デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
3節 其他ノ教育関係
1款 埼玉学友会
■綱文

第45巻 p.153-157(DK450049k) ページ画像

大正9年2月11日(1920年)

是日栄一、当会ノ例会ニ臨ミ、演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正九年(DK450049k-0001)
第45巻 p.153 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正九年          (渋沢子爵家所蔵)
二月十一日 晴 寒
○上略 午飧後埼玉県学友会ノ例会ニ出席ス、勅語ヲ拝読シテ後県下各学校ノ優等生ニ賞品ヲ授与ス、畢テ訓示ノ演説ヲ為ス、岡実氏・姉崎正治氏来リ欧米ニ於ル労働問題・思想問題ニ付講演アリ、午後六時演説畢リテ夜飧ヲ為シ○下略


集会日時通知表 大正九年(DK450049k-0002)
第45巻 p.153 ページ画像

集会日時通知表  大正九年         (渋沢子爵家所蔵)
二月十一日 水 午後一時頃 埼玉学友会々合(埼玉学生誘掖会)


学友会報 埼玉学友会編 第二八号・第一―八頁大正一〇年二月 訓示 子爵渋沢栄一氏述(DK450049k-0003)
第45巻 p.153-157 ページ画像

学友会報 埼玉学友会編  第二八号・第一―八頁大正一〇年二月
    訓示
                子爵 渋沢栄一氏述
 年々の例に依つて此紀元節を卜して学友会の総会が開かれましたことは諸君と共に洵に慶賀に堪へない。今日は岡実氏と姉崎正治博士の御出演を請ふことになつて居ります。程なくお越しを戴ければ、此両君の殊に欧羅巴若くは亜米利加に於て、或は講和会議又は労働問題等に段々御研究を下すつたお話が諸君と共に伺はれるだらうと喜ぶのであります。今日の此会に於てどう云ふお方をお願ひしたら宜からうと云ふことの、学友会の幹事諸君の御相談でありましたから、今日の時代に於て甚だ伺ひたいと御同様思ふ方々のお話であるので、私は両君にお願ひしたいと思つて幹事を以て御依頼を致しました所が、之を両君共快くお引受を下すつて多分後刻に十分な御講演を戴けるであらうと思ひます。
 左様な後段に篤と謹聴致すべきお話があるから、私は唯此毎会学生御一同に対して斯くありたいと思ふ希望を述べることを例として居りますので、本年も尚其例に従つて一言述べて諸君の御記憶に供へやうと思ふのである。
 玆に世界の思潮変動と日本の地位と云ふ標題で、まだ発行になりませぬが、先月の末に銀行集会所で発行する銀行通信録と云ふものがあります。其通信録に年々私は所感を述べるを例としてあります、銀行者として種々述べ来つたのであるから、銀行を止めても尚恒例に従ふて年々通信録の正月発刊には私の所感を出すことを希望されるので、今年も同様に意見を述べました。それを別に刷りましたのが一部あり
 - 第45巻 p.154 -ページ画像 
ますから、之を此処へ置いておきますから後で諸君御覧下さることを願ふ。此処で申述べるのは此要点を簡略に取縮めて諸君に、思想界に於ての考へは斯うなくてはなるまいと云ふことを私は訓示として置かうと思ふのであります。
 戦争の休戦と相成つたのは一昨年の十一月十一日であつたと私は記憶します。それから昨年更に講和会議が開かれて其結了を致したのは六月であつて、五年に亘る大戦であるから物質上に世界を聳動したのみならず、其戦争中も既に業に一体の気運に対して大なる変化を惹起して居つた。而して其結果どうなるかと云ふことは誰も実に注目して早く知りたいと思ふのであるが、此知らうとするのに種々なる方面の観察があります。結局此戦乱終熄後と雖も世の中の有様と云ふものは所謂強い者勝、神聖なる正義人道に依つて所謂黄金世界を此処へ造出すと云ふことは出来まい。併し平和と云ふて武力に依つた平和で争ふても負けるであらうから先づ其戈を戢めると云ふ平和であると神聖なる所謂黄金世界ではないのである。縦令大戦乱が戢つても其所にしか行くまいとか、若は又一歩進んでそれは人類の甚だ智慧のない所作であるから、禽獣と異る人は智慧の進む程向上しなければならぬ訳である、左すれば左様に弱いから我慢する、強いから威張ると云ふことでは殆ど余儀なくされたる平和であつて、一歩過れば直ぐ様又戦争の昔に返へると云ふことになる。斯くの如きは人類の知識が真に進んだとは言へぬ。今日はもう一歩進んだる所の平和が講ぜらるゝであらう、即ち完全なる黄金世界でございますから唯武力平和のみに止まらぬで宜からう、斯う云ふやうなる考察を以て将来を希望したる者もあります。私などは即ち其一人である、唯弱肉強食と云ふばかりを以て世の中を支配すると云ふのは昔の殆ど野蛮時代の有様であつて禽獣と何ぞ択ばんと云ふことである。知識が進んで行つたならば其知識は人を仆すとか物を掠めるとか云ふ風に知識が進まずに道理を以て交はると云ふ風に知識が進んだならば、即ち武力制裁なる平和でなしに神聖なる道理に依つた各国の権衡を得る交際が出来るであらう。必ず出来ると云ふことを希望しなければならぬ、さう云ふ問題が必ず起るであらう斯う希望した一人である。丁度昨年の講和の初に亜米利加の「ウイルソン」大統領に依つて唱道された国際聯盟は先づ吾々の理想とした所に近からんかと思ふたのである。併しそれは理想としては一つの問題となつたけれども、其結局は果して私などの望む如くに完全なる協定が届いたとは申されぬやうで、其後の亜米利加の議会の有様などを承はると頗る不穏当な――殊に日本に対してなどは最も忌むべき口吻を以て議会に争のあつたなどゝ云ふことは、単り他の国に対して礼儀を失ふのみならず、其持出した亜米利加にしては余り情けない行動と云ひたい位である。所謂世の中の希望する道理と云ふものは、如何に斯う人文が進んで行つても中々に満足な王道の行はれぬものと深く残念に思ふのであります。而してそれのみならず段々に或一方から申すと或点からは垣を打破つて世界を平等にすると云ふ主義からして頗る喜ぶべき点もありますけれども、又其半面からして殆ど秩序もなくなる極く行過ぎると君臣の情誼も父子の関係も無視する如き有様になり、
 - 第45巻 p.155 -ページ画像 
我利若は無差別な博愛と云ふものが段々進んで来る、其根本なる学者からして相当な説を以てさう云ふ意見を立てるのだから、必ず其人の意見が丸で世界を混乱せしむると云ふ趣意ではなからうと思ふのですけれども其中正を失つた議論と云ふものは殊によると云ふと其極間違へた者からして遂に世の中を混乱せしむるものに行き易いものである
 欧羅巴の今日の学問は私共甚だ素養のない為に詳しいことを知りませんが、聊か学んである漢学に依つて所謂王道と之に反対なる異端邪説と、能く今日の有様が比較して二千年の昔を想ひやるやうである。それで私は正月元日に斯ふ云ふ詩を作つたのである「欲闢異端追古賢不嫌弁妄与宣伝、事多常憾歳華促、八十今朝又一年」此末の一句は私の年を言つたのである「欲闢異端追古賢」と云ふのは丁度支那の先づ先王の政と孔子の尊重した尭舜禹湯文武と之を先王の政と言ふたのである。其先王の政としたのは王道と云ふ。其王道に反対と云ふのでなくても横道の説を述べるのが異端と云ふのである、其異端には沢山の種類がある。先づ楊子・墨翟・荀子・荘子・淮南子・抱朴子、子と云ふ種類が何程ありましたか、百も、もつとあつたでせう、丁度今日言ふ「クロポトキン」が若し其時であつたら其子の一人であつたらうと思ふ、一の学説があるとそれが世の中に伸長すると玆にちよつと変つた意見を以て新しい説を言ひ出すと云ふことは、是はもう人類の或は長所又弱点である。必ずさう云ふ按排により面白いと云ふ新奇を競ふことが生じて来るものである。殊に旋曲りの人は人が右と云ふと左と考へてさうして説を立てると云ふことは間々あるです。今日も其通りであるが二千年以前の支那の周の末にも矢張り其通りと見て居る。例へば孔子が性善説を――左まで主張しませぬが、先づ人の性は善なるものと云ふ主義を論語で説かれて居る、所が荀子などは性悪説を以て頻りに人の性と云ふものは悪であると言つて居る。是は孟子は性善説を以て頻りに其説を弁駁して居る、さう云ふ按排に或一説に対して……私は孔子の説は中正と思ふが其中正に対して異論が段々出て来る。即ち是が異端である。今日私共思ふには多く欧羅巴学説に付て……中正な説に背いて余り過激な「デモクラシー」若くは余り極く無秩序な博愛論などは、蓋し私は之を異端と思ふのである。其時分の楊子墨翟を見る如く思ふのである。但し左様に私が異端と思ふから、渋沢は森戸さんを刑法に問ひたいと云ふ論ぢやと斯う見ては困るので、それと是とは又別であるが、併し学説として又自分の平和主義として必ず中正に止めて、殊に我帝国などは君臣の義、父子の情と云ふものは厚く守つて行かなければならぬのです。之に反する説は大なる間違を惹起すと斯う考へますから、世の中の凡て……少くとも埼玉の学友会若は誘掖会の諸君などには、余程御注意を請ひたいと思ひました。欲闢異端追古賢、追古賢と云ふのは丁度孟子若は後に漢唐に至つて唐の韓退之などゝ云ふ人、それから後に宋に至つて宋の程明道・程伊川・或は朱文公などゝ云ふ人が大に其孔子の説を段々に明にしたのである。故に私は此異端邪説をば十分に分析して悪いことは悪いとし、善いことは善いとする、即ち古の賢人の努めたやうなことをやつて見たいと思つて居る。之をしやうと思ふが為に或は妄を弁ずる。即ち今日此処で
 - 第45巻 p.156 -ページ画像 
是が間違つて居ると云ふことを弁駁するのも亦斯くなくてはならぬと云ふことを宣伝するのにも、自分が蓋し宗教家でもなし学者でもないけれども、是非努めなければならぬと思ふ為に、「不嫌弁妄与宣伝」と言つたので、元来は七十七になつた際に凡ての仕事を止めましたから老後の多少慰安だと思つて居る身柄であります。併ながら左様なことを考へて見ると単り其事の弁妄宣伝ばかりでなく、例へば労資協調会に力を添へなければならぬ。理化学研究所も是非満足に進めたいものだ、彼の学校に、此会に、さう云ふことに従事しますると、即ち今日の埼玉学友会に出るのも其一つであるが、至つて閑な位置に居る老人であるけれども、決して其閑に安んじて居られぬ、あれもせんならぬ、是もせんならぬと思ふと思ふと段々に用が多くなる。用が多くなると同時に月日が誠に足らないやうに思ふ。早や又今年一年が来たと斯う云ふやうな感じが起ります。故に「事多常憾歳華促」是は杜子美と云ふ人の句に「事多歳月短」と云ふ句があります。誠に短い言葉であるが中々用が多いと月日が短いやうに感ずる、別に用が多いから時計が早く経つと云ふ訳ではありませぬが、同じ時日であるが、ぼんやりして居ると長く感ずる、忙しくして居ると短かく感ずる、是はどなたも同じことである「事多常憾歳華促、八十今朝又一年」昨年八十になつて大分の老人と思つたら又今年一年を迎へた訳である。尚引続いて勉強しやうと斯う云ふ意味であるので、此処に書いてある事柄は唯単にそればかりでなしに、或は亜米利加に関係し、或は支那に関係し……私は外交に従事する者でない。宗教政治に殆ど無縁と云ふても宜い位の身柄でありますけれども、国民として国を思ふの情からして、一国の安寧を期し一国の思想の健全を望み又同時に余所の国々に対して国交上若くは経済上完全に進めて行くと云ふことは、縦令政治家たらざるも望まざるを得ぬことである。国民としての観念は政治家と云ふ立場でなくても矢張り或点は同じに期する訳である。殊に此外国の関係などは段々世の進む毎に繁くなるに従つて唯外交官ばかりが満足に治めるものでないと云ふても差支なからうと思ふのである。
 亜米利加の事柄など殊に然りと申したいので、それに付て多少苦心して居ることもあります。それ等のことも詳しく書いてあります。又支那に対して今日の外交は何たることであらうかと、私共は実に歴代の内閣の人々は若し無遠慮に言ふならば叱り飛ばして上げたい位である、畢竟彼等が手腕のないと云ふよりは深切に乏しいから斯の如くなり得るのである。手腕とか知識とかばかりで外交をしやうと思ふから斯う云ふ間違を仕出かすのである。若し衷心道理に基いて所謂王道を以て彼に接したならば斯の如き過を仕出かさずに済むであらうと思ふもう一年以上の排斥を受けて居る。斯の如く深切を尽しても尚且怨まれると云ふものは、蓋し徳が至らぬのか或は仕方が悪いのか、どつちもあるだらうと私は小言を言はなければならぬと思ひます。それ等のことも多少此中に書いてあります。私一人が大層物知り顔に自慢を申すのではなけれども、どうしても今日の国家が若し今の支那に過ち亜米利加に衝突でもするやうであつたならば此国家は如何になるかと考へると、甚だ真に杞憂ではなくして痛恨に堪へぬのであります。それ
 - 第45巻 p.157 -ページ画像 
是に関してもどうぞ国民の思想を健全にしたい、国民の思想を健全にするには前に申す異端をどうしても退けざるを得ぬのである。此帝国の国民として所謂忠君愛国、今も諸君と共に捧読しました勅語に何とありますか、「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己ヲ持シ博愛衆ニ及シ」是は決して今流行る言葉に悪くすると之を踏違へるやうになりはせぬかと思ふのであるから、此学友会今日の記念日に教育勅語を拝読致した此事は別して諸君が心に銘して此事を御記憶なさらなければいかぬ。恐れ多い申分であるが、私の希望して居る所は今の教育勅語を何処までも完全に徹底的に胸に蔵め、身に行ふやうに致したいと思ふのであります。要するに当年の初に年始の意見として銀行通信録に出しました趣意はそれに事物の或事柄を現はしたのを此処へ書記したのでありますから、後に諸君に御覧になるやうに致したいと一部留めて置きます。
 約めて申すと、此拙作ながら元日の詩が即ち此異端を闢いて古賢を追ふて是非とも此世の中をして君に忠に、父母に孝に、即ち今捧読しました勅語の御趣意をお互に完全に奉じたい、而して帝国をして益々隆盛たらしめやうと思ふに他ならぬのである。御同様に埼玉県人として斯く年々相集いて御互に健在を喜び、未来を又祝ふて、斯る祝日に記念会を開く以上は尚更ら弥や増しに其趣旨の積り積つて効果を追々に奏するやうにせねば相集つて斯うして協議する甲斐もない訳である私は殊更に当年の記念会には別して未来を深く心配に思ふので斯る言葉を述べるのであります。どうぞ左様御承知あらむことを望みます。