
第45巻 p.94 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正七年        (渋沢子爵家所蔵)
三月二十六日 曇 朝ニ至リテ雨ハ歇ミタレトモ風強クシテ道路砂塵多クシテ咫尺ヲ弁セサリキ
○上略 午前十時築地ナル立教女学校ニ抵リ、卒業証書授与式ニ列シテ後一場ノ訓示演説ヲ為ス○下略
   ○演説筆記ヲ欠ク。


集会日時通知表 大正七年(DK450034k-0002)
第45巻 p.94 ページ画像

集会日時通知表 大正七年        (渋沢子爵家所蔵)
三月廿六日 火 午前十時 立教女学校卒業式(同校)


竜門雑誌 第三五九号・第七四頁大正七年四月 私立立教高等女学校卒業式(DK450034k-0003)
第45巻 p.94-95 ページ画像

竜門雑誌 第三五九号・第七四頁大正七年四月
○私立立教高等女学校卒業式 青淵先生は去三月二十六日京橋区築地なる私立立教高等女学校第十回卒業証書授与式に臨席せられ、卒業生の為め一場の有益なる演説を試みられたり。該校はもと米国聖公会伝道会社の設立せるものにて、明治十年本郷区湯島天神町に創始し、米人ブランシエーなる人之が校長となり、其後神田駿河台紅梅町、京橋区南小田原町に校舎を転じて更に明治十五年六月現在地たる築地旧居留地廿六番に移転せるものなりと云ふ。然るに同校は外国人管理の下にあることゝて、英語に重きを置き教育書も英書を多く用ゆる姿となり、生徒は英語に達し外国の事に明かなるも、我国の国語・歴史・地理等に暗き弊あるより、協議の結果、同校を全然日本人の手に委すことゝなり、清水友輔氏を校長として明治三十一年一月校舎を新築し、明治三十二年居留地制度廃止と共に、文部省に学校設立届をなし「私立立教女学校」と称し、明治四十一年四月更に文部大臣の認可を経て「私立立教高等女学校」と称して現時に至れるものにて、我国の女学校としては最も古き歴史を有せるものなりと云ふ。
 - 第45巻 p.95 -ページ画像 
   ○演説筆記ヲ欠ク。