デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
3節 其他ノ教育関係
7款 明治大学
■綱文

第45巻 p.307-309(DK450122k) ページ画像

明治44年10月14日(1911年)

是日、当大学創立三十年記念式挙行セラル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四四年(DK450122k-0001)
第45巻 p.307 ページ画像

渋沢栄一日記  明治四四年        (渋沢子爵家所蔵)
十月十四日 曇 冷
○上略 午後二時明治大学ニ抵リ、三十年紀念祭ノ式ニ臨ミ一場ノ演説ヲ為ス○下略


竜門雑誌 第二八一号・第四六頁 明治四四年一〇月 ○明治大学紀念式(DK450122k-0002)
第45巻 p.307 ページ画像

竜門雑誌  第二八一号・第四六頁 明治四四年一〇月
○明治大学紀念式 明治大学の新築落成創立三十年紀念式の第一日は十月十四日午後二時より同校紀念館に於て挙行せられたり、当日は先づ学生に次ぎ来賓一同着席するや岸本校長の式辞、木下学監の報告あり、次で来賓西園寺首相・長谷場文相・松田法相・加太貴族院議員の祝辞演説、石本陸相・原内相・阿部府知事・安楽警視総監・尾崎市長等の祝辞あり、青淵先生にも亦来賓として一場の祝辞演説を為され、次いで小林博士講師総代とし、斎藤孝治氏校友総代として祝辞を述べ各地校友支部総代の祝辞及び各地の祝電報告、神田公友会総代・日清両学生総代の祝辞、最後に監事富谷博士の謝辞ありて式終りて後、大講堂に於て立食の饗応ありて散会したる由。


竜門雑誌 第二八三号・第二〇―二二頁 明治四四年一二月 ○精神的向上(DK450122k-0003)
第45巻 p.307-309 ページ画像

竜門雑誌  第二八三号・第二〇―二二頁 明治四四年一二月
    ○精神的向上
                      青淵先生
  本篇は前号雑報記載の如く青淵先生が明治大学の招請に応じ、同校三十年記念祝賀会に於て演説せられたるものなり。(編者識)
校長、閣下、諸君
 - 第45巻 p.308 -ページ画像 
今日の盛典に際しまして、私は玆に参列して一言申述べまする光栄を荷ひまする、斯る名誉ある学校に対して、申さば商売人の私が、而も総理大臣以下各大臣が御祝辞の後に、不弁を以て演説的祝辞を申上げるのは、頗る汗顔の至りでございまするが、唯今迄の御祝辞は、総て多く政治界の方々のやうに見えますから、商売人からも斯る学校に一言祝辞を述べたならば、或は其宜しきに適ふかとも思ふ故に、玆に参上したのでございます。
校長の式辞、又木下君の御報告で、此学校の歴史は審かに拝聴致し、既往三十年の経過がありありと目に見えるやうにございまする、岸本君の御説の通り、三十年が短いとも感ぜられませうが、又長いとも感ぜらるゝ、其長短の感応は何れにも致せ、是迄なさいましたことは、決して容易で無からうと、深く其局に当つた方々の爾来の御苦心を御察し、且感謝致すのでございます、今日の記念祭は三十年祭と移転式と二つを祝されるやうに伺ひますけれども、私は更にもう一つ加へて形より以下の物質の進歩以外の、形より以上の学問其ものゝ精神的の向上したことに付いて、一の祝辞を述べたいと思ふのでございます。御承知も下さいませう、私は実業家の末席に籍を置く者であります、殆ど四十年に近い歳月、唯此一途に於て汲々として居りますから、頗るお恥かしいと申す外ございませぬけれども、併し此実業界も、三十年の間さうジツとしては居らぬのです、此学校ばかりが御誇りなさらぬでも宜しい、実業界も相応に進んだと申上げるものである、併し若しさう数へ来りまするならば他の方面も大に進んで居る、今祝辞を段段御朗読になりました各政治家、即ち其政治界が三十年の月日の間に如何に進んだかと云ふことも、諸君と共に讚辞を呈したいのである、今日陸軍大臣が御列席になつて居りますが、此軍事界の進歩などゝ云ふものは、最も吾々驚嘆する程進んだと申上げて宜しい方にある、故に総ての方面が、我国家に於て三十年の歳月は悉く進んだと申上げられるが、さて其形式上の進みと精神上の進みと、共に適ふて居るかと云ふことを問ふたならば、或は総て同意である、総て然りと御答の出来ぬ場合がないとは申せぬ、と思ふのであります。
私は当学校に丁度十年前まで、此学校が向ふの校舎に在られます時に参上致して、矢張同じく二十年祭の祝辞を申上げたやうに記憶します其時私の申上げました言葉は、職員諸君は勿論のこと、学生の御方々などには、所謂余程皮肉つたと云ふやうな塩梅で、大にノウノウの声を伺つたやうに記憶して居る、なぜならば私は其時は、決して今のやうな大学でなくて、法律学校であらしやつたやうであるから、私共商売人と法律とは、今日は至つて近くせぬならぬ時機であるけれども、まだ甚だ此間に溝渠があります、此溝渠のあるのは、商売人のみ悪いのでございませぬぞよ、法律家も矢張悪いのである、法律家の方からも余程歩んで来られぬと、近くなることが出来ませぬ、蓋し法律と云ふものは、私共は其曲を曲とし、直を直とすべきものと解釈して居るが、法律が或る場合には法を曲げると云ふことがございます、未来は努めて吾々共も法律に近づかんことを努めまするが、法律家の方々も実業家と近づくことを、御考を願ひたいと申上げたことがございます
 - 第45巻 p.309 -ページ画像 
即ち其十年以後の経過が、私は真に大に精神的に、此学校が向上されたと云ふことを、深く感謝するのでございます、其一つ証拠を申上げますれば、三十年の記念号にある岸本君の御言葉は如何であるか、蓋し法学は正義の観念であると仰つた、誠に是なりです、私は此心を以て法律を講じて下さつたならば、実に商工業者は法律の前に三拝九拝をせねばならぬとまで思ふのであります、又吾々商工業者も大に利益に拘泥すると云ふ心でなしに、所謂国家の富を心として、倫理道徳に依つて国家を富ませる、と云ふ方法が幾らもあらうと思ふので、其域に達せんと経営して居りますが、吾々の区域は此学校よりも尚広いためか、若くは吾々の力の足らぬためか、今の精神的向上が此学校に較べて甚だ劣つて居ることを此場合に於て深く恥ぢます次第でございます、玆に三十年の記念式を祝すると共に、一歩進んで形より上の学問に於て、此学校が大に進歩されたことを祝するために一言致します。


明治大学五十年史 大西種次郎編 第二七―二八頁 昭和六年一一月刊(DK450122k-0004)
第45巻 p.309 ページ画像

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