デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
3節 其他ノ教育関係
1款 埼玉学友会
■綱文

第45巻 p.135-141(DK450045k) ページ画像

大正6年2月11日(1917年)

是日栄一、当会ノ例会ニ臨ミ、演説ヲナス。


■資料

集会日時通知表 大正六年(DK450045k-0001)
第45巻 p.136 ページ画像

集会日時通知表  大正六年        (渋沢子爵家所蔵)
二月十一日 日 午後一時 埼玉学生誘掖会紀念会(同会)


委員日誌(四)(DK450045k-0002)
第45巻 p.136 ページ画像

委員日誌(四)            (埼玉学生誘掖会所蔵)
二月十一日○大正六年
 学友会あり(記事略)


学友会報 埼玉学友会編 第二五号・第一―一〇頁大正七年二月 講演 渋沢青淵先生訓辞(DK450045k-0003)
第45巻 p.136-141 ページ画像

学友会報 埼玉学友会編  第二五号・第一―一〇頁大正七年二月
  講演
    渋沢青淵先生訓辞
 学友会の例会も、殆ど三十回に近い歳月を経て居ります、其初めから見ると、此会の当初の発起の御方は孫が出来ても宜い位の歳月を経て居るのでございます。併し年々人が変つて行くから、集まる御方は何時も同じやうなる青年であらつしやるが、私のやうな、始終相手変つて主変らずでは、どうしても皆様と同じやうに若くなつて行く訳には行かない、人が変らぬ、同じやうな人が継続すると一人が大変年をとつて、相対する御方は大層若くなつて、段々権衡が悪くなるけれども、是も寧ろ斯う云ふ場合は権衡が悪くなるのが御目出度いと言ふても宜いかも知れぬのであります。
 今日の開会は、別して天気も好し、総て悦ぶべき事柄の多いやうな次第で、諸君と共に此泰平を謳つて一日の歓を尽し得る年柄と思ふて悦びます次第でありますが、併し一方を顧みると唯悦んでばかりは居れぬので、此世の中がどうなるかと云ふことは、目前に大に憂慮すべきものが横つて居ると云ふても宜いと思ふので、兎角此の年寄は悦びより憂ひの方を先きに見る弊がある、況や私共は何方かと云ふと俗に申す小言幸兵衛の方で、兎角世の中の小言が言ひたい方である、煙が出たと云ふて小言を言ひ、煙が足らぬと云ふて小言を言ひ、勉強をする学生が勉強せぬと云ふて小言を言ひ、或場合には勉強の仕方が違ふと云ふて小言を言ひ、始終世を不足に考へて、斯くしたら宜からう、斯うしたらいくまいと思ふ方でありますが、併し若い御方は余り年寄の小言ばかりを真面目に受けて、萎縮・卑屈に陥つては相成りませぬ若い中には所謂勇壮活溌の気性をお有ちにならなくてはいかぬ、何処までも所謂勇往邁進の覚悟が肝腎である、併し其覚悟に対して今申すやうな小言を言ふのは、年年若い御方は変つて行くから、年寄が此処へ出るのも相対照して、所謂コントラストが宜くなる訳なんです、又あなた方の年に不似合な私が斯様な事を申すのも、場合には、大に之を参考たらしめ、或は一の薬餌たり得る事がないでもなからうかと思ふのです。
 欧羅巴の戦乱は、或点から言ふと日本にも相当な迷惑を与へて、一昨年は経済界にも種々なる迷惑をしたり、政治の費用を大分使つたと云ふやうなことがありますけれども、併しそれは一時のことで、爾来一昨年の秋頃から昨年一杯、此春にかけても尚且此戦争に参加して居る聯合国でありながら、大層幸福を得て居つて、戦争が一国の富をなすと云ふても宜い位な有様であります、其事柄に付て或場合には真に
 - 第45巻 p.137 -ページ画像 
悦ぶべきこともあるが、又それをのみ悦んでは宜くないと思ふことも交つて居るやうである、例へば人の難儀が日本の幸福にのみなると云ふことで、唯単に予は幸福であると悦ぶと云ふことは、目前の算盤づくは好いに相違ないけれども、第一に正義とか人道とか云ふ方から考へると、是は完全に悦ぶべきものでないと申したいのである、私は一昨年の冬亜米利加へ参りましたが亜米利加は又日本などゝは違ふて国も広い、事柄も大きい、殊に農産物が大変にたんと取れる国であるから、是が欧羅巴戦乱に付て甚だ利が多い、又鉄に其他の軍需品に、旁旁以て富がどれ程増すか知れぬと云ふやうに唱へて居りました、併し私は此人々に対して、亜米利加の正義を重んじ人道を重んずる国民が欧羅巴の戦乱が長く続きさへすれば富が益々増すと云ふならば、亜米利加の国の人心は真に腐敗して仕舞ふ、亜米利加の国民はさう云ふ観念を有つてはいくまいと思ふ、我日本帝国も左様であると、何処へ行つても切りに大声叱呼しました、決してそれは亜米利加人にのみ言ふのぢやない、日本の人にも言はなければならぬと思ふ、故に欧羅巴戦乱の為めにのみ富む、日本の富は増す、御互に大変に幸福だと悦んでは宜くないと思ふ、去りながら此戦乱の為に悦ぶべき事が大にあると云ふことを御互によく考へて見たい、それは何かと云ふと殊に化学工業などに多いやうです、勿論唯単に化学工業ばかりではない、其他の事柄にも多い、一例を言ふて見ると、自分はまださう云ふ実務には従事しませぬからよくは分りませぬけれども、総て工作品と云ふものは営業にやるにはどうしても算盤が持てねば事業が出来ぬものである、生産上から相当な利益が生ぜねば其品物が生産し出せぬものである、だから他から廉い価で持つて来られると、縦令日本で出来るにしてもより高く出来れば迚も引合はぬから、他から来る廉い価の物に制せられて、日本の生産は進む力を持てぬものである、薬品・染料、或は特殊の鉄其他の機械、斯う云ふやうなものは今申す理由から、日本に其技術がないではない、苦しめば日本の力で為し得ると云ふ品物が、矢張り他から廉く来る為に、此方の製造力を進めることが出来ずに従来海外に仰いで居つた、さう云ふ種類に於て戦争の関係から大に内地で新らしく製造し得る品物を生じた、薬品にも染料にも大分あるさうです、私が聞いたのは時計のぜんまい等に付て特にさう云ふことがあると申されました、当業者でないから悉く細かい調べはして見ませぬけれども、さう云ふ種類は数多くあると思ふ、是等は全く戦争が日本の事業を進歩せしむる助けを与へたので、正義・人道から言ふてもそれに依て富を増すならば、少しも欧羅巴人に恥ぢぬで宜いと思ふのであります、故に此戦争の関係は或点に於ては他の不幸が自国の幸福になつたのであるが、それをのみ悦んで満足だと思ふのは少し片腹痛い考へである、けれども私が今申す如き事柄が日本の事業を進めたに於ては、是はもうそれこそ大声叱呼して其進歩を称へて宜しい、又誰に憚かることなく其利益を占めて差支ないと思ふのである、故に此戦乱は総ての方面に皆害を与へたとは言へない、或部分に対しては大に利益を与へたと云ふこともあるでありませう。
 もう一つ心理上から論ずると、私共は実に意外千万に感じて居る、
 - 第45巻 p.138 -ページ画像 
それこそ欧米の宗教に力を尽すとか、哲学に心を砕いて居る御方々などが何故斯くの如くぼんやりして居るか、何故斯くの如く力を尽さぬかとまで、少し攻撃をしたい位に私は考へて居る、五十年以前に亜米利加が日本を世界の仲間入をさせる時、又それから引き続いて宗教学者は何と言つたか、得て非文明な未開な国は人を見ると泥棒だと思ふ丁度動物の性質を有つて居つて直様刃向つて来る、穏和の考へを有つて平和の間に知識を進めると云ふ観念なしに、直ぐ力を角して弱い者をいぢめ、強い者が誇る、是が野蛮である、文明はさうではないのだ文明は互に智慧を以て戦ひ、智慧で進み、徳義で交はるのであるから其間に騒動の起る気支へはない、平和の破れる訳はない、日本も其お仲間入をなさいと言つて勧めた英吉利・独逸・亜米利加……亜米利加は今度の戦争の仲間でないから小言を言ふ訳に参らぬけれども……所がです、段々物質的文明が進めば進む程、却て反対に野蛮の性質が強くなつて、其進む智慧が皆逆に人を妨げる、人を害する働きのみを為す、進んで得た富が人を虐げ、人を苦しむるの資本になると云ふことに至つては実に驚かざるを得ぬです、それよりは野蛮の方が宜い、野蛮で知識の少ない方が人を殺す害が少いと言はねばならぬ、取も直さず或動物が寄つて相争ふても、若し弱い物同志ならば喰ひ殺すことはせずに済むが、強い動物ほど他の動物を殺害する、獅子の如き、虎の如き、狼の如き皆それである、さうすると今日の物質文明の欧羅巴はまるで虎狼の国と申しても宜いやうになつたのである、此戦争の結果がどうなるかと云ふことも日本人としては深く、物質上の場合でなしに精神上から考へねばならぬが、敢て私は宗教家でもなし学者でもなし、左様な事を殊に若い学友会の学生に小言がましく申して見た所がそんな事は吾々の領分でないと言はつしやるに違ひない、併し君方は此日本を肩に荷ふべき資格を有つて居る青年なんであるから、此青年が段々に国家の重きに任じて下さらなくちやならぬと見ると、斯の如き時代にはどう心掛けねばならぬかと云ふ、常に憂慮して居る事を御話するのは、是は年寄の一つの親切、若くは義務、更に進んで言つたら権利であらう、斯う思ふのであります。
 此戦争も何れさう長くもなく落着するであらうが、それから後に来る経済界の関係、又は今の人道上精神界の関係がどう云ふやうになつて来るかと云ふことに付ては、押なべて日本国民の共に注意し又或点に於ては憂慮しなければならぬことであるから、単り此埼玉県人にのみ斯る考を有たねばならぬと云ふ意味ではない、去りながら埼玉県人はそれを知らぬで宜いとは尚言へぬので、近きより遠きに及ぼすと云ふことから考へると、どうしても御互に是から先はどう成り行くかと云ふことに付ては、私共は縦令斯の如く老衰しても尚心配して居のであるから、若い御方も左様であると云ふことはよく御心得の筈である物質的では斯様である、精神的に付ては斯う思はんならぬと云ふことを一つ御心得なさるやうにしたいと思ふのであります、之れを埼玉学友会の一つの問題として諸君に攻究なさいと云ふではないが、一方から言へば真に泰平無事、幸福な日本の今日と思ひますけれども、併しもう一つ進んで世界的に考へると尚大に憂慮せんならぬ、大に奮励す
 - 第45巻 p.139 -ページ画像 
べき責任と範囲を有つて居ると云ふことを日本国民は考へて居なければならぬ。
 そこでさう云ふ日本に対して若い御方が大に力を尽すと云ふ事に付ては、学問を修めるのは申す迄もない事である、お集りの皆さんが各方面に就学なすつて御座らうと思ふから、それを勉強なさるのは勿論論はないけれども、予て埼玉学生誘掖会として、此処に其要義を掲げてある、学生の守るべき事を示してございますけれども、是は埼玉学生誘掖会の要義であるが、私は埼玉の学生の総てに斯る要義を利用してお貰ひしたいと考へて居るのであります、学友会が此要義にお拠りなさることが、決して学友会の要義でないと諸君はお思ひなさらぬが宜からうと思ふ、一歩進んで言ふと埼玉学生誘掖会の要義は埼玉学友会の要義と同一であるとお思ひなさることを希望して已まぬのであります。今教育勅語を捧読致しましたが
  父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
 洵に斯の如くあれば則ち真に忠良な臣民たり得るのであります、前に申した、此時代に当つてどう覚悟したら宜しいかと云ふことは大層面倒なやうだが、勅語の御趣意を完全に服膺して全く履行が出来れば決して為し得ざることはないと思ふのであります、故に学友会諸君は埼玉学生誘掖会の要義に深く御注意下さることを願ふのであります。
 そこで其要義は此処に掲げてある通り七つ八つの個条があるが、之を引括めて申すと人は人格を重んずることが一番肝腎でございます、今日は人格と云ふことに付て一言を添へて置かうと思ふのです、蓋し人格と云ふ文字は甚だ広い言葉で、私自身も之を極細かに分析して説明することはしにくふございます、そこで此人格と云ふことを悪く解釈すると、体裁をつくるのも人格らしく見える、殺伐に着物などの前を合せなかつたり、髪が長く伸びて居たり、顔も笑ひ顔が少なかつたりして粗雑な風をして居ると彼奴は人格がない、奇麗な羽織でも着て所謂畳ざはりや扇子パチパチと云ふ様な塩梅であると人格が高い、中には年を取つた人などが頻りに茶の湯の稽古をして抹茶を掻き廻すとか、或は詰らぬ偽骨董でもかけて、是は探幽であるとか何とか云ふとあれは人格がある、斯の如き人格は私は真の人格ではないと思ふのだから、此人格と云ふものに対しては大に注意して戴きたいと思ふ、どうも人格と云ふ一般の称へが、人格とは抑々何であるかと云ふことに付て、少し学者先生が奇麗に現はし出して下すつたら、十人寄つて十色でなくて三色位になりはしないか、今申したやうな事まで人格に数へられると、私共は大に困ると考へるのであります、蓋し今日は学者も大分お集りになつて居るが、さう云ふものを人格とは仰つしやるまい、若し茶の湯の稽古をしなければ人格は得られぬものだと言はれるならば甚だ迷惑千万で、どうもさう云ふ人格は、不人格とは言はぬけれども人格の範囲には入らぬものである、然らば人格は何であるか、人格に付ては色々ありませう、色々ありませうが、先づ人格の尊ぶべ
 - 第45巻 p.140 -ページ画像 
きものは何であるか、私はどうしても強い犠牲的観念を有つと云ふのが、人格の最も尊ぶべきものである、武士道と云ふことを日本では昔から云ふて居りますが、犠牲的観念は武士道の根源であると云ふても宜からうかと思ひます、殊に私の前に申した欧羅巴の戦乱でも自己を好くする、智慧が及んでも尚自分を好くすると云ふことが、神聖なる平和、神聖なる幸福を破る原因になると思ふ、若し私の始終言ふて居る論語主義を以て、孔子の教を先きにして行つたならば、斯の如き変乱は起らずに済むに違ひない、但し其孔子の国の支那はどうかと云ふと、変乱の最も起り易い国である、孔子自身の教へは決して然うでないけれども、支那の国は孔子の教をまるで遵奉して居ないから、世の中が斯の如く成り行くのも自然の勢ひで已むを得ぬかは知らぬが、唯知識を進める、自己を先きにすると云ふことが、どうしても変乱の基ゐ、所謂誤つて進めば、弱肉強食、強い者の理窟は何時でも良くなると云ふ欧羅巴の教へが、始終はそれが道理になつて仕舞ふのであります、故に若し真正なる人格、私の今申した自己を後にする犠牲的観念を先きに遵守すると云ふことであつたならば、欧羅巴の戦乱も必ず起らずに済んだとまで言ひ得ると思ふ、果して左様なるものであるならば、日本の武士道が若し私の解釈の通りに、犠牲的観念に基礎になると言ひ得られるならば、我国民総ての人格が向上されたならば、日本の国は極めて鞏固になり、又鞏固な所からして他に害を与へると云ふことをしない国民たり得るであらうと云ふことを私は深く信ずるのであります。
 人格の根本を極短い言葉で申すと、私は曾子の一語に依て斯くの如くあつたら屹度人格たり得るだらうと思ふのである、私は玆に曾子の言葉を申して、諸君は之を主義として人格をお造りなさるやうにしたいと云ふことを最終の言葉とします、これは士不可以不弘毅、任重而道遠、士は「さむらひ」、御互は皆士と云ふても宜しい、憂国の士或は志士などゝ申します、士は以て弘毅ならずんばあるべからず、弘く毅くなければならぬ、何故なれば士たる者は任が重くして道が遠い、是はかけた言葉で、さうして之を説いた、其次の句が仁以為己任、不亦重乎、死而後已不亦遠乎、仁以て己れが任と為す、此仁、仁の講釈に付ては三日も四日も講義を続けても説き尽せぬ程のものであります或は朱子、即ち宋末の大儒者朱文公であります、朱子は四書、五経などを註釈して居りますが、仁に付ては極低く見て愛の理、心の徳などと評して居る、けれども孔子の仁はもつと広い、例へば管仲の政を為すことを評して其仁に如んや、一方には管仲をひどく誹りながら其仁に如んやと言つて居る、又子貢の問に対してどう答へて居るかと云ふと、子貢曰、如有博施於民、而能済衆、何如、可謂仁乎、子曰、何事於仁、必也聖乎、尭舜其猶病諸、博く民に施して衆を済ふ、それが仁であらうかと言つたら、仁どころでない、尭舜すら難く思ふて居ると答へられた、故に其仁と云ふものは大変に広いので、殆ど天下国家を治める道である、小さく言へば相対して人を懐け、人を導くのも仁である、愛すると云ふことも仁である、博く人を愛する之を仁と謂ふと韓退之は説いた、其仁を以て己の任とする、仁を行ふだけの働きを有
 - 第45巻 p.141 -ページ画像 
たなければならぬ、それを任とするから重いではないか、重いぞよ、それから人間は死ぬまでそれをやらなければいかぬ、死して而して後に已むのだ、亦遠からずや、前の任重しで道遠しと云ふのは短い言葉であるが言尽したと思ひ得られるのである、それで此仁を其任として尽しおほせて、死んでまでもずつと貫いて完全に立行けるものであつたら、是こそ真正なる人格のものと言ひ得るだらうと思ふ、此人格は若い時の人格、壮年の人格、老年の人格、自ら其年と境遇に依て差はありませう、併し何れの方面に於ても今の任の重い務めの欠くべからざることは同一なものでありますから、どうぞ諸君は今日は御互に注意せねばならぬ、一方から言へば悦ばしい、一方から言へば心配すべき時代に相成つて居りまするで、是非此埼玉県の学友会の御互からして、日本の一般を鼓舞作興するやうな人にならねばならぬと思ひますそれには今申す通りの人格たることを希望致します、玆に曾子の一言を以て今日の訓示と致します。(拍手)